『ナチ・ホロコーストと原爆ホロコースト』と題する論考を岩波の雑誌「世界」に寄稿したことがあります(1997年1月号、pp185~197)。そのタイトルが示すように、この二つの歴史的事件の関わり合いを問題にした内容でした。
1995年3月、当時長崎市市長であった本島等氏が東京の外国人記者クラブで「原爆の使用はユダヤ人大虐殺とならぶ人類が冒した二十世紀最大の罪である」と発言して、出席した外国人記者からその場で烈しい非難を浴び、アメリカ本国のニューヨークタイムズも写真入りで報道し、ヒロシマ・ナガサキをナチスのユダヤ人大虐殺と同格に並べるとは許すことの出来ない実に不遜な行為であるとして、本島等氏の発言を糾弾しました。1995年といえば、原爆50周年の年、もう一つ私の記憶に焼き付いている事件は、ランズマン制作の九時間の映画『ショアー』のNHKによる放映です。ショアーはヘブライ語で大きな災厄を意味するそうです。放映は二回に分けて行なわれ、初回はNHKの柏倉康夫氏と哲学者高橋哲哉氏、次回は柏倉氏と加藤周一氏がランズマンと同席して解説的な鼎談が放映されました。そこで、ボスニアでの民族浄化を目的とした虐殺に柏倉氏が言及すると、ランズマンは、それはショアーとはまったく異なる問題だとして切って捨て、ヒロシマ・ナガサキについても、日本人はヒロシマの後それより以前の日本の残虐行為の記憶を喪失してしまった、とコメントしただけでした。ランズマンにとって、ショアーは他の大量虐殺事件とは全く異質なものであったのです。正直言って、難解な映画そのものよりも、このランズマンの断固たるスタンスの方が私にはひどい衝撃でした。高橋哲哉著『記憶のエチカ』には、このランズマンの精神的姿勢について哲学的なきびしい考察がなされていますが、一般にユダヤ人の受難が絶対的なユニークさを持っているという主張は、当時、耳を塞ぎたくなるほどかまびすしいものがありました。
1994年5月、ニューヨークの国連本部で、時のイスラエル外相シモン・ペレスが「二つのホロコースト-ユダヤ人のホロコーストと日本人のホロコースト」とうっかり発言した時、イスラエルの新聞エルサレム・ポストはその社説で「ホロコーストは歴史にユニークな事件であるとイスラエル人は常に考えている。広島爆撃をナチの行為になぞらえるとは、この地上で最も偉大な民主主義国家、人類を奴隷化から救ったアメリカに対する許し難い侮辱である。イスラエルの外相たるものがそうした比較をやったとなれば、これはもうまったくあいた口がふざがらないの一語につきる」として、シモン・ペレスを難詰しました。ナチ・ホロコーストと原爆ホロコーストとの並列を断固として拒否却下する、こうした例は無数にあります。そのシモン・ペレスは、今はイスラエルの第九代大統領として、首相のネタニヤフと共に、ガザ地区のパレスチナ人を容赦なくいじめ抜いています。驚くべき無節操さです。
1995年以降、本島等氏は、加害者としての日本人の意識を強め、一種の原爆被爆正当化の思想への傾斜を示すようになりました。日本は原爆を落とされて当然の悪業を犯していたという考えです。ブログ『核抑止と核廃絶(3)』の冒頭の詩「幽霊」の作者峠三吉は次のような詩も書きました。:
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉(1917~1953)は広島市郊外の自宅で被爆、1951年、上の詩を「序」とする『原爆詩集』を自費出版、2年後、36歳で没しました。12年後、夫人峠和子は原爆症の恐怖の中で自殺。「人間を返せ」という詩人の叫びは、反核、反戦、平和の運動の合い言葉として広く用いられ、私も雑誌『世界』に「ユダヤ人と日本人が声を合わせて「にんげんをかえせ」と叫ぶことは可能ではないのか」と書いたことがありました。
しかし、その頃(1997年)、本島等氏は「広島よ、おごるなかれ」と題する論文の中で、「峠三吉は 誰にむかって「ちちをかえせ ははをかえせ」と言っているのだろうか」と問い、
■ 峠三吉よ、戦争をしかけたのは日本だよ。悪いのは日本だよ。無差別、大量虐殺も日本がはじめたことだよ。・・・・・
日本侵略軍に、皆殺し、焼き殺され、何の罪もない中国華北は無人の地となった。1941~43年までに247万人が殺され、400万人が強制連行された。
「ちちをかえせ ははをかえせ 何故こんな目に遇わねばならぬのか」
峠三吉よ このことばは、親を皆殺しにされた、中国華北の孤児たちのことばではないのか。■(川口隆行著『原爆文学という問題領域』、p159、p163から引用)
として、被害者としてではなく、加害者としての日本人へと視座を転換します。この座標原点の選択の重要さを認める点で、私は人後に落ちませんが、私自身としては、被害者/加害者の視点を確保しながら、同時にナチ・ホロコーストが視野の外に出ないような座標原点を選びたいと考えます。
