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おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

5つのパン

2019-11-22 09:53:55 | 信仰 聖書
昨日は、TCUの秋学期の最終日、
チャペルタイムは廣瀬理事長でした。
いつもながら、とても教えられました。

テキストはマルコ6:35~42
五つのパンと二匹の魚の個所でした。
このストーリー四福音書すべてに記されています。
イエスさまの生涯を記すときにこのストーリーは、
なくてはならないエピソードだったことがわかります。

先生は「5つ」というところに注目しました。
なぜ5つだったのでしょう。
これは先生の意見ですが…と前置きをしながら、
5つという数字は、聖書の中では、
人が差し出せる精一杯、を表していると説明。

弟子たちが大勢の群衆が集まっている中で、
やっと集めた5つのパン。
5タラントのたとえ。
5回結婚し離婚したサマリヤの女。
「私の知性で5つ言葉を語りたい」と言ったパウロ。
そして、旧約ではゴリアテと対峙するために、
5つの小石を準備したダビデ。

神の国は心の中だけのことではない。
イエス様は「あなたがたで何か食べ物を」とおっしゃった。
彼らの実際の必要に応えなさいと。

弟子たちはイエスさまのおっしゃることを理解し、
すぐに無理だとは言わないで、
そこにいる人の数を数えます。
そしてこの人たちに食べ物を与えると
いくらかかるか計算します。
そしてイエスさまに報告。
200デナリかかりますと。

するとイエスさまから次の指示。
「パンはいくつありますか。
行って見て来なさい。」

弟子たちはどうせだめだろうとは言わなかった。
彼らはイエスさまの指示に従い、
「行って見て来た」のでした。
イエスさまがそういわれるのであれば、
とにかくやってみる。
そんな弟子たちの姿勢に教えられます。

そしてイエスさまから次の指示。
「皆を組に分けて青草の上に座らせる。」
人々は、弟子たちに聞くでしょう。
何か起こるんだ。
食べ物はあるのか。
もし、何も起こらなかったら
暴動になるかもしれないその状況の中で、
弟子たちは、
主がそういわれるならと群衆を説き伏せ動かしていく。
これは、弟子たちの信仰です。
「こうしたらこうなる」とは言えない、
その状況の中で従うのは信仰です。

イエスさまはなぜ弟子たちに、
「食べさせなさい」
「行って見て来なさい」
「座らせなさい」
とおっしゃたのでしょうか。

イエスさまは私たちを神のみわざに参与させたかったのです。
イエスさまの言われる通りして、
イエスさま、わたしはあなたのことばに従ってここまでしました。
あなたは一体何をしてくださいますか?
そして、イエスさまがなさるみわざ見て、
ともに喜び、賛美するのです。


神の国は心の中だけにあるわけではない。
イエスさまは、権威あるお方。
この世界を治めご支配されるお方。
だから私たちはその世界に出て行って、
主の言われた通りすれば、
必ず主のみわざを見ることができる。
そして私たちはそれを見て喜び、
主を賛美することができるのです。
アーメン

そして主は、その偉大なみわざに、
私たちを参加させようとしていてくださる。
私たちの持てるもの精一杯を差し出して、
共に参加するように招いていらっしゃる。
私の「5つのパン」は何だろう。
いつも精一杯をささげているか。
そんなことを問われた説教でした。

感謝主!!   


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おことばですので

2019-11-07 11:09:20 | 信仰 聖書
夏に千葉に引っ越して来て、
新鎌ヶ谷聖書教会に通っていますが、
その時からのテーマ聖句とテーマソングが、
このルカ5章1~11節の記事からのもの。
ペテロたちがイエスさまの弟子になるきっかけとなった出来事。

ペテロたちはもともと漁師で、
その日は夜通し漁をしたけれども、
結局一匹も魚がとれませんでした。
あきらめて網を繕っているところにイエスさまがいらっしゃいます。
そして、ペテロたちに頼んで船を出してもらって、
湖の上から押し迫る群衆たちにお話しをされました。
その後に、弟子たちに言います。
「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
ペテロは言います。
「先生、私たちは夜通し働きましたが、
何一つ捕れませんでした。
でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」
そしてその通りにすると、網が破れそうになるほど、
魚が捕れたというお話し。

