JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

新しい夜が生まれた頃

2007年11月10日 | a-c

冷たい雨が降り続き、最高気温14度・・・・・寒いはずです。朝、急いでパーカーを引っ張り出し羽織ってしまいました。

♪ どんなにどになに 離れていても
   僕はきみを 忘れはしない
   夏になると 思い出す
   きみと歩いた あの渚
   せつなくうずく水虫は
   君と僕との 愛のしるし ♪

「寒い話をしている先から「夏になると」もないもんだ」と怒られそうですが、山田真一作詞作曲・足柄金太補作詞、河田藤作補作曲『水虫の歌』であります。
もともとは「ザ・フォーク・クルセダーズ」の歌でしたけど、私の頭に残っているのは「カメ&アンコー」の『水虫の歌』でありまして

今日の朝日新聞に『「ビタースウィート・サンバ」にのせて「オールナイトニッポン」40周年』との記事が掲載されていました。

「そうかぁ、40年かぁ・・・・・」
と浮かんできたのが「カメ&アンコー」の『水虫の歌』だったのです。
初代パーソナリティーの一人であったアンコーこと斉藤安弘と、翌々年からパーソナリティーになった前ニッポン放送社長亀淵昭信の同期入社二人によるユニットが「カメ&アンコー」、『水虫の歌』はなかなかのヒット曲でした。

「オールナイトニッポン」は、40年前の10月(1967年)に放送を開始したのだそうで、「ナッチャコ・パック」(野沢那智、白石冬美のパックインミュージック、1967年8月開始)より半年早い春に開始したとばかり思い込んでいた私の記憶のいい加減さにガッカリします。まぁ小4からちょくちょく深夜放送を聞いていた私も、まだ子供でしたから、曖昧な記憶はしかたないのは当然としましょう。

これも曖昧な記憶なので確信はありませんけど、当初「オールナイトニッポン」は、当然人気タレントや歌手がパーソナリティーでもありませんでしたし、いわゆるDJ方式、つまり、一人がパーソナリティーから円盤回しまでこなすという形式だったように覚えています。
それゆえに、逆に各パーソナリティーの個性が際だったのではないか、これはあくまで私の私感ですけどね。
新しい洋楽をチェックするなら誰それ、ともかく音楽を聴くなら誰それ、語りが面白いのは誰それ、それぞれをそれぞれのファンが支持した時代だったのでしょう。
そんな中、レコードになる前のテープまで入手してかけてくれるカメちゃんこと亀淵昭信が、私は好きでした。一度、風呂に入りながら放送を行ったことがあったような気がしますが、たぶん『水虫の歌』がヒットチャートに入った頃ではなかったでしょうか。

・・・・・こんな話を我が同年の友にすると「その時期、深夜放送を聞くマセガキは、てめぇくれぇなもんだから」と、せいぜい、いわゆる第二期世代の小林克也・泉谷しげる・あのねのね、といった布陣あたりから聞き始めた事を強調します。(笑)

ともかく、朝日新聞の記事に若いアンコーさんの姿を見て、ふと「新しい夜が生まれた」あの頃を思い出し、書いてしまった私でした。

 君が踊り僕が歌うとき 新しい時代の夜が生まれる
 太陽の代わりに音楽を 青空の代わりに夢を
 新しい時代の夜をリードする オールナイトニッポン
                  チャチャチャ チャッチャララ チャチャチャー
(笑)

さて、今日の一枚ですが、ここまで「オールナイトニッポン」で盛り上がってしまったら、「BITTERSWEET SAMBA」を聴かなくちゃいけないだろうってんで、ハーブ・アルパートです。と行きたかったのですが、
ごめんなさい、いかに誰かに「何とかジャズの・・・・」と説明されても、こればかりはジャズだとは私には思えません。いや、そうおっしゃる方を全否定するわけではありませんよ、ジャズは「自由こそジャズ」でありますから。
ですからメインは別アルバムを据えました。
それでもサブ・メインとしてハーブのCDも紹介します。
ジャズとしては否定している私ですが、「BITTERSWEET SAMBA」だけでなく、全体をとおして素敵な音楽のオンパレードだとは思っています。

