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毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

現場からの中国論・大西広著

2019-07-05 21:38:25 | 支那大陸論

 

 

 結論から言うと、見方を間違えれば、ここまで誤った認識が生じる、と言うことの典型である。そして野蛮な中共政府が日本人にとって、素晴らしい政権という真逆に見えるという錯誤が起きるかという見本である。筆者は何度も中共にいき、民衆にもインタビューしているらしい(タイトルの「現場からの」はその意味だろう)のに、何と堂々たる騙され方をするのである。

 

 例えばチベットに関する見方である。著者はチベットへの中共軍の侵略を中共政府が言う通り、農奴制からの解放という理由を素直に信じているから恐ろしい。

 

 解放前のチベットがいかに野蛮な社会経済システムをもっていたかは、この農奴制からの解放をチベット人民が当時確かに歓迎したことによって確認できる。(P68)

 

のだそうである。セブンイヤーズインチベット、という映画はチベットに突然入りこんできた人民解放軍が、狡猾な手段と暴力でチベットを占領したことを当時チベットに住んでいた西洋人の目で語った映画である。それにもかかわらず、この映画を見たある女優は、、中国の田舎を描いた素晴らしい映画だと評している。思い込みによってここまで目が曇ることがあるのだ。著者がチベット人民が人民解放軍を歓迎したというのは、チベットの民衆から聞き取ったものであろう。著者はこっそり聞きとったのではなく、中共政府が派遣した通訳を通して聞いたのであろう。著者は中共が徹底した言論統制の厳しい国であり、もし民衆が人民解放軍は恐ろしかった、などと言えば拘束されて拷問されるか殺される、などと言う事には思い至らないのである。何せ

 

 日本ではあまり気楽に「中国の言論統制はけしからん」と言うが、その言論統制によってわれわれ日本人への反感が抑えられているという現実も知らなければならない。(P126)

 

 と言うのだから。西欧の植民地支配は今表だって語られるより遥かに過酷なものであった。それが反西欧感情として表れないのと比べると、中国だけ何故現在でも反日感情が強いのであろうか。それは中国の若者の反日感情なるものが中共政府の教育と言論統制によって作られたものだからである。過去の暴虐の記憶による他民族への怨恨感情は時間がたつと潜伏し鎮静化する事はあっても突如過激になることは少ない。例外はミャンマーである。かつてミャンマー政府は英国の統治が過酷であったことを国際社会に訴えた。すると英国はミャンマーを軍事政権として制裁を始めた。そしてアウンサンスー・チー氏を送り込んで「軍事政権」を倒した。こうして英国の植民地支配の声は抑えられたのである。用無しになったアウンサンスーチー氏は、今ロヒンギャ問題で悩まされている。これとて英国の支配がもたらしたものである。

 

著者には、このような事情を理解しようとさえしない。中国における反日感情なるものは、支配者の都合で作られたものである。それが過大になるとかえって反政府感情のはけ口になるために、言論統制で適度に抑えるのである。つまりマッチポンプである。著者の認識は、言論の自由は都合によって弾圧してもかまわない、と言っているのに等しい恐ろしいものである。言論統制によってわれわれ日本人への反感が抑えられているという現実、とは何たる言い草か。言論統制により反日が抑えられてもありがたくはない。中共政府は、反日が過激になると反中共政府運動になるから押さえているのをご存じないのか

 

また、この農奴制で存在した野蛮な拷問や刑罰も批判の対象となっている。これは「農奴の怒り」と入れてネットを検索すれば誰でも見られることであるが、生きた人間の皮を剥いだり、目を刳り抜いたりといった身の毛もよだつ野蛮なものであった。・・・また「人権」を主張する者が人民解放軍による「解放」を非難できないことも確認しておきたい。(P68)というのだ。

確かにホームページには「塑像群《農奴の怒り》」[北京 外文出版社(1977年)と言うのが載っていてまえがきがあり、中に虐殺の犠牲者の人骨や手を切られた人の骨とか、生きたままはぎ取られた人の皮の展示写真がある。これが本物だという証拠はどこにあるのだろうか。本当にチベット人が行ったものであろうか。参考になるのが「図説 中国酷刑史」である。昔の中国での残虐な刑罰が数々示されていて見るに堪えないほどである。それには眼えぐり、と言うのがある。凌遅と言う簡単に殺さずに苦痛を長引かせる恐ろしい刑罰がある。手を切断したり、体中の表面の肉を切り削いだりしているものがあり、西洋人が撮った写真による絵葉書さえ載せられている。

これらを行ったのは漢民族であってチベット人ではない。人は自らの行為でしか想像できない。例えばロボコップ、と言う映画で主人公の警官を足を撃って動けなくして苦痛を与えた挙句とどめをさす、と言う場面がある。これは単なる空想の話ではない。アメリカ人は昔フィリピンの独立の闘士を同じようにして惨殺しているのだ。しかも何日も生かして苦しめてである。つまり中共政府は自分たちがした酷刑をチベット人に投射したのである。著者はチベットで中共政府が弾圧拷問を繰り返し、大量殺人を行っている事には言及しない。それは過去のことではない。現在進行中のことである。残虐なダライラマ支配を倒すために人民解放軍が侵攻したのなら、中共政府の主張するのと同じ残虐行為を今行っているのは何故だろうか。中共政府に比べればダライ・ラマ亡命政府などはごくごく弱い存在に過ぎない。その弱い存在の主張に耳を傾けず、強い中共政府の主張ばかりなぜよく聞くのだろうか。

ダライ・ラマについても

彼についての批判は別に私が始めたわけではない。ダライ・ラマはオウム真理教指導者と何度も会ったり、一億円もの支援金を受け取ったり、合同供養を行ったりして、最後にはオウム真理教の宗教法人としての登録に推薦状を書いているから、日本での「オウム事件」にも責任がある。・・・またCIAから一七〇億ドルもの資金提供を受けていたのも、本人が認めている。このように、とても褒められない残念な経歴をもっている。(P72)

確かに褒められない経歴である。宗教法人になるのを助けたために、オウム事件に責任がある、と言うのなら、そもそも宗教法人として登録させた日本政府に責任がある、と言う馬鹿な事になる。オウムとの関連は、いかにダライ・ラマがおおらかで騙されやすい性格であったことを証明しているのに過ぎない。CIAからの資金提供を受けたのは、亡命政府の困窮からしたことであって好ましいことではなくても止むを得ざることであったと思う。日露戦争の牽制のために、明石元二郎は革命運動家に莫大な資金提供を行っていてロシア革命成功の一助となった。だがその革命運動家たちを今日批判する者がいるであろうか。チャンドラボースは日本が負けると独立運動のためにソ連に亡命しようとした。悪魔に魂を売っても独立を達成しようとしたのである。誰が避難できようか。ダライラマが中共に対抗するためになりふりかまわずアメリカの謀略にのったのは同情してあまりある。ダライ・ラマの亡命政府を悪だと考えて、中共のチベット侵略を擁護する立場だからこのような批判になるのだ。

