ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

2004年春の旅

2018年07月01日 | ガジ丸の旅日記

 旅程
 2004年5月6日那覇発、羽田着、江ノ島を散歩。茅ヶ崎泊。
 7日、茅ヶ崎から静岡へ、熊谷守一を鑑賞。静岡泊。
 8日、浜松へ、花博を見学。湖西泊。
 9日、東京へ、高田渡の映画を観る。友人知人に会い、食って飲む。品川泊。
 10日、羽田発、那覇へ。

 以上の旅程で旅に出た。14年前になる。「そんな昔の話、なんで今更」だけど、熊谷守一の映画が近く公開されるということを知って、「そんな昔の話」を思い出した。

 この旅へ出る1ヶ月前、浜松で会う予定の、才色兼備(残念ながら友人止まり)のK嬢宛に送ったメールがある。「見事な愛情」というタイトルで以下。

 私が今、もっとも興味を持っている画家は熊谷守一という、晩年は仙人と呼ばれた男。 彼の作品が私は好きで、特に晩年の作品は、世に存在する全てのモノ・・・それは、虫であったり、猫であったり、はては、池面に落ちる雨だれや、その波紋であったりもするのですが、それらのモノに対する守一の愛情が、実に見事であると感じられます。
 彼の作品は、東京目黒の熊谷守一美術館や、郷里、岐阜の熊谷守一記念館や、その他多くの美術館に散らばっているようですが、その作品の多くを集めて、今、京都で熊谷守一展が開かれています。その展示会は、4月から5月にかけて静岡に移されて開催されるとのことで、その時、ぜひ、観に行こうと私は思っています。
 東京経由の4泊5日。静岡では、静岡市の熊谷守一展鑑賞の他に、焼津で桜海老を味わって、浜松で世界花の博覧会を観覧するなどといったメニューとなります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

 このメールを書いて送ったのは2004年3月5日であるが、熊谷守一を知ったのはこれよりもっと前。少なくとも2003年4月には知っている。2003年4月24日から28日までの4泊5日で東京経由のみちのくを巡る旅に出ている。その時の日記に「熊谷守一美術館へ行く予定だったが休館日だった」と書いてある。

 この旅の目的の第一は熊谷守一を観ることであった。と前置きして、さてさて、旅の始まりから。


 1、小津の部屋

 5月6日、江の島を散策し、茅ケ崎にある従姉の息子の嫁の実家を訪ねる。その時の写真だけがパソコンに残っていた。他の写真はどこへいったか、見つからない。
 旅の初日は茅ケ崎の「茅ケ崎館」という旅館に泊まった。そこは、映画監督の小津安二郎が定宿にしていた旅館だった。秋から春に掛けての半年間、そこで彼はシナリオを書いていたらしい。小津安二郎に興味がある、といつものグダグダしたメールを旅館に送ったら、彼がいつも使っていたという部屋に泊めさせてくれた。
 古い旅館の、縁側もある畳間の部屋、何となくだが、小津安二郎の感性を味わう。
 
 小津の部屋


 2、世話焼きじいさん

 茅ケ崎の夜、一人、駅前の飲み屋で飲んで、宿に戻ったのは10時過ぎ。風呂後に部屋でまた飲む。寝たのは12時前だった。
 暑かった。暑くて目が覚めた。寝てから1時間も経っていなかったと思う。掛けていた毛布を剥いで掛け布団1枚にする。それでちょうど良い加減で、あとはぐっすり。
 目が覚めたのは朝7時過ぎ。目は覚めたが体は覚めていない。去年の秋辺りから、低血圧の女子高生のように朝起きるのが辛くなっている私なので、そのまま布団の中で、しばらくじっとしている。ふと気付くと、夜中に布団の外に半分以上は出したはずの毛布が、肩まできちっと掛けられている。まったく覚えが無い。
 夜明け前の冷気で風邪を引くといけないからと、小津安二郎の霊が掛けてくれたのであろうか。だとすると、小津はどうやら、世話焼き爺さんだったようだ。
 
