映画『福田村事件』予告編
今日から始まる補教師研修会のために、
今新幹線です。
今新幹線です。
昨夜、「福田村事件」を見てきました。
何しろ1週間しか放映されないので、
急いでみる必要があったのです。
以下、私たちの教会の「牧会コラム」に書いた内容です。
今年の9月1日で、関東大震災から100年がたった。当時、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言が広まり、地域住民でつくる自警団などが朝鮮人を虐殺した。犠牲者は、大震災の死者・行方不明者約10万5000人のうち1~数%とされている。 太平洋戦争の開戦を指示した電文「ニイタカヤマノボレ1208」を送信したことで知られ、のちに解体された千葉県船橋市の旧海軍無線電信所船橋送信所は、関東大震災の直後、全国に誤った情報を打電した。<東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。(中略)(朝)鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加へられたし>。 警察を所管する内務省の警保局長が現在の知事に当たる各地方長官に宛てたこの電文は防衛省防衛研究所に残る。当時、送信所の所長は朝鮮人に襲撃されると思い込み、地元の自警団にも「朝鮮人を殺していい」と伝えていたとされる。こうして悲劇は起こった。 1923年9月4日から5日にかけて、現在の中山競馬場(船橋市、市川市)近くで、朝鮮人16人が自警団に虐殺された。当時は日本が朝鮮半島を植民地支配しており、日本人が朝鮮人の仕返しを恐れて潜在的に不安を抱えていたことが背景にあるとされている。また、千葉県内では北総鉄道(現・東武野田線)の建設工事に多くの朝鮮人労働者が従事しており、300人以上が虐殺されたとみられる。 (8/28毎日新聞より抜粋) そして悲しいことに、近年の日本で、この史実をなかったことにしようという動きが止まらないのです。 この動きについては、説教の中で言及しました。 今日私は牧会コラムで、関東大震災の時に起こった朝鮮人大虐殺のことに触れました。この朝鮮人大虐殺には、多くの加担者がおり、また多くの目撃者もいましたので、決して「片隅で起こったこと」ではありませんでした。けれども最近は、それなかったことにしよういう動きがあるのに驚きますし、非常に残念です。東京都知事は、関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典に、今年も追悼文を送りませんでした。7年連続です。また官房長官も「調査したかぎり、政府内で事実関係を把握できる記録が見当たらない」と朝鮮人大虐殺を認めない発言をしました。まだ100年しかたっていないのに、負の歴史を風化させ、なきものとしようとするのはどういうことでしょうか。 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます