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鴎外と漱石の創作意欲の元

2019-07-04 23:59:13 | 芸術

鴎外と漱石の創作意欲の元

 鴎外の「舞姫」はドイツ留学時の恋の物語である。漱石の作品は、三四郎から心までは一貫して道ならぬ恋である。鴎外の場合は、実話に近いことは「鴎外の恋人」が明かしている。舞姫以外にも、鴎外が恋人「エリス」と会う淡々とした話があるが、実際には結婚を前提として示し合わせて相次いで二人で日本に来る、という切実なものだったそうである。

 「鴎外の恋人・今野勉」の書評で述べたが、鴎外のドイツでの恋は相当に真剣なものであった。元々文学の素養がある鴎外にしても、創作意欲の根源はドイツ人との恋であったのに違いない。舞姫が実在のモデルを基にしている、ということは当初から広く知られていた。

少し考えてみれば当たり前の話だが、漱石の三四郎から心までの六部作の共通項が、一貫して道ならぬ恋である、ということは、小生は江藤淳氏の評論でようやく気付いたのである。漱石を小説や短文ばかりでなく、日記まで全て読み通しながら、そのことに気づかないという杜撰な読書だった。

 「三四郎」は美禰子が、三四郎を慕いながらお見合いして去っていく。「それから」と「門」は、元々婚約者がいて結婚する直前だったのを、主人公と会うなり恋仲になって駆け落ち同然に結婚する、というものである。しかも婚約者の男性と言うのは主人公の親友だったのである。

 「彼岸過迄」の主人公は、互いに慕いながら結婚に至らない二人を観察するナレーターに過ぎない。「行人」は兄嫁を慕っているらしい主人公が、偶然台風で兄嫁と二人で一夜を過ごすのだが、何も起こらなかったのに、心を病むらしい兄が異様に嫉妬する物語である。「心」に至っては二人の親友の若者が同時に、下宿先の娘に恋をして、一人が親友のKを出し抜いて婚約してしまい、それを知ったKが自殺してしまったのを、出し抜かれたショックで自殺したのに違いないと思い悩む。

 主人公は、Kを殺したと悩み仕事もせず親の財産で暮らしている人を「先生」と慕っている。先生は過去の顛末を長い手紙に書き残して去ってしまう。先生は奥さんに自然死したように見せかけて自殺しようとしている、と書き残した。

 このように漱石の六部作が、パターンが少しづつ違うが、共通しているのが道ならぬ恋である。しかも漱石自身の恋人のモデルが実在し、その人は道楽者の兄の妻であった、というのである。しかも江藤に言わせれば、二人の関係は具体的にはどのようなものであったかは不分明だが、相思相愛であったことは間違いない、と断定している。

 不可解なのは、小宮豊隆ら漱石を聖人のごとく崇める「弟子」たちが、この六部作の共通点に、一切言及しなかったことである。だから小宮らの評伝をも読み込んでいたつもりの小生が、大間抜けだったのには違いないが、江藤淳氏の評論まで全く気付かなかった。確かに漱石のデビュー作の「猫」は、思想的あるいは面白みと言う点で、その後の漱石の作品を総括している、という時間的には逆転した不可思議と言うべき作品である。

 しかし、江藤氏の評論によって、その後の六部作が漱石の創作意欲の源泉の発露であった、ということに小生は確信を持つようになった。漱石も鴎外も創作意欲の源泉は「実らなかった恋」、であったと思うのである。漱石は教師から朝日新聞社に就職して、「小説家」に転身するにあたり、将来の生活に困窮することのないように、契約内容に慎重であったほど世俗的であった。しかし、創作の動機は失われた恋、という甚だ世俗的ではないものであった。

 鴎外も、母親のため軍医として出世することに腐心する、と言う世俗的な一面を持ち合わせている。しかし、世俗的出世のために成就寸前の恋を放棄しなければならなかったことを生涯悔いていた。鴎外が死に際して「一石見人として死せんと欲す」と遺言したのは、その出世の肩書さえいらなければ、恋を成就した、という一心によるものと信じている。ある数学者は雑誌に、鴎外が日清戦争で脚気対策に失敗して、戦死者より多くの犠牲者を出した責任を感じて遺言したのだろうと推測しているが、私にはそうは思われない。

 鴎外は役人としての仕事にも文学哲学にもあふれるほどの自信を持っている。脚気の原因が分からなかったのは、世界的医学水準の程度の問題であって、鴎外・森林太郎個人の責任ではないと考える。ちなみに海軍の脚気による犠牲者が少ないのは、英国流の結果重視の現実的対処をしたためであり、医学水準が高いためではなかった。

 ちなみに鴎外と漱石の性格は全く相違している。鴎外は、外では自信たっぷりで居丈高そうだが、家庭では母にも奥さんにも可哀想な位、気を遣って暮らしていた。漱石は、沢山の私的な弟子がいて、聖人とも崇められるほどの有徳な人と見られているが、家庭では精神病を抱えて気難しいなどという程度のものではなかった。一種のDVをしていたのである。漱石の二面性は、聖人化する小宮豊隆ら高弟の評伝と、家庭での漱石を語る妻・鏡子と息子・伸六の著書を読み、併せて「漱石の病跡」という精神分析書を読めば、バランスの取れた人物像が浮かび上がる。


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