その後ラサ暴動についてダライラマが関与したとして批判していることなどは中共政府の主張を丸のみしていることの証明でしかない。何故か弱いチベット人が暴動を起こさなければならなかったのか。チベット僧がいかに多く抗議の焼身自殺をしたかしらぬのであろうか。その結果チベット人が過酷な弾圧を受けたのかには想像も至らないのである。そして「暴徒」が寺院に大量に武器を隠していた、と批判する。中共政府にとっては暴徒である。しかし武器があったとしても、政府軍の武器に比べればおもちゃに過ぎない。暴動は止むを得ざる暴発であって、独立運動ですらない。それならば日本支配下の朝鮮における反乱を暴徒のしわざと言うのだろうか。ソ連支配下の国々、あるいはソ連国内でも暴動が起きた。しかし当時のマスコミや知識人はそれに対して批判的であった。そしてソ連崩壊後の現在では収容所群島ソ連と東欧の民主化運動弾圧の真実が明るみに出つつある。当時ソ連を擁護した知識人は、自らの間違いを黙して語らない。そして著者は現在の中共政府の圧政と言論統制には批判の目を向けないのである。

著者は善意の人なのであろう。だが善意で行ったことが必ずしもいい結果を生むとは限らない。まして他国の圧政に利用されればなおさらである。私がソ連が素晴らしい国である、ということを信じなかったのは簡単なことであった。鉄のカーテンと言われるように国内を閉ざし、外国人が自由に出入りてきない国であったからである。ソ連は素晴らしいと言っているが、それならば素晴らしい国をどうして隠す必要があるのか、という単純なことだった。アメリカなら自由に旅行が出来る。その結果悪い所も見ることができる。だから見聞きしたこと自体にそれほど間違いはない。だがソ連は外国人をいいところだけ見せるようにコントロールしていたのである。その極端な例が北朝鮮である。外国人が旅行をできる範囲を限定して、そこを映画のセットのようにすばらしい街を作ってすばらしい人民を演じる役者を配置しているのだ。

だからそこにいる限り、訪問者は北朝鮮を素晴らしい、この世の天国だと誤認する。そのような認識で書かれた日本人学者の本を昔読んだことがある。それによれば飢餓も言論統制も強制収容所も公開処刑もない、それどころか犯罪も起きない国であった。中共のような独裁国家はそのような統制が容易にできる国である。しかもソ連や北朝鮮の嘘がばれているから、やり方は巧妙になっている。まして改革開放などといって外国資本がどんどん入ってくると本当に自由な国なのではないかと錯覚するのである。私は中国に一度も行ったことはない。著者は何度も何度も行って見聞が広いのであろう。だがそれが巧妙にコントロールされたものだから、自由に見聞した結果であると確信しているのであろう。

このように無条件に中共政府の言う事を信じる人たちに共通していることがある。彼らは、毛沢東が行った粛清の何千万ともいわれる大量虐殺やチベット、ウイグルなどの「少数民族」への弾圧拷問虐殺などの非難に対して反論するどころか、そもそも全く言及しないことである。著者は毛沢東について言及していないのではない。毛沢東と「社会主義」と言う章さえ設けているのである。そして次のように説明する。

しかし、こうして建国以前の毛沢東が素晴らしければ素晴らしいほど、それがどうして(一九五七年からの大躍進期と)文化大革命期にあのような「ひどい」指導者となったのか、と多くの人々は疑問に思うだろう。

著者は「ひどい」とはどういうことかその後全く書かないのである。いや書いていないのではない、著者は大躍進や文化大革命についてちゃんと言及している。いずれについても現在考えられる最大限肯定的な評価をしているのである。人民公社はその後の経済成長の基盤を形成したし、文化大革命は権力闘争ではなく「正真正銘の階級闘争であった」と言うのだ。彼にとっては毛沢東による粛清や飢餓による何千万と言う犠牲者はなかったかのようである。著者のいう「ひどい」指導者の毛沢東とはあくまでも「」付きであって本当にひどいとは思っていないのである。中国情報がこれだけ明らかになった現在でも、かつて北京は清潔でハエ一匹いない、と書いた大新聞の幻想と変わらない認識ができる、と言う事実は、人間の先入観はどんな情報を以てしても覆せないことがあることを示している。まして収容所に隔離された千人余の日本人捕虜を洗脳することなど容易な事であったろう。

その後のトランプ政権は、ウイグルに何と100万人の強制収容所があり、民族浄化が行われていると糾弾声明し、これまでの中国幻想と決別し、対決することを明確にした。おそらくこの本著者は、まだ目覚めないのであろう。

 

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漢字の簡体字は中国の近代化への一歩

2019-06-18 00:32:11 | 支那大陸論

簡体字は中国の近代化への一歩

 中国の標準語とされる北京語は、簡体字という漢字を大幅に簡略化されたものを使っている。それは漢字が字画数が多いため、一般国民が覚えにくいということが理由とされている。日本でも昭和四〇年代全般の学生運動で、大学を占領したとき看板スローガンを大書するのに使われたあの文字である。今でも数少なくなった過激派や労働組合のスローガンに使われることがある。

 彼らの多くは毛沢東にぞっこんであったから当然であろう。簡体字と毛沢東思想は関係ないのだが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎しの裏返しであろう。毛沢東思想にかぶれた彼らが、師の真似をして火炎瓶や吊るし上げなどの暴力行為、仲間の凄惨な粛清な粛清をしたのも偶然ではない。


 その一方で広東語や台湾では繁体字と呼ばれる漢字を用いている。これは日本の漢字より字画が多い古来の漢字だから、簡体字と繁体字との差は大きい。日本の多くの漢学者は簡体字はもはや漢字ではなく、繁体字が漢字の正統であると言う考えがほとんどであるように思われる。それはその通りであろう。簡体字は既に漢字の領域を通り越しているように思われる。

 だが簡体字化は文字のあり方の正統から逸脱しているのかとなると答えは異なる。漢字が古来の正統のままでいなければならないと言うのは、文字の歴史の発展を止めようとする無理な行為である。現代の中国語の漢字表記は既に漢文の正統を逸脱している。意外に思われる人がいるかも知れないが、漢字はひとつの字がひとつの単語であるのが原則である。だからアルファベットや仮名などの表音文字と異なり、漢字が何万あるというのは当然である。

 これは表意文字の宿命と言える。鳥、人などの身近なものを表しているうちはいいが、複雑な概念を表すために、漢字は恐ろしく多い字画のものまで作られた。嶋を表すのに山と鳥をくっつけてしまうという強引な手法をとらざるを得ないので、字画数が多い漢字にはけっこう奇妙なものが多いのはこのためである。日本人が嶋を島と略してしまったのはスマートなやり方である。だが元の山と鳥という表意性は消えてしまっている。

 現代中国でも使われている経済や哲学などの、西欧から近代から入ってきた概念を表す単語は多くが二字になっている。これは古代支那人ならざる日本人が、近代明治になって大量生産した単語だからである。既成の漢字一字だけを使えば新しい概念を表すことができない。しかし日本人は従来の漢字を合成して新しい漢字を作り出すだけの自信はなかったのであろう。だが一単語一文字という原則は崩してしまった。