いちはやく原爆体験に日本の戦争責任を重ねた発言として、栗原貞子の詩「ヒロシマというとき」があります。この詩から私は“無告の民”という言葉を学びました。
・・・・・
<ヒロシマ>といえば
<ああヒロシマ>とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
・・・・・
無告の民とは、
■ 告げ訴えて救いを求めるところのない人民。よるべのない、きのどくな者。折りたく柴の記(中)「そもそも当時天下無告の民、いづれの所にか来り訴ふべき」■
と、広辞苑に説明してあります。日本人としての被害者/加害者の視野よりもっと広く、「無告の民」に向けて私の目を開いてくれたのは、またしても鎌田定夫氏です。
鎌田定夫氏の論文『反核運動と戦争責任の自覚』(鎌田定夫・文集「時代を生きて」、p132)に、コンゴの作家マモンソノ氏の
■ 平和運動があるのは西欧、日本、アメリカ、カナダ、みんな豊かな国で、アフリカに平和運動がないのは守るべき平和がなく、人間が生ける死者の状態にあるからだ。死者は死を恐れることさえできない。これは先進大国のエゴイズム、植民地的収奪の結果で、アフリカでは植民地支配こそが第二の原爆なのだ。■
という発言が引用してあります。この発言は『朝日ジャーナル』1982年7月30日号に伊藤成彦氏が報じたもので、ドイツのケルン市で開かれた「国際文学者会議82」について「平和運動の理念と現実の落差」と題した報告の中にありました。当時はカナダで『朝日ジャーナル』を定期購読して必ず読んでいた私ですが、コンゴの作家マモンソノ氏のこの発言を読んだ記憶はなく、最近になって、鎌田定夫氏の論文から、この発言の厳しさを教示されました。人間、しかるべき問題意識がなければ、重大なことを幾らでも見過ごしてしまうことの証左です。このブログを読んで下さっている読者にも「アフリカでは植民地支配こそが第二の原爆だ」なんて原爆被爆の意味を稀釈化するものだ、許せない、と考える方がおいでかと思いますが、そうした方々も、ルワンダとコンゴの現在(2010年)の関連と、もう一つ、ガザ地区のパレスチナ人をめぐる真に重大な状況を、よく把握していただければ、上記のマモンソノ氏の発言が何ら奇矯なものでも冒涜でもないことを理解していただけると思います。
1994年のルワンダ大虐殺を収束させた英雄とされるポール・カガメを大統領とする現在のルワンダは、欧米のマスメディアによって「アフリカ第一の希望の星」と呼ばれ、先進国からの膨大な投資に支えられて、目覚ましい発展の途上にありますが、今のルワンダは「アフリカのイスラエル」とも呼ばれています。大虐殺の対象となって絶滅の危機に瀕したとされる少数派のツチ族が多数派のフツ族を押さえつけて成立した国家で、そこではフツ族が声を奪われて、人為的な忘却の穴の中に閉じ込められ、無告の民と化しています。それにも増して過酷な忘却の穴の中で呻吟しているのは、ガザ地区のパレスチナ人です。この二つの紛争地点での被害者/加害者の転換倒立の絵図を凝視すれば、東洋の無告の民に対する日本の過去の罪科が如何に重いとはいえ、それをめぐる怒声の応酬の中に、ヒロシマ・ナガサキが真に意味するところを見失ってはなりません。ランズマンはナチスによるユダヤ人大虐殺を世界史に全く比較を絶する事件だとし断言し、ヒロシマ・ナガサキについては、「日本人はヒロシマの後それより以前の日本の残虐行為の記憶を喪失してしまった」とコメントするだけで切り捨てましたが、このランズマンを許すわけには参りません。これは原爆の意味を知ろうとしない無知の結果です。それとは逆に、あくまでアフリカ収奪を続ける先進大国のエゴイズムをコンゴの作家マモンソノ氏が「第二の原爆」と呼んだのは、原爆という表象の本質を、コンゴの無告の民の一人として、直覚した結果だと、私は思います。ルワンダ大虐殺の真相を隠蔽し、それを契機として発生した擾乱を利用して、コンゴの資源を収奪する勢力によって、今日まで、すでに何百万という無告の民がコンゴで殺されているのです。
2007年2月7日のブログのタイトル『AK-47 as WMD』は、一つの英語クイズとして提出されました。訳せば「大量虐殺破壊兵器としてのカラシュニコフ自動小銃」となります。何のことでしょうか? 興味のある方にはこのブログ全体を読んでいただきたいのですが、便宜のため、おわりに近い部分から少し引用します。