その後、イエス様はペテロに言います。
「恐れることはない。
今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」
そしてペテロたちは、
漁師をやめてイエスさまについて行きました。

なんだか、この状況が目に浮かぶのです。
夜通し働いて、でも何も成果がなくて、
今日の漁は終わったと、
後は網を繕って家に帰って休もうとしていたペテロたち。
そんなペテロたちにイエスさまはおっしゃる。
もう一度、「網を下ろしてみなさい。」と。

私も50歳をとっくに過ぎた。
男の50歳代は一番いい時だと誰かが言っていたな。
いい仕事ができる時期だと言うことでしょう。
女の50歳代はどうかなと思う。
子育てが一段落して、
台湾での一仕事を終えて。
でも何もないわけではない。
チャンピオンズの働きには、
やりがいも必要も感じている。

でも「深みに漕ぎ出して網を下ろしてみなさい。」
とのみことばがせまってくる。

こんな時間に…
魚がとれる時間はとっくに過ぎているのに。
魚たちは昼間は、湖の底の方いるでしょう。
網をおろしても捕れるわけがない。

深みに行かないといけないですか?
浅瀬なら、だめだったらすぐに帰って来られる。

それにもう一仕事終わったのです。
家に帰って休みたいのですが。

でも、
「おことばですので」
神さまは私にそう応答するように、
迫ってくださっているような気がするのです。

「おびただしい魚」じゃなくていい。
一匹でもいい。
神さまが与えてくださる魂が準備されていることを信じて、
とにかく、網を下ろしてみましょう♪

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2019-10-18 13:26:24 | 信仰 聖書
松原湖研修会の最後、
派遣礼拝での説教がずっと心に残ってます。
廣瀬理事長の説教だったのですが、
ヨハネの福音書1章23節から。
バプテスマのヨハネは、
「あなたは自分を何だと言われるのですか」
との問いに対して、
「私は、預言者イザヤが言った、
『主の道をまっすぐにせよ、
と荒野で叫ぶ者の声』です。」
と答えます。

「私は『声』です」と。
廣瀬師は、
「キリスト教は『言葉』の宗教であると同時に『声』の宗教でもある」
と言っていました。
そして「私は、声です!」というヨハネはかっこいいと。
同感。
ホント、かっこいいです。

今の時代、
キリスト者は、声をあげなければならない。
沈黙していてはならない。
福音を宣べ伝える声をあげ、
社会正義がなるように声をあげ、
弱い者を代弁する声をあげなければいけない。

私も「私は声です!」と言えるような
そんなキリスト者でありたいと思う。
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イースターでした

2019-04-25 09:56:47 | 信仰 聖書



今週の日曜日はイースターでした。

先週にイースター子ども会が終わったので、
今週は、イースターを記念する礼拝と、
イースターをお祝いする愛餐会でした。

礼拝では、わたしが説教。
なんとこの教会に就任して初の礼拝説教!
緊張しましたが、
嬉しいこの日にご奉仕できて感謝でした♪

テキストはトマスのことろ。
(ヨハネ20章24節~31節)
面白いことに、
他の福音書では、
他の弟子たちとの羅列の中でしか、
彼の名前が触れられていないのに、
ヨハネの福音書では、
なんと4回もトマスについて記しているのです。

どうして、ヨハネは、
トマスに注目して、
彼のことを記そうと思ったのでしょう。
疑り深いトマスを反面教師にしようとした?
いえいえ、
むしろ、後代の私たちが、
彼の信仰に倣うように、
彼のことを取り上げたのだと思うのです。

復活のイエス様は、
たまたまトマスがいないときに現れ、
他の弟子たちにその手とわき腹の傷跡を見せました。

トマスが帰ってきてみると、
みんなは興奮して、
「イエス様はよみがえられた!
あれは確かにイエスさまだった。
手とわき腹の傷を見せてくれたんだよ。」

どうしてイエス様は僕のいないときに…。
怒りと寂しさと嫉妬の中で、
トマスを思わず言ってしまう。
「その手の傷跡に指を入れ、
わき腹の傷跡に手を入れなければ信じない!」と。

