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おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

The Blessing

2020-05-27 22:34:49 | 信仰 聖書
Elevation Worship - The Blessing (Lyrics) ft. Kari Jobe & Cody Carnes

これ民数記のアロンの祝祷じゃん!
ってことで、この歌大好き♡
で、YouTubeで例のごとく
チクチク縫い縫いしながら聞いてたら、
(今は聖書カバー、マスクはもう終わり)
何とコロナ禍の中で、
いろんな国の人が、
この曲で祝福を送り合ってる!

カナダ

ジンバブエ

南アフリカ

マレーシア

スウェーデン

そしてこれがグローバルクワイヤー

他にもいっぱいありそう!
こういうのめちゃくちゃ感動するわ(*'▽')

今度のペンテコステ礼拝では、
ばらばらになった世界が、
国々が、社会が、家族が、
聖霊によってもう一度つながる!
というメッセージをするけど、
なんか、それに通じるものがある。

そうそう、先週のメッセージは、
53先生で、
イエスさまの昇天の時の
祝祷のメッセージでした。

なんか祝福が満ち溢れてて、
幸せ過ぎる♪

感謝主!!

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どうしてそんなに

2020-03-27 18:06:36 | 信仰 聖書
さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた。そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」 マルコ4:35~41(新改訳聖書第3版)

新型コロナのせいで「恐れ」が
世界中を覆っているように見える。
私たちクリスチャンも
主につぶやいていないだろうか。
「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、
何とも思われないのですか。」と。

そんな私たちにイエスさまは言われる。
「どうしてそんなにこわがるのか」と。

そりゃこわがるでしょう。
こんな大波なんです!
誰がウイルスを持っているかわからないのです。
教会で感染者が出たらどうするんですか!

でもイエスさまがいっしょにいるでしょう?
イエスさまは私たちのことを
「なんとも思わない」わけがないでしょう。
命がけで愛してくださっているのに。

いや、こわがってもいい。
ちゃんとこわがって、
気を付けることは気を付けたらいい。
手洗い、うがい、換気…
オンライン礼拝もいい。
確信をもって決断したらいい。

でも、「そんなに」恐がることはない。
世の人と同じように恐れにとらわれないようにと、
イエスさまはそう言っておられるような気がする。

大丈夫、大丈夫♪
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神のわざが現れる

2020-02-29 21:05:08 | 信仰 聖書
先週木曜日のチャペル
ヨハネ9:1~5から、
廣瀬理事長のメッセージでした。

この世には災いがある。
生まれたときから目が見えないこの人がまさにその人。
この人が生まれたときに親はどう思ったか。
目の見えない子がそれを自覚するようになったとき、
その子は何を思い、感じたか。
どうしてこの世には苦しみがあるのか。
なぜこんな目に合うのか…。
それは全人類の永遠の問い。

弟子たちはイエスさまに問う。
世界は神の支配にある。
だったらこの人に起こっている悪いことも神の支配の内。
そして、神はよいことしかなさらない。
だとするとこの悪いことの原因は何か。
それはこの人の罪か。
それとも両親か。

男性の痛みに寄り添うことなく、
腕組みして議論する弟子たち。

もしこの人の罪が原因だと言えば、
この人は、自分を否定し、
自分が悪いんだから仕方ないと
生きて行かなければならない。
もし両親だと答えれば、
両親は責任を感じ、
この人は両親を責めながら生きていく。

しかしイエスさまの答えは、どちらでもなかった。
「原因は、この人の罪でも両親の罪でもない」と。
では、苦難の責任は神にあるのか?

