JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

バブ流『凝り性』

2007年03月20日 | y-その他

明日は春分の日でありますね。予報では徐々に気温も上がってくるそうですから、墓参りをしながら春探しでもしてきましょうか。

今日の昼休み、事務の女の子が大江健三郎の『ゆるやかな絆』を読んでおりました。
「へぇ~~、○○ちゃんは大江健三郎なんか読むんだ」
「あっ、これですか?読む本も無くなっちゃったし、家にあったから読み始めたんですけど、すぐ終わっちゃいそう。」
まぁ『ゆるやかな絆』は息子さん光君への贈り物的本ですから、以前の大江健三郎のイメージとは違うのかもしれませんね。

皆さんは本をどういった基準で選ばれるでしょうか?
「本屋さんでザッと立ち読み的に読んで購入する方」もいるでしょう。「新聞広告や批評を参考に買われる方」もいるかもしれません。「人に勧められて」これもありますよね。「表紙を気に入って」これもあるでしょ。それから・・・・・・
なんだか、レコードを買うときによく似てます。
とすれば、「同一著者を追い続ける」これもありますよね。私にとって大江健三郎という作家はまさにその一人でした。

最初に読んだのは??????たしかエッセイ集『厳粛な綱渡り』か『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』だったように思います。高校1年か2年の時でした。以降、彼の名が目につくと片っ端から読んだ記憶があります。

大江健三郎だけでなく、高橋和己もそうでしたし、極端ですが三島由紀夫もそうでした。星新一、筒井康隆も読みましたけどね(笑)
ここで各人の作品に関してとやかく言うつもりはありませんが、私にはどうにもそういった『凝り性』的な読み方をする傾向があるようです。

これは、ジャズに関しても同様のところがあるかもしれません。我が神(笑)コルトレーンにしても「THE COMPLETE DINAH WASHINGTON Vol.1 1946~1949」なんていう、どれがコルトレーンなんだかわからないようなアルバムを聴いたりしましたし、1955~56年の大変革時代(勝手にこう呼んでおりますが)のプレスティッジの録音なんて、録音日を追いながら聴き込んだ記憶があります。
例えば、「TENOR MADNESS」でロリンズと聴き比べても、今日の一枚で他のサックス奏者と比べても、コルトレーンが勝っているなんて思う人は、よほどのお人好しか、あるいは見境が無くなったコルトレーン信徒ぐらいだと思います。
おかげさまで私はそこまで見境が無くなる程ではないもので、他者との比較は私なりにできていると思いますけど。

それじゃどうしてそこまで聴き込むのか?
それはね、せめて、その時期のコルトレーンの飛躍的な変貌を、まるでその時代にその場で聴いているような気分になりたい、そう思うからに違いありません。

「1956年6月に家族をニューヨークに呼び寄せ、ポール・チェンバースのアパートに転がり込んだら演奏は変わったのか?」とか
「きちんと、家族で住み始めたらどうか?」とか

ねっね、そうやって聴くと、「TENOR MADNESS」と今日の一枚の間に、この家族を呼び寄せたという事実があるわけですよ。さぁ~て、何か変化はあるかな?
そしてまた、半年も過ぎないうちにジャンキー、コルトレーンはどうしてかくも変貌したのか?とか・・・・
ほらほら、ちょっと面白いじゃありませんか。

・・・・・・・・・・!? えっ、バカみたいだって?
いいんです、これがバブ流の『凝り性』なんですから(笑)
これを皆さんに推奨しているわけじゃないんです。ひとそれぞれ、いろんな楽しみ方があるのだと・・・・・わかってくださいよ。

さて、ということで今日は、テナー・サックス四人聴き比べアルバムです。
良いか悪いかはあえて言うのはよしましょう。このアルバムをどういう観点で聴くかは、人それぞれですから。

TENOR CONCLAVE
1956年9月7日録音
HANK MOBLEY, AL COHN, ZOOT SIMS, JOHN COLTRANE(ts) RED GARLAND(p) PAUL CHAMBERS(b) ART TAYLOR(dr)
1.BOB'S BOYS
2.JUST YOU, JUST ME
3.TENOR CONCLAVE
4.HOW DEEP IS THE OCEAN