そして怒って出て行った?
いいえ、彼はそこにとどまり続けた。
イエス様が、僕にだけ現れてくれないわけない。
きっとそのお姿を見せてくださる。
彼は信じて待ち続けたのです。
そして1週間…。
今か今かと待っている1週間は、
なんて長いのでしょう。
それでも、彼は待ち続けた。
これが信仰でなくて何でしょうか。

そして、イエス様は彼に現れてくださった。
すぐにトマスに向き直ると、
「さあ、この傷口に手を入れてごらん」と。

彼は、思わず「私の主!私の神!」と
信仰告白。

そして面白いのは、
他の弟子たちには、
すんなり、ご自分から傷跡を見せたのに、
トマスには、
「あなたは見たから信じたのですか?
見ないで信じる者は幸いです。」
と言われたのです。

疑り深いトマスにそれを要求する?

いいえ、トマスだからこそです。
復活のイエス様が、
必ず自分にもそのお姿を見せてくださると、
一週間待ち続けた信仰の人、トマスだからでした。

そしてそれは、
トマスの背後にいる後代の私たちにも
語られています。

「見ないで信じる者は幸いです。」と。

なぜなら、ヨハネの福音書が書かれた目的は、
そこにあるからです。

「これらのことが書かれたのは、
イエスが神の子キリストであることを、
あなたがたが信じるためであり、
また信じて、イエスの名によって
いのちを得るためである。」(31節)

ヨハネが、
トマスに注目し、
トマスを何度も福音書に登場させたのは、
目的にかなったことだったのです。

感謝主!

イースターおめでとう!!

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天使?

2019-04-17 14:33:16 | 信仰 聖書

朝、6時に起きて祈る習慣をつけようと、
4月1日からはじめています。
ある人たちにとっては、
全然早い時間じゃないのでしょうが、
私にはチャレンジでした(^_^;)

それまでは、朝起きると、
まず子どものお弁当作って、
朝ごはんを食べさせ、
お洗濯をするなどの家事をして、
それらが一段落してから、
祈りの時間を持っていましたが、

やっぱり一教会の担任教師になるのであれば、
私自身の祈りの生活を充実させねばと思い、
朝一番に祈りの時間を持つことにしました。

人は一つのことを21日続ければ、
それを習慣化することができると
聞いたことがあります。

そこでまずは21日。
ちょうどイースターまで!
と思ってがんばっていたのです。

ところが今朝、
いつものように目覚ましが鳴ったのですが、
すぐには起きれず、
二度寝しかけました。

そうしたら、
誰かが肩のところを指でトントンと
軽くたたいたのです。

えっ?と思って目が覚め、
そちらの方を見たのですが、
誰もいません…。

あっ、神さまだ。
神さまが天使を遣わして、
起こしてくれんだ!

私は単純にそう信じました。

ああ、神さまは、
私が朝祈ることを望んでるんだ。
喜んで下さっていたんだ。

朝一番に祈るって難しくて、
血圧の低い私は、
眠くって仕方ないし、
祈りながらうたたねすることも多い。
祈りに集中するのも難しいし。
こんなんじゃ、意味ないよなと、
思っていた矢先でした。

あんなお粗末な祈りの時間なのに、
それでも神さまは、
私にその時間をささげるように願ってらっしゃる。
朝、教会で私と語らう時を
楽しみに待っていてくださってたんだ。

そう思ったら、
嬉しくて嬉しくて(^^♪

奇しくも受難週。
ゲッセマネで祈られたイエス様を思いつつ。
続けて朝の時間を神様におささげしたいです。

感謝主!!

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祈り

2019-04-12 10:33:25 | 信仰 聖書

今週の祈り会も
ハ・ヨンジョ師の
『祈り 天のとびらを開く』から学びました。

まずは前半だけ。
ハ師は、
神さまに祈りにこたえていただくためには、
その前提として、
当たり前のようですが、
求めなくてはいけないことを強調されていました。

福音書でイエスさまにいやされた人々を見ても、
みなさん、いやされることを求めています。
求めなかった人も、
イエス様に促されて、
求めを確認されているというのです。
確かにそうかもしれません。