 茅ケ崎の街並み


 3、睡魔に襲われた熊谷守一展

 5月7日、旅の2日目、茅ヶ崎から静岡へ移動。静岡駅で降りる。すぐに今回の旅の第一の目的である「熊谷守一展」の観賞へ、同展は静岡駅近くの静岡アートギャラリーで、4月16日(金)から5月23日(日)まで開かれていた。
 前夜、遅くまで飲んでいて寝不足だったせいかどうか覚えていないが、観賞している途中、私は強い睡魔に襲われ、しばらくロビーのソファーで寝ていた。静岡アートギャラリーへ行き「熊谷守一展」を観賞したのは確か、途中ギャラリーのベンチで寝たのも記憶しているが、その他どんなことがあったかはほとんど覚えていない。ただ1つだけ、熊谷守一の作品を観て「俳句のような絵なんだ」と感じたことは覚えている。

 私は旅に出ると、小さなスケッチブックを携帯し、その時々の出来事、感想などをそれにメモしている。2003年春の旅から2005年春の旅までを記録しているスケッチブックが幾度もあった引越しという難を乗り越え、今も残っている。
 ところがそのスケッチブックには、何と「2004年春の旅」だけが抜けている。ちなみに、その頃、私は概ね年に2度は旅をしており、その間の旅は以下、
 2003年春は東京経由山形上山温泉の旅
 2003年秋はオジサン5人九州の旅
 2004年春は絵画、花博など盛沢山の旅
 2004年秋はみちのく1人旅
 2005年春は愛知万博の旅
この内、2004年春以外はメモがたっぷり残っている。飛行機に乗っている間、電車で移動中の車内で、私はさっきまでの出来事をそのスケッチブックにメモしてある。が、2004年春だけが無い。おそらく、スケッチブックを忘れて旅に出たのであろう。

 この旅のメモは残っていないが、この旅の感想を友人知人にメールした文章はいくつか残っている。上記の「1、小津の部屋」、「2、世話焼きじいさん」、下記の「5、高田渡の捉え方」、「6、食えなかった焼鳥」「7、充実した旅」などはそのタイトルで友人知人に送ったメール。
 この項のタイトルが「睡魔に襲われた熊谷守一展」となっているが、これは旅から帰って、忘れない内に旅の概要を書こうとして、タイトルだけが残っていたもの。
 
 2003年春の旅の旅程:この年に熊谷守一を観に行こうと計画していた。


 4、浜松での想い出

 5月8日、静岡から浜松へ移動。浜松では花博見学しているが、その時の記録が、写真も含め残っていない。ただ、少しだがメール文章が残っていた。以下。
 
 浜松では付き合ってくれてありがとうございました。美人が傍にいるだけでもうれしいのに、おまけに、ご馳走にもなって、ありがたいことです。・・・中略・・・今回の旅は興味深いことがいっぱいあって、文章にしておきたいのですが、いっぱいありすぎて書けずにいます。・・・後略。

 そうか、「いっぱいありすぎて書けずに」が、今日までずっと続いていたわけだ。ということで花博の感想も記録が残っていない。というわけで話は飛ぶ。
 
 花博のチケット


 5、高田渡の捉え方

 5月9日、最後の夜は東京。ホテルは品川だったが、夜を過ごしたのは新宿。その夜の私の予定は映画観賞。新宿アルタ前で夕方6時半、埼玉在の友人Kと待合わせ。
 Kと会って、挨拶もそこそこにさっそく映画館の場所を教えて貰い、上映開始時間を確認して食事へ行く。Kのおごりで美味いものを食べさせて貰う。

 腹いっぱいになった後に観た映画は「タカダワタル的」というタイトルで、監督は柄本明。「タカダワタル的」で表現されている高田渡は、柄本明が捉えた高田渡だったのではないだろうか。私の頭の中におぼろげにある高田渡とは少し違う。が、柄本明は上手いと思う。風貌だけで十分絵になる渡なので、風貌だけで客は興味を持つ。

 歌手のようである。ギターを弾いているようである。息子が後ろでスチールギターを弾いているようである。女房がいるようである。歌はあまりヒットしていないようである。よって、あまり金持ちでは無いようである。などといったことが映像から伝わってくる。ヒットしていない歌は聴きなれない歌なので、何を歌っているのかよく解らない。歌っている内容が解っても、何でそんな歌を歌うのかが解らない。この人、いったい何者!
 というわけで、不思議なものに対する興味を客は持つかもしれない。あるいは、現代人が忘れた大事なものをまだ持っている人ではないか、と錯覚するかもしれない。