■ アフリカ大陸には1億以上もの小型銃火器が分布し、とりわけコンゴにはそれが溢れているようです。その中で数的にダントツなのがAK-47という小銃で、この略号は「1947年型カラシュニコフ自動小銃」を意味します。旧ソ連の一技術者Mikhail Kalashnikov が1947年に開発した逸品で、砂や泥水にまみれても簡単な手入れで直ぐに使え、少年少女にも容易に取り扱えるのだそうです。その「長所」がアフリカの少年少女に大きな悲劇をもたらしています。アフリカでは30万以上の少年少女たちがいたいけな「兵士」に仕立てられて内戦に狩り出され、その結果、4百万人の子供たちが殺され、8百万人が不具者となり、千五百万人が家を失ったというユニセフの報告があります。・・・・・・
イギリスのケンブリッヂ大学のアマルディア・セン教授(ノーベル経済学賞受賞者)によれば、世界に何億と溢れている小型銃火器の86パーセントは、国連の安全保障理事会の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシヤ、中国で生産されたものだそうです。これでは国連の決議によって小型銃火器の製造交易をコントロールし、その氾濫を取り締まるのは絶望です。2006年はそれが如実に示された年として記憶される年になりました。
さて、冒頭の英語クイズに戻ります。WMDは「weapons of mass destruction」、WMDがサダム・フセインのイラク国内にあると主張してアメリカ合州国がイラクに侵攻したことで、すっかり世界政治のキーワードの一つになってしまった言葉ですが、何よりも先ず、瞬時大量殺戮兵器である核兵器を意味します。しかし、ポスト・ヒロシマ・ナガサキの世界で何百万人にものぼる大量虐殺を現実に続けているのはAK-47に象徴される小型銃火器にほかなりません。前国連事務総長コフィ・アナンはこれらの呪うべき小型銃火器を、いみじくも、「weapons of mass destruction in slow motion」と呼びました。■(引用おわり)
ここで私たちはアメリカ、イギリス、フランス、ロシヤ、中国の五カ国が、世界の瞬時大量殺戮兵器つまり核兵器の殆どすべてを保有している事実を想起すべきです。もちろんイスラエルが、非公開のまま、イギリス、フランス、中国と同レベルの数の核爆弾を所有していることも忘れてはなりませんが。多量の核爆弾を蓄積し続ける暴力とアフリカに「スローモーションのWMD」を溢れさせている暴力とは同じものです。アフリカ収奪を続ける先進大国のエゴイズムを「第二の原爆」と呼んだコンゴの作家マモンソノ氏は、原爆のシンボリックな意義を稀釈拡散させているのではなく、むしろ逆に、その本質を鋭く言い当てているのだと私は思います。
無告の民に強制された大いなる災厄(ショアー!)という観点に立てば、ヒロシマに関して日本人に要求される被害者/加害者の意識についての深刻な反省は、いま、同じようにユダヤ人に対しても求められなければなりません。特に過去十数年間にガザ地区のパレスチナ人を無告の民と化し、地政学的に極端な暴力を揮って来たイスラエルの行動は、ナチ・ホロコーストについて彼らが主張し続けて来た特権をすべて剥奪されて然るべきものと化しました。ガザでの暴虐で、すべては完全に帳消しになったのです。ランズマンが自己の裡に発見したイスラエルとの霊的連関などを如何に強調しようとも無意味であります。また、アドルノ、ベンヤミン、ツエラン、レヴィ、アレント、・・・・、の霊がもし存在するのでれば、彼らには、アウシュヴィッツのユニーク性について、つまり、アウシュヴィッツは唯一特別のものなのか否かについて、もう一度、明確簡明な発言をやり直してもらいたいものだと思います。その場合、一切の知的饒舌はお断りです。
無告の民の声に耳を傾け、その記憶を忘却の穴から取り戻せば、ヒロシマでの加害者/被害者の本当の区別が見えてくることを私に教えてくれたのは、異色の名カメラマン福島菊次郎氏です。『戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集』(社会評論社、1987年)の第4章は「いちばん弱い者たちが」と題され、次の文章から始まります。
■ 満州事変から太平洋戦争にいたる15年戦争は320万人の同胞を殺し、日本の都市部のほとんどを灰燼にして終り、戦後の飢餓と荒廃のなかに国民を投げだした。わけても生きる頼りにする父や夫、わが子を戦火に奪われた人々の数は1000万人を超えると言われ、それらの人々は戦後社会の底辺で言い知れぬ辛苦に見舞われた。戦争は勝敗のいかんにかかわらずつねに社会の底辺に生きる人々を犠牲にし、何の罪もない子どもたちの一生を左右するほどの決定的な打撃をあたえる。戦争の爪跡は30年や50年では消しようもない。■