以下は私の気づき…

もちろん神さまは、
私たちが祈る先から、
私たちの願い、思いを知っておられます。

けれども、
神さまはあえて求めることを願っています。
それは、私たちが祈って、
主が答えられるというやり取りを通して、
主と私たちとの関係が豊かになるからです。

赤ちゃんは、
おなかがすくと泣いてお乳を求め、
おむつが濡れると替えてくれと泣きます。
親がそんな赤ちゃんの要求に、
はいはいと答えてあげることで、
赤ちゃんは、
親の愛を心に蓄え、
信頼関係を築いていくのです。

神さまと私たちも、
祈って求め、
主が答えてくださるという
やり取りの中で、
私たちの主への信頼は深まり、
豊かな愛の関係が築かれていくのではないかと
思うのです。

大胆に求めたい。
祈りに応えていただく経験をもっとしたい。
祈ったら、
主は必ず答えてくださるという
主へのゆるぎない信頼を持ちたい。

そう強く思わされた水曜日の学びでした。

 

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救いのあかし

2019-03-31 21:17:05 | 信仰 聖書

主の計画と恵みによって

Ⅱテモテ 1:3~14 

こうして伝道師就任前にあかしの機会が与えられたことを心から感謝します。あかしとは言っても礼拝の中の位置づけとしては、説教に代わるものなので、初めにみことばを読ませていただきました。テモテは、ギリシャ人の父、ユダヤ人の母を持つダブルの背景をもっています。そして、母方は信仰に熱心な家系だったようで、このテモテへの手紙を書いたパウロは、3代までにさかのぼって、名前を記しています。しかもお父さんやおじいちゃんではなく、お母さん、おばあちゃんの名前というのは面白いことです。初代教会も今と同じく、教会を支えているのは婦人たちの熱心だということでしょうか。きっと当時の教会の中ではモニカやロイスといえば、だれもが知る名物おばあちゃん、名物おかあちゃんだったのでしょう。テモテはこうして、母方の純粋で(第三版)偽りのない(2017)信仰を引き継いだのです。

 私の場合もどちらかと言うと母の影響が大きかったように思います。もちろん、父は牧師として、みことばによって私の信仰を養ってくれたのですが、私はむしろ母に伝道者魂みたいなものを見せてもらった気がします。母はいつも早く起きて祈っていました。寒い冬、当時の石油ストーブで背中をあぶり、体を揺らしながら祈っていた母の姿が非常に鮮明に思い出されます。私が大学や神学校時代、夏休みなどの長期休暇に帰省すると、母は早朝に私を起こし、トラクトを配りに行くのに付き合せました。母とそうやって伝道するのはとても楽しくて、今でもいい思い出です。その母ももう13年前に召されました。私たちが台湾に行って二年目、母が65歳の誕生日を目の前にしてのことでした。ちょうど昨日3月30日が召天日です。

 さて、こうしてテモテはよい信仰をベースに、忠実に伝道者、宣教師、牧師としての任を果たしました。彼に与えられた賜物は、福音を恥とせず臆することなく伝える大胆さ、状況が緊迫してもパウロと苦しみを共にする誠実さ、忠誠心です。実際テモテは、およそ20歳という若さで、第二次伝道旅行以来パウロに同行し、同じところで共に働くだけでなく、パウロが去ったのちにもその地方に留まって働きを続けました。またパウロが監禁されているときには、彼の存在は大きな慰めとなったと記されています。

 さて前置きが長くなりましたが、今度は私自身がどうやって信仰に導かれたのかをお証ししたいと思います。先ほど申しましたように、私は牧師家庭に生まれました。両親は青森五所川原の出身ですが、結婚してすぐに岐阜に引っ越したので、私は岐阜出身です。5人兄弟の二番目長女です。家はいわゆる貧乏人の子沢山で、牧師夫婦は家庭を顧みず、牧会伝道に励むのが美徳とされた時代でした。今は違います。私が牧師と結婚して子どもが生まれたとき、母と同じようにしようとしていたら、母に「ああ、あれは間違ってた。子どもをかわいがって、家族を大事にしなさい。」と言われた時には唖然としました。間違えて育てられたのだと。(笑) また、当時、両親が所属していた宣教団体はドイツアライアンスミッションで、両親はドイツ人の宣教師夫妻と協力して教会開拓をしていました。子どもと犬はドイツ人にしつけさせろと言われるほど、厳しいしつけをするドイツ人に倣って、うちの両親はずいぶん厳しいしつけをしました。例えば、夜は8時には寝かされていましたから、8時過ぎても騒いでいようものなら、容赦なく外に出されました。またムチという習慣も健在で、よく箒の柄でたたかれました。うちの箒の柄の竹の部分は縦に割けてバリバリになっていました。親が言うには、こんな風にばりばりに割けた竹は音ばかりで痛くないのだと言っていましたが、いやいや痛かったです。それでも私は二番目の長女という位置にあったせいか、いつも要領良くというか、うまく立ち回って、難を避けていましたので、他の兄弟に比べるとそれほど親に叱られることもなく、大きくなった気がします。