 だから現代中国語の漢字表記はこの点も含め、漢文の原則から大きく逸脱している。現代中国人が漢文を読めないのは漢文が古代支那言語の文字表記だからではない。この点は源氏物語を現代日本人が読解困難なのとは全く意味が異なる。源氏物語の文章と現代日本文には連続性があるのである。現代中国の文章は現代中国語の漢字表記である。漢文は古代支那言語とは関係なく、発音がわからなくても文字の意味を知っているだけで、相互の意思疎通を図ろうとした原始的表記である。漢文は世界史上でも特異な文字表記であるということは憶えておいていただきたい。

 だから西欧の漢文研究者は現代中国語を勉強しても意味がない。何と「満洲語」を習うのだそうである。それも満洲文字でである。満洲文字と言えば、あのモンゴル文字に似たみみずがのたうったような、漢字とは何の縁もない表音文字である。清朝の時代と言えば満洲人が満洲語を公用語として大陸を支配した時代である。
清朝の皇帝は漢文の四書五経などの全ての古典を満洲語に翻訳して、満洲文字で記録させた。満洲語の文章は満洲語の満洲文字表記だから、英語などの言語表記と同じで系統的学習が可能なのである。

 その証拠に「康熙帝伝」にはフランスから派遣された多数の神父たちが漢文の学習に挑戦したが、わずか一人が成功したに過ぎないと記録されている。反対に満洲語は全員が容易に習得したとあるから、漢文が普通の言語体系ではない得意なものであることが分かる。逆に中国語を全く知らない日本人も漢文を読めるのはその特異性が原因である。

 また漢字は一字一単語であると同時に、一音節で発音される。簡単に言えば一音節とは一気に発音するという意味である。日本語は平仮名一字が一音節だから「漢字」というのはか・ん・じの三音節である。だが世界の言語の多くは元々は一単語一音節から始まった。英語のスプリングspringは一音節である。6個文字があるのにくっつけて一気に発音する。日本語ではスプリングと5音節になる。

 ある人が英語は早口言葉であると言ったが、これは必ずしも英語のヒヤリングができない者のひがみではなく、多音節の単語を聞きなれた日本人には、その通りなのである。だから英語で基本的な単語は一音節であり、二音節以上ある単語は何らかの合成語であることが多い。たとえばreviewは再びの意味のreと見るのviewから合成したもので、おさらいするというような意味を表している。だから日本人が二字漢字による新概念の表記は言語の進展の当然の傾向に従ったのであって、漢字が二千年間当初の用法に固執して変化しなかったのは、世界の言語史上稀なことであるが、これは人間社会の現実の発展に対する言語の文章表記による対応を困難にしたものと言わざるを得ない。

 だから簡体字の「発明」は中国大陸の文字史上に、画期的な進展をもたらす可能性を秘めている。現代では世界の文字は表音文字が主流であり、漢字は稀有な例外である。実はどんな文字であっても元は表意文字から始まっており、抽象化の過程で元の意味を失って音を表すことになった。もちろんアルファベットも例外ではない。ハングルと満洲文字は始めから表音文字であった例外である。ハングルは漢文の困難さから解放されるために、朝鮮語を直接表記するように李王朝の命令で発明され、満洲文字も満洲語を表記するため、モンゴル文字を真似て皇帝の命令で作った人造文字で、自然な生成過程を経ていないから始めから表音文字なのである。

 仮名は、日本語の文章を意味に関係なく漢字の音読み表記を並べて当て字したことから始まる。例えば「た」は「太」の崩しから生まれたが、た、には太いという意味は完全に失われている。同様に簡体字も現在ではまだ、漢字の表意性は残されているが、目で見て意味を理解できるという本来の表意性は失われ始めている。その意味で簡体字の進歩は漢字の表音化への一歩である。毛沢東は最初、漢字の習得困難さから、中国語のアルファベット表記を志向した。

 しかしやってみると中国の方言といわれる言語が全く別な表記になることに気付いた。北京語、福建語、広東語などの全ての言語は表音文字のアルファベット表記をすると、英語、フランス語、イタリア語などのように別な言語になることが分かったのである。これらの言語は同じくアルファベットを使いながら異言語であることに何の支障もない。西欧言語ではないベトナム語も今ではアルファベット表記して何の支障もない。

 これらのことは毛沢東に中国が、北京国、広東国、福建国などの民族国家に分裂する可能性を想起させ、毛沢東は戦慄してアルファベット表記の計画を中止した。中国は漢字という共通性がなければ、多数の民族をむりやり統一した、帝国を維持することがいずれできなくなると正確に理解したのである。だが簡体字という形で中国言語の表音表記はいずれ実現する。それは千年先かもしれないが中華帝国の崩壊と多数の民族国家の生成を意味する。

 中国は古代ローマ帝国と同じく、歴史の発展過程から言えば、古代の帝国の時代に二千年間止まっている。そのことは中国人の意識にも反映されている。聖火リレーに対する傍若無人な対応や、他国に押しかけて中国国旗で埋め尽くす無神経は民族主義の高揚ではなく、中国人の意識が近代人ではなく、古代人に止まっていることを意味する。簡体字の発展は中国大陸の近代への脱皮の可能性を示唆している。


書評・ラストエンペラーの私生活・加藤康男・幻冬舎新書

2019-04-05 16:49:58 | 支那大陸論

 予想以上におぞましい内容であった。始めのうちは初めて知る、清朝宮廷の性的生活を興味本位で読んだ。しかし、宦官などの記述の連続で、吐き気を催しかけ、読了するに絶えるのかと思った。そのあたりで、満洲事変の勃発の記述に移り、何とか読み通した次第である。元関係者の「現中国人」にもインタビューしたとのことであるが、よくも調べたものと感心する。

書評は内容の歴史的評価よりも、武弁だったはずの満州族の宮廷が、ここまで性的腐敗を極めたことに、やはり「漢化」したのではないか、という声に対する反論だけ述べたい。日本でも戦国時代の軍事的武力的合理性に富み、質素を旨としたはずの徳川幕府が、結局は大奥に代表される女性群による腐敗をとげていったことを想起すれば、長期世襲政権は性的に腐敗するものだ、と理解できる。以下述べるように、長期世襲権力は婚姻関係が権力構造の一部であるために、性的腐敗は漢民族化ではなく、人類の権力機構一般に起こりやすい現象なのである。

戦国時代の日本でも主君と側近などの男色は珍しくないこととされていた。原則男子による世襲としたために、側室が戦国時代でも必要とされた。これが平和の時代が永く続くことによって、大奥なる組織が肥大化したのである。それが清朝程にならなかったのは宦官の存在がなかったからによることもあったであろう。

宦官は元来狩猟民族の去勢より始まったとされるが、日本の基本は農耕であって狩猟ではなかった。「漢民族」は農耕が主とされるが、秦朝を始めとする多くの王朝は西方や北方から侵入した、狩猟民族であって中原の「漢民族」も狩猟民族の影響を受けていた。つまり、狩猟民族が「漢化」したのではなく、中原の民族が狩猟民族の影響を強く受けて、宦官の制度を受け入れる素地があつたのである。

