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書評・プーチンとロシア革命・百年の蹉跌・遠藤良介

2019-07-09 22:30:38 | 歴史

 この本で感じるのは、民族の性格と言うものは、100年や200年では変わりようがないから、国家の性格は外見が変わろうと実質は変わらない、という当たり前の事を思い知らされた、ということである。このことは共産党独裁の中共にしても大同小異だということである。支那に勃興する王朝は、常にそれまでを清算して一から始めるから、進歩はない。中共は、清朝の領土を引き継いだ上に、それまでになかった、言語や宗教の抹殺を始めたから、それまでの王朝より悪くなった。漢族には近代はなく、古代しかない。

 閑話休題。本書は1905年の第一次ロシア革命からプーチン政権までの変遷の経緯を、今日の目から見て、詳細に論じている、といってよかろう。ところどころにプーチンとの比較もちらつかせている。小生が得た最大の教訓は同時代に生きていたからといって、かえって見えないものがある、ということである。

 小生は、ソ連についてブレジネフ末期から、ゴルバチョフ改革とその失敗までを、同時代に関心を持って過ごした。ところが、ゴルバチョフ改革が本当は何であったか、ということは結局分からなかったし、ゴルバチョフの失脚とエリツィン登場と、プーチンへの政権移行、という過程は、同時代人としては複雑怪奇で分からなかった、と告白する。

 当時はソ連が「大好き」だった朝日ばかりではなく、反対の産経新聞も克明に読んでいたつもりだったからなおさら情けない。ブレジネフの停滞と言う評価は今も変わらない。しかし、ゴルバチョフ改革は嘘で、ソ連を維持しつつ西側から経済協力を得る、という騙しのテクニックだと完全に疑っていたのである。

それは半分正しく、半分間違っていた。本書が指摘するのは、ゴルバチョフの目指すのは部分的な政治経済改革で、ソ連を少しばかりゆるやかな連合にして、イスラム系などの少数民族の不満を和らげて、ソ連自体は維持しようとしたということである。この改革は結局は、完全にソ連体制を維持しようとする勢力のクーデターにより阻止され、ゴルバチョフは軟禁されたが、エリツィンによって解放された。

エリツィンの目指すのは、形式的には欧米流議会制と、直接選挙による大統領制であった。これは改革と呼ぶに相応しい。しかし、エリツィンの意図はどうであろうと、後継をプーチンを首相として指名することによって、ロシアの政治はロシア帝国やソ連の強権独裁政治に先祖返りしつつある、というのだ。

次に第一次ロシア革命から、プーチンの登場までの間に起きた変革ないし、革命は民衆の支持はあったものの、民衆自身が起こしたものではない、ということである。第一次ロシア革命は民衆の請願行進への弾圧によって起こった「血の日曜日事件」がきっかけであったが、あえなく失敗した。

1907年の2月革命は革命のプロによって行われ一応は成功した。しかし穏健なメンシェビキは、過激なボリシェビキによって倒され10月革命が起り、ニコライ二世一家を惨殺して、ソ連に至る革命は成就された。帝政に不満を持つ民衆の暴動は2月革命を支持したし、メンシェビキを倒すボリシェビキの方を支持したのも民衆であった。

ブレジネフの停滞に不満を持つ民衆はゴルバチョフを支持したし、イスラム系民族の暴動も改革の後押しをした。エリツィンによるソ連崩壊のきっかけを作ったのも民衆の支持だった。だからゴルバチョフはエリツィンによって助けられたのである。

しかし、後継に選ばれたプーチンの強権政治を支持したのは、ソ連時代を懐かしむ民衆であった。プーチンの強権政治を批判するジャーナリストたちは一部であって、結局はプーチンによって次々と抹殺されていった。これらの過程で共通するのは、民衆は傍観者であって当事者ではない、ということである。ロシアの民族的性格は、そう長くもないプーチンなきあとの、後継体制がどのようなものになるかによって明瞭になる。

 



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