乙訓寺の2回目です
前回は空海について記しましたが
今回は乙訓寺のもう一つの歴史的な事件
早良親王幽閉について
早良親王は皇太子の一人であったが母方が下級貴族であったことから
皇太子への道は閉ざされてい為
早くに出家した人物
出家した後は親王禅師と称し
大安寺東院に住んでいたと云われています
兄の桓武天皇が即位すると
父、光仁上皇の勧めで還俗
それが彼の悲劇の始まりでした
桓武天皇の右腕
藤原種継
桓武天皇が平城京からの遷都を発願
その時、藤原種継は長岡京への遷都を提唱
翌年長岡京への遷都が行われている
時に785年の事
造営作業の監督に出掛けていた藤原種継が矢で射られ死去する事件が起きます
世に言う「藤原種継暗殺事件」
当初、実行犯だった大伴竹良が捕縛され
取調べの後、官僚を含む十数人が逮捕され斬首となっている
事件に連座し、多くの者が流罪を受けることになった
しかし
それでこの事件は解決しなかった
藤原種継と不仲であったとされる早良親王までもが容疑をかけられる事となった
廃嫡となり一時この乙訓寺に幽閉される事となるのです
無実を訴え続けた早良親王
淡路国へと流罪となる途中
無罪を訴え続け、絶食していた早良親王は途中憤死
その後、桓武天皇の長男安殿親王の発病
桓武天皇妃藤原乙牟漏の病死など
早良親王の祟りと思われた事件が相次ぎ
幾度かの鎮魂儀式が行われたという
最後に
今回はワンコを同伴させていましたので
牡丹とワンコでお別れです
前回は空海について記しましたが
今回は乙訓寺のもう一つの歴史的な事件
早良親王幽閉について
早良親王は皇太子の一人であったが母方が下級貴族であったことから
皇太子への道は閉ざされてい為
早くに出家した人物
出家した後は親王禅師と称し
大安寺東院に住んでいたと云われています
兄の桓武天皇が即位すると
父、光仁上皇の勧めで還俗
それが彼の悲劇の始まりでした
桓武天皇の右腕
藤原種継
桓武天皇が平城京からの遷都を発願
その時、藤原種継は長岡京への遷都を提唱
翌年長岡京への遷都が行われている
時に785年の事
造営作業の監督に出掛けていた藤原種継が矢で射られ死去する事件が起きます
世に言う「藤原種継暗殺事件」
当初、実行犯だった大伴竹良が捕縛され
取調べの後、官僚を含む十数人が逮捕され斬首となっている
事件に連座し、多くの者が流罪を受けることになった
しかし
それでこの事件は解決しなかった
藤原種継と不仲であったとされる早良親王までもが容疑をかけられる事となった
廃嫡となり一時この乙訓寺に幽閉される事となるのです
無実を訴え続けた早良親王
淡路国へと流罪となる途中
無罪を訴え続け、絶食していた早良親王は途中憤死
その後、桓武天皇の長男安殿親王の発病
桓武天皇妃藤原乙牟漏の病死など
早良親王の祟りと思われた事件が相次ぎ
幾度かの鎮魂儀式が行われたという
最後に
今回はワンコを同伴させていましたので
牡丹とワンコでお別れです