「この人を通して神のわざが現れるためです!」
苦しみの原因を過去に求める弟子たち。
そこには救いも生きるための力も解放もない。

しかしイエスさまは未来を指し示す。
さあ、神を見上げなさい。
未来にこそ苦しみの目的がある。
だから神を見上げ、前を見なさい。
そこに神のわざが現れるから。

神のわざとは何か。
目が見えるようになったことか。
そうではない。
心の目が開かれてイエスさまが見えるようになったこと。
人の最大の苦難は、イエスさまが見えないこと。
それが生まれながらの私たち。

しかし目が開かれた私たちは、
目をイエスさまに向け、
神が私たちに何をしてくださるか見ることができる!
神はすでに準備がある。

さて、目が開かれたこの人は何を見たか。
1、この世界の姿、
 それはひどいものだった。
 目が見えるようになったこの人に、
 だれもおめでとうも言ってくれない。
 実質破門されてしまう。
2、イエスさま
 いやされた後もずっとフォローしてくれた。
 そして「人の子を信じるか」と信仰告白を促す。
3、救いが必要な自分の姿
 
苦しみの中でもイエスが見えればそれで十分。
神のわざとは何か。
神が私たちを見出し、目を開き、救ってくださったこと。
神と共に生きる永遠の世界を与えられたこと。
そして神のみわざが
こんな自分を通して顕されるようになったこと。

ハレルヤ!
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デボーション

2020-02-20 10:39:18 | 信仰 聖書


今年からデボーションで、
「ニューシティカテキズム」を使っています。
とーってもいいです♡
問52まであるので、
一週間に一つの問いを学んで暗記し、
一年かけて用いるようになっていると思うのですが、
せっかちな私は、
毎日読んで
一年に7回読もうと思っています(^_^;)
そして、もうすぐ一回目が終わるところ。

各問に二人の注解者が注解していて、
一人目が、カルバンとかルターとか
バクスターとかスポルジョンとか…、
いわゆる古典の神学者たち、
二人目がティモシー・ケラーのような
最近の人たちです。
そして、訳がいいのでしょう、
どちらもわかりやすく、
毎日うんうんとうなずかされる。

最近教えられたのは、問46です。

「聖餐とは何ですか?」
「キリストはすべてのクリスチャンに、感謝と共にキリストとその死を覚え、パンを食べ、杯から飲むことを命じられました。聖餐は神の臨在が私たちの只中にあることの祝いであり、神と、そしてお互いとお交わりに私たちを迎え入れ、私たちの魂に糧を与え養います。また、父の御国にてキリストと共に飲み、食べるその日を期待させるものです。」

コメンタリー
…第二に、聖餐は神の臨在を祝うものです。私たちが神の食卓に招かれ、席を共にすることを許されているとは何という祝福でしょうか。 …創世記3章で、サタンはアダムとエバに木の実を取って食べよと誘惑し、二人は神の命令に反してその実を食べました。 …二人は神の臨在から追放されるという結果になったのです。しかし、主の食卓では、主ご自身が私たちを主の臨在の中に再び招き入れてくださいます。イエスが弟子たちに「取って食べなさい」と言われたとき、主はかつてサタンが園で囁いた言葉を覆されました。 …主の食卓に近づく私たちは、聖餐を行う度に、また牧師が「みなさん取って食べましょう」と呼びかける度に、この恵みを経験するのです。この恵みは、神との再会と主の臨在、そして再び親しい交わりを持つことができる喜びを祝う恵みです。 (byリーゴン・ダンカン)

人は「取って食べよ」という誘惑に負けて罪を犯し、
神の臨在から追放されました。
しかし救われた私たちは、
今度は聖餐の度に「取って食べよ」と、
神の臨在に招かれているのです!
ハレルヤ!!

この本、送料だけ負担すれば、
無料で何冊でももらえるんですよ!
すごくないですか?
おすすめです!
感謝主!
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祈り

2020-01-31 21:14:49 | 信仰 聖書
今日は学園の祈祷日でした。
説教者が今や売れっ子大嶋重徳先生なので、
いつもながら、
私は外部の人間だけど…
とぶつぶつ言いながら、
それでもチャペルに行って来ました。

「祈りの力」と題して、
使徒の働き12章1~17節のメッセージでした。
メッセージの終わりに先生が言っていました。
聞かれない祈りはないと。
私たちの祈りがどんな祈りでも
神さまは聞いておられると。

