十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

春キャベツ

2011-07-16 | Weblog
地震見舞都育ちの春キャベツ    堀籠益子

全国から世界各国から寄せられたたくさんのメッセージや支援の手、
圧倒的に不足した食料や物資の提供・・・。
作者はキャベツの産地に住んでいらっしゃるのだろうか。
しかし、ライフラインは断たれ食糧の流通経路も断たれてしまったのだ。
地震見舞いに届いた、春キャベツの味はどうだったのだろう?
都の香りと、思いやりの心?
「滝」7月号「滝集」より抄出。(Midori)

2011-07-15 | Weblog
   ハンカチの木の花風を生みにけり    加藤信子

「ハンカチの木」はミズキ科の落葉高木で、5月初旬に白い花を咲かせる。
花をつけるまでに、10年以上もかかるという珍しい植物のようだ。
さて、ハンカチの木の花が、風を生んだ。
ハンカチのような白い花が開いて、その時風が生まれたのだ。
「生みにけり」という「ハンカチの木の花」の擬人化によって、
まるで風にも生命があるようなアニミズムを感じた。
「滝」7月号「滝集」より抄出。(Midori)

聖五月

2011-07-14 | Weblog
  寸鉄に血の匂ひあり聖五月   赤間 学

新緑が鮮やかな季節、カトリックでは5月をマリアの月とすることから、
「聖五月」「聖母月」と呼ばれている。さて、「寸鉄に血の匂ひ」というと、
やはりキリストの磔刑をイメージするが、鉄が体内を流れる血液の
構成要素の一つであれば、生化学的にも実証されることだ。
しかしそんなことは、この作品とは全く関係のない話。
ただ作者の感性により選ばれた季語が、「聖五月」なのだ。
「滝」7月号「滝集」より抄出。(Midori)

雲雀

2011-07-13 | Weblog
   動くとも見えぬ大河や揚雲雀    三品知司

地表に降った雨は、湧水となりやがては川となって流れはじめる。
いくつもの川が一つになって、満々と水を湛える大河となれば、
一滴の雨からはじまる長い年月は、ゆったりと動かぬ存在となる。
空には春を告げる雲雀の声・・・、対照的な構図に自然のロマンが
感じられた。「滝」7月号「滝集」より抄出。(Midori)

2011-07-12 | Weblog
春の雪命ぽかんと残りけり
潮の香を放つあまたの春の星
つばくらに軒なき街や潮の音
あたたかや復興祈る世界の手   佐々木博子


「東日本大震災」と題された特別作品9句の中の4句。
多くの貴い命を一瞬にして奪って行った大津波に、ただ茫然とする作者。
海底に眠る魂は、春の星となって、潮の香を放っているのだろうか?
それでも燕はやってくる。巣をかける軒を探して・・・
しかし、支援の手は世界中に広がって、被災地を励まし続けている。
被災者でしか語ることのできない詩情、俳句という詩形に込められた思いに、
深く心を打たれた。「滝」7月号「特別作品」より抄出。(Midori)

西日

2011-07-11 | Weblog
 死に至る柱時計を出る西日   石母田星人

「震災」と題された6句の中の1句。
柱時計は、ずっと昔から休むことなく時を刻んでいたものだ。
しかし、この大震災で柱とともに倒れ壊れてしまったのだ。
「死に至る」という言葉でしか語ることのできなかった深い悲しみ。
西日が、壊れた柱時計の出口を求めて出て行けば、
残るのは、あの瞬間の時を刻んだままの柱時計・・・
「滝」7月号「渓流集」より抄出。(Midori)

2011-07-10 | Weblog
     海見つつ梅干の種かみくだく    菅原鬨也  

「滝」7月号の主宰の巻頭言、「虚実潺潺」の中の次の一節が目を引いた。
「しかし眼前に横たわっている自然は、災害があったとは思えないほど、ものすごく美しかった。ちょうど晴れた日で、海が凪いで、太陽の光をきらきらと照り返し、遠くに島影が美しく浮かんでいるのです。そして振り返ると瓦礫の彼方に美しい山並み、森、緑の連なりが見えるわけです。」 そして、さらにつづく、「結局はこの美しい自然によって癒される以外にはないということを実感しました。」 と・・・。大自然の脅威の前に、人間がどれほど無力であるのか、一方でどれほど自然に癒されてきたのか。なす術もなくただ梅干の種を一人かみくだく姿に、主宰の無念の思いが伝わってきた。
「滝」7月号「飛沫抄」より抄出。(Midori)