つまり本書に書かれた、清朝宮廷の性的腐敗は漢化したためではない。長期世襲政権によって、宦官と側室の肥大化した宮廷が成立したと言う、自然のなりゆきだったのである。本書には愛新覚羅溥儀が「ふおっ、ふおっ、ふおっ」という薄気味悪い女性的笑いをしたという。日本でも明治天皇は幼少期は所作言辞も女性的であったとされる。しかし、清朝のように腐敗しなかったのは、政治的権力を武士に奪われていたために、単に面倒を見る女性の影響を受けて、女性化したというにとどまっていたのである。皇室は権力を持たない権威だけの存在だったから、性的腐敗は極小化していたのである。

徳川幕府が大奥程度の腐敗で済んだのは、単に日本が尚武の気風を維持する努力をしたにとどまらない。宦官がなかったことと、政治権力しかなく、神的権威を持たなかったことによる。たとえ宦官がなかったにしても、権威と権力の両方を持つ、世襲権力を300年も維持すれば王朝は腐敗を遂げた事であろう。わずか60年の歴史しかなくても、北の金王朝は「喜び組」などの性的腐敗の兆候がある。日本は、権威と権力を分離することによって、宮廷と政治権力の双方とも清朝のような極端な腐敗を避け得たのである。ただ権力を持つ側は、婚姻関係が権力と結びつくために、相対的には幕府は、皇室よりも、大奥などにみられる性的腐敗は大きかったといえる。

清朝の腐敗は決して漢化などではなく、長期世襲王朝の腐敗の必然的結末に過ぎない。その証拠に、京劇や支那服、中華料理などは、清朝以前の伝統を継ぐものではなく、満州族のものである。ただ、漢字そのものが連続しているだけであるが、清朝滅亡ととともに漢字は残ったが漢文は古典としてしか残っておらず、書き言葉としては残ってはいない。北京語や広東語の漢字表記は、漢文と何の関係もないのである。繰り返すが清朝は300年の歴史で漢化したのではない

 


書評・小室直樹の中国原論・小室直樹・徳間書店

2018-02-27 16:28:45 | 支那大陸論

 中国人の行動が矛盾していて理解できない、と言う人のために忠後軍の行動を分析したと言う。比較的単純な構成である。まず中国の共同体の特殊性について、宗族について、中国人の法律意識について、中国は歴史で分かるということが大きく分けて書かれている。付録のように中国市場経済本質について、書かれている。

 この本で基本となっているのは、著者の「中国」と言う言葉だが注意を要する。小生の知るのは、中国とは古来からの歴史的用語ではなく、中華人民共和国、ないし中華民国の略称である。歴史的用語としては、支那であると考える。すると現在の中華人民共和国と支那とは正確には異なる。中華人民共和国とは、ほぼ清朝の支配地域を引き継いだもので、ウィグルやチベット、内モンゴルなどを含むのに対して、支那とはこれらを除いた、いわゆる「漢民族」の生活圏である。

 小室氏の言う中国とは、読んでいる限り支那の範囲であると考えて差し支えない。チベットなどは古来異なる風俗であり、幇などという共同体はなかったからである。少なくとも本書ではこのことに言及していない、小室氏の態度には不満が残る。将来はいざ知らず、現在ではこの本の記述は全てチベットなどに適用されようとは思えないからである。だから本項で言う中国とは支那のことだと解釈する。

 中国における共同体とは結論から言うと、連帯が強い順に、幇、情誼、関係、知り合いであると言う。最も強い幇では、刺客のように、無報酬で命を捨てて、幇の内の人のために行動するというのである。この点で西欧の殺し屋のように契約で、殺人を行い多額の報酬を得ることを目的とするものとは、性格が全く異なるのだと言う。

 そして共同体の中にいる者と外にいる者とは規範が全く異なるのだと言う。日本人が中国人に対して、絶対に信用ができると言っている人もいれば、嘘つきばかりだと、正反対の意見が異なるのは、この二重規範のためで、話している日本人が、交渉相手と先の共同体のどこに属しているかによるかによるためである、と言う。これは明快である。

 ちなみに日本は戦前まで、村落共同体であったが、戦後高度成長等や天皇に対する絶対意識の喪失による急性アノミーで、村落共同体が崩壊したため、代替として、会社が共同体の受け皿となったというのだが、小生には実感できる。

小生は今は東京の下町に住んでいるが、代々地元に住んでいる人々には共同体の残滓がけっこう残っているように思われる。小生のようなおのぼりさんには、職場に行けば気楽になれるのに、連帯が強い地元の集会などには到底入っていけないのである。

 次は宗族である。宗族も共同体同様、内と外とでは規範が異なる。中国の宗族とは当初は母系集団だったのが早くに父系集団になったという。中国の宗族とは特定の地域にいる血縁集団ではなく、中国中に散らばっていて、兄弟意識、同租意識が強くある、ということである。

 同じ宗族の者なら、苦楽をともにし、借金に証文さえいらないという。同じ姓でも必ずしも同一宗族とは限らないというから分かりにくい。例えば海外で同一宗族の男女が知らずに知りあって、恋愛関係におちいることがあるのではないか、という質問には、そもそも同一宗族の男女には恋愛感情が発生することはあり得ない、という答えだから日本人や西洋人には理解不可解である。

 日本や欧米は父系社会でも母系社会でもないのだという。日本では家、という枠組みがあって血縁社会ではないから、婿養子という制度ができる。小生の田舎では親戚同士が極めて仲が悪かったから、血縁社会というのは理解できる。田舎の近隣は恐らく戦国時代以前からの落人の住処であったから、親戚同士の表面上は連帯していたが、その実、実力社会であって、分家が本家をいびるなどということが公然と行われていたから、やはり血縁社会ではないのであろう。

 自分を見てもそのことは分かる。小生のように、本家から直接分家した世代は、本家のに対する憧れのような忠誠心がある。しかし、次の世代から意識が反転して本家に対する敵対心さえ生ずる。たくましくなって、本家を見下すようになる。祖父の弟は戦前に東京に出て出世した。それでも戦後も毎年墓参に訪れ、最後には本家の跡地に「〇〇家先祖代々の居住の地」という碑を寄贈設立した。しかし、その長女は成人した後、母の通夜で初めて来たが、夜の通夜に参加することなく、昼間に焼香しただけで帰った。本家を嫌う態度に満ちていた。二度と本家には来ないのであろう。

 この長女の場合は離れた東京にいるからいい。本家の隣近所には、このような憎しみに満ちた分家の末裔が住んでいて、本家に嫌がらせをする。理由は分からないが、実態としてはそうである。やはり血縁社会ではないのだろう。個人の事情を書きすぎた。

 次は中国人の法律意識である。外国人には中国人は法律をやたら振り回すという意見と、法治ではなく人治である、という正反対の意見がある(P176)というが、普通は後者の意見であり両者は矛盾するものではない。都合のいい時にだけ法律に固執し、都合が変わると法律を曲げて解釈するというだけであろう。

