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書評・世界が語る大東亜戦争と東京裁判・吉本貞昭・ハート出版

2021-11-20 20:14:10 | 大東亜戦争

 大東亜戦争と東京裁判について、まず筆者の考えを述べて、その後各種の文献等から日本に対して肯定的な世界各国の著名人等の意見を簡単に紹介する体裁である。

 元中共軍将校の葛西純一氏が盧溝橋事件の中共謀略説の根拠とした人民解放軍の「戦士政治課本」について紹介している(P57)が小生は公刊されている葛西氏の著書は全て読んだつもりだが、まだこの本の記述を見つけていないのが残念である。ところで秦郁彦氏はこの本の存在を否定して、中共謀略説も否定するのだが、本書によると人民出版社の刊行する「毛沢東年譜」によって存在が確認されたと言うのだが、秦氏は保守の論客だと思っていた時期もある小生が愚かであった。

 「戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるのは、民族の魂まで失う、真の亡国である」という例の永野軍令部総長の言葉を紹介しているが本書によればこの発言は昭和十六年九月六日の対米英蘭開戦の決断の時期を決めた御前会議での発言(P77)とのことである。この言葉を他のコラムでも繰り返し引用するのは、全ての日本政府関係者は対米戦に楽観的どころか悲観的であり、軍人たちは必死の覚悟で開戦を決意していたこと、侵略戦争を行うのにこのような決意で臨む国はないことが明瞭に示されているからである。

 通説では近衛内閣が総辞職したのは日米交渉が失敗したからとされているが、本書では、ゾルゲ事件を摘発した吉河検事が、戦後の米下院の公聴会で、ゾルゲ事件との関係が発覚したために責任を問われて総辞職せざるを得なかった(P78)とあるのは納得できる。

 戦後の米戦略爆撃調査団の報告書は特攻の命中率を全期間で18.6%とし、昭和十九年十月から翌三月までに限れば、39%に上り、至近弾として艦艇に損傷を与えたものを入れれば56%となるとしている。さらに昭和二十年四月の統計はそれぞれ、61%と71%となると報告されている。ハルゼーは特攻の戦果は1%であると嘘をついているのだが(P120)それだけ脅威であったのである。別の数字の統計も見たことはあるがいずれにしても命中率は10%は超えているから、通常の雷爆撃より高い数字である。このように被害を数値で算定する冷徹さが米国の特徴であろう。沖縄戦でニミッツが本土の統帥部に特攻機の被害が大きいので上陸を中止し、他方面に向かいたいと打電して拒否された(P121)というのも初めて聞く。

 日本の敗戦で急遽行われたインドネシア独立の式典で、独立宣言文の最後に〇五年八月十七日と書かれていたのは(P123)比較的知られたエピソードであるが、反日の日本人は皇紀二千六百五年を意味する元号を敢えて使用したインドネシアの人たちの想いに心をいたすべきであろう。欧米諸国は現在でも東ティモールをインドネシアから分離したり、アウンサン・スー・チー女史を利用して英国の植民地支配の過酷さを主張した、ミャンマー政府に軍事政権の悪名を冠して経済制裁するなどの悪辣な陰謀を行っているのである。欧米の間接的世界支配はまだ終わっていない。それに比べると中国の恫喝外交は稚拙の極みである。

蛇足だが、ビルマという英語表記の名称は植民地時代に使われていたからだとして、ミャンマーに改めたのは、西欧から軍事政権のレッテルを張られて批難されていた政府である。つまり、英国に逆らったから「軍事政権」というレッテルを貼られたのである。民主化運動と称して反政府運動を起こさせて、それを鎮圧させて「軍事政権」と言ったのである。早い話が英国のマッチポンプである。マッチポンプに使われたのが、アウンサン・スー・チー女史というわけである。女子の主張を注意して聞くがよい。民主化、以外の政策はない。彼女には政治家としての政策も能力もないのである。彼女が大統領になってミャンマーが混乱しようと英国には関係ない。英国に逆らう旧植民地政権はどうなるか、ミャンマー人は知ったのである。彼女の役割は終わった

 次は大東亜戦争に関する世界の人々のコメントである。インド国民軍の少佐が、もし日本が戦争に勝っていたら、アジアの全ての国々が栄えていたと私は思います(P171)と述べている。日本がアジアの植民地を独立させたのは事実であったと認める人ですら、戦争に勝っていたらアジアを独立させたかどうか疑わしいと述べているのだ。戦争に負けた卑しい根性というべきである。どうしてそこまで自身を信じられない悲しい民族になってしまったのだろう。

 台湾の許東方工商専科大学学長は東條を天皇陛下に最も忠実で、私心なく清廉潔白であり、立派な人物だから日本は東條神社を創建すべきだ、と言っているが、なるほどである。今の日本人には考えられない発想である。東條を現代史の最高の偉人と認める小生は感激する発想である。東條神社が創建される日こそ日本が本来の姿に立ち戻る日であるが、それはいつになるだろう。

 米国のジョージ・フリードマンは1920年代後半にアメリカが保護貿易主義になったのが戦争の原因であるとし、日本の選択肢は①大陸から撤退して中国パイのおこぼれを貰うことに甘んじ、絶望的経済破局を迎える②日本が必要とする市場を確保するために軍事的選択をすることである(P187)。その通りどころか、おこぼれにあずかれるかさえ保証がなかった。米英の軍門に下ったアジア諸国の運命をみれば明白である。おこぼれで満足するような民族には容赦なかったのが欧米のやり方である。日本は徹底的に闘ったから相手として認められたのである。

