作品の入れ替えもあったし、
前回、あまりの混雑と、臭いの酷さで、ゆっくり見る事が出来なかった春画展。
ようやく最近になって、混み具合も落ち着いてきたようなので、再度、訪問。
一枚一枚の絵の細かなところ、筆遣いまで堪能することが出来ました。
それにしても、春画って、美しい。
肌の色、それも、ほんのり薄紅色に染まったそれ、
あるいは、スベスベとした肌触りまでイメージさせるような質感。
着物の文様や色使いを、乱れた髪の一本一本まで、丁寧に再現している。
肉筆画は、デホルメされた性器が描かれていることが気にならないほどに美しい。
版画はといえば、美しさは劣るかもしれないけど、構想や発想で、それを補う、
さわされど、名のある浮世絵師の作品は、気品すら漂わせ、
肉筆画に負けないほどの力を持っています。
なにより、それぞれに描かれている表情が、
時に、切なく、満ちたり、放心した、
人の大切な営みを、豊かに表現しているのです。
なぜにあれほどまで局部をデホルメしているのか、
そのままの形と大きさで、微に入り細にわたり描くことは容易いはずなのに、
性別に関係なく、あり得ないほとの大きさで描くことの意味を考えてしまいます。
大きさに対する願望ならば、ただ男性のだけをデホルメするだけで事足ります、
でも、それに合わせて、女性のまでも、そうする意味は、
画面に相応しい大きさで、かつ写実的に描かれた絵を想像するに、
きっと、そんな絵は当時もあったと思うのですが、
なにかとても気持ちの悪いグロテスクなものに堕ちていたように思うのです、
その場所を、デホルメすること、不気味さを強調することで、
絵全体の美しさを引き立てている、
永い時間観賞に耐える為の手法として、
局部をデホルメしたのではないかと思うのです。
確かに、最初に目に飛び込んでくるのは、それなのですが、
眺めているうちに、その存在が消えてしまっているのが不思議なのです。
これほど話題になった展覧会を開催するには、
キャパシティーに問題があるとはいえ、
平日の宵なら、苦になるほどの混み方ではなく、
日も落ちて薄暗い木立の中、
行列にならぶことなく、建物に足を向けるのも、
なかなかに風情のあるものです。
やはり、春画は秘する芸術。
部屋に入りきらないほどの人混みの中で見るものではありません。
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