そんなこと知っとるわいと思ったけれど、
ふと、子どもが思春期の頃のことを思い出しました。
うちの子たちは思春期の反抗期みたいなのはなかったけれど、
あまり親に話をしなくなった時期はありました。
そんな時、親の方から話しかけても、
あまり相手にしてくれないし、
しつこくすると嫌われるので、
放置していました。

でも、時々子どもが機嫌がいい時には、
そばに来て、
いろいろ話してくれるときがありました。

そんな時は、
せっかくのチャンスなので、
急ぎの仕事をしていても、
イヤホンで何かを聞いていても、
一旦手を止めて、
ゆったりと子どもの話しを聞くようにしていました。
嬉しかったからです。

ああ、神さまもそんな感じなのかなとふと思ったのです。
私たちの方は気まぐれで、
なかなか本気で神さまに向かい合わない。
習慣的にただ言葉を並べたり、
どうせだめだろうと期待もなく祈ったり、
あきらめて祈るのをやめてしまったりするのです。

でも、神さまはそんなわたしたちの祈りさえ、
「おっ、祈ってるな」
「なになに?」
「うん、そうかそうか」
と私たちの祈りに耳を傾けてくださる。
全力で祈りに応えようとなさる。
誠実なお方だから。
私たちを愛しているから。

祈りに向ける本気度が違うのか。
祈りに対する重みが違うのか。
祈る側と聞く側にある温度差。

だから私たちも、
祈る時は本気で、
身を乗り出して聞いてくださっている
神さまを意識して、
期待と信仰とをもって祈らないと…。
そう思わされたことでした。

感謝主!!

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天の軍勢が

2020-01-08 11:31:49 | 信仰 聖書
時々TCUのチャペルに行くんだけど、
やっぱり私は部外者なので、
なるべく礼拝が始まる寸前に入り、
出口近くに座って、
終わったらぱっと出られるようにします。

でも、いつもそううまくいかず、
わたしより後に入ってきた人に、
ベンチの内側に押しやられ、
なかなか出られず、
そうこうしているうちに、
あいさつしなくてはいけない人と目が合い、
ぺこぺこしてるとなかなか出られい…。(^_^;)

チャペルはオープンなんだから気にすることはない、
誰も見てないよと
主人にも言われるのですが、
この間、大学院チャペルに出たら、
「どうしてここにいるんですか?」
とある先生に聞かれ、ビビった(>_<)

それでもおばちゃん根性を振り絞って、
月曜日と火曜日もチャペルに行ってきました♪

廣瀬先生のメッセージ(ルカ2:8-20)
「今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになりました」

「今日」
未来を待つ必要はない
過去に縛られなくてもいい
今日救いを受け取れ!

「ダビデの町で」
救い主とはどこで会えるのか?
エルサレムとベツレヘムどちらかを選ばなくては。
この世の王ならエルサレムの神殿にいるだろう。
しかしエルサレムに行った者は救い主に会えなかった。
神の国はベツレヘムにある。
この世か神の国か、選ばなくてはいけないときがある。
「神の国とその義」を求めベツレヘムへ。

「救い主がお生まれになった」
そうは言われても自分たちのような身分の低いものが
ほいそれと会いに行っていいものかとしり込みする羊飼いたち。
行き先がわかっただけでは動き出せない。
そんな羊飼いたちにみ使いは言う。
「救い主は飼い葉おけにねておられる」と。
それならと「行ってみよう」と決断する羊飼いたち。

そしてこの知らせは「民全体の大きな喜び」なのだと。
そんな重要な知らせを私たちに届けてくれた!
世間では軽んじられ、冷たくされる自分たちも、
神さまにとっては一番に知らせを届ける価値がある存在なんだと
セルフイメージ⤴⤴

受け取ったメッセージは素晴らしい、
しかし自分たちはあまりに無力。
そこに天の軍勢が現れ神を賛美する光景が。
尊い使命を担う者たちに
どれ程の神の力が働かれるのかを見た羊飼いたち。
天と地がつながるところ、それが礼拝!!
この天の軍勢が共にあるなら自分たちでもできる!
→行動に移し→探し当て→礼拝し→伝えられる!

