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毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
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中国の戦争宣伝の内幕・日中戦争の真実

2020-01-16 16:34:44 | 支那大陸論

 フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ・田中秀雄訳・芙蓉書房出版

  この本の価値は、日米戦争以前に米国人ジャーナリストにより書かれて、支那事変の様相と、支那の巧妙なプロパガンダを記述していることにある。逆に言えばいかに日本の対外宣伝が拙劣であったことの証明でもある。

 従って当時の支那の真実を余すところなく、抉り出している。対中外交をする政治家や日本の近現代史の研究者には、基礎知識として是非読んで欲しい本である。何故日本が大陸で戦争をしなければならなかったか、何故今に至るまで欧米人が中国を哀れな被害者、日本を加害者と誤解し続けたかを見事に説明している。原著は古いが、翻訳は現在でも図書館や書店でも入手できる。

 本書によれば、ソ連共産党の謀略と西洋列強がともに反日を中国に仕掛けているのだ。これは現代西尾幹二氏が主張していることとほぼ等しい。日本は「侮辱と周期的な自国民殺害に至っても平和的であろうとした」(P22)。しかし蒋介石が反共政策を続けたために反日の実行は上がらない。そこで、西安事件を起こした。この本は数ページにわたって西安事件を記述している。西尾幹二氏は反日の日本人が故意に西安事件を取り上げない、と批判したが確かにそれほど致命的な事件である。そのことを著者は充分知っているから詳述したのだ。

 阿羅健一氏はドイツ軍事顧問団が支那事変の後ろ盾になっている事を著書で論述した。西安事件の後盧溝橋事件は起きた。しかしすぐに起きたわけではない。蒋介石は西安事件で脅迫されて反共を止めて日本と戦うことにしたと軍事顧問団に伝えると、激怒して日本と戦うだけの軍隊にするには二年かかると告げた。そしてそのことをロシアに告げて猶予してもらったことを喜んだ。ところが当時ロシアは赤軍の大規模な粛清をしていて、蒋介石を支援するどころではなかった。そのことを蒋介石は後に知るが後の祭りだった(P29)。スターリンは自分に都合の悪いことを隠して蒋介石に恩を売ったのだ。ちなみに盧溝橋事件は、二年後ではなく1年弱で起きている。中国共産党は滅亡しかかっていたから待てなかったのだし、蒋介石を督戦する意味もあったのだ。

 阿羅氏が論述したようにドイツ軍事顧問団は純粋に軍事的支援をしていただけではなかった。顧問団は「あなたは一人では勝てない。ロシアは今はここにいない。協力者が必要でしょう。イギリスに頼みなさい。しかしながら力のある干渉者となると好ましいのはアメリカです。」と言ったのだ。「シンパシーという点では、最初から中国の方にあった。日本人は侵入してきたのだ。彼らは侵略者なのだ。中国の領土を奪い、帝国を広めようとしたのだ。一旦中国を征服したならば、中国人を組織し、世界を征服するのだ。これはモスクワとロンドンのエージェントが世界に送り出した最大のプロパガンダだ(P40)。これは、偽文書の田中上奏文をはじめとして、現代日本が教育された偽の近現代史そのものである。

 日本軍が戦闘に於いていかに一般民衆や外国人を巻き添えにしないようにしているのに対して、中国軍は計画的に逆のことをしている。「・・・中国軍が密集市街地の中心に塹壕を掘り、外国人の資産を遮蔽物にして銃器を据え付けていること、銃眼の付いた胸壁に第三国の旗を立てていることなども報じないのだ。何度も何度も日本軍指揮官は中国軍側に市民に近いところから戦闘地域を移動するように、・・・しかし中国軍とその兵隊はこの人道的な日本側指揮官の請願を拒否するだけでなく、警告もなくこのあわれな中国市民の身体と掘っ立て小屋を、敵への遮蔽物や生餌にしたのだ。」(P49)

 「蒋介石配下の共産主義者が陸伯鴻を暗殺したのは上海の街中であった。・・・自分のことより中国のことを思っている数少ない中国人だった。・・・彼は私に中国のこと、蒋介石のような者たちのためにどんなに苦しめられているかを語っていたのだ。・・・日本人が混乱の中から秩序を回復させ、上海を暗い絶望の淵から引き上げようとしたとき、また中国軍が逃走した後に、群れをなして町に帰ってくる数えきれない人々のために食料を与えようとして、食糧の手配ができないか乞うてきたとき、陸伯鴻は日本人と協力して、飢えた者たちや病人のための食料や薬の分配システムを作り上げたのだ。・・・彼が日本赤十字と共に数千人の人々を死から救おうと働き始めた矢先、彼は殺された。・・・蒋介石は表の戦争では負けていても、裏側のテロの世界には君臨し続けているのだ。・・・マークした中国人を群衆内に見つけたら、女や子供、外国人がいようが関係ない。爆弾を投げつけるのである。」(P64)これらはわれわれが今教えられていることの正反対であるのは明瞭である。日本人は支那民衆を助けようとし、支配者はそれを妨害する。汪兆銘が支那民衆を助けようとした例外であるように、陸伯鴻のような人もいたのだ。

 中国にはカソリックの宣教師がアメリカから派遣されていた。彼らは遠慮なく支那人に殺害されても本国には知らせないのだ。「過去23年間で二百五十人もの宣教師が中国兵や非俗に誘拐されて身代金を要求されたり、殺されたりしている。これに対して戦争が始まってから日本人に殺されたのは十人か十二人である。これらの事件が起きたとき、中国人に責任がある場合は知れ渡らないように目立たないように伏せられた。しかし宣教師が日本兵に殺された場合は、絶対数ではるかに少ないのに凶悪事件として世界に告知されたのだった。宣教師は中国の「目立つ場所」にいると・・・そこは中国兵と匪賊、共産主義者に取り囲まれているところであり、日本側に立って言えば、いかなる事情があっても彼らの死を意味するところと言われなければならない(P132)」。

 宣教師の殺害は日本人によるものであると宣伝されていたのである。そればかりではない。「支那事変国際法論」の書評で述べたように、戦闘中の地域に入り込んだ民間人が誤射されたとしても国際法の戦争犯罪とはならない。著者はそのことを言っているのであって、まことに公正な論表と言わなければならない。これに対して支那人は金品強奪のために誘拐殺害するので、戦争とは関係のない犯罪そのものである。

 いかに宣教師たちの嘘の報告がアメリカ本国に間違って伝えられているか。「中国のプロパガンダに利用されたこれらの幾つかの宣教師たちの恐怖の手紙と、著しい対照は泰安から来た二つの手紙である。書いたのは戦争を最も恐ろしい段階で経験していた司祭たちである。彼らは日本ではなく、中国の兵隊によるアトロシティーを非難していた。いわゆる非正規兵であるが、匪賊とほとんど変わらない程度の連中で自国民を獲物にしていたのだ。彼らは書く。『こちらの状況に関するアメリカの新聞報道は一方的であり、大袈裟すぎます。-しばしば本当のような嘘が反日のためのプロパガンダとしてはびこっているのです。我々は中国人に捕まり、殺された囚人の首が棒の先に突き刺されているのを見ております。中国の農民は中国の非正規兵による掠奪で一番苦しんでいるのです。もう匪賊と変わらない程度の軍隊なのです』・・・『日本兵は統率が取れています。そして我々をどんな形でも決していじめたりしません。・・・しかしながら日本人についての真実は語られておりません。彼らは私たちに親切です。泰安の爆撃の間、私たちの伝道施設はひどく破損しました。町の陥落の後、日本軍将校たちがやってきて、遺憾の意を表明しました。そして教会の再建用にと三千円を提供してくれました。また役に立つからと車を提供してくれ、宣教師の建物を保護するよう一筆書いて掲示してくれました。』(P135)」

 これが真実である。中国の軍隊が匪賊と同様で、彼らが略奪などの金稼ぎの目的で軍隊に入るのに過ぎないことはパール・バックの「大地」にも書かれている。大地は中国を美化しすぎていると論評されることもあるが、きちんと読めばそうでもない。唯一の欠点は、最後に登場する毛沢東の紅軍を、過去の中国になかった統制のとれた立派な軍隊であるかのような期待で書かれていることである。パール・バックは共産軍の本質を知る前に書いてしまったのである。

 アメリカ人が中国寄りのプロパガンダに乗せられるもうひとつの理由も書かれている。「我が国民に対する憎悪の感情を知って中国から帰ってくると、この国においては中国人へのほとんど感傷というしかない同情心を見出すのは皮肉なことである。もちろんこれはプロパガンダによって育てられているもので、一般的には多くの情報源がある。そしてこの国には母国を支援している中国人がかなり住んでいる。しかしアメリカで生まれた彼らの多くは中国に行ったことがなく、その生活のことも親の世代も知らない。

