おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

デボーション

2020-02-20 10:39:18 | 信仰 聖書


今年からデボーションで、
「ニューシティカテキズム」を使っています。
とーってもいいです♡
問52まであるので、
一週間に一つの問いを学んで暗記し、
一年かけて用いるようになっていると思うのですが、
せっかちな私は、
毎日読んで
一年に7回読もうと思っています(^_^;)
そして、もうすぐ一回目が終わるところ。

各問に二人の注解者が注解していて、
一人目が、カルバンとかルターとか
バクスターとかスポルジョンとか…、
いわゆる古典の神学者たち、
二人目がティモシー・ケラーのような
最近の人たちです。
そして、訳がいいのでしょう、
どちらもわかりやすく、
毎日うんうんとうなずかされる。

最近教えられたのは、問46です。

「聖餐とは何ですか?」
「キリストはすべてのクリスチャンに、感謝と共にキリストとその死を覚え、パンを食べ、杯から飲むことを命じられました。聖餐は神の臨在が私たちの只中にあることの祝いであり、神と、そしてお互いとお交わりに私たちを迎え入れ、私たちの魂に糧を与え養います。また、父の御国にてキリストと共に飲み、食べるその日を期待させるものです。」

コメンタリー
…第二に、聖餐は神の臨在を祝うものです。私たちが神の食卓に招かれ、席を共にすることを許されているとは何という祝福でしょうか。 …創世記3章で、サタンはアダムとエバに木の実を取って食べよと誘惑し、二人は神の命令に反してその実を食べました。 …二人は神の臨在から追放されるという結果になったのです。しかし、主の食卓では、主ご自身が私たちを主の臨在の中に再び招き入れてくださいます。イエスが弟子たちに「取って食べなさい」と言われたとき、主はかつてサタンが園で囁いた言葉を覆されました。 …主の食卓に近づく私たちは、聖餐を行う度に、また牧師が「みなさん取って食べましょう」と呼びかける度に、この恵みを経験するのです。この恵みは、神との再会と主の臨在、そして再び親しい交わりを持つことができる喜びを祝う恵みです。 (byリーゴン・ダンカン)

人は「取って食べよ」という誘惑に負けて罪を犯し、
神の臨在から追放されました。
しかし救われた私たちは、
今度は聖餐の度に「取って食べよ」と、
神の臨在に招かれているのです!
ハレルヤ!!

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すごくないですか?
おすすめです!
感謝主!
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