 そんな私がイエス様を個人的な救い主として受け入れたのは、小学校3年生の夏でした。はじめて教団のバイブルキャンプに参加したのです。岐阜の山奥、淡墨桜で有名な根尾にあるキャンプ場です。もともと私は超が付くほど恥ずかしがりやでした。幼稚園の頃から吃音もあったので外では口数も少なく、人間関係がいつも受け身でした。ですからキャンプの雰囲気になかなかなじめなかったのかもしれません。楽しいプログラムについてはほとんど記憶がないのですが、一人のカウンセラーの先生に信仰を導いていただいたことだけ覚えています。赤沢先生という名前でした。ショートカットで黒縁眼鏡をかけた中年の女の先生でした。先生は、川遊びの休憩時間やキャンプファイヤーの後などを利用して、個人的に丁寧に福音を語ってくれました。イエス様はわたしの罪のために十字架にかかって死んでくださったこと。それは、私の罪の刑罰の身代わりだったということ。そして3日目によみがえってくださったことによって、私に新しいいのち、永遠のいのちをくださったことを教えてくださいました。いつも教会学校で聞いていたはずなのに、その時はとくに新鮮に響いてきました。兄弟が多く、絶えずケンカをしていましたし、いい子ちゃんぶったり、ずる賢く他の兄弟に罪を擦り付けたり、嫉妬したり、意地悪な思いを抱いたりしてましたので、自分の罪を自覚するのは、難しいことではありませんでした。私はカウンセラーの先生に導かれるまま、自分の罪を告白し、悔い改めの祈りをし、イエスさまを心にお迎えしました。それまでも天地を創造されたまことの神さまのことは疑ったことはありませんし、その神さまがいつも私のことを見ていてくださるということも知っていました。ただ、その神さまのまなざしは厳しく、わたしはそのまなざしにいつもおびえていました。きっととても厳しかった両親を重ねていたのでしょう。

 そんな私にカウンセラーの先生がヨハネ3章16節のみことばが書かれたカードをくださいました。「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それはみ子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」そのカードには、ところどころ白抜きになっている部分があって、そこに自分の名前を入れるように言われました。「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、千恵子を愛された。それは御子を信じる千恵子が滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」そうか、天地を作られた神様は、みんなの神様だと思っていたけれど、それだけじゃない、私の神様、私を愛してくださる天のお父様なのだとわかりました。

 小さな信仰の決心でしたが、確かに神様に覚えら、受け入れられました。そしてその時から、私の心に聖霊を通してイエス様が住まわれました。イエス様と共なる生活が始まったのです。キャンプが終わって、家に帰るなり、わたしは両親にイエス様を心にお迎えしたことを報告しました。両親はとても喜んで、その赤沢先生というカウンセラーの先生にお礼を言おうとして、キャンプの担当の先生に問い合わせました。ところが赤沢という名前もそれらしい名前のカウンセラーもいなかったというのです。私の記憶違いでしょうか…。あるいは天使?今も謎のままです。

 今だったら、小三の子どもでも明確な信仰決心をしていれば、洗礼を授けるのでしょうが、当時は子どもに洗礼を授ける習慣はなかったので、洗礼をもって決心を表明することなくそのままとなりました。また、信仰決心した当初はとてもうれしくて自分が変わったような気がしたのですが、しばらくするとその熱も冷め、相変わらず私は自己中心で、ずる賢く、罪の中にいました。イエス様のことは大好きで、教会学校の先生の指導もあって、毎日聖書を読み祈る習慣はずっとありましたが、救いの確信はなく、洗礼を受けていないので、自分はクリスチャンだと公言もできず、なんとなく中途半端な周りに流されていく日々を送っていました。