 それでいて母国に住む中国人より本当に愛国心が強い。アメリカ生まれの中国人が完璧に嘘偽りがなく、我国のアメリカ人のほとんどと同じように、冷酷で野望に満ちた征服者に侵略されていると本当に信じていることは疑えない。・・・彼らが救援と軍需品購入のために軍閥が送った巨額の金がどうなり、どう使われたかを追跡してみればいい。ただの一例二例でいい。このお金が軍閥どものポケットに直行し、預けられたにしても、一銭も救援や軍需品に使われていないことを発見するのはなんと恐ろしいショックだろうか。・・・チャイナタウンから航空機一機購入のために南京に送られた二万五千ドルのうち、たった五千ドルのみが最終的受領者の下に届いたという話は、上海のカフェで傑作な笑い話となっている。数百万ドル以上を注ぎこんでも日本と戦う飛行機が一機もなかったこと・・・」(P74)

 ここに書かれているのは現代にも通じる話である。いや、この本に書かれた全ての嘘とペテンが現代の中国にも通じる事実である。アメリカ政府にしても蒋介石政権につぎ込んだ何百兆円にも相当する金が軍閥の懐に入るだけで、何の役にも立たなかった。それにもかかわらず米国は経済的利益を求めて中国と「仲良く」しようとしていたのである。日本も戦前膨大な西原借款を与えながら、得られたのは反日である。借款がびた一文も返済されなかったのは当然である。


科挙についての誤解

2019-12-04 15:30:05 | 支那大陸論

科挙は漢民族の文化ではない

 支那の歴代王朝の官僚選抜試験である、科挙については誤解がある。支那大陸に成立したの歴代王朝は、殷、周、秦、漢、隋、唐・・・などと続く。漢字漢文を育て完成したのは秦、漢王朝の民族であろう。これが漢民族である。そして科挙の課題となる支那古典の代表とされる四書五経は、それ以前のものである。そして科挙が始まったのは、紀元後の隋王朝からである。ところが、漢王朝崩壊によって五胡十六国といわれる戦乱の分裂期に、飢餓や戦争で、中原に住む漢民族と呼ばれるべき民族は10分の1以下に激減し、周囲の異民族がこれにとってかわった。つまり本来の漢民族、すなわち漢字漢文を発明した民族は事実上絶滅したのである

 もちろん、諸民族が混とんとする中、支那大陸を統一した、隋や唐も本来の漢民族ではなく、周辺から侵入した異民族であることが分かっている。つまり漢民族を中心に考えれば、異民族が異民族を駆逐して王朝を建てたのに過ぎず、本来の漢民族に対する異民族王朝である文字を持たない、隋王朝にとって漢文の古典とは西洋で言うラテン語の古典に相当するものであった。ここでルネサンスに言及しておこう。ギリシア・ローマの文明はルネサンス以前にはビザンチン帝国などのアラビア人によって継承されて発展していた。日本人は世界史で西洋人に騙されているが、当時はアラビア世界が文明の中心であった。当時は中東が最先端の世界であり、西欧は文明の田舎だったのである。ラテン語などによるギリシア・ローマの古典はアラビア語に翻訳されて学ばれさらに発展していた。現に今使われているのが、アラビア数字であることを考えれば、当時のアラビア世界の水準の高さが理解できよう。

 十字軍でアラビア世界に侵入した西洋人はこの高い文明を見て愕然とした。そこでアラビアで継承発展したギリシア・ローマ文明を導入することにしたのである。これらの文明の成果をアラビア語からフランス語ドイツ語などの自らの民族言語に翻訳する、あるいは古典は直接ラテン語から翻訳する、などの作業が行われた。ルネサンスとは直訳すると再生と言う意味だそうである。これが西洋人の狡猾さである。現代に続く西洋人には文明もDNAもギリシア・ローマの末裔はほとんどおらず、ゲルマン民族の大移動などによって西欧世界の周辺から侵入した、ギリシア・ローマ世界からすれば蛮族の末裔である。それなのに「再生」と言う言葉を使ってあたかも西洋人が大文明であるギリシア・ローマの末裔であるかのごとく装ったのである。ハリウッド映画トロイでアメリカ人のブラッドピットがギリシア神話のアキレスを演じているのを見るとこの思いを深くする。

 ここまで書けばルネサンスを持ちだした意味がおわかりいただけただろう。隋王朝は漢民族に比べれば、言わば蛮族の王朝である。従って漢民族の古典を持ちだす事によって自らを漢民族と詐称したのである。ここでいう蛮族とは、必ずしも野蛮で遅れた民族ということではない。漢文による文明を作り上げた民族を持ち上げて言った相対的なものである。隋王朝が戦乱を統一できたのは、中原に住む他民族より戦争のテクノロジーに優れた民族であったからである。同様にアラビア世界から文明を引き継ぎ発展させた西洋人も優秀な素質を持っていたはずである。しかし古代文明を尊重する隋以降の王朝は、古代文明に対する憧憬から漢文の古典を絶対的な規範とした。その典型が科挙である。

 類似した事は西欧世界でも起きた。ラテン語は、自らの民族言語ではないにもかかわらず、ルネサンス以後西欧の学者や知識人の必須の言語となり、現在に至っている。多くの英語などの西欧言語の単語がラテン語から造語されていることは、よく知られている通りである。しかし支那大陸と西欧には1つだけ絶対的な相違がある。支那大陸では漢文の古典を絶対視し、それを発達させなかった事に対して西欧では古典は尊重しながらも、それを基礎として発展させた事である。これは現在に至るまで決定的な差となっている。この違いは、ラテン語が口語と文語の相違はあっても、少なくとも日常の言語を基にしているのに対して、漢文はいかなる支那における言語とは関係のない、筆記のためだけのものだったからである。そのため漢文には時制も、品詞も文法もないきわめて原始的な表現手段であることは、岡田英弘氏が指摘するところである。

 従って、「康熙帝伝」に書かれているように、当時の宮廷にいた多くの西洋人宣教師は満洲語は習得したがそのうち、漢文を読解できるようになったのは、たつた一人という難解なものであった。それ故、支那大陸において唯一の文字による意思疎通手段である漢文を官僚に習得させるために、「科挙」という難解な官僚登用試験が行われたのである。「漢民族」が絶滅した後、非漢民族王朝の隋以降に科挙が始まったのは必然性があったのである。。

 その後の支那文明の停滞と西欧文明の発展の差は、漢字が表意文字であるのに対してアルファベットが表音文字であったことがひとつの原因である。文字と言うものは性格上必ず象形文字すなわち表意文字から始まる。しかしそれでは言葉を表わすのには不便なので表音文字に進化する。しかし漢字は原始的な表意文字にとどまった。その点で言えば、漢字から仮名を発明した日本人は文字の進化からいえば単なる物真似民族ではなく、漢字の正統な後継者のひとりである。これに対して現在まで中原に住む漢民族と自称する人たちは、文字の進化をさせることができずに、現在に至るまで不便を甘受している。支那大陸では王朝が崩壊する度にその後の王朝には何も継承されず、全て一から始まる。漢民族と称する民族は常に入れ替わり、一からのスタートとなるから文明は進化しない。常にスタートにあるのは四書五経であった。見よ、現代「中国人」の無道徳のエゴのありさまを。人間社会は文明の進化に伴い道徳の進化ももたらす。これが民度の向上である

 ところがどう考えても支那人の民度は低いのである。漢文の四書五経は支那大陸では文字の上だけの世界になってしまった。どう考えても李下に冠を正さずなどという儒学の教えを守っている支那人などいないのである。儒学の教えは漢王朝の時代までの現実的な道徳的規範だったのであろう。しかし漢民族の滅亡とともにこれらの道徳は継承されなかった。継承されたのは科挙に受かるための方便としての儒学などの教えの丸暗記であって実践ではない。形式上、漢民族とは漢字を使う民族の事ではない。漢文を使う民族の事である。科挙の効用もあって清朝崩壊までは漢文を読める人たち、つまり知識人はいた。しかし清朝の科挙の廃止と魯迅などによる白話運動により、支那大陸で漢文は使えるものがいなくなってしまった。つまり現代支那人は形式上も漢民族を自称する資格はないのである。ベトナムでは現在アルファベット表記を使っている。アルファベットは道具として使われているのである。現代中共社会では漢字は言語表記の道具として使われているだけである。つまり支那大陸における漢字の用法には清朝崩壊以降本質的な変化があったのである。現代の支那大陸の人たちは漢字で書かれた北京語を学んでいる。しかし漢文は全く読めない。北京語が簡体字で書かれているからではない。北京語の漢字表記と漢文とは何の関係もないからである。