この後に「孤児たちの島」「母と子の戦後」「孤老たちの末路」を描く48枚の写真が続きます。この本には広島原爆に直接かかわる写真も多数含まれていますが、私には福島菊次郎さんの写真のすべてが、原爆を生み、原爆を依然として保持し、原爆で無数の無告の民を殺戮することに躊躇を示さない悪の百面相をあばき、その根源的本質に肉薄していると思われます。原爆を生み出すことの出来る悪の力は、日本を含めて、世界中の何処にでも現存するのです。それを見極めること、この「反核」のイデオロギーの視野の拡大によってもたらされるものは、決してその稀釈化ではなく、むしろ、闘いの真の標的とすべき巨悪の根源に向けての我々の視線の収斂であると私は信じます。
アフリカの資源収奪のために、代理戦争によって大量殺戮を継続し、イラクで数百万人の生活を破壊し、アフガニスタンで無辜の老若男女を殺し続け、ガザ地区のパレスチナ人を見捨てて省みない国の大統領に、世界の非核化を説く資格は全くありません。連続殺人魔が人命の尊重を説くに等しい行為です。
[付記] 5月が終るまでには、国連本部で行なわれて来た核拡散防止条約(NPT)再検討会議の結果が明らかになります。核廃絶の意向の表明を、キッシンジャー路線に沿って、アメリカの世界戦略の駒の一つとしてしか考えてないオバマ政権の実態がどこまであらわにされるかが、もっとも注目すべきポイントでしよう。今にして思えば、去る4月、プラハで麗々しく核兵器廃絶を唱い上げたとき、オバマ大統領が「私の生きている間には恐らく核兵器は無くなるまいが」と付け加えたことには、彼らしい、アメリカ政府らしいダブル・メッセージが込められていたことに気がつきます。少なくとも今から30年や40年は軍部や軍需産業にショックを与えるようなことはしないから、というメッセージが含まれていたのです。オバマ大統領が、アメリカが、核兵器の保有について、本当に“道義的責任”を感じているのならば、唯一無敵の超強大国アメリカは何時でも本格的核廃絶政策を取れるのです。今度のNPT 会議で非核保有国側が核保有国側に対して要求した具体的な核廃絶タイムテーブルを押し戻さず、それに乗って核のない世界の実現に邁進する事こそが、アメリカが本来なすべき事であったのです。しかし、今回の反核ショーがもともと大きな「嘘」から始まったことであり、オバマ大統領にそれを期待する事の方が、大きな愚行なのでしょう。
藤永 茂 (2010年5月26日)
1995年3月、当時長崎市市長であった本島等氏が東京の外国人記者クラブで「原爆の使用はユダヤ人大虐殺とならぶ人類が冒した二十世紀最大の罪である」と発言して、出席した外国人記者からその場で烈しい非難を浴び、アメリカ本国のニューヨークタイムズも写真入りで報道し、ヒロシマ・ナガサキをナチスのユダヤ人大虐殺と同格に並べるとは許すことの出来ない実に不遜な行為であるとして、本島等氏の発言を糾弾しました。1995年といえば、原爆50周年の年、もう一つ私の記憶に焼き付いている事件は、ランズマン制作の九時間の映画『ショアー』のNHKによる放映です。ショアーはヘブライ語で大きな災厄を意味するそうです。放映は二回に分けて行なわれ、初回はNHKの柏倉康夫氏と哲学者高橋哲哉氏、次回は柏倉氏と加藤周一氏がランズマンと同席して解説的な鼎談が放映されました。そこで、ボスニアでの民族浄化を目的とした虐殺に柏倉氏が言及すると、ランズマンは、それはショアーとはまったく異なる問題だとして切って捨て、ヒロシマ・ナガサキについても、日本人はヒロシマの後それより以前の日本の残虐行為の記憶を喪失してしまった、とコメントしただけでした。ランズマンにとって、ショアーは他の大量虐殺事件とは全く異質なものであったのです。正直言って、難解な映画そのものよりも、このランズマンの断固たるスタンスの方が私にはひどい衝撃でした。高橋哲哉著『記憶のエチカ』には、このランズマンの精神的姿勢について哲学的なきびしい考察がなされていますが、一般にユダヤ人の受難が絶対的なユニークさを持っているという主張は、当時、耳を塞ぎたくなるほどかまびすしいものがありました。
1994年5月、ニューヨークの国連本部で、時のイスラエル外相シモン・ペレスが「二つのホロコースト-ユダヤ人のホロコーストと日本人のホロコースト」とうっかり発言した時、イスラエルの新聞エルサレム・ポストはその社説で「ホロコーストは歴史にユニークな事件であるとイスラエル人は常に考えている。広島爆撃をナチの行為になぞらえるとは、この地上で最も偉大な民主主義国家、人類を奴隷化から救ったアメリカに対する許し難い侮辱である。イスラエルの外相たるものがそうした比較をやったとなれば、これはもうまったくあいた口がふざがらないの一語につきる」として、シモン・ペレスを難詰しました。ナチ・ホロコーストと原爆ホロコーストとの並列を断固として拒否却下する、こうした例は無数にあります。そのシモン・ペレスは、今はイスラエルの第九代大統領として、首相のネタニヤフと共に、ガザ地区のパレスチナ人を容赦なくいじめ抜いています。驚くべき無節操さです。