福音を伝えるのに私たちの声はあまりに小さと
悲観することなかれ。
小さな声に合わせて天の軍勢が共に声をあげるのだ。
愛と喜びと平和の声が地にあまねく響き渡る!!


以上が(私が聞いた?)廣瀬先生の説教。
そして今朝、イラクが米軍を報復攻撃。
それに対しアメリカも。
戦争が始まってしまった。
私たちは変わらず、
愛と喜びと平和の声をあげる。
私たちの声は小さくとも
おびただしい数の天の軍勢が歌声を合わせ、
平和の声を響かせてくださる。
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年ごとの祝福

2020-01-06 10:39:43 | 信仰 聖書
元旦礼拝では、イザヤ書46:3-4
「ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。」 (2017年版新改訳聖書)

「わたしは」「わたしは」とおっしゃる主。
私たちは担がれ運ばれてここまで来たのだし、
これからも黙って主にゆだねて担がれていればいい。
なんという慰め!
安心して今年も歩み出そう。

そして今年初めの礼拝の説教は申命記11:8-15から。
「あなたがたは、私が今日あなたに命じるすべての命令を守りなさい。それは、あなたがたが強くなり、あなたがたが渡って行って所有しようとしている地を所有するため、 また、主があなたがたの父祖たちに誓って、彼らとその子孫に与えると言われたその土地、すなわち、乳と蜜の流れる地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。なぜなら、あなたが入って行って所有しようとしている地は、あなたがたが出て来たエジプトの地のようではないからである。エジプトであなたは、野菜畑でするように、自分で種を蒔き、自分の力で水をやっていた。 しかし、あなたがたが渡って行って所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天からの雨で潤っている。 そこは、あなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が絶えずその上に目をとどめておられる地である。もしわたしが今日あなたがたに命じる命令、すなわち、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽くして仕えよという命令に、あなたがたが確かに聞き従うなら、わたしは時にかなって、あなたがたの地に雨、初めの雨と後の雨をもたらす。あなたは穀物と新しいぶどう酒と油を集めることができる。 また、わたしはあなたの家畜のため野に草を与える。あなたは食べて満ち足りる。」 (2017年版新改訳聖書)

年ごとに主が備えておられる約束について語られています。

神さまは今年も私たちの勝利と繁栄を約束してくださっている。(v.8-9)
カナンの地に入る前に、神さまはヨルダンの川を渡らせ、エリコの城壁を陥落させた。イスラエルの民は何もしていない。ただ主に従っただけ。これはカナンの地に入る前のレッスンだった。主に従うことが我々の強さであり、主はそこに力と確信を与えられる。そしてそれが私たちに強さとなって、日常生活の勝利につながる。

大いなる恵みの約束 (v.10-12)
エジプトでは自分で種をまき、自分の力で水をやらなくてはならなかった。しかし、カナンの地では違う。主がすべて必要な食物を与え潤してくださり、絶えず主が目を注ぎ、心にかけてくださる。主に従うなら、何一つ不足のない地である。そこはすべて神さまが用意しておられる地だからである。だから、エジプトでそうだったように、もう自分の力により頼まなくてもよい。

大いなる備えの約束 (v.13-15)
はじめの雨とのちの雨によって潤してくださる主は、私たちの実生活にも豊かな備えと満たしを与えてくださる。いつでも与えるのは主。私たちは受け取るだけ。
主はもたらす→わたしは集める
主は与える→わたしは満ち足りる
不信仰のゆえに神さまの祝福を見失うことのないように。

そしてもう一つ。
私たちは言うかもしれない。「主に従えば祝福がある。わかっている。だけどそれができないから困るんだ」と。
しかし主は、私たちのそのような弱さや考えで変わるお方ではない。
従うものに祝福との原則は変わらない。
だから主は私たちに聖霊をくださり、聖霊によって歩むように言われた。
聖霊さまに助けていただいて、主に従えるようにしてくださった。

今年も聖霊により頼んで主に従って歩み、主からの大いなる祝福を受けたい。

感謝主!!