 科挙についてのもうひとつの誤解は、支那の歴代王朝の全土で科挙が行われていた、と言う事である。例えば清朝では、漢民族と呼ばれる人たちの居住地域の他に、満洲、モンゴル、ウイグル、チベットなどのはるかに広大な地域を支配していた。これらの地域は独自の文化と制度による自治がおこなわれていた。満洲、モンゴル、ウイグル、チベットでは漢字は使われず、独自の言語と文字を持っていた。だから、これらの地域全部に科挙が行われたはずはないのである。この単純な事実をはっきりと説明した専門家を寡聞にして知らない。清朝では、漢民族地域では支那の皇帝として、モンゴルではハーンなどというように、その地域における元首として分割統治している帝国だったのである。これは大英帝国の女王が植民地インドにおいてはインド皇帝として支配していたのと同じである。こう考えれば科挙はいわゆる漢民族居留地域でしか実施されてはいなかったのは当然である。乾隆帝が清朝皇帝であるというのは「漢民族」居留地域の事であって、モンゴルにおいてはハーンであった。元朝においてはモンゴル人は「漢民族」居留地域においてさえ、科挙を廃止してしまったのである。

 科挙とは過去の偉大な黄河文明の後継者を詐称するための方便である。だから科挙は必ずしも支那の帝国の全土で行われたわけではない。漢民族を詐称するものたちの中だけで行われたのである。漢字を漢文として使う事を放棄した支那人には、漢民族を詐称する資格すらない。

 ついでに言うと、モンゴルが科挙を廃止したのは、黄河文明の後継者を詐称せず、あくまでもモンゴル人としての自負があったからであろう。隋、唐などの黄河文明の後継者を詐称した民族が今日漢民族であるかのように言われるのはこの結果である。従ってモンゴルは中原の支配を終えても民族国家として残る事が出来た。満州人が漢民族と同化したと言われるのも隋唐の先例と同じ原因である。単に清朝崩壊時に皇帝が北京に居残ったためばかりではないであろう。その意味で、中原を支配した非漢民族が消えていないのと同様に、満州人は漢民族と同化したのでもなく消滅したのでもない。現に大陸に居住しているのだ。それどころか、北京周辺で清王朝の影響を受けて、満州族化した民族すら多数いるのだ。満州族のものである京劇や支那服を「中国」固有の文化だと称するのが、その証拠である。


中共はそう簡単には変わらない

2019-10-02 08:52:17 | 支那大陸論

 国慶節を迎えた10月1日、中共では報道される限りでは、香港では表面上は少数の重傷者が出ただけで、デモ隊と警官隊の小競り合いで済んだように見える。その陰には、何万という報道され得ない犠牲者があったのであろう。それは見事に隠された。チベットやウィグルではもっと犠牲者が出たのだろうが、報道されることはない。結局は香港も中共も変わりはしなかった。中共王朝はまだ70年しか経たない。

 そう簡単に中共王朝は崩壊しない。しかし、いつかは確実に崩壊する。それは今生きている私たちの見ることではないのであろう。


漢字を使うから漢民族と言う嘘

2019-09-28 17:38:06 | 支那大陸論

 漢民族とは何か。多くの文献書物では、漢字を使うという共通の文化を持った民族であるとされる。ところが世界史的に見れば、それほど馬鹿げた定義はないことが分かる。ヨーロッパの多くの民族は、アルファベットを使う。だからこれをアルファベット民族とひとくくりにするだろうか。

 ヨーロッパのアルファベットを使う民族には、ラテン系あり、ゲルマン系あり、多様な民族がいる。いかに同一の文字を使うという事で、民族の定義をするのが不適切か分かるはずだ。現に、英国人、ドイツ人、フランス人には共通した面すらある。イギリス人のジョージは、ドイツでは、ゲオルグ、フランスではジョルジュと呼ばれる。元のアルファベットのスペルはほぼ同じなのである。ここまで類似性があっても同一民族とは言わない。現在ではベトナム語までもアルファベット表記されている。ベトナム人はヨーロッパの人たちと同一民族かなどという嫌味な質問はすまい。

 それどころか英国の先住民であるケルト族は、文字を持たなかった。それでも独自の文化を持つ民族であったという事は有名である。民族を区分するには、風俗など、色々なものがあるが、最大なものは言語である。沖縄の人たちが日本人の一部であるという事は、沖縄の方言が日本語に属するという事によって証明される。

 もちろんヨーロッパでも同じドイツ語を話すドイツとオーストリアが別な国家を成しているように、同一民族が同一の国家に属する訳ではないという事は、世界中で珍しくはない。翻って、中共を見よう。

 中共では、漢語とひとくくりにされる言語でも、北京語、広東語、福建語、上海語などの多様な言語の地域に分かれている。北京政府の公式見解では、これらは一般には方言と言われているが、実は方言ではなく、英語、フランス語、ドイツ語といったほどの相違があるというのもよく知られている。

 
だから北京語を話す人が、広東語を習うには、英国人がフランス語を習うほどの努力を要するという。明治時代に、日本に来た留学生や、革命家の支那人が、言葉が通じないために、日本語か英語かで会話していたというのも、馬鹿げたようで、現実の話である。そもそも現代で使われている、中国という言葉は、その当時建国した中華民国の略称であって、それ以前、そのような意味で使われたことはなかった。日本人では、東北弁と熊本弁が通じなくても、慣れれば分かりあえるのだから、いかに漢語といわれる言語の間の相違が分かるはずである。

 英語の単語の60%はフランス語語源であると言われるが、異言語には違いない。英語とフランス語には、ゲルマン系とラテン語系という、根本的相違がある。同一語源の言葉の用法に相違があるから、かえって混乱するとも言われる。つまり漢語と言う単一の言語がない以上、漢民族と言うのは定義はいかに不適切か分かる。

 漢民族などと言う言葉は、独裁の圧政をしている共産党政権に利用されているだけである。それどころか、ウィグル人やチベット人を、少数民族扱いするために、ウイグル族やチベット族などという言葉や、漢族という言葉さえ発明した。それらを統一する民族概念として、今ではなんと「中華民族!」などという、新語を発明した。民俗学の愚弄でさえある。それは、ウィグルやチベットと言う、漢字さえ使わない民族への侵略を正当化する手段である。今や北京語ルーツの普通話なるものを、広東人や福建人などの」漢民族」ルーツの人たちばかりではなく、チベット人やウィグル人などにも、強制しつつある。これはかつて支那大陸を支配した王朝がなさなかった暴挙である。焚書坑儒を行った秦の始皇帝の暴挙以上である。始皇帝は、漢字漢文の統一をなしただけであって、言語の強制統一をしようとしたわけではない。漢文は、話し言葉としての言語の漢字表記ではないのだから。悲しいことに、多くの日本の学者や政治家がこれに加担している。

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漢字の崩壊

2019-09-23 17:48:25 | 支那大陸論

 中国語で戦車の事を何と言うか。坦克だそうである。読みはタンクーである。分かるだろう。英語の戦車のタンクの音をなぞったのである。漢字は表意文字である。坦の意味は漢和辞典で調べると、ひろやか、たいらの意味である。克の方は、たえる、できる、よくする、うちかつ、うまく、などの意味である。どう考えても二字とも戦車の意味はない。強いて言えば克の元は人がかぶとをつけたさま、とあるのが近いだけであろう。つまり坦克は表音文字として使われているのであって、本来の表意文字としては使われていないのである。これは一例ではあるが、造語の必要性が増えている現代中国では珍しくはないであろう。

 漢字は一字一音節が原則である上に、一字が一つの単語である。音はそれほどあるものではなく、漢字は何万もあるから、例えば、aと発音したときに相当する漢字はいくらでもある。それを発音の仕方でできるだけ区別しているが限界はある。しかも呉音とか唐音とか言って時代によって漢字の読み方は全く異なる。今でも地域によって発音が異なる。例えば北京語と広東語とは発音が違う。つまり漢字の発音自体元々は何の意味もなかったのである。ひらがなやカタカナも一字一音節である。ひらがなカタカナは表音文字の漢字を捨象して、表意文字から表音文字になったのである。現代中国において漢字も表音文字として使われるようになっている傾向がある。例えば日本語ではひらがな2文字であれば、ほとんどが2音節である。

ところが漢字一文字ならば、ひらがなで書けば2音節や3音節で表わされるものも、漢語では1音節である、と言うのは普通である。だから漢字を表音文字として使っても、ひらがなの場合ほど長くなるわけではないが、やはり冗長である。簡体字が使われるようになったのは単に難しいからばかりではなく、書く速さもあるのだろう。そればかりではない、字づらを見れば分かるように、簡体字は既に表意文字から離れつつある。このまま簡体字化と表音的使用傾向が進めばどうなるか。それは漢字の崩壊である。漢字は本来漢文として使用するものである。漢文は古代中国語の文字表記でもない。発音して聞かせるものではなく、一文字一文字の意味を共通して知っている者同士が書いて情報を伝達する手段に過ぎない。言わば筆談は漢字の本来の使用法である。

だから清朝の皇帝は四書五経などの漢文の古典を、自分が理解できる満洲文字による満洲語に写した。そこで現代では西洋人が支那の古典を学ぶ場合、満洲語を学ぶそうである。満洲語で書かれた四書五経には文法があるから、西洋人にも理解可能だからである。漢字が表音文字化してしまった果てには何があるか。毛沢東は簡体字化の前に支那言語のアルフアベツト表記を試みさせた。その結果分かったのは、北京語、広東語、福建語などのいくつかの言語が全く異なるものと言う事である。更にはそれらの言語を話すのが各々異なる民族である、と言うのが分かってしまうという事である。中央集権による「国民国家もどき」を作ろうとしていた毛には許せる事ではなく、試みは中止された。支那言語のアルフアベツト化はいくつもの民族国家の分裂へのスタートだったからである。

