妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

劣等感とマゾヒズム

2005年08月31日 | 読書
家畜人ヤプーをご存知の方は多いと思います。
その変遷はこちらのWEBを参照いただくとして、
マゾヒズムを描いた最高傑作と賞される小説です。

最近では文庫版も出版されているので、
身近なものになりましたが、私が初めてこの存在を知った時、
それを入手するのは、かなり難しかったことを覚えています。
実際、初めてその内容にふれたのは、沼正三氏の小説ではなく、
石森章太郎さんの劇画だったように思います。

最近になって、文庫化された際にさっそく買ってみたものの、
文体の故か、石森さんの劇画の印象が強かったのか、
文字を読んでそのイメージが具体化できなくて、途中で諦めてしまいました。
江川達也さんも、この小説の漫画化しています。
先だって、それを偶然発見し、パラパラとページを捲ったところ、
私にも馴染めそうな絵だったので、
棚にあった一巻と二巻を購入してみました。

二巻だけを読んだだけですので、
どんな風に、ヤプーの世界が描かれているのか、
文字で書かれていたすべてのことを、どのように絵になっているのか楽しみです。
正統派ならば、辛くとも、マゾならば、その辛さに耐えて、
原作を読むことが、要求されるかもしれませんが、
私にとっては、とても読みやすい作品で、
原作の雰囲気を江川達也という人の解釈を通して、
十分にその雰囲気が伝わってきます。

それに、石森氏の劇画や原作にあった、
白人に対する異様なまでの劣等感が、薄れていることも、
私にとっては入りやすかった理由の一つかもしれません。
原作は、雑誌「奇譚クラブ」に、1956年(昭和31年)から連載とあります。
戦後10年、人々には、進駐軍のイメージや、敗戦の心のショックも、
今の私達が想像するより、大きかったのだと思います。
それ故に、これほどまでの劣等感が、小説全体に漂っているのかもしれません。

被虐、支配、調教。それがSMの三大要素とはいえ、
過大な劣等感をSの方に対してマゾは持たなければいけないのでしょうか。
それが、マゾの本質なのでしょうか。
卑屈な劣等感や過大な劣等感とマゾヒズムは結びつかないと思っています。
文体や、画数の多い漢字ばかりなのではなく、
原作から、私を遠ざけた本当の理由は、小説のベースにある劣等感かもしれません。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
トラバありがとう (下等遊民)
2005-09-01 00:42:37
トラバありがとうございました。

劣等感とマゾヒズムの閑系についての考察、興味深く拝読致しました。確かに「家畜人ヤプー」には男女閑系よりも、民族的優劣閑系が全面に出過ぎている印象を受け、その点、違和感を覚えるのですが、終戦直後における日本人一般の自虐的心理の誇張的表現として読むことも可能ではないでしょうか。

SMの形も時代や社会の変化に縛られているという事かも知れませんね。

自虐とマゾヒズムの閑系も微妙ですね。

理屈っぽい話になってしまいました。またお邪魔させて頂きます。

返信する
はじめまして。 (ユカリーヌ(月灯りの舞))
2005-09-01 12:21:13
TBありがとうございました。

残念ながら私のアメブロはgooブログさんに

TBできなかったので、コメントのみさせて

いただきます。



劣等感に対しての興味深いご意見を読ませて

いただきました。

Mだから劣等感を持つ必要はないと思いますが、

「劣等感」という意識は相手と自分を比較し、

優劣をつけるという概念があるからですよね。

そういうものを持たないものもいますし、

それを超えたものがあの小説の核に

はあると私は思いました。



下等遊民さんもおっしゃっているように

自虐とMの関係も違いますし、

SMという範囲やとらえ方は計り知れないものが

あるような気がします。









返信する

コメントを投稿