1995年以降、本島等氏は、加害者としての日本人の意識を強め、一種の原爆被爆正当化の思想への傾斜を示すようになりました。日本は原爆を落とされて当然の悪業を犯していたという考えです。ブログ『核抑止と核廃絶(3)』の冒頭の詩「幽霊」の作者峠三吉は次のような詩も書きました。:
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉(1917~1953)は広島市郊外の自宅で被爆、1951年、上の詩を「序」とする『原爆詩集』を自費出版、2年後、36歳で没しました。12年後、夫人峠和子は原爆症の恐怖の中で自殺。「人間を返せ」という詩人の叫びは、反核、反戦、平和の運動の合い言葉として広く用いられ、私も雑誌『世界』に「ユダヤ人と日本人が声を合わせて「にんげんをかえせ」と叫ぶことは可能ではないのか」と書いたことがありました。
しかし、その頃(1997年)、本島等氏は「広島よ、おごるなかれ」と題する論文の中で、「峠三吉は 誰にむかって「ちちをかえせ ははをかえせ」と言っているのだろうか」と問い、
■ 峠三吉よ、戦争をしかけたのは日本だよ。悪いのは日本だよ。無差別、大量虐殺も日本がはじめたことだよ。・・・・・
日本侵略軍に、皆殺し、焼き殺され、何の罪もない中国華北は無人の地となった。1941~43年までに247万人が殺され、400万人が強制連行された。
「ちちをかえせ ははをかえせ 何故こんな目に遇わねばならぬのか」
峠三吉よ このことばは、親を皆殺しにされた、中国華北の孤児たちのことばではないのか。■(川口隆行著『原爆文学という問題領域』、p159、p163から引用)
として、被害者としてではなく、加害者としての日本人へと視座を転換します。この座標原点の選択の重要さを認める点で、私は人後に落ちませんが、私自身としては、被害者/加害者の視点を確保しながら、同時にナチ・ホロコーストが視野の外に出ないような座標原点を選びたいと考えます。
いちはやく原爆体験に日本の戦争責任を重ねた発言として、栗原貞子の詩「ヒロシマというとき」があります。この詩から私は“無告の民”という言葉を学びました。
・・・・・
<ヒロシマ>といえば
<ああヒロシマ>とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
・・・・・
無告の民とは、
■ 告げ訴えて救いを求めるところのない人民。よるべのない、きのどくな者。折りたく柴の記(中)「そもそも当時天下無告の民、いづれの所にか来り訴ふべき」■
と、広辞苑に説明してあります。日本人としての被害者/加害者の視野よりもっと広く、「無告の民」に向けて私の目を開いてくれたのは、またしても鎌田定夫氏です。
鎌田定夫氏の論文『反核運動と戦争責任の自覚』(鎌田定夫・文集「時代を生きて」、p132)に、コンゴの作家マモンソノ氏の
■ 平和運動があるのは西欧、日本、アメリカ、カナダ、みんな豊かな国で、アフリカに平和運動がないのは守るべき平和がなく、人間が生ける死者の状態にあるからだ。死者は死を恐れることさえできない。これは先進大国のエゴイズム、植民地的収奪の結果で、アフリカでは植民地支配こそが第二の原爆なのだ。■
という発言が引用してあります。この発言は『朝日ジャーナル』1982年7月30日号に伊藤成彦氏が報じたもので、ドイツのケルン市で開かれた「国際文学者会議82」について「平和運動の理念と現実の落差」と題した報告の中にありました。当時はカナダで『朝日ジャーナル』を定期購読して必ず読んでいた私ですが、コンゴの作家マモンソノ氏のこの発言を読んだ記憶はなく、最近になって、鎌田定夫氏の論文から、この発言の厳しさを教示されました。人間、しかるべき問題意識がなければ、重大なことを幾らでも見過ごしてしまうことの証左です。このブログを読んで下さっている読者にも「アフリカでは植民地支配こそが第二の原爆だ」なんて原爆被爆の意味を稀釈化するものだ、許せない、と考える方がおいでかと思いますが、そうした方々も、ルワンダとコンゴの現在(2010年)の関連と、もう一つ、ガザ地区のパレスチナ人をめぐる真に重大な状況を、よく把握していただければ、上記のマモンソノ氏の発言が何ら奇矯なものでも冒涜でもないことを理解していただけると思います。