それでもジャッキー・チェンの映画は北京語のネイティブには理解不能だから、簡体字字幕(普通話字幕ないし、中国語字幕と呼ばれる)が必要である。もう中国の分裂は始まっている。私が言う中国の分裂とは、チベット、ウイグルなどの独立ばかりではない。漢民族と呼ばれる人たちの分裂である。彼らは長い間漢字と言う紐帯だけで結ばれていた。それが上海語、広東語などの異言語の民族に分列するのである。

その始まりは中共の成立によるものではない。漢字は漢文を書くためにあるものである、という大原則を忘れ、口語を漢字で表記すると言う白話運動を、魯迅などが中華民国初期に始めた事によるものである。漢字で口語を表記する、この不可能事が本当の意味で完成した時に漢字は崩壊して漢民族は分列する。もう既に一部の学者以外、古典の漢文を読める「漢民族」はいない。それが中国の国民国家化の始まりであり、中国の近代国家の成立である。現代中国は西欧の近代国家に相当するものではないのはもちろん、中世国家にも相当しない。二千年前と同じ古代国家が続いているのである。

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中華人民共和国(中共)の言語分布

2019-09-02 16:41:15 | 支那大陸論

                                             図 中華人民共和国(中共)の言語分布

 

 北京官話を四つの異言語地域に区分したので、改めてアップロードしました。これで一応完成形です(大いにヤマカンありですが)。カラーで示すのが、いわゆる漢語言語圏で、ヨーロッパに相当する地域と思っていただきたい。黒で示したのが、非漢語言語圏で、中東の地域のような言語の相違がある、と空想していただきたい。

 中共国内の主要言語には、北京語、広東語等の漢語と、漢語以外のモンゴル語、チベット語、ウイグル語がある。小生はこの言語分布の地図を「世界のことば」と「中国の諸言語(ラムゼイ)」から作成した。少なくとも日本には、このような言語分布地図が存在しないように思われるが、かえってそのことが不自然だとしか思えなかったからである。

 中国の諸言語からはMandarinの分布を、世界の言葉からは、それ以外の中共国内で使用されている主要言語を参照した。特に世界の言葉、の「中国語」の項には、北京語以外の漢語の分布については、省と関係なくごく大雑把なものなので、中共の地図とスケールを合わせて、小生の独断でトレースした、曖昧なものであることを一言する。

 それでもトレースした結果から見れば、省の区分と言語の分布がある程度相関が想像できる。モンゴル語に限らず、中共国外にも分布している言語があるのは当然であるが、主旨から外れるので省略した。

 また興味が持たれるのは、北京語以外が、各々「○○語」という以外にも「○○方言」とも呼ばれていることがあることである。例えば。

広東語:粤方言

上海語:呉方言

福建語:閩方言

客家語:客家方言

語の呼び名なし:贛方言、湘方言

 

 そして「贛」と「湘を漢和辞典で調べると、各々、江西省と湖南省の別称である、と書かれている。そして地図でみれば、贛方言は江西省の大部分で、湘方言は湖南省の半分くらいで使われている。すると福建省と広東省で主に使われているのが、各々、福建語と広東語と呼ばれていることからは、江西語と湖南語と呼ばれても良いことが想像できる。ちなみに、毛沢東は湖南の出身で、北京語が分からなかった、といわれているから、北京語と湘方言の違いは、方言の差どころではないことから、やはり湖南語と呼ぶことがふさわしいと考えられる。

 尋常ではないのは、Mandarinの範囲の広いことである。これはいわゆる北京語あるいは北京官話と呼ばれ、中共政府によって普通話と呼ばれているものであろうが、それにしても広すぎる。しかし、他の言語の分布が似たような面積であることを考えると、Mandarinの範囲には実際にはいくつかの言語に分かれるものであることが推察できる。前掲の中国の諸言語に小生の推定を加えたもの({}内に示す)によれば、

 

①北方官話・東北部で話され、北方言語もその中に含む。{東北部すなわち旧満洲と北方(黒龍江、吉林、遼寧、河北)原著によっても河北は北方言語と考え仮にいれた。}

②西北官話・黄土台地とそれ以西の地域の方言を含む。{甘粛、寧夏、陝西、河南、湖北、山西、回族自治区}

③西南官話・四川とその近隣地域で話される。(四川東部、貴州、湖南西部、雲南)

④東方官話あるいは下江官話・南京とその周辺で話される方言に代表される。(江蘇、安徽、山東)

 

 というように少なくとも四つに分かれる。はっきりしているのは、北方官話が満洲語オリジナルに最も近いことである。純粋な満洲語と満洲文字を使うのは、楊海英氏によれば、シボ族と呼ばれる「少数民族」である。従って北方官話は満洲語を基礎とし、漢字表記することによって変化をとげたものであろう。これは現代日本の標準語が、江戸弁を基礎とし、漢字かなまじりの口語体になったことに類似しているであろう。

 北方官話とシボ族言語(オリジナルに近い満洲語)の違いは、漢字かなまじりの口語日本語と、江戸弁の違いに似ているのに違いない。残りの西北官話、西南官話、東方官話は、元々あった地元の言語が満洲語訛りとなったもので、Mandarinとはいっても満洲語とは違うものに変容している推定する。北方官話が東三省と呼ばれた、旧満州国領域に、北京付近を付加したものであることは興味深い。

北方官話を話す領域に住むのは、満洲人の末裔ならびに満洲化した漢人(康熙帝伝:東洋文庫の記述による)であるのに、相違はないと考える。満洲国に住んでいた民族は万里の長城を超えて満洲に流入した漢人が多かったからである。従ってDNAは漢人が多かったとしても、文化や言語などの民族的要素としては、満洲人(女真人)であると考える。

また、雲南付近は南方言語、すなわちベトナム語などの言語が基層にあると、小生は想像する。すなわち満洲語とは似てはいるが別言語である。これら四北方言語も結局は互いに異言語化しているのであろうと考えるため、破線で北京官話の四つの地域の境界の推定を示した。

英語は古ドイツ語からスタートしたから、文法はかなりドイツ語の影響を残し(ドイツ語学習の際に独英比較文法書が参照される)、語彙にフランス語などの影響を強く受けて異言語となっていったのと似ているであろう。

突拍子もない言語、民族分布と皆さんはお考えだろうが、小生は首里城にある、琉球王朝発信で清朝の乾隆帝宛の公文書が、漢字とは似ても似つかず、モンゴル文字に似た流麗な満洲文字であったのを見た瞬間に、かく述べきたった仮説を立てたのである。清朝の公用語の第一は満洲語満洲文字であって、漢語漢文ではなかったからである。

 

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中国の悪しき西洋化

2019-08-14 23:14:59 | 支那大陸論

中国の悪しき西洋化

 以前、中国は皇帝制度を廃止してから変質した、という小生の意見に対して、毛沢東は世襲には失敗したが、結果的に集団指導体制の中から「皇帝」を選ぶシステムに移行して、かえって実質的な皇帝制度の安定的存続には成功したのではないか、という意見をいただいた。これは「皇帝選抜」制度の改良になっている、という点において大いに貴重な意見であると考える。

 ここでは、その点はさておく。ここでは、現代世界が実質的に西欧的な価値観が基本である、という観点からすると、いかに中国が抗おうとも結局は、西欧的価値観に取り込まれて、その中であがいているのに過ぎないのではないか、という直観的発想をした。一番分かりやすいのが科学技術である。現代世界の科学技術の基本は、全て西欧発のものである。

 かつては支那大陸もイスラム世界も独自の科学技術を持ち、西欧に比肩するどころか西欧を凌いでいたのである。ところが、ニュートン力学をはじめとする西欧の科学技術が急速に台頭すると、数式などによる表現力と、構造計算などの普遍性により、急速に世界を制覇していった。なかでも、それまでの風力や水力といった、自然の力を使っていたものから、蒸気機関や内燃機関などの人為的動力の発明は大きい。また構造物の設計にも、それまでの経験だけに頼っていた手法から、数値による強度計算が可能となったことも画期的である。

 もちろん西欧科学技術も、インドやアラビア世界の発展的継承であることは言うまでもない。しかし、その発展が、画期的一線を越えていったのである。

 もし、西欧の体系的理論化がなければ、コンピュータ、自動車や飛行機などといったものは、人類は永遠に発明しなかっただろう、とさえ思わせる次第である。例えばライト兄弟より早く「飛行器」を着想したといわれる二宮忠八も、搭載する動力を得られず頓挫した。結局、日本も中国も、その他の地域も西欧発の文明に席巻されていった。しかし小生には、中国だけは、日本を含むその他の非西欧地域とは、対処の仕方が違うように思われる。

