毎日のできごとの反省

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日本の歴史戦の苦境の原因とは

2016-01-31 13:45:49 | 歴史

 現代日本において、慰安婦や南京事件の問題で、特に中韓から非難されているのを保守系の人たちは「歴史戦」と呼称することがあるが、日本の未来の安寧にとって正に戦争に等しい、という意味では正しい。だが歴史戦は苦境である。そしてなぜ日本だけが歴史戦を戦っているのか。

 かつてはドイツも、ユダヤ人の大虐殺、という歴史戦を戦っていたが、完全にそれが終えた訳ではない。元西ドイツのヴイツゼッカー大統領は「荒れ野の40年」という演説をして一応の決着をみたと考えられている。これは噴飯もので、実はドイツが行っていたとされる残虐行為には一言も謝罪していないのは、きちんと読めば分かる。例えば「ことにドイツの強制収容所で命を奪われた六百万のユダヤ人を思い浮かべます。」(岩波ブックレットP11)と書かれている。

最大の残虐行為とされる、ユダヤ人虐殺に対して「謝罪する」とは言わず「思い浮かべる」だけなのである。思い浮かべるのだけなら、被害者のユダヤ人だって「思い浮かべる」であろう。なのに多くの日本人は、ドイツは謝罪した、と騙されている。騙されているのではない、日本を批判する口実にしているだけである。

 いずれにしても、ドイツは全ての批判をナチスに押しつけて、ドイツ民族の罪ではない、と逃げることに一応成功した。だが、事態が沈静化しただけで、よく考えればドイツ民族全体にも罪がある、ということを完全に否定することに成功した訳ではない。ドイツの歴史に突き刺さった棘は、完全には取り除かれてはいない。

 なるほどナチスドイツは無辜の何百万人と言うユダヤ人を殺害したのであろう。しかし、共産ロシアの殺害した人々、毛沢東が殺害した人々の人数は遥かに大きい。アメリカにしても、黒人の奴隷を大量に輸入し獣扱いした。アメリカインディアンを正義の名のもとに、事実上の民族絶滅をさせた。米国が、フィリピン独立運動や第二次大戦中にフィリピンや日本で殺害した民間人は百万人どころではない。欧米諸国やロシアのユダヤ人虐待は常態化していた。ナチスドイツの迫害を知りながら、亡命しようとするユダヤ人の受け入れを拒否したのは、他ならぬ米国であるが、そのことに口を閉じている。

 なのに日独だけが歴史戦で圧迫されているのは、何故であろうか。ことは簡単である。戦争に負けたからである。敗戦民族が勝者に歴史を奪われるのは、古来、東西を問わず常識であった。しかし、ヨーロッパにおけるウェストファリア条約以来の、戦時国際法の成立によって、戦争はルール化されて、勝者が賠償を取り、講和条約の成立をもって戦争は清算されることとなった。

 勝者が正義を主張する必要のない時代が成立し始めたのである。国家間の紛争は戦争で決着し、正義を問わない時代が、少なくともヨーロッパでは成立した。幕末の日本は「国際公法」をそのように理解し、文明国として国際法の世界に参加する権利を得ようとし、日清日露の戦役で、目的は達成せられたかにみえた。

 これを破壊したのは米国である。南北戦争とは米国内の内戦という事にされているが、実は北軍と南軍という国家間の戦争であった。それを隠蔽する為に北軍は奴隷解放と言う、虚偽の正義のスローガンを掲げ、勝利すると南軍の指導者に悪のレッテルを貼り、苛酷な処分をした。

 第一次大戦では、勝者がドイツ皇帝を訴追する、という正義を主張したが亡命されて、失敗した。あまりにも戦争による被害が大きかったために、ドイツに天文学的な賠償を要求し、ウェストファリア体制は崩壊の兆しを見せたのである。さらに第二次大戦ではエスカレートし、米国は日独の無条件降伏を宣言した。

 負けを悟った国が、講和を申し出て戦争が終わるという、ウェストファリア体制は無視されたのである。無条件降伏は、単に和平交渉を拒否するだけではない。勝者の絶対的正義を前提とするのである。その結果、従前の国際法になかった、政治家を含む戦争指導者を処刑するという、ニュルンベルグ裁判、東京裁判なるものを強行した。元来国際法で戦争犯罪で処断されるのは、民間人や捕虜の違法殺害という戦時国際法違反者に限られていたのである。

