真言宗豊山派の寺院
乙訓寺を訪れました
聖徳太子が建立したと伝えられている寺院です
創建時期は不明
学術調査で奈良時代の創建であるらしいという事が判っています
ここは牡丹で有名
京都を代表する牡丹の寺
4月末から5月初旬にかけて
この寺は賑わいます
好天下で訪問する事が出来ました
乙訓寺
歴史上、有名な事が二つあります
一つは、弘法大師がここの住職を務めていた事
もう一つは、早良親王が幽閉された事
この二つについて語りながら乙訓寺の牡丹を紹介していこうと思います
弘法大師空海が遣唐使の一員として唐に渡ったのは延暦23年
西暦で804年の事
留学僧として唐の地を踏んだのです
留学期間は20年の約束
長安の西明寺にて梵語の勉強を続け
唐随一と呼ばれる密教の師、青龍寺の恵果和尚に師事し
瞬く間に密教を習得していったと伝えられています
伝法阿闍梨位の灌頂を受けたのは師事してから3ヶ月の後
何十年も懸けて得られない修行を弘法大師空海はたった3ヶ月で習得
彼の非凡さが窺えます
その年の内に空海は日本への帰路につきます
20年の約束を違え、2年経たずに日本へと帰国
その為か、京都への帰還はすぐには叶わず
大宰府で数年留め置かれたと伝えられています
京都への帰参が叶ったのはそれから3年後
当初は神護寺に入った空海
2年後には乙訓寺の別当として在住することとなったのです
さて話題を戻して牡丹
乙訓寺の境内には牡丹が咲き乱れています
創建当時から牡丹が植えられていた訳ではなく
乙訓寺で牡丹の栽培が始まったのは昭和15年
それまでは松の並木であったそうですが
室戸台風でほとんど倒木
その後牡丹の栽培を行うようになったとの事
今では牡丹の寺として有名になっています
一枝濃艶露凝香
雲雨巫山枉断腸
借問漢宮誰得似
可憐飛燕倚新粧
かの李白も牡丹を楊貴妃に例えて詠んでいます
さてまた話は戻って弘法大師空海
乙訓寺の別当に就いた後
最澄の訪問を受けたと云います
空海が中国から持ち帰った仏典
密教のエキスが詰った仏典
最澄が驚くほどのものであった
これまで日本に伝えられていなかった経典の数々
この地で
空海と最澄は会い
空海は真言の法を最澄に伝えた
その後10年に渡り二人の間には交流があった
しかし
二人の仏教に対する考え方には隔たりがあった
密厳一乗を標榜する空海
法華一乗を掲げる最澄
やがては袂を分かつ二人が
この寺で、真言の法について語り合ったのでしょう
続く...
乙訓寺を訪れました
聖徳太子が建立したと伝えられている寺院です
創建時期は不明
学術調査で奈良時代の創建であるらしいという事が判っています
ここは牡丹で有名
京都を代表する牡丹の寺
4月末から5月初旬にかけて
この寺は賑わいます
好天下で訪問する事が出来ました
乙訓寺
歴史上、有名な事が二つあります
一つは、弘法大師がここの住職を務めていた事
もう一つは、早良親王が幽閉された事
この二つについて語りながら乙訓寺の牡丹を紹介していこうと思います
弘法大師空海が遣唐使の一員として唐に渡ったのは延暦23年
西暦で804年の事
留学僧として唐の地を踏んだのです
留学期間は20年の約束
長安の西明寺にて梵語の勉強を続け
唐随一と呼ばれる密教の師、青龍寺の恵果和尚に師事し
瞬く間に密教を習得していったと伝えられています
伝法阿闍梨位の灌頂を受けたのは師事してから3ヶ月の後
何十年も懸けて得られない修行を弘法大師空海はたった3ヶ月で習得
彼の非凡さが窺えます
その年の内に空海は日本への帰路につきます
20年の約束を違え、2年経たずに日本へと帰国
その為か、京都への帰還はすぐには叶わず
大宰府で数年留め置かれたと伝えられています
京都への帰参が叶ったのはそれから3年後
当初は神護寺に入った空海
2年後には乙訓寺の別当として在住することとなったのです
さて話題を戻して牡丹
乙訓寺の境内には牡丹が咲き乱れています
創建当時から牡丹が植えられていた訳ではなく
乙訓寺で牡丹の栽培が始まったのは昭和15年
それまでは松の並木であったそうですが
室戸台風でほとんど倒木
その後牡丹の栽培を行うようになったとの事
今では牡丹の寺として有名になっています
一枝濃艶露凝香
雲雨巫山枉断腸
借問漢宮誰得似
可憐飛燕倚新粧
かの李白も牡丹を楊貴妃に例えて詠んでいます
さてまた話は戻って弘法大師空海
乙訓寺の別当に就いた後
最澄の訪問を受けたと云います
空海が中国から持ち帰った仏典
密教のエキスが詰った仏典
最澄が驚くほどのものであった
これまで日本に伝えられていなかった経典の数々
この地で
空海と最澄は会い
空海は真言の法を最澄に伝えた
その後10年に渡り二人の間には交流があった
しかし
二人の仏教に対する考え方には隔たりがあった
密厳一乗を標榜する空海
法華一乗を掲げる最澄
やがては袂を分かつ二人が
この寺で、真言の法について語り合ったのでしょう
続く...