 日本は皇室を権威とし、政治権力とは分離する、西欧で言えば立憲君主制に相当する国家を変質させはしなかった。イスラム諸国もイスラム教を国法とする体制に固執して揺れながらも、西欧と抗っている。確かに中国も欧米と抗っている。しかし、その抗い方は西欧の物まねでしかないように思われるのだ。政治体制は恐怖と弾圧と殺戮というソ連の共産主義の物まねでしかない。チベット、ウイグル、内モンゴルでは、民族浄化と言う、米国がネイティブアメリカン(いわゆるインディアン)に行ったのと同様な政策を実行しつつある。アフリカなどの発展途上国に対しては、一帯一路なる「新植民地主義」政策による強奪外交を展開している。

 科学技術は西欧のコピーどころか、西欧の資本を利用したコピー以下のものでしかない。多くの人たちは誤解しているが、見よう見まねでコピーできるのは、技術水準がほぼ追いついている場合である。その意味では現代中国のコピーとは、外国資本による製造設備に、外国資本の指導で中共国民が働らかされて物を作っているのに過ぎない。技術の本質的獲得はないのである。「中国製造2025」とは、このような状態から脱して、自前の西洋流製造技術獲得を目指しているのに過ぎない。

だから外国企業がいなくなれば「中国製造」さえ不可能となる浮薄なものでしかない。だから「中国製造2025」と騒ぐのである。外国資本がいなくなって、製造設備が老朽化し、部品の補給がなければ製造は止まり、それに代わる改良された製造設備に自ら更新することはできない。製造工程すら、日本や欧米諸国の指導を仰がなければ継続生産できなくなる。つまり現代中国とは、欧米の政治、経済、科学技術のあらゆるものが、悪しき欧米の物まねである。

現在、その悪質さに気づいた米国をはじめとする諸国により、敵対的対応をされつつある。中国が敵視される悪質さは、西欧的手法の悪しき安い物まねでしかないからである。その根源は常に周辺民族から支配されて変転極まりない王朝を連綿として仰いできた「漢民族」の唯物的価値観にあり、本質的に伝統と継続性、さらには発展性と言うものを持たない政治体制をいただいてきたことにあるのではなかろうか、と考える次第である。見よう見まねでも、外国技術を獲得することができる日本とは本質が異なる。

ちなみに中国独特なものは、青幇(ちんぱん)のような「幇」というマフィア組織のようなものの社会的支配力である。中国共産党も幇の一種である。つまり中共はやくざが仕切っていると考えると理解できる。過去を見ても、項羽と劉邦などは幇の親分そのものである。

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暴支膺懲(父よあなたは強かった)

2019-08-03 20:43:44 | 支那大陸論

 支那事変陰謀論は、小生には確定的に思われる。スターリン、ルーズベルト、毛沢東らの陰謀説である。しからば、それに乗った日本はただ愚かであったろうか。近衛政権ですら操られていたらしいのも間違いなさそうである。日本が愚かであったのなら、米国宣教師らを少なからず支那人に殺され、現代日本国の年間予算に匹敵する援助を騙し取られた、ルーズベルトら米国人も愚かと言わなければならない。

 小生の父は華北に出征し、戦後帰還した。叔父即ち父の弟は、昭和十九年八月一日に、実験班員として働いていた、横須賀海軍工廠から満洲に出征し、同月三十日に享年二十二歳で戦病死した。赤痢である。講道館初段だったから頑健な体であった。息子の死を悼んだ祖父は、先祖伝来の墓地とは別に、個人としては破格の五坪ほどの石垣作りの墳墓を作り閲歴を刻した墓石を建て無言で祈った。叔父の閲歴を記すのは、子孫を残さずして夭逝した無念を心に刻むのである。

父や叔父の努力を愚かだとは言わない。今の日本に繋がるからである。相戦った日米は同盟し、愚かな米国は覚醒し、今や中共暴戻政権と戦わんとしている。維新以来、露支は日米共通の敵であったのである。露支と戦う米国人は、良い米国人である。


書評・中国と日本がわかる 最強の中国史・八幡和郎・扶桑社新書

2019-07-26 19:48:58 | 支那大陸論

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 著者は、保守の論客の一人であると思っていたが、本書の論調は全体的に違和感がある。小生は大東亜戦争を太平洋戦争と呼ぶか否かを、ひとつのリトマス試験紙としている。筆者は汪兆銘政権のことを述べた後「(蒋介石は・・・小生注)その後の日本の大平洋戦争での敗北により、満洲や台湾を取り戻しました。しかし、この戦争で疲弊した蒋介石の国民政府は日本との戦いを避けて力を温存しましたが、ソ連から支援を受けた毛沢東との内戦に敗れ、台湾に退き、北京と台北に二つの政権ができました(P36)」と書いている。

太平洋戦争と言う言葉のみならず、この記述全体が奇妙である。蒋介石が満洲と台湾を取り戻した、とか負けたはずの日本との戦いを避けたとか、あまり正確ではない言辞がある。本書には全体として、これに類似した違和感があるのである。

そのひとつだけ指摘しておく。著者の理解に、一見それほどの間違いはないように見えて致命的なものがある。漢文と現代中国語の文字表記と混同してみたり、別個のものだとする混乱がある。だから、予備知識のない読者には、全く違う理解になる可能性があるの的なで大変である。結論から言えば、現代中国人は北京語上海語の漢字表記はできても、漢文は理解できないのである。

 P5にこうある。 

 「漢民族と呼ばれる人たちは、互いに会話は理解できない場合もありますが、書きことばとしては、中国語を共通して使うようになった人たちです。たとえば「私は明日鶏を三羽買いたい」というなら「我想明天買三隻鶏」というように表意文字をほとんど並べただけですから、複雑な文法を勉強する必要もなく、漢字を習得すれば商取引や簡単な指示なら可能です。

 逆にもし複雑なことを表現するときには古典における表現例を学習しないと意味をなさなかったり・・・朝鮮半島の人々は北方系の言葉を話しますが、日本統治時代までは書き言葉はほとんど成立せずに中国語を使っていました。」

 

 ともかくひどい。書き言葉としての「中国語」と言っている。それが間違いの始まりなのである。中国語と総称されるのは、現代では、普通話、広東語、上海語などの何種類かの漢語のことを言う。しかも、これらは話し言葉であり、清朝崩壊前後までは、これらに対応する書き言葉がなかった。普通話とは正確には北京官話(ないしは北京語)から作られた、現在の中華人民共和国(中共)政府が中共支配の全土に強制している、日本語で言えば標準語のようなものである。

 普通話、広東語、上海語などの相違は方言と言う程度ではなく、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語といった程度の異言語なのである。このことを著者は「漢民族と呼ばれる人たちは、互いに会話は理解できない場合もあります」というのだが、前掲の文章では何のことか分からないであろう。しかも清朝崩壊前後から行われた白話運動で「普通話、広東語、上海語など」の漢字表記が作られた。そして普通話、広東語、上海語などの漢字表記は話し言葉が相違することから、漢字表記そのものが異なる。つまりこれらの漢語の漢字表記は各々違うのである。

 それなら著者の言う「中国語」の書き言葉とは何であろう。実は私たちが高校で習った「漢文」の事である。筆者の説明を置き換えて「漢民族と呼ばれる人たちは・・・漢文を共通して使うようになった人たちです。・・・朝鮮半島の人々は・・・日本統治時代までは書き言葉はほとんど成立せずに漢文を使っていました。」とすれば事実に則している。しかし、それでは、朝鮮半島の人々は漢民族と誤解されてしまう。

 しかも漢文は筆者が言うように、「表意文字をほとんど並べただけですから、複雑な文法を勉強する必要もなく、漢字を習得すれば商取引や簡単な指示なら可能です。逆にもし複雑なことを表現するときには古典における表現例を学習しないと意味をなさなかったり」するものなのである。一方で普通話、広東語、上海語などの話し言葉にはちゃんと文法もあるのである。従って漢字表記された、これらの言語にも当然文法もある。

 全ての間違いの元は漢文が「古代中国語の漢字表記である」と言う勘違いが前提にあるためである。そして、著者がそのことを理解していないのが問題である。しかもインターネットで「漢文」を調べても、それに似た間違った表現がされていることが多い。つまり筆者は耳学問なのである。著者のいうように「中国語」ではなく「漢文」には文法もなく漢字を並べただけの原始的な表記法であって、古典の用法を参照しなければ正確な意味は理解できないし、厳密な表現はほぼ不可能である。少なくとも話し言葉程度の厳密さも表現できないのである。しかも漢文は音声を出して読むことはあるが、あくまでも書き言葉の朗読であって、話し言葉の漢字表記ではない事に注意されたい。