 従って、東京裁判などでは、勝者が正義を主張するために、平和や人道に対する罪、などというかつてない罪状が主張された。そのために南京大虐殺なるものがねつ造された他、日独の残虐行為だけが誇張された上に、一方的に裁かれた。これに対してドレスデン空襲や東京大空襲、原爆投下、ベルリンなどドイツにおける米ソの膨大な残虐行為などは、歯牙にもかけられなかった

 よく知られているように、国際連合という訳は正確ではなく、枢軸国に対する連合国の意味である。従って国連の根本的性格とは、第二次大戦の連合国の正義を固定化するもので、それに反するものを許さないのである。それを象徴するものが、いわゆる国連憲章の旧敵国条項である。

 第53条には、強制行動は安全保障理事会の許可を必要とするが、107条の規定又は旧敵国の侵略政策を防止する場合は、許可を必要としない、とされている。107条とは、国連憲章のいかなる規定も、旧敵国に対抗していた国が、戦争の結果としてとった行動と得たものを無効にしない、ということが書かれている。

 煎じ詰めて言えば、日独などの旧敵国の行動が、連合国の一部の国に気に入らない行動をとった場合には、安保理事会の許可なく、当該国は旧敵国に対して軍事行動とる自由がある、という事である。これは解釈の幅がある恐ろしい条項である。尖閣や北方領土問題で日本が、中国やロシアの気に入らない行動をとった場合に、戦争をしかけてもよい、ということにもなりかねないのである。

 もし、旧敵国条項が廃止されたとしても、日本は連合国の正義の範囲の中で行動しなければならない、ということに変わりはない。大東亜戦争は侵略ではなく、英米に追い詰められた自衛行動であった、などと政府が公然と主張することはまかりならぬ、ということである。全ての歴史戦の不利の根本原因はここにある。

 多くの愚かな日本人は、歴史上初めての外国による占領とWGIPという日本人洗脳計画による、宣伝、検閲等によって、日本の戦前戦中の行動を全て悪と看做すようになった。この結果「南京大虐殺」などというものが事実として固定化された。何と慰安婦問題などは、日韓条約締結後、何十年と問題にされていなかったのに、吉田某の慰安婦強制連行の虚言や、朝日新聞のキャンペーンによって、脚光をあびてしまった。

 韓国人の立場になって考えても見るが良い。慰安婦がいたのはかれらも百も承知であったが、売春と言う行為を公然と語りはしなかった。ところが当の日本人自身が、慰安婦の強制連行や、性奴隷などと言い始めたのである。それならば、韓国人は日本人を非難しないわけにはいかないのである。

 韓国人がアメリカで慰安婦のキャンペーンをしているのを非難する保守系の人間は多いが、そうしなければならないように追い込んだのは、WGIPによって日本の過去は全て悪で、悪を嘘までついて弾劾することが正義だと信じ込まされた、倒錯した日本人自身である。彼等の考えが変わらぬ限り、歴史戦は負けるであろう。

 その点ドイツ人は賢明である。彼等には日本に対するほど周到なWGIPはなかったし、勝利も敗北体験し慣れている。彼等は敗者としての立場をわきまえ、周到に行動し、いつか汚名を晴らすであろう。少なくとも事実に反するものを訂正し、連合国の悪事も追求し、正当なバランスをとるようになるであろう。既にワイツゼッカーの「荒野の40年」にはその萌芽がみられる。ドレスデン爆撃に対する非難等の連合国の非道もきちんと批判しているのである。その観点から言えば慰安婦問題や南京大虐殺、靖国問題の歴史戦で日本が劣勢にある根本原因は日本人自身にある。

 

 


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1 コメント

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慰安婦、当時の当局文書 (文科系)
2016-08-30 00:46:37
 歴史論は、ちゃんとした歴史学者の専門領域にある第一次資料でやりましょう。ネットウヨク諸氏の種本にはそういう方々はとても少ないと思います。歴史の第一次資料とはそれほどに貴重な物なんです。

 さて、以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。
 一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。

 
『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
         在上海日本総領事館警察署 』


『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」 (1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。

まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』


 さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係当時の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。
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