毎日のできごとの反省

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浮世絵の天才

2020-01-22 21:46:02 | 女性イラスト

 浮世絵という発明の天才的なところは、絵画を大量印刷することにより、廉価で大衆に販売することにより、生活の糧を得ることを可能にしたことである。糧を得たのは絵師ばかりではない。刷り師、彫り師、版元などである。製造から販売までのシステムが確立していたのである。組織の広がりの大きさとシステマチックな点は同時期のヨーロッパ絵画の比ではない。ヨーロッパの絵画の多くは一枚しかないから大衆に大量販売する、ということはできない。それまでの日本の絵画も同様である。

 18世紀末に発明され、19世紀にヨーロッパに広まったリトグラフも大量印刷の可能性はあったが、絵画としては結局はそのような道を歩むことがなく、限定生産に止まった。いや、大量印刷販売の可能性はあったのだが、希少価値がなくなるとして敢えて限定印刷として、版を破棄した。つまりリトグラフは手描き絵画の延長である。

 当時の洋画は既に没落していた。元々ヨーロッパの絵画は王侯貴族などのパトロンで存在していた。王侯貴族が没落すると既に存在する理由はない。だから多くの絵画の才能ある者は自己に没頭した。芸術至上主義と言う観念にである。江戸時代の日本でも狩野派のように、幕府や藩などをパトロンとしたグループがあった。浮世絵とはそれとは別個の存在である。洋画のさらなる敗北は写真の登場である。だが既に西洋絵画は写真が芸術と呼べる段階以前に没落していた

写真の芸術としての台頭が絵画を駆逐したのではない。作家が制作にかける労力に相当する収入を得る道は既になかったのである。ゴッホを見よ。たった一枚しか売れない素人である。だからゴッホは元々別に本職を持っていたのであって、制作に没頭するようになってからは、弟に寄生していた。

考えても見よ。AKB48より上手く歌える素人はいくらでもいる。しかし、それでもAKBは歌で生業をたてることができるプロの歌手である。AKBよりはるかに上手い素人は、歌で生業をたてることができない故に、誰も歌手とは言わない。それをゴッホに適用してみれば、小生の言わんとしていることは全く突飛な事ではない。

ゴッホの作品の評価は死の前から高まっていたと言う。だがそんなことは何の意味もなさない。それでもゴッホの作品を大枚をはたいて買うものは現れなかったのである。それでは現在ゴッホの作品が何億もするのは何故であろうか。投機的価値である。ゴッホの作品が欲しくて何億も金を出す、というのは単に投機的動機を、芸術という観念で糊塗しているのである。そもそも書いた本人が受け取ることができない大金は、制作のインセンティブにはならない。芸術の洗練は制作のインセンティブがもたらすものである。それがないから、芸術や個人の内面的信条と言った、鑑賞者に理解不能なものに逃げ込むのである。

芸術の価値というものは、作品が作られたとき取引された価格である。だから浮世絵の価値も現在のような高価なものではなく、大衆が入手することができる程度の価値である。それを可能にしたのは木版による大量印刷である。その形式を基に、いかにしたら大衆に売れるかということがインセンティブとなって作品を洗練させていった。北斎も晩年は画狂老人と称して、売れない不可解な肉筆絵画を描き始めた。洋の東西を問わず、社会的地位が低い絵描きにとって芸術と言う観念は、陥りやすい陥穽である。

さて女性イラストですが、あっさり仕上げました。



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