そのまま中学生になりました。私が中学生だったころは、まさに「積み木崩し」「金八先生」の時代でした。しかも飲み屋や風俗で有名な柳瀬が学区に入っている私たちの学校は、かなり荒れていました。いつも誰かかれかが鑑別所に入っており、集まってはシンナーを吸っていたり、空き教室でツイストを踊っていたり、身近なお友だちが妊娠したりと、大変な時代だったのです。私はといえば、聖子ちゃんヘアに長めのスカート、短めのセーラー服といういで立ちでしたが、積極的にぐれる理由もないし、親も神様もこわい。でも基本NOが言えない私は、なんとなくまわりに流されて、親にうそをついては、悪い友達と連れ立って遊んでいました。

 でも実は苦しかったのです。私はイエス様のことを信じていましたし、私はイエス様のことが大好きで、教会も大好きで、聖日礼拝はおそらく皆勤だったと思います。部活の試合も模擬試験、学校の行事も自分から行くことを拒んで、礼拝を守りました。週日の祈祷会も宿題があろうが定期テスト前だろうが、絶対休まないのがポリシーだったのです。実はこれにはきっかけがありました。当時私は水泳部だったのですが、初めての試合は日曜日で、私は、朝の教会学校のジュニアクラスだけ出て、その後に続く礼拝を休んで、大急ぎで試合に行ったのです。ところが私が到着した時には、私の出番はすでに終わっていて、先輩には、「ああ、キリストさんがいらっしゃった。」といやみを言われたのです。その時に、なぜが、次は早く来よう。教会学校も休もうと思わないで、「なんだ、こんなことなら来なきゃよかった」「もう日曜日の試合に出るのはやーめた。」と思ったのです。模擬試験も日曜日出てもいい点数が取れるわけではない。日曜日に運動会に行ったって、相変わらず走るのは遅い、祈祷会さぼって試験勉強したってそんなに差がない。「やーめた、やーめた、もう全部やーめた!」そんな感じです。そういうところはやたらといさぎいいというか頑固。学校の先生たちも、うちが教会だから、親が牧師だからとというと何も言えませんでした。

 ところが礼拝、祈祷会皆勤の私も罪の誘惑の前には弱かったのです。私の意志も頑固さも、罪の前には何の力にもなりませんでした。寝る前には、「神様ごめんない。今日も神様に喜ばれない一日でした。でも自分ではどうしていいのかわからないのです。神様がここから私を救い出してください。」と祈る毎日だったのです。

 クリスチャンホームの子どもたちの苦悩はこういうところにあると思うのです。神様の存在はどんなしたって否定できない、神様に愛さていることも知っている、イエス様の十字架の意味も知っている、罪なんか犯したくない、でもクリスチャンのホームの子どもも、そうじゃない子どもと同じ罪人なのです。どんなしたって罪に傾いていく。ただ罪を犯すことに自由がない。幼い時から聞いている聖書の戒めが、私を責める。研ぎ澄まされた良心がチクチクと痛くて、苦しくてしょうがないのです。特に私は小三の時にイエス様を信じて、聖霊がうちに住んでいましたからなおさらそうだったのだと思います。

そんなあるとき、神様はわたしの祈り「私にはどうにもできません。神様が助けてください」との完全な他力本願、神頼みの祈りを聞いてくださいました。その日も私は親にうそをついて悪いお友だちと遊びに行っていました。そして遅くに家に帰ったところ、母が家の外で私を待っていました。母は「どこに行ってたの?」と私に聞きました。私は悪びれず、でも母の目を見ることはできず、「けいこちゃん」と出かけに母に告げておいた名前を言いました。すると母は、「うそを言うな!」と烈火のごとく怒り、私を家の中に入れると、胸倉をつかんで叱り始めたのです。私は泣きながら謝り、もうこんなことはしない、生活を改めると約束しました。そして、最後泣きながら母と祈り、内心ほっとしたのを覚えています。