 著者の奇妙なのは、ここでは中国語、といっておきながらP45で突然「江戸時代に日本と朝鮮と中国のインテリ同士は、互いの言葉は知らないし、漢文も会話だと、日朝ともに独自の発音をしていましたから通じません。」と突然漢文と言い出すのである。著者はかつて「漢文」を習ったから、そう言い出すのである。これも説明不足である。漢字は表意文字であるから、読みは民族によって異なる。このことは重大である。しかも漢文による会話はしないのである。まあ、和歌で問答をするようなつもりなら可能であるが、奇妙なものであることは想像できよう。

 漢民族とひとくくりにしても、普通話、広東語、上海語などの異言語を話す人々であることで分かるように、王朝が変わるごとに支配民族が変わったから、漢字の発音は変わっていくのである。日本では和式の漢字の発音を訓といい、中国由来の発音(もちろん正確なものではなく英語のカタカナ表記の程度のもの)を音、という。

P49には、伝わった時代によって呉音と漢音があると紹介されている。しかしインターネットで「呉音」と引けばわかるように、日本に伝わったのは、呉音、漢音、唐音の3種である。「行」を「あん」と読むのは唐音なのである。3種類の音が日本にあるのは、元々三つの読みがあったのではなく、著者が言うように漢字の読みが伝わった時代が異なることによる。ちなみに昔NHKの漢詩の講座で、漢文書き下し読みの他に、原語の中国語の発音の読みを紹介するラジオ番組があった。だが李白が読んだ漢詩を李白の時代の発音で読んでいなければ、原語で発音した、という意味はなくなってしまうことは理解できるであろう。小生には漢字の発音の知識がないので、当時の漢詩の講座の発音が正しかったか、判断しかねるのだが。

小生は漢文の知識がないので確信はないが、著者が例示した漢文で、日本語の明日を明天と書いているのは、漢文として正しいのであろうか、という疑問がある。インターネットで明天と引くと中日対訳辞書に、日本語の明日のこと、とある。つまり明天とは普通話で使われるもので漢文では使われない可能性大である。漢文なら漢和辞典にあるだろうからと「明」と「天」を調べても「明日」という用法はあるが「明天」なる用法はない。実際、後述する語学入門書によれば、「あした」は北京語で「明天」、上海語で「明朝」と書くそうである。北京語とは普通話の事である。もちろんここでいう北京語と上海語は話し言葉を漢字表記したもので、書き言葉だけの漢文のことではない。従って「我想明天買三隻鶏」と書いても、北京語ネイティブには理解できても、上海語ネイティブには変だ、と思われる可能性大である。まして漢文の日本人専門家に見せれば、偽漢文だと言われるのは間違いない。

漢和辞典の「明治」の意味には「明らかに治まる」という用法だけで、明治時代という用法は示されていない。恐らく漢和辞典は主として漢文用に作られているからだろう。とすれば、著者は普通話での明天の用法を例に使ったのであって、漢文での用法ではないように思われる。著者の意図は漢文(著者の言う中国語の書き言葉)とは漢字を並べたもの、と言いたいだけなのだが罪は大きい。

ただ、話し言葉としての「中国語」にはいくつもの異言語がある、というのは中国語の専門家に聞くまでもなく、以下の「トラブラないトラベル会話 広東語」という広東語の入門書に書かれている下記の監修者の序を読めばわかるであろう。曰く。

 

「私は福建人の三世としてマレーシアで生まれ、福建語、福州語、マレー語、英語で高校まで教育を受けてきました。そして留学した一橋大学では日本語を学び、その後広東に渡り、広東語を学ぶという貴重な経験をしてきました。数多くの外国語に接してきましたが、中でも広東語は、単音節の声調の高低で意味が変わり、また終助詞の使い方も複雑な、難しい言語だと思います。」

 

なんとこの本の監修者は、福建語を母語としながら、福州語、マレー語、英語、日本語を学び、これらと並列して、広東語を外国語すなわち、異言語と言っているのである。著者はこの事実を知らないから、とんでもない間違いをするのである。つまり漢文を中国語の書き言葉、と言って見たり、普通話、広東語、上海語などを説明なしに、ひとくくりに中国語と呼ぶのも「中国史」を解説する本としてはおかしいのである。これらの「中国語」なる言語はいくつもの異言語のグループであって、方言にとどまるものではないことを銘記されたい。

つまり、中国語とは、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語などの西欧の言語をひとくくりに、ヨーロッパ語、と呼ぶに等しいのだということを理解できるであろう。著者は、「民族とは言語集団でDNAではない(P39)」といいながら、日本民族と対置して、多数の異言語集団を含むグループを「漢民族」とひとくくりにしているのは矛盾である。本書には数多く傾聴すべき記述がある。しかし、根底にこのような矛盾が潜んでいることは、内容を理解するうえでも注意が必要である。

ちなみに、明日香出版社に「はじめての○○語」と言うシリーズがあるが、漢語の系統には「はじめての中国語」「はじめての広東語」「はじめての上海語」という三種の本がある。本シリーズの中国語とは「普通話」のことを言う。現在普通話が使われていない地域でも、普通話が強制されている、それは、香港のみならず、チベットでもウイグルでも同様である。香港では普通話強制反対のデモがあった位である。

共産党政権以外の、過去の清朝などの王朝では、このようなことはほとんど行われていない。著者が言うように民族とは言語集団、であるならば、まさに共産党政府は民族抹殺政策を行っている。共産党による殺戮を含む民族抹殺の規模はナチスドイツのそれをはるかに上回る。その意味でもP239に書かれたチベットやウイグルの記述は承服できるものではない。

「中国はチベットやウイグルを侵略した」というのは言い過ぎだ、というのである。「少なくとも近代になって外国を侵略して領土にしたのではありません」というから驚きだ。「チベットやウイグルはいちおう国際法の上で認められた中国の領土です」とも断言する。これはものごとの順を間違えている。中華民国内の一匪賊に過ぎなかつた中国共産党は、支配地域を拡大(侵略)して中華民国を追い出し、清朝の支配地域まで侵略を拡大した。

その中共を国際連合に加盟させたから、国際法で認められたことになるのである。つまり国連は中共政権の侵略を是認したのである。どんな方法で獲得した領土でも、国際社会が追認すれば、国際法上合法となるのであるのは確かに事実である。そして筆者は、チベットやウイグルでナチス顔負けの民族浄化が行われていることには、一言も言及しないのである。

小生は中国共産党政府に媚びてのことだろうと邪推するが、最近の図書館では以前に比べ普通話(中国語)以外の広東語、上海語のテキストが激減しているようである。福建語のテキストなどは元々見たこともない。

本書は中国史について、詳細な記述がなされている本であるが、縷々述べたような、大いなる間違った記述が多いのは、誠に残念である。果たしてアメリカ政府が、ウイグルには百万人規模の強制収容所がある、と発表した現在でも、筆者の考え方は変わらないのだろうか

 


中国語の普通話とは・・・中国百年の!歴史

2019-07-12 19:55:56 | 支那大陸論

小生のホームページ「日本の元気」の中の「支那論」に下記のような記事を載せた。小生のホームページ「日本の元気」アクセスするには、ここをクリックしてください。

 

北京語とは支那言語訛りの満洲語である
 2章の最初に述べたように、mandarinは北京官話と訳される。北京官話とは、北京の宮廷で使われる言語の事である。大雑把に言えば、現在の北京語すなわち、支那の標準語は北京官話をアレンジしたものであると言われている。北京官話が宮廷で使われている言葉であるとすれば、最後の北京官話は満洲語である。

これまでに論じてきたように、少なくとも康熙帝の時代には宮廷では漢人といえども満洲化して、満洲語を話していた。康熙帝伝の宮中では、使われている言語と言えば満洲語と漢文しか登場しない。漢文とは繰り返し述べたように、四書五経のような書き言葉であり、広東語のような話し言葉とは何の関係もない。そして乾隆帝の時代の公文書は満洲文字を使った満洲語で書かれていた。

 さらに難解な漢文の四書五経などの支那の古典は全て満洲語に翻訳されていた。この意味するところは明瞭であろう。現在の北京政府が普及しようと努めている標準語、普通話とは、満洲語を基礎としたものなのである。満洲語を話す漢人が、魯迅などの白話運動によって漢字表記ができるように改良されたものである。この事は日本でも明治期に、二葉亭四迷などによって、これまでの文語体しかなかった文章が、落語などの江戸言葉を基礎として口語文に改良され、これが基になって標準語が出来た経緯と似ている。いや、白話運動とは日本語の口語文成立の過程に触発されたものなのである。

 繰り返し述べたように被支配民族は強制であれ自発的であれ、支配民族の言語を習得するものなのである。しかし土着の言語があるから、その言葉は土着言語の訛りがある。例えばフィリピンやパキスタンの英語はフイリピングリッシュとかパキスタングリッシュとか揶揄される。これはフィリピン訛りあるいはパキスタン訛りの英語、と言う意味である。我々が現在中国語と称している支那の標準語とは、支那訛りの満洲語を改良したものなのである。英語で北京官話の事をmandarinと書くのは満の音をなぞったものと私は想像している。