 中国人の法律意識は韓非子の法家に淵源があり、世界にさきがけて、法律はあるものではなく、作るものである、という考え方を発明したのも韓非子である、というのだが、中国人の法律意識の説明は込み入っているので単純化しにくいので、本書を読まれたい。

 強いて要約すれば、法律とは、役人が勝手に解釈していいものであり、それを指示するのは支配者の都合である、というところであろう。だから前述のように一見矛盾したようなことになるのであろう。

 中国は歴史で分かる、ということである。中国人は良いことでも悪いことでも、歴史に名を残したいと言うのであり、それ故歴史は中国の聖典(バイブル)である(P150)。外国人が個人的体験で中国人について判断をするには、事例が少な過ぎて、豊富な事例がある歴史を学ぶのが最も良い、というのである。前述の共同体についても、法家思想についても、歴史より抽出した、ということであろう。

 中国経済では、そもそも資本主義の考え方がないから、今の社会主義市場経済はうまくいかない、というのが結論であろう。中国では一物一価すなわち定価の考え方がなく、外国参入企業に破産を許さない、資本金の概念もない、実質的な貨幣の流通がない、契約遵守の概念もないので途中で勝手に契約を変更する、など資本主義に当然あり得べきものがない、などの資本主義の要件が欠けているからうまくいくはずがない、というのだが、まだ中国経済は外見上破綻していない。

本書が書かれたのが1996年すなわち平成8年だが、これだけ経っていて、中国経済破綻を予測する論者は多いが、未だに破綻してはいない。小生にとっても不可解なことである。毎年政府が経済成長予測をすると、それに合わせて地方政府が辻褄を合わせてインチキ報告をするので、政府発表に全く信頼が置けない。

現にエネルギー消費量は減っているので、実質的にはマイナス成長ではないか、という論者も少なくない。それでも経済破綻しないのは、何故であろうか。韓国は一度経済破綻を起こしている。小生は、未だに中国政府の宣伝で、安い労働力と巨大市場と言う幻想に騙されて、撤退した外国企業に替わって、新規に資本投資する外国企業が後を絶たないからであると考える。すなわち自転車操業状態である。

いずれにしても、本書は小室氏らしい、論旨明快な書で小室氏が亡くなり、書かれて相当な年月が経っているが、読むに値する書であると考える。

 


何故中共政府は北京語を強制するのか

2017-04-06 16:06:32 | 支那大陸論

 以前、楊海英氏の「逆転の大中国史」を引用して、中共の言う標準語の普通話は、実は満洲旗人すなわちMandarinの話す、北京官話を基にしたものである、と書いた。北京官話とは清朝宮廷で使われていた満洲語だから、普通話とは、広東語などの他の漢語とは少々異なり、非「漢民族」言語の満洲語から生まれたものである。満洲語と普通話の相違は、例えれば江戸弁と日本語の標準語の関係と似たものである。

今、中共政府は、普通話なるものを支配地全土に強制している。つまり満洲語を全国民に強制しているのに等しい。清朝を倒した辛亥革命は「滅満興漢」を合言葉にしていたから、満洲人は「漢民族」ではない、異民族と認識していたのである。「漢民族」を自称する中共幹部が、元来異民族言語と考えられていた、満洲語を強制しているのは奇怪なことである。それは中共が「中華民族」という架空の民族による国民国家である、と主張したいからである。

もちろん、チベットやウイグルなどの異民族を支配している、植民地帝国が国民国家の概念にあてはまるはずはない。それどころか、漢民族と言われている人々の間にさえ、広東語などは北京語と異なり繁体字という伝統的な漢字を使い、話し言葉ばかりか文字表記すら異なるという「民族性」の相違がある。実は問題はそこにある。

もともと話し言葉である漢語の文字表記はなかった。それにもかかわらず、支那大陸で使われていた文字表記は、漢文であった。漢文によって、読みはともかく、支那全土で表記法を統一してきた。福建語、広東語などいくつかの異言語を話す人たちが、漢文と言う共通表記を使う「漢民族」という概念でくくられていたのである。ところが、辛亥革命以後、話し言葉の漢字表記が行われるようになった。そのトップランナーが北京語だったのである。

その後広東語なども漢字表記が行われるようになった。だから、これらの漢字表記の文章はかつての漢文とは全く異なる。現代「中国人」は北京語、広東語などの漢語の文字表記は読めたとしても、四書五経の漢文は読めないのである。それどころか、北京語からできた普通話は従来の漢字を省略した「簡体字」に移行してしまった。普通話標記の文章を読む人は、表意文字たる漢字の伝統的な意味すら忘れつつある。

それでも普通話を強制しているのは、かつて「漢民族」の統一の象徴である漢文を全国民に強制することは、物理的に不可能だからである。元々「漢民族」といっても漢文を読めるのは、ほんの一部の知識階級に過ぎず、大多数の「漢民族」は文盲だったから、漢字を使うから「漢民族」であるということすら奇妙なのである。逆に「異民族」たるモンゴル人や満洲人は話し言葉の文字表記がある。モンゴル語はモンゴル文字、満洲語は満洲文字と言う表音文字で文章が書ける。

全ての問題は漢字が表音文字ではなく、表意文字であることにある。だから同じ四書五経を読んでも漢王朝時代と、唐王朝では発音が全く異なる、という奇妙なことさえ起る。アルファベット表記のドイツ語、英語、フランス語などと比較してみれば、その不思議さがよくわかる。ともかくも漢文自体が、話し言葉の文字表記ではないことと、読解の難解さから、中共は全国民に統一した言語を使わせるのには、習得が容易な普通話を強制せざるを得なかったのである。そればかりか、漢字自体が文字として複雑すぎるという事で、漢字を省略した「簡体字」さえ作った。

広東語などではなく、北京官話に基を発する普通話が選ばれたのは、辛亥革命を起こした中心人物たちの多くや教養人が首都北京にいて、北京官話とその漢字表記に習熟していたからであろうと想像する。それ以前から支那北部の人々は、北方民族の影響を受け、北方言語化していたから、北京官話はさほど違和感なく習得できたのだ、とも言われている。

ちなみに、最初の国家元首たる毛沢東は、江南の言葉を話したので、彼の演説はほほとんどの国民に理解できなかったのだ、という。当然である。そこで彼の演説を理解させるために、漢字表記のペーパーが配られたのだ、という。毛沢東が国民に自分のネイティブな言語を強制しなかったのは、あまりにマイナーな言語だったからであろう。スターリンはグルジア(ジョージア)人である。だが国民にグルジア語を強制せず、ロシア語を使わせたのと同じことであろう。

ジャッキー・チェンは香港の人である。そこで彼の映画には、広東語が使われる。かなり以前だが、ジャッキー・チェンのレンタルビデオの箱を見たら、日本語字幕以外に「中国語字幕」とか「簡体字字幕」とか書いてあった。要するに彼の映画は、広東語を理解できないほとんどの人には、普通話の字幕が必要なのである。この例で普通話と広東語の相違は方言レベルではなく、異言語のレベルだと理解できるだろう。