 そして、悔い改めを表明する意味で、中三の夏に洗礼を受けました。けれどもこれで何もかもスパッと解決したわけではありません。相変わらず罪の誘惑には弱く、NOが言えない私は何度も失敗しました。そして不思議だと思うことは、神様はわたしが自分の弱点を克服するまで容赦なく同じところを鍛えられることです。神様はわたしをあきらめない。よしよしそこまででいいよと言ってくれないのです。

 また、わたしは悔い改めを機会に、決めたことが二つあります。一つは自分の罪を隠すための嘘はつかないということです。例えば、母に叱られたあの晩、「母がどこに行っていたの?」と聞きました。私は、「けいこちゃん」とうそをつきました。でも、そこでうそを言わないのです。正直に答えれば、罪に罪を重ねて身動きがとれなくなるということがなくなり、早い段階で罪を清算することができるのです。そして実はそんな生き方の方がずっと楽です。

 またもう一つは、罪の問題は自分で解決できると思わない。聖霊さまにより頼んで祈るということです。罪の前に自分の意志や努力はなんの力にもならないことは、痛いほど思い知らされていましたし、多くの場合そういう努力は的外れです。頑張りどころがずれてるんです。これからは、神様のまえに素直になって、何でも神様にお頼りして助けてもらおうと思いました。

以上がわたしの救いのあかしです。救いのあかしというのはそれぞれオリジナルストーリーですし、私の場合は、牧師家庭に育っていますから、皆さんにとっては、よく理解できないこともあると思います。確かに牧師家庭の子どもたちの中には、自分の境遇を恥じ、マイナス面ばかりを見て牧師家庭に生まれなきゃよかったと自分の境遇を呪って信仰を捨てる人も少なくないです。私のアメリカ人宣教師の友達が、アメリカの宣教師家庭の信仰継承率は3割だと言っていました。日本の牧師家庭はどうなのでしょうか。けれども、クリスチャン人口1パーセント未満の日本で、クリスチャンホームに生まれ、しかも牧師家庭に生まれ、教会の中で育ち、みことばと賛美のシャワーを浴びて育つというのは、どんなに大きな恵みでしょうか。神さまはどうして、私を牧師家庭に生まれさせてくださったんでしょうか。罪の前に弱くて、すぐに神さまを裏切ってしまうような私を見捨てないで、救いに導いてくれたのでしょうか。それどころか両親と同じ道へ、伝道者としての道へ導いてくださったのは、わたしに何か良いものがあったからでしょうか。そうではないことはわたしが一番よく知っています。すべては神さまのご計画と恵みのゆえでした。

 第二テモテ1章9節【新改訳2017】
神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。

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はじめて

2019-03-17 20:24:47 | 信仰 聖書

先週は、
私にとっては、
なかなかつらい1週間でした。

そして生まれて初めて、
夜、少なくとも自覚できる範囲では、
一睡もできない夜を過ごしました。

何を食べても味がしない、
食欲はもちろんない、
喉が締め付けられるような、
心臓がギュッとつかまれるような、
いつも涙をこらえているような。

ああ、人はこうやって病気になるんだろなと、
思ったりして。

自分は心身共にタフだと思っていたし、
いつでもどこでも寝られるのは、
私の特技でもあったので、
あれ?
なんだこれは?
と自分でもびっくり。

そういう症状をすでに経験済みの
大先輩の主人が、
これはまずいと
すぐにいろいろ対処してくれて、
二日ぐらいで済んだのは感謝。
余韻は多少あるけれど…。

詳しくは書けないけれど、
いつも前向き、楽観的、
元気はつらつというわけではないと。
弱くてもろくて、
はかなげ(それば言い過ぎ(笑))な面もあるのだと、
自覚できたのは貴重な経験。

やっぱりイエス様がいなとだめだ。
イエス様が、私の傍らで、
大丈夫、大丈夫と
わたしがいっしょだよと、
励ましてくれないと
生きていけない。

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。
というのは、わたしの力は、
弱さのうちに完全に現われるからである。」
と言われたのです。
ですから、私は、
キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
 ですから、私は、キリストのために、
弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。
なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