米国政府は日露戦争で意外にも日本が勝った時から対日戦争で日本を滅ぼすことを考えていた。これはルーズベルト個人の問題ではない。ただルーズベルトは最悪だった。何せ、女性スキャンダルは大統領にとって致命傷であると言われた(過去の話である)アメリカで、ルーズベルトは永年連れ添った愛人の元で臨終を迎えたからアメリカ人にとっては最低の大統領であった。対独戦に参戦するために、対日戦を欲したなどというのは、対日戦の動機の一部に過ぎない、と言うのが現在の小生の結論である。

 ハミルトン・フィッシュ共和党上院議員は、第二次大戦が始まるとすぐに、ルースベルトは参戦することを決めた、と断じ、その原因を、失敗したニューディール政策の失業者をなくすこと、戦争を指導した大統領になりたいと言う欲望があること、国際連合を作ってスターリンと共に世界の支配者になりたかったことをあげている(P190)。実際ルーズベルトに限らず、米国の指導者は世界制覇の野望を抱いていた。国際連合は日本人の夢見るような理想への一歩ではなく、世界制覇の道具だったのが事実である。パットン将軍を描いた映画だったと思うが、将軍が、アメリカが世界制覇をする、と言う意味のことを述べていた場面を記憶している。ウィキペディアで調べたらパットンは普段から乱暴なことを平気で言うので、映画化する際にはそれを削除した、と書かれている。当時の米国人には米国の世界制覇とは乱暴な言葉ではなかったのである。世界制覇とは当時の米国人にとっては常識的な現実だったのである。

 英国人では、ホプスパウロンドン大学教授は、インド独立はガンジーやネルーの国民会議によるものではなく、日本軍とインド国民軍が起こしたインパール作戦よるものである(P193)と言った。そう言えば、英国が作った「ガンジー」という映画では、インド独立をガンジーの非暴力抵抗運動というお決まりの説で描いていて、インパール作戦はおろかインド国民軍も登場しない。これは明らかな作為である。ルイス・アレンビルマ戦線情報将校は日本陸海軍には理想主義者がおり、日本にもアジアにも植民地解放をしたのは日本だと信じている人々がいて、日本帝国が滅びてもその業績は消えない、と述べている(P193)。かつての敵国ながら米英には信念に忠実な人物がいる懐の広さには感心する。このことは米英が日本を敵視したこととは矛盾しない。

 次は東京裁判である。マッカーサーは回想記で事後法で戦争裁判を行うことに反対し、国際法で言う戦争犯罪人の裁判だけにすべきだと言う信念を吐露している。それは、アメリカでも南北戦争終了後数十年経っても南部が北部に深い怨恨を抱いているためであった。その原因をマッカーサーは記していないが著者は、南軍の捕虜収容所長が偽証を承知の上の裁判長により捕虜虐待の冤罪で絞首刑になった事実などを知っていたためであろうと推測している(P204)。東京裁判もそのようなものになると考えたと言うのである。日本が戦争を始めたのは安全保障のためだと戦後証言をしたということといい、マッカーサーも案外まともなことをいうものだと思った次第である。だがマッカーサーの言葉は全て後の祭りである。

 次は証言である。チャーチル自身が東京裁判を批判して、日本の指導者を死刑にするならば、もし連合国が敗れれば、同じ理屈でルーズベルトも自分も処刑されていただろう(P253)、と言ったのは、自身の考えを日本に投影していたのに過ぎず、敵国の指導者を処刑するほどの野蛮人ではない。東京裁判の裁判長だったオーストラリアの当のウェッブ自身が、日本の証人たちの皇室に対する気遣いと尊敬の念と自己の立場を主張する際の真面目さと誠実感に心を打たれ、日本が戦争を始めたことに対して日本を断罪するどんな権利があるのか、と自問したという(P260)。開いた口がふさがらないとはこのことである。

だが、ウェッブが考えを変えたのは、被告や証人の態度の立派さに尊敬の念を抱いて、日本の指導者に対する見方が変わったのが原因であるように思われる。このことは、有色人種の差別の激しいオーストラリアにおいて、シドニー軍港を攻撃して戦死した日本海軍の兵士を丁重に海軍葬にしたことと共通している。彼らは人種に拘わらず勇気や誠実さを見せた人間に対して自分たちと対等に扱うと言う精神をなくしてはいないのだ。この点は汪兆銘を漢奸として、わざわざ辱めるための像を作り唾を吐きかける支那人とは異なる。逆に言えば外国に媚を売る者は支那人に心の底では軽蔑されるのだ。反日日本人は中共にゴマをするから、彼らにしてみれば国を売る漢奸なのである。漢奸は彼らの最も忌み嫌うものである。支那人は日本の「漢奸」を利用するために褒めるが腹の底では軽蔑しきっているのである。


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2 コメント

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同感です (小平次)
2021-11-22 15:41:44
猫の誠さん、こんにちは

とても読み応えのある書評でした

>>東條を天皇陛下に最も忠実で、私心なく清廉潔白であり、立派な人物だから日本は東條神社を創建すべきだ、…

>>東條神社が創建される日こそ日本が本来の姿に立ち戻る日であるが…

同感の極みです

ありがとうございました
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コメントありがとうございます。 (猫の誠)
2021-11-23 15:04:07
東條神社という提案が日本人以外によってなされた、という点が日本の病巣てす。全般的に現代日本人の思想のゆがみをえぐり出した良書と思います。
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