朴の花

2011-07-09 | Weblog
  踊り場の窓開いてゐる朴の花    望月 周

踊り場の窓は、明かりとりとして設けられていても、
普通、開けられることの少ない窓、というのが一般的認識だ。
一方、朴の花は、山地に自生する落葉高木。
クラシックなホテルの踊り場から見えた情景だろうか?
意外な構図と朴の花・・・不思議な雰囲気が醸し出されている。
「俳句」7月号「角川俳句賞作家の四季」より抄出。(Midori)

蝙蝠

2011-07-08 | Weblog
かはほりは古びし闇に休みをり    山口優夢

蝙蝠は、指の間の膜を開いて飛行する夜行性の哺乳類だ。
闇から闇を活動の場にしている蝙蝠であるが、
休む時は、新しい闇より古い闇の方が好ましいようだ。
「古びし闇」の質感が、蝙蝠にとって癒しとなるのかもしれない。
「かはほり」ならではの「闇」の捉え方に、共感を覚えた。
「俳句」7月号「角川俳句賞作家の四季」より抄出。(Midori)

実梅

2011-07-07 | Weblog
葉隠れにちからを溜めて梅は実に    西宮 舞

梅は、入梅の頃太りはじめ、葉の間に青い実をつける。
花の頃を過ぎて、顧みられることもなくなると、
実をつけていることさえ気づかないでいることが多い。
しかし、梅は、いつも間にか「ちからを溜めて」いたのだった。
実梅の「ちから」は、そのまま私たちの「力」となるのだろうか。
「俳句」7月号「作品12句」より抄出。(Midori)

2011-07-06 | Weblog
語るすべ持たぬ大地や桜咲く    岸川佐江

大地は語るすべを何も持たないけれど、
大地が咲かせる四季折々の花にはいつも癒される。
初桜に春を実感し、落花に世の無常を知り、葉桜に夏の到来を知る。
語るすべを持たない大地は、科学汚染に悲鳴を上げるすべも持たない。
大地を守るのは大地に生きる私たちではないだろうか?
「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

2011-07-05 | Weblog
百年を枝垂れに枝垂れたる桜    内藤悦子

樹齢百年の枝垂桜を詠んだ作品だが、
「枝垂れに枝垂れたる桜」の畳みかけるようなフレーズに、
百年の歳月の重さと、枝垂桜の強い意思のようなものが感じられた。
枝垂桜の視点を変えた詠み方に意表を突かれた。
「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

2011-07-04 | Weblog
ドア開けて目眩ひのやうな春飛び込む   岡本 妙

玄関のドアを開けたら、眩いばかりの日ざしが飛び込んで来たのだ。
淡いシャワーのような逆光の中に、立ち尽くす作者のシルエット。
作者にとって、この時の日差しは特別のインパクトがあったようだ。
ドア一枚を隔てて、予期せぬ「春」が突然、やって来たのだから・・・。
「目眩ひのやうな春」に、作者の戸惑いと喜びが感じられた。
「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

桜どき

2011-07-03 | Weblog
  男らは背広で鎧ふ桜どき    荒牧成子

背広は誰でもよく似合う。似合うということは、それだけ背広が、
着用する人をより良く見せてくれる服装だということだ。
桜どき、新しい出会いと別れの季節・・・、
男らは、何かを鎧わなければ居られない季節でもあようだ。
今ごろは、背広を脱いで、清々しい解放感を味わっている頃だろうか。
「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

虚子忌

2011-07-02 | Weblog
  大木魚ぽくぽく虚子の忌なりけり    利光釈郎

ここ熊本、春光寺においても虚子忌に先んじて法要が営まれたが、
大虚子に相応しい木魚の巨大さとその音が、いまだ印象に残っている。
しかし「ぽくぽく」とは、何と飾らない思い切ったオノマトペだろうか?
虚子の句が、「花鳥諷詠の思想」だと言われる一方で、
朴訥、飾りっ気のない、愚直などと評されることもあるようだ。
「ぽくぽく」には、そんな虚子らしいヒューマンな個性が感じられてよかった。
「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)