おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

2010-08-26 11:05:01 | 家族
日本滞在中、岐阜に行って、
父宅で5日ほど滞在したわけですが、
今回ぜひ父に聞きたいことがありました。

それは、昭和12年生まれの父の生い立ちと、
どのようにしてイエス様に出会ったかということ。

断片的には、聞いたことはあるけれど、
通して聞いたことは、
今までになかったので、
今回はぜひ聞きたいと思っていたのです。

実は、母の話も聞きたかった…。
でも、母は四年前に天国に行ってしまったので。
どうしようもないですね。


さて、話はさかのぼって、祖父のことから始まります。
祖父は青森県五所川原の地主の家に生まれた。
比較的裕福な家ということもあって、
絵の才があった祖父は、
京都の美術学校を受験するために故郷を離れる。
しかし、受験に失敗。
程なく地元に帰って、教師になった。

地主だった祖父の父は、そんな息子のために、
何を思ったのか、
土地を売り、7つの家を建て、人に貸し、
息子、娘のために店を構えさせた。
酒を中心に、味噌や醤油を売る店だった。
その店は、祖父の父によって「兄妹商店」と名づけられたとか。

教師を辞めて、
店を任せられた祖父。
ところが、店の方は女達に任せて、
自分は、毎日のように酒を飲み、
将棋をさしたりして、遊んで過ごしたらしい。

そんな生活がたたってか、
祖父は、父が5歳のときに、
結核を患い、
父と兄と姉、3人の子どもを残して死んだ。

残された祖母は、働くことを知らないお嬢様。
生活のために、
持っていた家も土地も次々売り、
ついに、自分たちが住んでいた家も、
持っていた着物などもみな売り、引越し。
最後は、和裁などを請け負って細々と生計を立てていたという。

さて、父はというと、
末っ子で、甘やかされて育ったせいか、
泣き虫で気が弱く、小学校にも馴染めず、
今で言う、不登校のさきがけになりかけたとか。

ところが、何でも「よし、よし」と甘やかしていた親も、
このときだけは、頑として譲らず、
嫌がる父も、しぶしぶ学校に通っていたらしい。

その反対に父の姉は、
当時の女の子としては、とてもおてんばで強く、
父が泣いて学校から帰ってくると、
父を叱り、父をいじめた相手にかたきをとってくるような性格だったらしい。

そんな父の兄と姉は、
まだ、経済的にそれほど深刻でなかった事もあって、
それぞれ今で言う高校まで卒業し自活することになる。

しかし、父が中学を卒業する頃は、
家計は火の車。
それに、何しろ、甘やかされて育ち、
自分の弱さを身にしみて感じていた父は、
これ以上親元にいては、自分は駄目になる思っていた。

そこで一念発起、
中学を卒業した父は、
当時川崎にいた兄を頼って、
家を出た。



つづく。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 野外礼拝 | トップ | 父 その2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

家族」カテゴリの最新記事