1994年のルワンダ大虐殺を収束させた英雄とされるポール・カガメを大統領とする現在のルワンダは、欧米のマスメディアによって「アフリカ第一の希望の星」と呼ばれ、先進国からの膨大な投資に支えられて、目覚ましい発展の途上にありますが、今のルワンダは「アフリカのイスラエル」とも呼ばれています。大虐殺の対象となって絶滅の危機に瀕したとされる少数派のツチ族が多数派のフツ族を押さえつけて成立した国家で、そこではフツ族が声を奪われて、人為的な忘却の穴の中に閉じ込められ、無告の民と化しています。それにも増して過酷な忘却の穴の中で呻吟しているのは、ガザ地区のパレスチナ人です。この二つの紛争地点での被害者/加害者の転換倒立の絵図を凝視すれば、東洋の無告の民に対する日本の過去の罪科が如何に重いとはいえ、それをめぐる怒声の応酬の中に、ヒロシマ・ナガサキが真に意味するところを見失ってはなりません。ランズマンはナチスによるユダヤ人大虐殺を世界史に全く比較を絶する事件だとし断言し、ヒロシマ・ナガサキについては、「日本人はヒロシマの後それより以前の日本の残虐行為の記憶を喪失してしまった」とコメントするだけで切り捨てましたが、このランズマンを許すわけには参りません。これは原爆の意味を知ろうとしない無知の結果です。それとは逆に、あくまでアフリカ収奪を続ける先進大国のエゴイズムをコンゴの作家マモンソノ氏が「第二の原爆」と呼んだのは、原爆という表象の本質を、コンゴの無告の民の一人として、直覚した結果だと、私は思います。ルワンダ大虐殺の真相を隠蔽し、それを契機として発生した擾乱を利用して、コンゴの資源を収奪する勢力によって、今日まで、すでに何百万という無告の民がコンゴで殺されているのです。
2007年2月7日のブログのタイトル『AK-47 as WMD』は、一つの英語クイズとして提出されました。訳せば「大量虐殺破壊兵器としてのカラシュニコフ自動小銃」となります。何のことでしょうか? 興味のある方にはこのブログ全体を読んでいただきたいのですが、便宜のため、おわりに近い部分から少し引用します。
■ アフリカ大陸には1億以上もの小型銃火器が分布し、とりわけコンゴにはそれが溢れているようです。その中で数的にダントツなのがAK-47という小銃で、この略号は「1947年型カラシュニコフ自動小銃」を意味します。旧ソ連の一技術者Mikhail Kalashnikov が1947年に開発した逸品で、砂や泥水にまみれても簡単な手入れで直ぐに使え、少年少女にも容易に取り扱えるのだそうです。その「長所」がアフリカの少年少女に大きな悲劇をもたらしています。アフリカでは30万以上の少年少女たちがいたいけな「兵士」に仕立てられて内戦に狩り出され、その結果、4百万人の子供たちが殺され、8百万人が不具者となり、千五百万人が家を失ったというユニセフの報告があります。・・・・・・
イギリスのケンブリッヂ大学のアマルディア・セン教授(ノーベル経済学賞受賞者)によれば、世界に何億と溢れている小型銃火器の86パーセントは、国連の安全保障理事会の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシヤ、中国で生産されたものだそうです。これでは国連の決議によって小型銃火器の製造交易をコントロールし、その氾濫を取り締まるのは絶望です。2006年はそれが如実に示された年として記憶される年になりました。
さて、冒頭の英語クイズに戻ります。WMDは「weapons of mass destruction」、WMDがサダム・フセインのイラク国内にあると主張してアメリカ合州国がイラクに侵攻したことで、すっかり世界政治のキーワードの一つになってしまった言葉ですが、何よりも先ず、瞬時大量殺戮兵器である核兵器を意味します。しかし、ポスト・ヒロシマ・ナガサキの世界で何百万人にものぼる大量虐殺を現実に続けているのはAK-47に象徴される小型銃火器にほかなりません。前国連事務総長コフィ・アナンはこれらの呪うべき小型銃火器を、いみじくも、「weapons of mass destruction in slow motion」と呼びました。■(引用おわり)
ここで私たちはアメリカ、イギリス、フランス、ロシヤ、中国の五カ国が、世界の瞬時大量殺戮兵器つまり核兵器の殆どすべてを保有している事実を想起すべきです。もちろんイスラエルが、非公開のまま、イギリス、フランス、中国と同レベルの数の核爆弾を所有していることも忘れてはなりませんが。多量の核爆弾を蓄積し続ける暴力とアフリカに「スローモーションのWMD」を溢れさせている暴力とは同じものです。アフリカ収奪を続ける先進大国のエゴイズムを「第二の原爆」と呼んだコンゴの作家マモンソノ氏は、原爆のシンボリックな意義を稀釈拡散させているのではなく、むしろ逆に、その本質を鋭く言い当てているのだと私は思います。
無告の民に強制された大いなる災厄(ショアー!)という観点に立てば、ヒロシマに関して日本人に要求される被害者/加害者の意識についての深刻な反省は、いま、同じようにユダヤ人に対しても求められなければなりません。特に過去十数年間にガザ地区のパレスチナ人を無告の民と化し、地政学的に極端な暴力を揮って来たイスラエルの行動は、ナチ・ホロコーストについて彼らが主張し続けて来た特権をすべて剥奪されて然るべきものと化しました。ガザでの暴虐で、すべては完全に帳消しになったのです。ランズマンが自己の裡に発見したイスラエルとの霊的連関などを如何に強調しようとも無意味であります。また、アドルノ、ベンヤミン、ツエラン、レヴィ、アレント、・・・・、の霊がもし存在するのでれば、彼らには、アウシュヴィッツのユニーク性について、つまり、アウシュヴィッツは唯一特別のものなのか否かについて、もう一度、明確簡明な発言をやり直してもらいたいものだと思います。その場合、一切の知的饒舌はお断りです。