 康熙帝より後の北京で満洲語が使われていたことを証明する資料はない。しかし康熙帝時代まで北京を首都として百年近く経つ。このころまでに北京の宮廷では満洲化した漢人が当たり前になるほど、満洲文化は普及したのである。当然満洲化した漢人や宮廷に出入りする漢人によって、これらの満洲文化は周辺地域に広く普及していった。この事は言語ばかりではなく、支那服や京劇が満洲文化オリジナルであることからも証明されるように、満洲化の傾向は康熙帝以後強まる事はあっても弱まる事はないと考えるのが自然である。さらにその後の乾隆帝の時代にも、公文書が満洲語で書かれていた事は「琉球貢表」で証明した。満洲人が漢化したと主張する人に聞きたい。支那服や京劇をあたかも漢民族文化であるごとく主張する現代中国人の倒錯をいかに説明したらいいのか、と。

 東洋で英国やフランスの植民地だった地域は言語や文化まで宗主国に染まっていたのと同じことが支那大陸ででも起きていたのである。そう。支那は満洲人の植民地だったのである。孫文らが滅満興漢と叫んだのは、彼らの独立運動である、との意識の表れである。独立を果たしてもインドが公用語として英語を採用しなければならなかったのと同じ事情か中華民国や中共にも起きた。インドやパキスタンあるいはフィリピンではそれぞれ、ヒンズー語やウルドゥー語あるいはタガログ語がメジャーであるとはいえ、多言語国家国家である。そこでどの民族語に属さずに、既に習得もなされている外国語たる英語も共通言語としての公用語に採用されたのである。

 このアナロジーが支那大陸でも発生した。漢民族といっぱひとからげにいっても、広東語、上海語といった多言語の地域である。そこで共通語として採用されたのが首都北京周辺で一般化していた支那訛りの満洲語を採用したのである。同時に、孫文などの辛亥革命の指導者はそれこそ満洲文化にどっぷり浸かっていたのである。袁世凱にしても漢人とは言え、清朝の軍人であったから、宮廷に出入りしていたから満洲文化が当然身に付いていたのであろう。同じく支那大陸を支配していたモンゴル人との違いは何か。モンゴル人は帰る土地を持っていたのである。すなわち朱元璋が反乱を起こして、元朝を倒すとハーンはゴビ砂漠の北方に逃げ、そこに王朝を移動した。明朝成立以後でもモンゴルの皇帝のハーンは存在した。モンゴル王朝は支那の支配を止めて故地に帰ったのであって、消滅したわけではなかったのである。

 当然北京周辺には、モンゴル化した漢人はいたのであろう。しかし彼らは漢人の報復を恐れて家族ごとモンゴル人について行ったのである。モンゴル化した漢人のモンゴルへの帰属意識がいかに強かったかについては、明朝に投降を呼びかけられた南方の漢民族出身の元朝の軍人の多くが投降を拒否して処刑されたことからも分かる。彼らは南方にいたために皇帝ハーンと共にモンゴルについて行くことが出来なかったのであろう。一方清朝最後の皇帝の愛新覚羅溥儀は袁世凱に騙されて北京の紫禁城に残る道を選んだ。恐らくは故地の満洲の地がロシアに軍事占領されていたり、漢人が入植していたりして、もはや帰るべき土地ではなくなっていたからでもあろう。こうして満洲人は満洲化した漢人に混じって支那北部に土着していった。それがモンゴル語が内モンゴルという一部地域に限定される地方言語になったのとは逆に、標準語として採用されるようになったのは皮肉である。

 インドやパキスタンで英語が公用語であるとはいっても、英語が通用するのは首都などの大都市周辺だけである。実際には香港では広東語が話されているように、標準語による統一が成立するとは私は思わない。現に日本で発行されている中国の反体制新聞の「大紀元時報」(平成22年8月12日付け)は、広東語擁護を掲げ市民抗議デモ、という記事を書いている。ここには「広東語は、海外の華僑圏でも広く使われている言語であるとともに、最も古い中国語の要素が残っている方言として、北京語を基礎とした普通話(標準語)が代表する文化とは大きく異なる固有の文化を育んできた」という興味深い記事がある。さらに「彭氏は、普通話は満洲族の言語の影響なども受けた北方方言の一つであるのに対して、広東語は二千数百年前の春秋戦国時代からすでに存在しており、文化的基盤が深淵である上、広東語のほうが真の中原文化を伝える言語であると述べた」と書く。私はこの主張を「普通話は北方方言の影響を受けた満洲族の言語である」とひっくり返しているのである。

 大紀元時報の主張はあたかも、たかだか数百年の支配の歴史しかない満洲族の言語文化を拒否しているようではないか。そして滅満興漢の主張のようではないか。話を基に戻すと、支那大陸では二千年続いた北方民族の侵入の繰り返しにも拘わらず、言語の分化は強くなっているように思われるのである。そして北方民族の侵入と土着化による多言語化はむしろ満洲王朝は例外ではなく、多くの異民族王朝の崩壊に伴う一般的な現象なのである。つまり広東語や上海語などのいくつかの言語のうちの多くは、かつて倒れた王朝の民族の残滓である。つまり支那大陸の言語の分布はかなり民族分布を代表していると考えられる。その事はヨーロッパの現在とのアナロジーがある。つまりドイツ語を話すドイツとオーストリーはゲルマン民族であり、フランス人はラテン系の民族であると言ったように、言語と民族の分布には、全くイコールではないにしても相関関係がある。

 こう考えると支那大陸に侵入した北方民族の興亡としては、満洲人は標準的な過程を経過したのであって、モンゴル人が例外なのである。現在漢民族と呼ばれる人たちのほとんどは漢字文化を成立させたオリジナルの漢民族からいえば、侵入者たる異民族だったのである。その点で満洲族が漢民族の一部である、と言われるのも逆の意味では当り前であろう。私がオリジナルの漢民族と考えているのは客家と呼ばれる人たちである。しかし客家語は必ずしも広東語など他の言語のようのような明瞭な地域分布がない。あるいは客家と呼ばれて中国各地に分布している場合が多い。つまりオリジナルの漢民族は外来民族に蹂躙されて、大陸の各地に分散したのである。このことは、ユダヤ人と似ているともいえる。外来民族が定住の地を得たのに対して本来土着とも言える民族が定住の地を持てないというのは皮肉である。

 ちなみにモンゴル語だけが明瞭に非漢語であるとされるのは単純な理由である。前述のように、ともかくも北方に逃亡して支那大陸以外に民族国家を維持し続けたからである。だから内蒙古と書こうとも、支那にいるモンゴル人はモンゴル人であり漢民族ではない、とされるのである。別項でも述べたように支那大陸の歴史や言語はやはりヨーロッパとのアナロジーで考えるのが正しいのである。

 10年近く前にアップした小生のホームページの記述は、以上であるが、補足すると「康熙帝伝」(東洋文庫)は康熙帝時代に清朝宮廷にいたフランス人宣教師が書いたものである。そこには「韃靼語」は宣教師皆が簡単に習得したが、「漢語」はたった一人だけが苦労して習得した、と書かれている。「韃靼語」は原文に何と書かれているか不明だが、小生は満洲語と解すべきと思う。また「漢語」を漢文と理解すれば、西洋人に習得が極めて困難なのも理解できる。

 当時の清朝の宮廷では、話し言葉は満洲語だけであり、広東語や福建語といった現在「漢民族」と呼ばれる人々の話し言葉は全く使用されていなかった。書くだけの文章である漢文だけが「漢語」として使われていたのである。康熙帝らの支配民族は漢文を読みあげたと、フランス人宣教師言った。漢字の読みは同じ漢字でも「呉音」「唐音」等いくつかの全く異なる発音がある。しかし、康熙帝の読み上げた漢文の発音はどの発音かは書かれていない。同じ漢字でも時代や民族により発音がちがうなどということは、表音文字しか知らない西洋人には想像もつかなかったのである。

 確かに満洲人の支配者は「漢人」に比べ少ない。しかし、インド、パキスタン、フィリピンでも、宗主国の支配者はごく少なかった。しかし、被支配者の中でも地位の高い者は流暢な英語を話し、地方でも訛りはあるが英語を話す者は多い。あるインド映画を見たら高級軍人は英語だけを話すが、階級が下がると英語の割合が減っていって、末端の兵士に至っては、数字だけ英語だったのには驚きもし納得もした記憶がある。満洲人は少数でも支配者の満洲人の言語や文化を多くの被支配者が取り入れたことは不思議でも何でもない。

繰り返すが、西洋の宣教師にとっては、同じ漢字が時代や民族により読み方が違うなどと言うことは想像の埒外であったろう。アルファベットなら表音文字だから、英仏語間で、ジョージをジョルジュと読む程度の違いしかないが、文字により音が規定されているのは当然なのだ。康熙帝の読み上げた漢文はどの音だったか。宣教師たちには全く分からなかったのである。かの有名な李白杜甫の漢詩を、李白杜甫が読んだ音ではない、音で読んだとしたらひどいことになろう。しかし、日本人は漢詩を日本語読み下しを詩吟にしてけっこう悦に行っている。支那人が聞いたら滑稽なのかも知れないが、日本人には感動ものなのである。

