おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
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赦す

2018-06-18 15:42:43 | 信仰 聖書

昨日の家庭礼拝のテキストは、
マタイ18:12~35でした。
GRのピーター牧師のメッセージです。

主人がからたくさんの借金をゆるされたしもべが、
その後すぐに、
自分に借金のある仲間を
ゆるしてあげられなかった話です。

この人が主人から借りていた借金は、
今のお金に換算すると約10億円だそうです。
国家予算かっちゅうぐらいの巨額の借金です。

神さまの赦しは、
チープなものではありません。
私たちは、巨額に借金(罪)を
帳消しにしてもらったのです。

それに対し、
彼の仲間が彼に負っていた負債は、
100万円ほど。
主人に帳消しにしてもらった額には及びませんが、
こちらも一般庶民にしたら、
やはり高額で、
ほいそれと帳消しにできるような額ではありません。
確かにチャレンジな額だったということです。

イエスさまはここで私たちに
人の罪を赦すよう語っているわけですが、
まずは、それが、
決して簡単なことを言っているわけではない
ということを心に留めておきましょう。

たとえば…、
ある一組の夫婦がいました。
妻がふと、夫のケータイを見ると、
女性との怪しいやりとり…。
夫を問い詰めると、
逆切れされ、
「お前は俺を信用できないのか」と言われる。
そこまで言うならと信じるが、
ほどなくして、やはり浮気をしていたことが発覚。
しかもそれは1,2年に及ぶものだったと。
傷ついた妻は家を出て実家に帰ります。
夫は、毎日電話をかけてきて、
うちに戻って来てくれ、
おれを赦してくれと請います。
取り合わないでいると、
またも逆切れ。
「お前はクリスチャンじゃないのか。
どうしておれを赦せないのか」
と迫ります。

どう思いますか。
彼の主張は正しいでしょうか。

確かに神さまは、
驚くほどの恵みによって、
わたしたちを赦してくださいました。
しかし、
18章前半では、
罪に対する厳しい態度も示しています。

小さな者をつまずかせるものは、
大きなひき臼を首にかけられて、
海に沈めるべきだ…とか、
もし目が罪を犯すなら
えぐり出しなさいとか…。

ここで整理しなくてはいけないことがあります。

1、赦しと和解は同じことではない。
赦しは和解への第一歩であるが、
イコールではない。
この夫が本当に妻と和解したいなら、
妻に誠意を見せるべきです。
長い時間をかけて信頼を回復する必要があります。

2、赦しは忘れることではない。
確かにエレミヤ書31章で主は、
わたしは彼らの咎を赦し、
彼らの罪を二度と思い出さない」
と言っていますが、
これは終末の審判のことです。

この多額の借金を赦してくれた主人も、
彼が多額の借金があったことを
忘れてはいませんでしたよね。
ですから仲間を赦せなかったこの男に
怒ったのです。

神さまは、赦しを通して、
わたしたちを成長させようとしています。
赦しはマジックではない。
赦した瞬間に消えてなくなるものではないのです。
そこには葛藤があります。
そしてその葛藤を通して、
私たちはキリストに似た者へと
変えられて行くのです。
私たちは、
神さまの赦しに応えていかなくてはいけません。
それは、私たちの責任ですし、
長い道のりでもあるのです。
ですから罪を忘れない、
覚えているということは、
実はとても大事なことなのです。

この例に挙げた夫は、
赦されたことを忘れました。
それは同時に自分の罪も忘れたということ。

私たちは、
主の恵みをいつも覚えるために、
自分の罪をも忘れないことが大事です。
それは、私たちの聖化(キリストに似たものになること)に
つながるからです。

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