*どちらも新鎌ヶ谷聖書教会の玉井邦美先生の説教です♪

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義なる神さま

2019-12-18 11:11:44 | 信仰 聖書
12月18日
人の建てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。
(Ⅰペテロ2:13)

 義なる神さま。
 今日も世界は一日の営みを始めています。人々はそれぞれの部署について、その職責に当たっています。どうぞ、そのわざを祝福してください。
 特に、平和を促進する職務に当たっている人たちを支えてください。現実は甘くないぞとか、理想なんて乳臭い、と毒づかれようと、一秒でも長く、一寸でも広く、平和を押し進めて行けますように。
 また、正義をつかさどる人たちを聖めてください。悪は、あらゆる手段をもって、彼らを篭絡しようとしていることでしょう。その誘惑を退けて、あくまでも正義のために、その諸功績を果たさせてください。
 彼らの堕落は良心の死であり、国家の死です。その使命に常に目覚めさせて、私に死に、公に生かしてくださいますよう祈ります。
F・B・マイヤー 『きょうの祈り』 小畑 進訳 (いのちのことば社,1977年)


母の形見のこのデボーションテキストを使って、
朝聖書を読んでいます。
前半では、中村哲さんのことを思い、
後半では、安倍さんや菅さんのことを考えました。
そして祈りました。
社会の正義と平和のために活躍されている人々の守りのために。
そして国の為政者が良心に従い、正義をなすことができるように。

「いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように。」
ルカ2:14(新改訳2017)
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子どもに福音を

2019-12-13 12:58:27 | 信仰 聖書
実は今、「信条学」を聴講してます。
その中で、印象に残っていること。

カテキズム教育は、
おとなの信仰教育のため以上に、
子どものためになされたということ。

難しくてわからないのではとの質問に、
わかる教育というのは近代社会のもので、
当時はわかるとかわからないとかに関わらず、
教えるべきことを早い時期に教えるのが、
教会と親の責任だったとの答え。

その理由の一つとして、
子どもはみんな大人になるわけではないからと。
確かにそう。
今みたいに医療が進んでいるわけではないので、
小さくて弱い子どもはよく死んだ。
だからなるべく早くということ。

確かにそうだと、
思いめぐらしていたところ、
こんな動画を見た。


生と死を行き来している少女が、
「わたしはイエスさまといっしょにいる」
と告白する姿には胸を打たれる。

多くの子どもたちにとって受難の時代。
早く、早く、福音を必要としている子どもたちに
伝えなければと思う。

アドベント、
イエスさまが、赤ちゃんになって
生まれてくださった意味を思いながら。
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クリスマスこども会

2019-11-30 22:47:08 | 信仰 聖書
今日は、多磨教会からお招きを受け、
クリスマス子ども会でご奉仕してきました。

二年生以下のお友だちのこども会と、
三年生以上のお友だちのこども会と、
二回に分けて行われました。
それぞれ25人ぐらいずつ集まりました。

二年生以下のお友だちとは、
「落ちた落ちた♪」クリスマスバージョンをして、
私の十八番『ごろくんちのホットケーキ』の紙芝居。
三年生以上のお友だちとは、
「アルティメット スラッシュ」というゲームをして、
やはり『ごろうくんちのホットケーキ』のお話し。
台湾でも何回もやったな~このお話し。
中国語だから、すっごく練習したっけ…
懐かしい♪
そして日本語でできて嬉しい♪

子どもたち、本当によ~く聞いてました。
一番強いお方、力あるお方が、
弱くて小さな人間の赤ちゃんになって生まれてくださった。
そのおかげで和解と平和がもたらされた。
そんなメッセージでした。

明日からアドベントです。
感謝主!
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