それでは、中共全土を普通話で統一する試みは成功するであろうか。もちろん小生は成功すべきではないと思う。普通話による統一は、日本での方言を標準語で統一するのとはわけが違う。チベットやウイグルの民族絶滅(エスニック・クレンジング)政策である。絶滅されるのは、これらの民族だけではない。福建語や広東語を話す民族をも絶滅させる恐ろしい政策である。

だが、結果は時間の経過による。かつての王朝と同様に、いずれ中共は崩壊する。それまでの時間の問題であろう。かつての歴代王朝は王朝の支配民族言語を強制はしなかった。それが支那大陸にいくつもの言語が保存されたひとつの原因であろう。中共は巨大な帝国の言語を統一するという、古今東西行われなかった試みをしつつある。


書評・日本陸軍とモンゴル・楊海英・中公新書

2017-03-12 15:43:41 | 支那大陸論

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 最近読んだ「逆転の大中国史」の著者の作なので大いに期待した。期待に反せず小生の「満洲国」の考え方に大きな一石を投じた。アメリカ人のブロンソン・レー氏は、戦前「満洲国出現の合理性」を書いた。満洲国建国を全面的に擁護しており、最近、新訳が出版されている(ただし邦訳のタイトルは異なる)。

 だが、レー氏が言うのは、満洲国を否定する当時の米国の対日対支政策が、レー氏の考える米国建国の理念に反している、という主旨で書いているのであって、日本の対支、対満洲政策の擁護になっているのは、その結果に過ぎないのである。結果として、それが米国にとって正しかったのは、米国の政策の結果支那は共産化し、米国の多大な投資と宣教師の犠牲は無駄になり、朝鮮戦争という厄災に襲われる結果を招来したことでも分かる。

米国が対日戦など企図せず、日本と協調の道を歩めば、戦後の米国の厄災はなかったのみならず、大英帝国も保全されたのである。皮肉なことに、そうなっていたなら、欧米の植民地政策は続き、日本は白人国際社会で、有色人種国家として孤立の道を歩み続けなければならなかったであろう。

 レー氏の支持した日本の満洲国建国、というのは日本の当面の政策とも合致している。日本の利益ともなるはずのものだった。ところが、というか、だから、というべきか、楊氏のようにモンゴルの独立を願うモンゴル出身者にとっては、満洲国は希望ではなかったというのだ。

「満洲国の版図の三分の二は昔から云うと蒙人の土地であり、満洲地域の原住民はこの蒙古人と漢人の両民族であった。(中略)ところが満洲国が出来て見ると五族協和の旗じるしのもとでも人口が多く三千万に近い漢民族の民政となってしまい蒙古人は少数民族の悲しさ、自然と軽視されがちとなり、日本人で蒙古関係に熱心な指導者はいわゆる蒙古狂扱いされる傾向となり・・・」という興安軍の経理だった斎藤実俊の著書を引用している(P207)。

 これを米国に適用すると恐ろしいことが分かる。蒙古人はネイティブアメリカン(アメリカインディアン)が蒙古人に相当する。元々の住人のインディアンは広漠とした居留地に住むしか、民族のアイデンティティーは維持できない。それどころか、飲んだくれ荒れた生活をして自滅しつつある。

 満洲人は皇帝が溥儀となったからまし、とモンゴル人に比べれば言えないこともないが、内実はそうでもなかろう。日本が支那本土に比べたら人々の安寧の地を作り、多数民族として将来実権を握る可能性まで含めれば、一番得をしたのは漢人である、といえないこともない。しかも日本の投資は、毛沢東のでたらめな経済政策にもかかわらず、満洲を食いつぶすことによって、鄧小平復権の時代まで中共を持たすことができた。

 移民と自由と民主主義の国という、レー氏の建国の理念は、結局アングロサクソンのものであって、黒人やインディアンのものではなかった。同様に満洲国建国は根本的には、軍事的経済的に日本のためであった。楊氏は肯定しにくいだろうが、欧米諸国の対外政策に比べれば、日本の五族協和政策などは、良心的なものであった。

 蒙古の土地はまた、日本人には想像できにくい特殊なものであり過ぎた。「草原を掘れば、たちまち砂漠と化してしまうことを経験的に知っているから(P207)」モンゴル人は土地を掘ることを嫌い、草原にそのまま大便をするのだという。日本流を押しつけるばかりではない。日本の対支政策の方便として蒙古独立を、蒙古自治に置き換えたりしたのだという。

日本の敗戦によって多くのモンゴル人がソ連を頼り、ソ連の傀儡政権とはいえ独立国家の体裁をとっていた結果、ソ連の崩壊とともに独立国となることができた。これはソ連の共産主義の毒牙にかかった多くのモンゴル人犠牲者を出し、現在にも残るであろう共産主義の残滓があるとはいえ、北半分だけでもモンゴルは独立の故地を持つことができたのは、楊氏には幸運な結果といえるのであろうか。

少なくとも、中共に支配され、草原は耕かし尽され民族のアイデンティティーも喪失しつつある南モンゴル(著者はそう呼ぶ)に比べればよほどよい、といえるのだろう。本書によれば多くのモンゴル人闘士が、独立のため、ソ連を利用し日本を利用した。結局独立は自らの手で勝ち取るものである。

そのことは、民族のアイデンティティーを喪失しつつある、我々日本人にこそ当てはまる。理屈はともかく、元来保守の心情を持たない小生が言っても詮方ないことではあるが。楊氏の文言は日本人に対しても辛らつではあるが、根底で日本に対する同情あるいは信頼があるように思われる。


書評・「満洲国」再考・原子昭三

2017-02-28 16:32:31 | 支那大陸論

 満州国の正当性を論ずるものであり、小生も読んだブロンソン・レーの「満洲国出現の合理性」などを援用しているが、内容はバランスがとれているので、満洲国論を考える座右の書として適している。しかし、最も興味があったのは、色々な民族による異民族弾圧(自国民の場合も含む)をいくつか例示していることである。そこだけ紹介する。

 ひとつ目は、ソ連によるシベリア抑留である。その項の最後にシベリア抑留日本人は65万人、死亡6万人という定説を破る、「諸君」に掲載された抑留250万人、死亡37万人説が紹介されている(P173)。小生は抑留条件の苛酷さから、死亡率約10%というのは不自然だと長い間考えてきた。

 だから、諸君でこの説を読んだとき、思いついたのは定説の帰還者65-6=59万人と言うのは、恐らく帰国手続きで数えられた、比較的信頼できる人数であろう。抑留者が定説と異なり、250万人とすれば、250-59=191万人が犠牲者数ではないか、という仮説である。この数字だと死亡率76%という恐ろしいものとなる。少なくとも定説の死亡率は少なすぎ、本当の抑留者数は65万人どころではない、と考えるのが自然だと今でも考えている。

 次はロシア革命である。ロシア革命とそれに関連する、内戦、農民の反共暴動、恐怖政治、農村共産化、大飢饉、第二次大戦などにより、1億1070万人が犠牲になった(P181)という。そこには革命ソ連の苛酷な政治が書かれている。またドフトエフスキーが「悪霊」の中で「将来ロシアに共産国家が実現されるとき、一億の人間が斬首されることになろう」、と書いていると紹介して、果たして偶然の一致と片付けられるだろうか、と原子氏は自問している。  