Ⅱコリント12:9~10

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霊的な戦い

2019-02-06 22:36:15 | 信仰 聖書

結局は、
全ては霊的な戦いなんだと思う。
問題が起こると、
問題の中に埋没し、
神さまの愛も、
神様がどんなに力あるお方なのかも
見えなくなって、
一人でもだえ苦しむ。

だけどイエスさまは、
すでに勝利を取られたし、
私は神さまの子どもで、
私の弱さや罪深さをひっくるめて
受け入れてくださった神さまは、
いつも、今も、変わらない愛で
私のことを愛してくださってるし、
私の信じる神さまは全知全能だし、
正しいさばき主だし、
実はなーんにも恐れることはないということ。

これが見えなくなったら、
サタンの思うつぼ!
みことばに堅く立て!
祈れ!

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沈黙のアドベント(2)

2018-12-11 10:18:53 | 信仰 聖書

ザカリヤは、
み使いのみ告げを信じなかったから、
口がきけなくなりました。

これは罰なのか?

罰ではない。
彼にとって一番の罰は、
信じなかったら子どもを与えない
だったはず。
み使いはそうは言わず、
子どもが生まれるまで(期間限定)、
口がきけない
そう言っただけ。
神さまは憐み深いお方なのです。

そして、たとえ罰だとしても、
神さまは、神の子どもたちに、
罰するだけが目的の罰は与えない。
父として、
愛する我が子の成長のために、
時として罰を与えることはあるけれど。
(へブル12:5~6)

では、どうしてザカリヤに、
口をきけなくしたのか。

ヤコブはもものつがいを打たれ、
歩けなくなり、
サウロはダマスコ途上で、
イエスさまと出会ったとき、
目が見えなくなった。

どうしてザカリヤは口?

1.ザカリヤは不信仰を口で表明したから。
信仰の表明は口からですが、(ローマ10:10)
不信仰の表明も口からです。
心の中の不信仰も罪ですが、
それを口に出すか出さないかには、
大きな違いがあります。
彼は不信仰を口にしたので、
神さまは口を打たれました。

2.神さまはザカリヤから
ことばを取ることによって、
彼を無力にし、裸の状態にしました。
人はことばをもって言い訳したり、
自分を取り繕ったり、飾ったり、
格好つけたりするものです。
ですから、話せなくなることで、
人は無防備になり、
自分のありのままを、無力を、
さらけ出すことになるのです。
神さまは、ザカリヤからことばを取り上げ、
彼を裸の状態にし、無力にし、
主により頼ませたのではないでしょうか。

3.信仰者は、静まりの中で、
主と向かい合うことができます。
主は、静けさの中で、
私たち信仰者に語ってくださるのです。
落ち込んだ預言者エリヤに主が語られたときも、
山々、岩々を崩すような大風の中には、
主はおられなかったし、
地を割くような地震の中にも、
焼けつくす炎の中にも
主はおられなかったのです。
そしてそれらが過ぎ去った後に、
その静けさの中で、
主の細き御声が聞こえたのです。
10カ月の静けさは、
ザカリヤは主と向かい合う機会となりました。

4.人は孤独の中で、
主に出会うからではないでしょうか。
人の意見、人のアドバイス、慰めのことばなどは、
わかりやすく、即効性があるかもしれません。
けれども、人に聞き、人を頼っているうちは、
神の声に耳を傾けないのではないでしょうか。
人は人とのコミュニケーションを絶たれ、
独りぼっちになったときに主に出会うのです。


こうして沈黙のうちに彼は10か月を過ごします。
その間、妻が妊娠し、
お腹はどんどん大きくなり、
五カ月もすると、
親戚のマリヤが、
聖霊によって身ごもったとの知らせが届きます。
沈黙と静けさのうちに、
神のみわざが大きく働いています。
ザカリヤは、どんな思いで
それを見ていたのでしょう。

そしてとうとう妻エリサベツが、
男の子を産んだとき、
彼は、「彼の名はヨハネ」と、
彼の信仰を告白するのです。
夫婦ともにアロンの家系、
祭司としての先祖代々続いた家業も終わり。
その子と家を主に捧げる信仰告白。

その献身と信仰を表明することによって、
彼の口は開かれます。
そして開口一番、
主への賛美がほとばしり出たのです!

ハレルヤ!!

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