 高田渡は、歌っていなければ普通の、ただの飲んだくれなんだろうか。血中からアルコールが消えることの無い、いつも眠そうな眼をしていて、いつも頭がボーっとしている酔っ払いなのであろうか。高田渡って、どう捉えたらいいのだろうかと考える。

 高田渡は、私のもっとも好きな歌手の一人、一番かもしれない。ファン暦は30年になる。30年にもなるけれど、彼の生演奏を聴いたのは、先月(2004年3月14日)、那覇でのライブが初めてだった。聞くところによると高田渡は若い頃から、そう頻繁にはライブをやっていなかったようだ。酔っ払いはその夜も酔っていて、ライブは半分で終わったが、その感性に触れただけで私は大いに満足した。参考→『ワタルの世界』
 これでいいのだ、ワタルはワタルでいいのだ、そう捉えていいいのだ、と思う。
 
 高田渡ライブイン那覇のチケット


 6、食えなかった焼鳥

 学生の頃、吉祥寺北口の“しょんべん横丁”にある焼鳥屋によく通った。私の好物は、モツ煮と軟骨塩。モツ煮と軟骨塩は、他の焼鳥屋でも私の好物で、それは沖縄の焼鳥屋でも同様であった。ただ、沖縄ではモツ煮と軟骨塩を出してくれる焼鳥屋が少なくて、一番近い所でも私の家からはタクシーで30分、バスだと乗り換えがあって不便。なので、沖縄でモツ煮と軟骨塩を食うのは2、3年に1回くらいのこと。
 私は、年にたいてい2回は旅に出る。旅は3~5泊で、その間に1回は、ほとんど必ず焼鳥屋か、それに準じた場所でモツ煮と軟骨塩を食っている。今回の旅では最後の夜に、東京新宿の焼鳥屋でモツ煮と軟骨塩を食う予定だった。

 新宿の夜、数年ぶりに会った旧友のKは、意外に強引で、焼鳥屋という私の希望を聞かずに、うどん屋へ私を案内した。しかも、うどん屋で私を腹一杯にさせた。映画の後、品川の焼鳥屋で一人一杯やるかとも考えたが、胃袋に隙間は無かった。
 「しょうがない」と翌日、帰る日の昼飯に焼鳥屋へ行くことにした。品川駅の東口からすぐ近くに焼鳥屋はあった。ランチタイムのメニューが表の縦看板にあった。メニューはさば味噌定食、生姜焼き定食、うどんセットなどで、焼鳥のやの字も無く、店内をちょっと覗いたが、焼鳥用の焼き場に火が入っている様子も無かった。
 他に焼鳥屋はないかと15分ほど探したが、見つからなかった。帰りの飛行機の時間もあったので、その時は適当な店で、適当な定食を食った。そうして、今回の旅は、私の旅の中では珍しい「モツ煮と軟骨塩を食わない旅」となった。
 
 懐かしの飲み屋:大学時代好きだった飲み屋、この向こうに好きな焼鳥屋があった。


 7、充実した旅

 「モツ煮と軟骨塩を食わない旅」ではあったが、
 茅ケ崎で、私の好きな映画監督である小津安二郎が定宿にしていた「茅ケ崎館」の、小津が使っていたという部屋に泊まり、小津安二郎の感性を味わう。
 静岡で、大好きな画家、熊谷守一を堪能する。
 浜松で、花博を見学し、夜は美女と会食する。
 東京で、国吉康雄という守一とは対極の感性と思われる画家の展示会を観る。
 東京の夜は大好きな歌手、高田渡の映画を観る。学生の頃の友人に、おいしいうどんをご馳走になる。などなど、今回の旅はとても充実した楽しい旅だった。
 
 茅ヶ崎のマツバギク:茅ヶ崎以外の写真が無くページが淋しいので添付。
 懐かしの飲み屋の写真は2004年よりずっと前。


 編集:2018.7.1 ガジ丸 →ガジ丸の日常目次