日本では共産主義の恐怖が過小評価されている。小生自身も共産主義にのめり込んだ人物が、日本人らしからぬ冷酷な性格を持つようになった例を何人か知っている。もし一部の日本人思想家が望んだように、日本国家が共産化されていたとしたら、良き日本人も豹変したはずである。

 次は中共の例である。毛沢東時代の苛酷な農業政策が書かれている(P184)。また、チベットにおける民族抹殺政策も書かれている(P195)。弾圧と殺害ばかりではなく、宗教とチベット民族のアイデンティティーの抹殺がある。「内モンゴル自治区」の民族政策も同様である。これらは正に「エスニック・クレンジング」である。

 米国は黒人差別ばかりではなく、インディアンの抹殺政策が書かれているのが貴重である(P208)。黒人差別を語られることは多いが、インディアンの抹殺政策について書かれることは少ないので貴重である。インディアンの迫害政策は現在でも行われているのである。ナチスのユダヤ人迫害は声高に語られるが、それに匹敵するか、それ以上の非道な行為がひっそりと語られるのは、あまりにバランスを欠いている。

 これらの事例に対して、日本が台湾統治で行った政策も書かれているが、これについては比較的有名であり特記しない。


支那は変質した

2016-10-02 17:46:45 | 支那大陸論

 支那の歴代王朝になぞらえて、中共のトップを皇帝に擬する向きが多い。最もそれらしいのが、毛沢東である。後宮のように若い女性を侍らせて、国民が餓えていても贅沢食三昧。気に入らないものは次々と粛清した。ある書によれば、あえてNo.1を狙わなかった周恩来ですら、癌の治療をさせてもらえず、死期を早めたとされている。

 しかも毛沢東が後継に指名したのは、息子どころか親戚縁者ですらない、華国鋒だった。世襲をしなかったのである。かつての支那王朝で世襲をしなかったのは、臣下に帝位を簒奪されたケースや易姓革命で王朝自体が倒されたケースであろう。中共になってシステムは変化したのである。変化したのは共産党という統治システムを取り入れたからであろう。

 現在の習近平主席にしても、早くから後継者である、という噂が公然と流されていた。共産党の後継者選びとは何か。支那には伝統的に幇(パン)という秘密結社に類する集団がある。支那は長い間の激しい闘争から血族しか信じない、と言われるが例外的に強い結束を持つ集団が幇である。

 皇帝ですら元々幇のボスだったといわれる者がいる。中国共産党は大規模な幇と言ってよいだろう。だからボスが選ばれるのは幇のシステムによるものだろう。もちろん形式的に行う全人代の推挙によるものである。こうして幇のボスの交代、すなわち国家主席の交代はシステマチックに行われる。

 毛沢東以来、外に見える特色は、一度ボスになったものは、ボスを退いても抹殺されない、ということである。世襲ではなく、途中で交代しながら生涯を全うできるのである。華国鋒は毛沢東から後継指名されながら途中で失脚した。それでも、粛清されることなく、天寿を全うした

 これが中共が続く秘密なのであろう。とすれば中共の崩壊は外部(ウィグルのような国内の非漢民族を含む)か、内部から反逆者が出て、ボスを粛清することによって権力を奪う時である。その時王朝は交代する。新しい幇のボスが新皇帝となる。しかし、それが世襲となるか否かは王朝を倒した幇の性格によるものだから予測は不能である。

 ひるがえって日本のことを考えてみよう。日本が江戸時代までの、幕藩の世襲制度が選挙になったのはなぜだろう。選挙は西欧の真似であるにしても、受け入れる素地がなければ定着しない。中共や北朝鮮の選挙は、投票するという形式を真似ただけで、実質は伴っていない。これらの国では選挙は受け入れられないのである。

 日本の商家でも、入り婿の制度があり、血族に適切な者がいなければ、実力のある血縁のない者を養子にして家を継がせていた。確かに最近の日本の政治家は、特に上位にいくと世襲が多い。それでも、一代で成り上がる人物もいる。矛盾しているようだが、世襲が多いのも、一代で成り上がることができるのも、選挙と言うシステムが正常に機能しているからである。例えば江戸時代でも、実力のある者が周囲から推挙されるという伝統に基づく。

これに対して中共、歴史的にいえば支那は、王朝の易姓革命による断絶を繰り返していた。それでも、同一王朝内での世襲と言う伝統は、中共では放棄されている。それにより中共の次の王朝も世襲はしなくなるのかも知れない。清朝滅亡以後支那は変質したのである。明瞭に現われているのは「皇帝」という称号がなくなったことである。

 


中共はまだ崩壊しない

2016-09-15 15:26:29 | 支那大陸論

 中共の大陸支配は盤石である。ある新聞で、中共が南シナ海の問題で仲裁裁判所で負けたことなど、このところ支那の外交は失敗し続けていると、いくつかの例を挙げていた。それ自体は事実である。ところが、それにも拘わらず、共産党政権がゆらぐどころか、習近平主席が追い落とされる様子すらない。

 香港で民主化運動が起ろうが、適当に弾圧して済ましている。反日教育に熱心なのは単に共産党の正統性を主張するだけで、巷間言われることがあるように、政権が倒れるのを防いでいる訳ではないと思われる。もし、尖閣での挑発が過熱して、日本と一戦交えて負けても、中共政府は平気であろう。過去にもベトナム戦争後、ベトナムに侵攻した。国際社会ではベトナムに負けた、というのが常識であった。

 ところが、国内的には懲罰戦争として宣伝し、一撃を加えて撤退したと押し通した。要は国内統制ができていれば問題はないのである。誰かがベトナムに負けたではないか、と政府を非難し、そのことにより反乱が起ることない状態であればいいのである。

 この10年位、中共のバブル崩壊で、経済がだめになるという、中共崩壊説が盛んである。数年前、中国は2014年に崩壊する、という本が出たが、2014年はとうに過ぎた。歴史が教えるところでは、支那の王朝の崩壊は内部ないし、外部からの反乱でしか崩壊しない。単なる経済問題だけで崩壊した王朝はない。

天安門事件などで、アメリカに亡命した民主活動家の運動も、到底反乱の勢いを持っているようには思われない。中共政権はまだ70しか経っていないから、という訳ではないが、まだその時期であるようには思われない。

ただし崩壊するときはあっけないだろう。その後長い混乱が続き、新しい王朝が興る。支那大陸の歴史はその繰り返しである、清朝崩壊後1949年の中共成立まで混乱が続いた。戦前の日本には、漢民族には国家統治能力がない、と見当違いな断定をした識者が多い。眼前における混乱が新王朝成立までの過渡期であると気付かず、永続するものと誤解したのである。逆にいえば過渡期の支那の混乱は、それほど物凄いものであったのである。

支那の混乱期については、「満洲國の出現の合理性」(ブロンソン・レー)という本に描かれている。小生は戦前の古書で読んだが、最近、新訳が刊行されたようである。タイトルは変わっていると思う。

