明治の日本海沿岸はニシン漁に沸き
昭和30年代まで余市も
番屋や蔵など建ち並び
大変な賑わいだったそうだ
なかにし礼作詞 北原ミレイの歌
石狩挽歌
を口ずさみながら
これだなと・・・
旧余市福原漁場はニシン定置網漁を
家族で経営していた福原家が
当時の漁場の様子を伝える
大規模な
明治の建物群がそこにある
以前も見にきたが生憎閉館で
今日もまたもや閉館
多分コロナ禍では三密回避かと・・・
天気が良く桜もチラホラ
周囲の建物だけでもと
外回りを散策
当時のニシン漁場は
湧いて湧いてたまらなかったろう
番屋の隅で飯炊女が
炊いていた様が浮かぶ
土倉(事務館)の建物は
通りに面して
窓が豪華絢爛立派で豪壮な家
広い敷地内には
主家、文書庫、石蔵、網倉、米味噌倉
ニシンの干場
など機能的に配置して
スケールは大きい
今は整備され過ぎ
魚網など無く
当然のことながら生活臭がない
晴れても海風が寒く
今日に至っては人っ子一人居らず
死に体で淋しかった
海辺にはもちろん
海猫(ごめ)も泣いてなく
ニシンは何処へ行ったやら
オンボロロ ボロロ・・・