毎日のできごとの反省

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戦闘機「隼」の3本桁神話

2012-08-19 16:14:27 | 軍事技術

 旧陸海軍の日本機には神話と言うべき不可解なものが航空関係誌などに流布されている。そのひとつが1式戦闘機隼の3本桁である。隼は当初より胴体機銃しか装備していなかった。後年武装強化しようとしたが、主翼が3本桁構造であるため、主翼内機銃の装備をあきらめたというのだ。私にはこの説明はどうしても理解不能なのだ。桁に機銃の機関部や銃身を貫通させる穴を開けなければならない、と言うのならどの翼内機銃装備の場合でも行っていることである。それが3本桁だとどうして不可能になるのか分からないのである。雷電などは単桁構造なので21型以降では、片方の主桁に2つの機関砲が装備されていて機関部が主桁を貫通している。しかも雷電の20mm機関砲に対して、12.7mm機銃ないし20mm機関砲で同じか小型であり、雷電は高速を狙った薄翼である。主桁の断面性能に対する影響は大きい。

単桁で1本しかない桁に大きな穴を開けるのに比べれば3本に分散されるだけ各々の桁への負担は少ない。もちろん当初なかったものを装備するのだから、補強や骨組構造の一部の変更はあり、重量は増加するであろう。私には設計変更の手間と、生産に一時支障きたすのを嫌ったのだとしかか考えられない。設計変更の手間ばかりでなく、製作治具の変更は案外嫌われるのである。

 そもそも機銃が貫通するために桁の断面を切断するから改造できないというのなら、艦上機の折りたたみ式の主翼は完全に主翼全部が切断されている。それでも翼を展張した時には翼をピンやボルトで結合すれば済んでいるのである。もちろん切断部を補強するから重量はかなり増加する。しかしそれでもグラマンの戦闘機などは折りたたんだ状態をコンパクトにするために翼付け根近くで折りたたんでいる。日本海軍機は重量の増加を嫌ってできるだけ翼端の近くで折りたたむ。それだけの事なのである。

陸軍では三式、四式、五式戦と比較的順調に後継機を開発できたため、いまさら隼に手間をかけ、生産に支障が出るのは困る、というのは妥当な判断であると思う。零戦が後継機がなかなか得られずに武装強化を繰り返し、金星エンジンへの換装も行ったのに対して、隼が金星系エンジンへの換装計画を放棄したのも同じ事情であろう。

 それでなくても戦前戦中に限らず日本の兵器は大きな改造をして性能向上するよりも、新規設計することを好む傾向が強い。彗星や五式戦が空冷エンジンに換装したのは大改造ではあるが、性能向上のためではなく、エンジンの信頼性や量産のとどこおりのためである。余談であるが、五式戦への改造は新規製造でなく既に完成しているエンジンなしの機体に空冷エンジンを搭載する、という芸当が他にあまり例をみない困難なものであった。土井武夫技師が堀越技師について、昭和十七年の時点で金星への改造打診を断ったことを批判しているのは、自分がそれより余程困難な事をやってのけた自負もあったのだと思う。

 日本製の兵器はぎりぎりに設計されているので設計変更の余地が無い、と言う風説はとんでもない間違いである。改造して性能向上する合理性に対する決断が無いのである。意志が無いのである。ドイツのMe109はわずか600馬力のエンジンで小型軽量でぎりぎりに設計された機体であるが、終戦まで二千馬力クラスのエンジンまで搭載して性能向上を続けた。スピットフアイヤも同様である。両機の登場は九六式艦戦や九七戦と大して変わらないのである。自衛隊の九〇式戦車はレオバルトⅡ戦車よりずっと遅く作られたのに、レオバルトⅡが未だに性能向上を続けているのに対して、もはや一〇式戦車に変わろうとしている。「日本の兵器ゆとりのない」論者の意見と異なり、九〇式戦車は大柄で改造のゆとりがあるはずなのに何故か改造を放棄して一〇式戦車を開発した。一〇式戦車は九〇式より小型軽量なのである。

 九〇式戦車は大型で北海道でしか使えない、などと言う説があるようで、これに某雑誌が反論したが正しいのであろう。そもそもこのような説は素人の私にさえ理解不可解である。本州では九〇式より小型の戦車しか使えないのなら、日本に上陸して戦おうとする軍隊は、九〇式より小型の戦車しか持ってこられないという奇妙な事になるのではないか。このように日本の兵器には、合理性のない神話がまことしやかにまかり通っている。



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