 以上のような、北京語(普通話)とは満洲語がもとになっている、というのは「康熙帝伝」の記述と那覇で見た「琉球貢表」からひらめいた小生の仮説である。補足すると琉球貢表とは琉球王朝が乾隆帝に貢いだもののリストであり、清朝向けの公文書の言語として満洲文字が使われている。その文字は印刷したようにそろった美しい者だった。満洲文字とは、モンゴル文字によく似ていて漢字とは全く異なるものである。逆に琉球側の公用語である漢字が、下手くそな文字で書かれていた。

 この仮説と初めて同じ見解を述べた本を見つけた。正確にいえば小生が初めて出会ったのに過ぎないのかも知れない。

 その本は楊海英氏の「逆転の大中国史」である。この本の主たる主張は、支那大陸の歴史は、清や元などの例外的な異民族王朝の間に、連綿として宋や明といった漢民族王朝の歴史があった、というのは間違いで、宋や明といった「漢民族」王朝の時代にもイスラム系やモンゴルなどの諸民族の国家が並立していて、宋や明の時代ですら漢民族と呼ばれる人々による、広大な統一王朝はなかった、というのである。

 なるほど支那大陸が漢民族によって統一されていた時代は極めて短いという説は、最近珍しくはない。しかし、漢民族の統一王朝と言われた時代ですら、実はイスラム系やモンゴルなどの諸民族の国家が並立していて、漢民族王朝などはそのうちの一国に過ぎない、というのは初めて読んだ。考古学的、言語学的な証拠によれば、そもそも「漢民族」とよべるような人びとはいなかった、という壮大な説である。

 岡田英弘氏など東洋史の専門家によれば、漢字漢文を発明した「漢民族」は五胡十六国時代あたりに激減して、その文化やDNAを継ぐ者はほとんどいないと言う。オリジナル漢民族は絶滅したのである。それはローマ帝国とイタリア人の関係に似ている。単に同じところに住んでいるのに過ぎないのである。

しかし、支那の周辺から侵入した「非漢民族王朝」の随や唐王朝ですら、自らの支配を正当化する歴史の記述に、漢文による歴史の記述と言う共通した手法を用いたことにより、漢民族王朝神話は、継続した。小生の解釈であるが、ヨーロッパのように、いくつもの民族の国家が並立する中で、その中の一国に過ぎないのに、自国の歴史的正当性を主張するために、わざわざ漢文の歴史書を書いた。それが現在では、ある時代にはあたかもその一国しかなく宋や明のように、漢民族王朝が繰り返し再生したかのような偽史現在では「中国史」として流布している。「漢民族王朝」が分裂していたのは何も「南北朝」というような例外的な時期だけではなく、恒常的なものであったといえよう。

しかし小生が注目したのは楊氏の著書の言語である。次のように書かれている。

 「・・・いまの中国で使われている標準語は北京語をもとにしたものだが、北京語は英語でなんとよばれていたかというと、Mandarinである。このMandarinは、「満大人」から来ている。「満大人」とは「満洲の大人」「身分が高い人」のことをさす。つまり「旗人」だ。満洲旗人が話していた言葉が、いまの中国語「標準語」となったのだ。P267」と明快に言う。

 小生はかつてMandarinをManの音から満洲を意味すると想像したが、ほぼ当たっていたのだ。「中国の標準語(普通話)は満洲語が基だという小生の仮説と同じである。だが、その後奇妙な記述が続く。

 「いま現在、マンジュ語を話せる人、読める人は少なくなっている。中国(漢族)への同化がすすんだからだ。しかし新疆でくらす、中国がシボ族と称する数万の人びとは実は満洲人である。かれらは故宮博物院に眠る膨大な量のマンジュ語で書かれた文書の整理をおこなっている。・・・『チャイナドレス』のことを中国では『旗袍』(チーパオ)という。『旗人のドレス』という意味だ。チャイナドレスは漢人の民族衣装ではなく、満洲の女性が着ていたドレスなのである。深く入るスリットは、馬に乗るためのものなのだ。日本人が「中国」「漢族」のものと思っているさまざまなものが、じつはそうではないということを知ってほしい。」

 チャイナドレスが満洲人の民族衣装であることなどは既に書いたしかし、マンジュ語云々というのは一見前記の記述と矛盾する。満洲語が普通の基となっている、と一方で言うのに、わだわざ「マンジュ語」と言っているのだ。この矛盾を解きたい。

 中国の標準語(普通話)は北京語すなわち満洲語がもとになっているのなら、マンジュ語は普通話として普及しているのではないか、と考えるのは確かにあまりに単純である。小生が前述したように、満洲語は北京官話として宮廷で話され、従って北京市内でも普及していった。それどころか北京周辺に拡大普及していった。しかし、その後北京語を漢字表記する白話運動が起ると、満洲語は変わっていった。

 ちょうど日本語が明治期の、言文一致体の標記の普及によって、英語などのヨーロッパ言語の影響も含めて変化していったのと似ている。元々満洲語の文字表記はなく、モンゴル文字を真似て満洲文字が作られた。従って、満洲文字は漢字と異なり表音文字だから、言語と文字表記にはそれほどの乖離は生じなかったであろうが、一方で満洲語を漢字表記したことで、満洲語は変化はしたのに違いない。

 さらに北京官話は宮廷言語だから、必ずしも庶民の言語と完全に一致するものではあるまい。方言程度の差異がもともとあったのに違いない。ある言語学書で、支那の四書五経などの古典の全ては、清朝によって漢文の解釈も加えて、満洲語すなわち満洲文字に翻訳された、という。漢文は解釈が難しいどころか、漢文自体が文字表記法としては原始的過ぎ、一義的に解釈するのは不可能に近いから、直訳では理解できないのである。

それどころか、直訳では文章にはならない。なぜなら漢文には文法もなく、品詞もないからである。漢文は前述のように西洋人には読解不能に近いから、現代の西洋人の四書五経などの支那の古典の研究者は漢文を習うのではなく、満洲語すなわち満洲文字を習得して、研究するのだということが「世界の言語」という本に書いてあった。この本にはイデオロギー的傾向はなく、事実を淡々と述べているのに過ぎないから信頼できる。

 まさに楊氏の言う「かれらは故宮博物院に眠る膨大な量のマンジュ語で書かれた文書の整理をおこなっている。」というのはこのことと同じなのである。つまり今シボ族と呼ばれる満洲人は北京官話すなわち満洲文字に翻訳された、故宮の支那の漢文の古典を読めるのである。しかしやはり漢字表記された普通話と、満洲文字をそのまま使っている満洲語との差異はあるのではあろう。それにしてもルーツは同じ満洲語であるのに違いない。

 楊氏ですら満洲人が漢化した、と書く。しかし、満洲語ルーツの普通話を全国で使おうとし、チャイナドレスを中国民族衣装と言い張るのは、逆に「漢民族」が満洲化しようとしているとは言えまいか。ただ、文字表記が漢字であることが違う。現に広東語などの普通話以外を話す地域では、広東語などの保護運動が起きている。

しかし普通話が漢字もどきの簡体字を使っているのは、既に漢字から離れつつあるのに違いない。既に清朝は古典の漢文の満洲文字化という事業を行い、中共に至っては、漢文と言う「漢民族王朝」の伝統である、表記方法を放棄し、漢字を表意性の少ない、簡体字のような記号に置き換えてしまった

元々漢字を発明した民族は大昔に滅亡していたばかりではない。中共は漢字漢文を使って漢民族を自称する王朝の後継者の資格すらなくしてしまったのである。かつての支那の正統を主張する王朝は、漢文による「歴史」をねつ造して、現王朝の正当性を主張することを繰り返した。しかし、中共はそれすら放棄し、自らの正当性を共産主義や抗日運動による建国に求めている。さらに支那の王朝は独自の元号持つ。しかし、中共は支那の歴史的に初めて、キリスト教オリジナルの西暦を採用する、という歴史的転換をしている。

このように、中共にはかつての「漢民族王朝」との絶対的な断絶がある。だから言う。満洲文字を持った清朝に支那大陸と周辺国家が帝国支配され始めた時が、漢民族王朝と言う擬態が亡くなる始まりだったのである。

宮脇淳子氏は「日本人が教えたい新しい世界史」で中国4000年の歴史などと言うものはなく、始皇帝に始まる「シナ二二〇〇年なのです。(P113)」と書かれるが、小生の説では、清朝崩壊から始まる中国1〇〇年の歴史しかない。清朝の崩壊は皇帝がいなくなったばかりではない。漢文で書かれた「正史」で正統化された「擬制」による漢民族王朝は消滅した。宮脇氏の言うように、それ以前には中国と言う国はなく、中国とは中華民国から始まった(P98)のである。