無告の民の声に耳を傾け、その記憶を忘却の穴から取り戻せば、ヒロシマでの加害者/被害者の本当の区別が見えてくることを私に教えてくれたのは、異色の名カメラマン福島菊次郎氏です。『戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集』(社会評論社、1987年)の第4章は「いちばん弱い者たちが」と題され、次の文章から始まります。
■ 満州事変から太平洋戦争にいたる15年戦争は320万人の同胞を殺し、日本の都市部のほとんどを灰燼にして終り、戦後の飢餓と荒廃のなかに国民を投げだした。わけても生きる頼りにする父や夫、わが子を戦火に奪われた人々の数は1000万人を超えると言われ、それらの人々は戦後社会の底辺で言い知れぬ辛苦に見舞われた。戦争は勝敗のいかんにかかわらずつねに社会の底辺に生きる人々を犠牲にし、何の罪もない子どもたちの一生を左右するほどの決定的な打撃をあたえる。戦争の爪跡は30年や50年では消しようもない。■
この後に「孤児たちの島」「母と子の戦後」「孤老たちの末路」を描く48枚の写真が続きます。この本には広島原爆に直接かかわる写真も多数含まれていますが、私には福島菊次郎さんの写真のすべてが、原爆を生み、原爆を依然として保持し、原爆で無数の無告の民を殺戮することに躊躇を示さない悪の百面相をあばき、その根源的本質に肉薄していると思われます。原爆を生み出すことの出来る悪の力は、日本を含めて、世界中の何処にでも現存するのです。それを見極めること、この「反核」のイデオロギーの視野の拡大によってもたらされるものは、決してその稀釈化ではなく、むしろ、闘いの真の標的とすべき巨悪の根源に向けての我々の視線の収斂であると私は信じます。
アフリカの資源収奪のために、代理戦争によって大量殺戮を継続し、イラクで数百万人の生活を破壊し、アフガニスタンで無辜の老若男女を殺し続け、ガザ地区のパレスチナ人を見捨てて省みない国の大統領に、世界の非核化を説く資格は全くありません。連続殺人魔が人命の尊重を説くに等しい行為です。
[付記] 5月が終るまでには、国連本部で行なわれて来た核拡散防止条約(NPT)再検討会議の結果が明らかになります。核廃絶の意向の表明を、キッシンジャー路線に沿って、アメリカの世界戦略の駒の一つとしてしか考えてないオバマ政権の実態がどこまであらわにされるかが、もっとも注目すべきポイントでしよう。今にして思えば、去る4月、プラハで麗々しく核兵器廃絶を唱い上げたとき、オバマ大統領が「私の生きている間には恐らく核兵器は無くなるまいが」と付け加えたことには、彼らしい、アメリカ政府らしいダブル・メッセージが込められていたことに気がつきます。少なくとも今から30年や40年は軍部や軍需産業にショックを与えるようなことはしないから、というメッセージが含まれていたのです。オバマ大統領が、アメリカが、核兵器の保有について、本当に“道義的責任”を感じているのならば、唯一無敵の超強大国アメリカは何時でも本格的核廃絶政策を取れるのです。今度のNPT 会議で非核保有国側が核保有国側に対して要求した具体的な核廃絶タイムテーブルを押し戻さず、それに乗って核のない世界の実現に邁進する事こそが、アメリカが本来なすべき事であったのです。しかし、今回の反核ショーがもともと大きな「嘘」から始まったことであり、オバマ大統領にそれを期待する事の方が、大きな愚行なのでしょう。
藤永 茂 (2010年5月26日)
参議院公聴会:本日外交安全保障関連で出ます。時間一時。google「参議院インターネット」で見れると思います。「抑止論」を中心に。 5:36 PM Mar 22nd webから
1. 公聴会1:米軍の抑止力について正面より疑問提示。多分国会で体系的に疑問提示はほとんどなかったでしょう。実現を可能にした前田委員長、森ゆうこ筆頭理事には心より感謝。(1)2月13日琉球新報報道「鳩山前総理、普天間で証言」「抑止力は方便」。 日米関係の根幹に触れる問題。これを論ずる 約14時間前 webから
2. 公聴会2:抑止力とは一体何か。一つには核の抑止力、一つには日本領土の防衛、特に係争地の防衛。先ず核の抑止力キッシンジャーは著書『核兵器と外交政策』で、モーゲンソーも著書『国際政治』で核の傘に懐疑的。1986年6月25日付読売新聞報道「日欧の核の傘は幻想」「ターナー元 約14時間前 webから
