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書評・大平洋戦争 最後の証言 第一部 零戦・特攻編 門田隆将

2015-04-02 15:11:50 | 大東亜戦争

 タイトルからして「太平洋戦争」は気に入らないが、仕方ない。目についたエピソードだけピックアップしていく。真珠湾とミッドウェーで戦った艦攻乗りの前田は「・・・山本長官の部下から聞いたんですよ。艦攻は何があっても、魚雷をおろして爆弾を積みかえるのは禁止する、とまで山本長官は厳命していたことも聞きました。出航する時の打ち合わせでも、赤城と加賀の二隻は絶対に魚雷攻撃以外を考えちゃいかんと、言われていた。・・・」(P65)として兵装転換の責任は源田参謀と南雲長官にある、と言うのだ。

 これは眉唾ものである。これによれば、赤城と加賀が対艦戦闘専用で、飛龍と蒼龍は地上攻撃専用と言うことになる。赤城と加賀は、陸上攻撃禁止だというのだ。左近允氏のミッドウェー海戦では、運命の五分間の嘘を明白にしているが、南雲長官は連合艦隊司令部から半数の艦上機は敵艦隊に対する攻撃に備えよと指示されていたと、この説と似たような見解である。一般的にもこの説が流布されているが、この説を裏付ける証拠はない。

元々山本長官がミッドウェー攻撃に執着したのは、ホーネットによる本土空襲に狼狽して、こんなことがないようにハワイ占領の前哨戦としたかったからである。つまり敵空母撃滅はおまけであって、本命はミッドウェーの占領であった。あたかも米空母を釣りだすために、ミッドウェー攻略を企画したごとくに言うものがいるが、空母を釣りだす陽動作戦に、これだけの攻略部隊まで編成すると言うのは、本末転倒である。

そもそも、米空母が出てくるから、半数を対艦攻撃装備にしておく、という発想がおかしい。米空母の攻撃に備えるばかりでなく、あり得る米海軍の上陸作戦阻止攻撃に備える、ということのはずである。つまり上陸作戦を成功させるために、あらゆる敵艦隊や陸上部隊の反撃に備えると言うことである。連合艦隊司令部の米空母に備えよ、という指示は、従来の艦隊決戦の発想に囚われていて、上陸作戦と言う目的を忘れている。少なくとも日露戦争までの日本海軍は、そのような間違いはなかった。

前田氏は、海兵出身の偵察機が、利根機より先に米艦爆と空中戦をしているのに、報告していないと言う怠慢をしたのに、利根の索敵機のミスにされているのは、海兵に責任を負わさずに、利根の甲飛出身のせいにしたのだ(P66)としているのは、あり得る。どうも海軍のエリートの保身には、あきれる他ない。その上、この海兵出身者は戦後海自で出世しているというのだから。旧海軍のエリート幹部には、国なくして海軍があるのである。

特攻隊の嫌なエピソード。葉桜隊は、全機が体当たりに成功すると言う戦果を挙げたが、命令した中島飛校長以下の士官たちが、その夜、西洋館でビールを開けて大宴会をしていた(P121)というのだ。特攻は必要であったとしても、大西長官のように特攻は「統帥の外道」という苦悩すらない。

その反対に、鹿屋にいた岡村司令は、たとえ1機でも、出撃の別杯式の時は必ずやって来るが、他の士官や指揮官は誰も来なかったという(P196)。戦後岡村は、鹿屋から沖縄の基地をずっと回り、海に花束を投げて慰霊していたが、終わると千葉の自宅近くで鉄道自殺をとげたという。せめてこういう話は救われる気がする。

この証言をした長浜氏は、桜花を積んだ1式陸攻で出撃した。(P190)直援機がいないからグラマンにすぐ襲われ、次々と機銃弾が命中するが墜落しない。図体が大きい1式陸攻だから耐えられるが、小さな零戦ならバラバラにっなっていたろうという。出直すために桜花を投下するが、グラマンに攻撃され、ようやく基地に帰投した。このエピソードから分かるのは、1式陸攻のタフさである。発火さえしなければ、簡単に堕ちないのである。

パイロットの角田は、零戦に乗り換えたときの感想で「・・・支那事変当時の九六式艦上戦闘機の場合は、お互いの飛行機同士や、それから母艦、戦艦、巡洋艦あたりとも交信できました。でも、零戦になってから一回も通信できなかったですね。これはうちばかりではなくて、どこの部隊でも、そうだったようです。(P134)」というのは実に不思議な話である。何せ新型機の無線機の性能が旧型機より相当悪化したと言うのだから。



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