余談だがレー氏は日本や満洲人への同情心から満洲国擁護論を展開したのではない。米政府の満洲国対応が、米国建国の理念に反すると考えたのである。レー氏は愛国者であって、親日家ではない。


書評・こんなに弱い中国人民解放軍・兵頭二十八・講談社+α新書

2016-02-14 17:02:39 | 支那大陸論

 久しぶりに兵頭氏らしい、明快な評論を読んだ。何故中国が欧米の科学技術を獲得できないか、を小生の理解と同じように書いていたので納得した。ただ、パリ不戦条約の解釈は相変わらずおかしい。氏は「中国」の地理的概念をシナと書き、中華人民共和国の略称を中共とする、と書いているのは正しい。(P11)いつの間にか保守の人間ですら、中共から中国に乗り換えている。

 AWACSさえあれば、前世代戦闘機でも十分最新鋭機と戦えるので(P33)、コピーなど色々な方法で中共は入手しようとしたが、4機製造したきりで終わった。つまり失敗作で、まともなAWACSを持てないのだ。

 兵頭氏は中共軍を旧日本軍と比較して批判するのだが、当たりも外れもある。日本の文官指導層や宮中が陸軍を掣肘牽制するために、海軍を大きくしてバランスさせたのと同じ方法を中京政府はとっている(P68)というのだが果たしてそうだろうか。

 軍事指導体制の本来の姿をとっていて、海軍が陸軍の下にあったのを対等にしたのは、山本権兵衛の執念であって、陸軍が暴走するのを掣肘するためではなかった。本書でも氏は陸軍の横暴独裁を言い募るが、それは戦後誇張された風評である。満洲で関東軍が暴走したと言われるのは、政府の無策で、関東軍が起たざるを得なかった、と小生は考えている。満洲における支那人の無法に対しては、国際法上合法なやり方で、満洲を保障占領することも、親日政権を樹立することも可能だったのであるのに、政府は無策だった。

 中共が大海軍を目指しているのは、氏自身が指摘するように(P68)、大陸周辺の資源に目をつけたことや、台湾併合などの役に立つからであろう。また改革開放で、金のかかる巨大な海軍を持つゆとりができたと考え、本来の覇権思考が頭をもたげたのである。

 井上茂美の「新軍備計画」を持ち上げて、太平洋の島々を本土から近いところから逐次占領、航空基地化して、資源航路を確保する戦略を取れば良かったので、中共も似た構想を推進している、というのだ(P77)。このアナロジー自体は正しいとしても、太平洋上の島々に作られた日本の基地は、米軍によって次々と無力化されるか、あるいは玉砕していったから策としては間違っている。島嶼の航空基地は、自在に動き回る、空母機動部隊に歯がたたなかったのは、戦史が証明している。

 中共についても、氏自身が、大陸周辺の浅海やマラッカ海峡は機雷などによって容易に封鎖され、中共の体制自体が崩壊するきっかけになる(P94)と書いているのである。中共海軍には、対潜作戦能力と、掃海能力が全くない、というのだ。これらの地味な能力の整備を後回ししたのは、確かに日本海軍に似ている。戦後、日本周辺や朝鮮戦争で日本が掃海に尽力したのは、必要性の賜物である。

 日本海軍の大間抜けは、「西太平洋域にやってくる連合軍潜水艦の出撃基地が、豪州西岸の『フリーマントル港』であったという事実すら、戦争に敗れるまでつかんでいなかったのだ。もし分かっていたら、こちらの潜水艦で機雷を撒くことにより・・・(P83)」というのだからあきれる。日本海軍はやはり、本気で対米戦などを考えていなかったから、この程度の情報収集すらしなかったのだ。

 小生に理解できないのは、氏が戦前の日本も現在の中共も文民統制国家ではない(P114)」と断言していることである。中共は軍隊が政府の言うことを聞かない国である、ということの証拠を提示している。本当だろうか。ソ連のシステムを導入した中共は、党が国家の上に立つという典型的なファシズム国家である。戦前の日本はファシズム国家ではなく、最後まで憲法が機能していた、文民統制国家である。毛沢東や東條英機の真似をするしか能のない習近平(P140)というのは認識間違いも甚だしい。東條は独裁者ではない。合法的な権限を行使しただけである。独裁者が合法的に倒閣されるものか。

 中共は、ニクソン時代に毛沢東が米国とICBM競争をしない核秘密協定を結び、米国に届くICBMの数を実戦用にはならない程度の数に限定していて、その方針は毛沢東以後のトップも引き継いでいるのだという。それは毛沢東が中共にとって神の存在であり(P117)、変更できないからだそうである。本当に毛沢東のカリスマは残っているのだろうか

 パリ不戦条約で先制攻撃による侵略戦争が違法化された(P145)というのは氏の持論だが、何回も別稿で書いたように、不戦条約では米英ともに自衛戦争か否かは当該国自身が決める、と留保している。つまり不戦条約は成立当初から有名無実である。しかも、米国自身が経済制裁は戦争行為だ、と言明しているから、先制攻撃をして侵略したのは米国であって、日本ではない。

 氏は正当な軍事行動であることを広報しないと、国際的に不利になるという例として、国連から軍事制裁が決議されることすらある(P146)とする。軍事制裁は国連軍が編成されて、北朝鮮や中共軍と戦って実現した実例がある、と言いたげなのだが、朝鮮戦争で安保理での軍事制裁が決議されたのは、ソ連が故意に欠席して、拒否権を発動しなかったための、例外中の例外である。従って、侵略行為に対して、国連軍が編成されて、被侵略国を助けてくれる、などいうのは絵空事であることは、兵頭氏のみならず、世界の常識であろう。

 前述のように支那の科学技術に関する氏の認識は正しい。「・・・幾世代も超えて、技術者が経験とノウハウを蓄積しなければならない最先端のエンジン工学のような分野で、シナ企業は、世界に何も貢献できないのである。(P159)」ということである。中共や韓国に日本の技術者が行くから、日本の先端技術が盗まれる、ということは、このような訳であり得ないことである。

 彼等は外国の技術者の指導の下、外国製の生産設備を設置してもらい、指導されるままに労働者が働いて、教えてもらった製品を作るだけである。欧米や日露の最新技術のノウハウが中韓に定着することはない。技術の伝承は、教育や社会組織などのシステムが整備されていないと、できないことである。中共軍が保有する、最新の戦車も中身はソ連のT-72なのだそうで、外見だけ違って見えるようにしてあるのだそうだ。だから日米欧露の戦車には歯が立たない。

 最終章は「弱い中共が軍が強く見えるカラクリ」という気の利いたものである。結局シナは近代国家にはなれず、シナ本土は匪賊の聖域(P204)だというのは本当である。「中共軍は戦えば弱い・・・逃げようとすれば、彼らの反近代的なルールが勝利を収めるだろう。逃げずに受けて立てば、それだけで中共体制は滅び、アジアと全世界は古代的専制支配の恐怖から解放されよう。(P206)」というのは、兵頭氏らしい卓見である。