WHIPPED CREAM AND OTHER DELIGHTS
1965年録音
HERB ALPERT(tp) 他
1.A TASTE OF HONEY  2.GREEN PEPPERS  3.TANGERINE  4.BITTERSWEET SAMBA  5.LEMON TREE  6.WHIPPED CREAM  7.LOVE POTION No. 9   8.GARBANZO  9.LADYFINGERS  10.BUTTERBALL  11.PEANUTS  12.LOLLIOPOS AND ROSES  13.ROSEMARY  14.BLUEBERRY PARK

さぁ、こうなるとメインが薄れてしまいますか?
「じゃぁ」てんで、超人気盤のコルトレーンをもってきました。
私にとってはコルトレーンのアルバムの中で、世間一般のようにランクの高いアルバムではけしてありません。
TVで、バーでのシーンになると必ずといってよいほど流れる「SAY IT」・・・・
「たまには同じコルトレーンでも「YOU LEAVE ME BREATHLESS」とか、「LIKE SOMEONE IN LOVE」とか、「MY ONE AND ONLY LOVE」あたりを使ってみようという気はないのかねぇ・・・・・ブツブツ」
なんて思ったりもして(笑)

コルトレーンのインパルスに残る録音のうち、「JOHN COLTRANE AND JOHNNY HARTMAN」「DUKE ELLINGTON & JOHN COLTRANE」そしてこのアルバムと、この三枚はまるで異質のもののように扱われがちです。
この時期「使い慣れていたマウスピースが壊れ、早い演奏が出来なくなってしまった。」と言ったのはコルトレーン自身ですが、ハッキリ言ってそれは無いですね。だって、私なら「えっ?それじゃぁそれまで一つのマウスピースしか持ってなかったの?っていうより一つしか使ってなかった?」って突っ込みますもん。げんに息子のラヴィは「20個近くのマウスピースを所有していた」と証言していますし、けっきょくはインパルスのセールスに係わる戦略だったものの、他者に訊かれたときには、あえてコルトレーンが理由としてマウスピースの故障を持ち出しただけということなのでしょう。

このアルバムに関しては、私も「他のコルトレーンは聴けないけど、このアルバムは聴くよ」という方にずいぶんお逢いしてきました。
なかには「えっ?これコルトレーンなの?」なんて大ボケのひともいたりして

でもよくよく考えていただきたいのですが、以前も以降も、フリーに限りなく走ったときでも、コルトレーンの根底に流れる暖かみのある音は(これは私だけの感覚かもしれませんけど)こういったバラード調の曲に合わないわけはないし、インパルスの一つの戦略として演奏させられたとしても、十二分にそれをこなす器量がコルトレーンとそのグループには当然のようにあったということ、発売当時これに二つ星しか付けなかったジョン・ウイルソンにはいささかの反発もありますが、今インパルスのコルトレーンで最も売れているアルバムだそうですから、プロデューサー、ボブ・シールの狙いはある意味、当たったと言えるかもしれません。

ともかく、私はこのアルバムを、コルトレーンの何事にも直向きに向き合う姿をかいま見られる一枚としてとらえています。
エリントンがコルトレーンに「ジャズとはもっと楽しんで演奏するものだよ」と言わしめたその『真面目くさった男』そこにこそ、コルトレーンの最大の魅力があるのだと思います。

BALLADS / JOHN COLTRANE
1961年12月21日, 1962年9月18日, 11月13日録音
JOHN COLTRANE(ts) McCOY TYNER(p) JIMMY GARRISON(b) ELVIN JONES(ds)

1.SAY IT
2.YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS
3.TOO YOUNG TO GO STEADY
4.ALL OR NOTHING AT ALL
5.I WISH I KNEW
6.WHAT'S NEW
7.IT'S EASY TO REMEMBER
8.NANCY