3. 公聴会3:CIA長官と会談」「我々はワシントンを破壊してまで同盟国を守る考えはない。アメリカが結んできた如何なる防衛条約も核使用に言及したものはない。日本に対しても有事の時には助けるだろうが、核兵器は使用しない。」 中国米国に大規模に核攻撃出来る時、対中「核の傘」基本的になし。 約14時間前 webから
4. 公聴会4:次ぎに島の防衛。昨年NHK日曜討論で普天間問題が論じた時私も参加。辺野古移転支持派「日本には領土問題がある。日本側の主張を貫くには米軍が必要だ」と発言。本当にそうか。北方領土、竹島、日本の管轄地でないので安保条約の対象外。尖閣諸島はどうか。今は安保条約の対象。しかし、 約14時間前 webから
5. 公聴会5:「日米同盟未来のための変革と再編」の役割で、島嶼防衛は日本。 中国が攻めた場合を想定。守りきれなかったら管轄は中国。尖閣は日本の管轄地でない。安保条約の対象外。アーミテージ元国務省副長官は著書で「日本が自ら守らなければ、(日本の施政下でなくなり)我々も尖閣守れず」。 約14時間前 webから
6. 公聴会6:米国では参戦権は議会。米国は「尖閣諸島は係争地である。領有権問題で米国は日中いずれ側にもつかない」との立場。中立の島の防衛に米国軍が中国と戦うことを米国議会が認めることは困難。かつ、軍事的に実現出来ない。 米国紙中国の80の中・短距離弾道弾、350のクルーズ・ミサイルで 約14時間前 webから
7. 公聴会7:在日米軍基地を破壊できる」と報道。中国は米国と対峙時、日本の米軍基地をミサイル攻撃し、滑走路や管制機能を破壊すればよい。米軍動けず。こうみると、米国の抑止力がどこまで強力かは極めて疑問。その意味で鳩山元総理が「抑止力は方便」と言ったのは概ね正しいことです。 約14時間前 webから
公聴会2;日中漁業協定や領土問題棚上げの約束を挙げた上で1978年の大量に押し寄せた中国漁船が中国政府の介入で引き揚げたとし「軍事的に海保や自衛隊ではなく、いかに外交で解決するかを考えるほかない」と主張した。中国情勢について孫崎氏は「中国の軍事的脅威が増えるのは事実。 about 12 hours ago webから
公聴会3:中国の中にも軍事的に解決しようとする人と、緊密な関係で平和的関係で世界情勢をコントロールしようとする両派がいる。私は後者だと思う」と解説。その上で「中国の中の、世界安定と自国経済を発展させるグループと連携するのが日本の生きる道だろう」と述べた。 about 12 hours ago webから
公聴会1;24日琉球新報:孫崎元大使は、米軍普天間飛行場移設について「新たに見直すべきだ。沖縄は県内移転を認めることはない。あり得ないことを実現可能とすることこそ、長期的に日米関係を損なう。普天間問題で日米軍事協力は根本的に壊れることはない」と指摘した。尖閣諸島をめぐり孫崎氏は about 10 hours ago webから
「わが亡き後に洪水は来たれ!」が彼の本音でしょうね。
>強者とは心のない想像力のない欠陥人間ですね。自分の鼻をそがれたらどうかなんて思いもよらないのでしょう。
そういう想像力の無い人間だからこそ、「強者」になれたのでしょう。
「成功者は皆、恥ずべきエゴイストたちばかりである」
(トルストイ)
U.S.A.が核をを怖がって、自分たち以外に持たせようとしないというなら、製造している大国は、このAK-47の製造を中止し、大量殺人幇助により、製造元が回収し多額の慰謝料をおいてくる、と、貧民国は大国に対しそのような人道的措置の実行を求めるべきでしょう。
それを国連ならぬ・・・どこが、それを<しきれるか>、どの世界が聞いてくれるのでしょうか。貧民国サミットをはじめるべきです。(南アメリカで集まってましたね、アフリカでも、でも世界中で集まるにも金がいる・・・大国は援助すべきです、それとインターネット会議の支援も)
傲慢な二枚舌の強者の兵器輸出国に、これまでのつぐないをさせるにはどうしたらいいのでしょうか。世界中のたくさんの人々この支配のからくり分断統治と死の商人の暗躍と詐欺をあばくしかないでしょうね。
アフリカのコンゴで手を切り落とすのがありましたが、豊臣秀吉が朝鮮から拉致した人々の「耳塚」がほんとうは鼻ですって、ひどいですね。強者とは心のない想像力のない欠陥人間ですね。自分の鼻をそがれたらどうかなんて思いもよらないのでしょう。
この記事によって人間の一面をお教えいただきました。一部の人には、自らの独自性を主張し他を省みないというところがあるようです。ご紹介くださった事実の一部を当方でも使わせていただきましたので、念のためご連絡いたします。今後も貴重なお話とご意見を聞かせていただきたいと思っています。どうぞご自愛ください。
柳沢正臣