
こんにちは!
小野派一刀流免許皆伝小平次です
今日は久々どーでもよさげな話シリーズです
先日、ふと昔読んだ本の事を思い出しました
タイトルは
『日本語は天才である』
随分前のことで、内容はあんまり覚えていないんですが、早い話日本語は表現力が他の言語よりも多彩で、例えば他の言語では翻訳の難しい難解な文章なども日本語であれば翻訳できる、その優れものぶりを紹介していた本だったと思います
日本語は柔軟で受容性が高く、また古くから進化を続けてきた世界的にも優れた言語。。
確かに、日本語って例えば自分自身を表す言葉一つとっても、「わたし」、「わたくし」、「僕」、「俺」、「おいら」、などなど、その場面場面で多様に使い分けができます
文章にすれば、ひらがな、漢字、カタカナで使い分けることで、さらに表現に広がりを持たせることができます
なるほど、では世界の公用語とも言える英語ではどうなるのか
どーでもよさげなことをグーグル翻訳で調べてみた
まずは自分を表す一人称、「わたし」 から
「わたし」➡グーグル翻訳「I」
まあ、そうでしょうね
「わたくし」➡グーグル翻訳「I」
なるほど
「僕」➡グーグル翻訳「I」
うーん、やっぱりか
「俺」➡グーグル翻訳「I」
そうなるなぁ
ちょっと趣向を変えて、昔の皇族の方々や征夷大将軍の一人称
「朕」➡グーグル翻訳「I」
いやいや、だめだこりゃww
文章にしてみよう
「朕は国家なり」➡グーグル翻訳「I am the nation」
そうかぁ
では今度は二人称
「あなた」➡グーグル翻訳「you」
「君」➡グーグル翻訳「you」
「お前」➡グーグル翻訳「you」
「貴様」➡グーグル翻訳「you」
うーん、一人称以上に、意味合いがだいぶ違うんですけど全部「you」ですね
それじゃ、ちょっと怒りの感情が入った
「てめえ!」
➡ グーグル翻訳「You!」
お、頭が大文字で変換された! 少し感情が伝わったのかもしれない
それでは、やはり昔の偉い人が使った言葉
「そなた」
➡ グーグル翻訳「You」
お、これも頭が大文字で変換されましたが、やっぱり「You!」
なるほど、たったこれだけのことでも日本語の表現力の多彩さが窺えるようです
では、もっと難しく、美しくもある日本語、俳句の季語などに使われる言葉で遊んでみます
今の季節、そうですね
『蝉時雨』
なんてどうでしょう
グーグル翻訳、GO!
「cicada rain」
うーん、ちょっと風情もなにもないですね
グーグル翻訳君にもう少し意を酌んでもらいたいので文章にしてみます
「冬の訪れを知らせる晩秋の雨のように、夏空から降り注ぐ蝉たちの声」
グーグル翻訳、GO!
「Like the late autumn rain that signals the arrival of winter, the sounds of cicadas pouring down from the summer sky」
なるほど、まんまですかね
でも、この翻訳を逆に日本語に翻訳すると
「冬の到来を告げる晩秋の雨のように、夏の空から降り注ぐ蝉の音」
少し意を酌んでくれているようにも思えます
時雨ついでに、雨にまつわる他の言葉もグーグル翻訳君に聞いてみましょう
「翠雨」
新緑の季節に降る何ともみずみずしいさわやかな感じですが
グーグル翻訳、GO!
➡ 「green rain」
まあ、少しさわやかな感じがないわけでもありません
「黒雨」
夏の季語で、空が夜のように暗くなってしまう大雨
グーグル翻訳、GO!
➡ 「Black Rain」
どういうわけか大文字が混じりましたけど、思った通り、映画になっちゃいました
ついでに
「時雨心地」
今にも泣き出しそうなときの感情表現ですが
グーグル翻訳、GO!
➡ 「Rainy Day」
そうなっちゃいますかね
もちろんenglicoさんのような英語の達人でしたら、日本語の意を酌んで美しいな英訳ができるかもしれませんが、まあ所詮機械なのでこんなもんでしょう
他の言語でも、文章にすれば美しい表現ができるかもしれませんけど、日本語ってひらがな、漢字、カタカナ、それぞれの持ち味で、単語や熟語で様々な感情表現ができるって思います
なので、特に古代文学などを英訳するって、かなり難しいと思いますし、感情を伝えきれないだろうな、って思います
小平次の妄想的歴史探訪ですが、もともと現生人類が誕生した、その最初の人類は他の動物と同様に、食料を求め奪い合い、縄張りを広げ、広がったがゆえに別の集団と衝突をする、を繰り返し各地に広がって行った、その中で、臆病で争いが嫌いな集団が、争いを避けながら流れ流れて東の果て、火山ばかりで住むには適さない、だから奪う者たちもやって来ない、森ばかりの地へやって来た、それが日本人の祖先だと思っています
その最初のご先祖様たちは、できる限り争いを避けるために、言葉を様々に使い分けた、言霊として言葉を大切にし、相手を傷つけない言いまわし、争いを避け、かつ自分の意思も伝える、それが年月をかけ、ひらがな、漢字、カタカタなどの文字も駆使し、日本語を感情表現の優れた言語にしてきたのかな、と勝手に妄想しています
妄想ついでに言うと、過去記事でも書いたんですが、古代日本人は、漢字の存在を知り、外交などでは使用していながら、国内での一般使用は厳禁、取り締まっていたくらいに思っています
それは文字、特に外国文字である漢字の流入の破壊力が凄すぎる、と古代人は考えていたからだ、と思っています
ご先祖様を見習い、せっかくの日本語を上手く使い、他の人の考え、意志などを尊重し合いながら互いに成長していけるような、そんな日本人でいられればな、と思いますが、これが中々…
御免!