近代以降、人々は豊かになった。そして暇を得た。しかしその暇をどう使えばいいのか。
暇と退屈が、歴史的にどう発生してきたか、贅沢とな何か、そもそも退屈とは何かなどを、スピノザやルソー、ハイデッガー、マルクス、ガルブレイスらを著作をひもときながら考える。(追記:記事をアップした後で、2年前に同じ本のレビューをしていたことに気づいた。何か読んだことあったような気がしたんだよな… その記事はこっち 大丈夫か、おれ?)
序章、一章、二章だけをまとめると:
自分が追い求めるものの中に本当に幸福はあるのだろうか。パスカルは部屋でじっとしていればいいのに外に出るから不幸になると言う。パスカルの解決策は神への信仰である。
バートランド・ラッセルは、熱意があれば幸福だとするが、熱意が傾けられる趣味は大半の場合、根本的な幸福の源泉ではなく、現実からの逃避となっている。場合にっては人間は不幸を求めてしまう。しかし不幸に憧れてはいけない。
スヴェンソンは、退屈が悩みごとになったのはロマン主義のせいだと言う。近代以前、生の意味は一方的に外部から与えられた。しかし18世紀の啓蒙主義以降、個人それぞれが生の意味を自分で探求すべきだということになった(=ロマン主義)。しかし個人個人違う生の意味など存在しないのだから、諦める方がいいとスヴェンソンは言う。(多様性を叫ぶ人がたくさんいる一方で、ネトウヨやヘイトスピーチが向かう方角がかなり狭い一つの所であるという現代の我々の社会について考えてしまう)
西田正規の「人類史の定住革命」をヒントに暇と退屈について考える。1万年前に氷河期が終わってしまった。氷河期のときの方が、中緯度の地域では草原が広がっていたのでマンモスなど大型の動物をヤリで仕留めることができた。しかし森林が広がってしまうと小型の動物が多くなり、またヤリが使えない。そして定住生活をせざるを得なくなる。遊動生活の時には食料は平等に配布し、道具は貸し借りしていた。定住生活では食料を貯蔵するようになる。すると持つ者持たぬ者の格差が生じることになり、それが権力を生むことになる。持たぬ者は盗むので、法律が必要になって来る。この話が面白いのは、遊動生活は大変で、定住生活の方が楽だから「定住できるようになった」という従来の考え方は間違っていて「定住せざるを得なくなった」が正しいということ。そして、遊動時代には退屈しなかったのが、定住こそが暇と退屈を生み出したということ。
以上簡単にまとめさせてもらったけれど、全体の三分の一にも満たない。
暇と退屈について考えてそれが何になるのかと思うけれど、それが何になるかではなく、考えることそのものが、暇と退屈をなくす、のかも知れない。
今日の一曲
退屈と言えばbored Deftonesで"Bored"
では、また。
暇と退屈が、歴史的にどう発生してきたか、贅沢とな何か、そもそも退屈とは何かなどを、スピノザやルソー、ハイデッガー、マルクス、ガルブレイスらを著作をひもときながら考える。(追記:記事をアップした後で、2年前に同じ本のレビューをしていたことに気づいた。何か読んだことあったような気がしたんだよな… その記事はこっち 大丈夫か、おれ?)
序章、一章、二章だけをまとめると:
自分が追い求めるものの中に本当に幸福はあるのだろうか。パスカルは部屋でじっとしていればいいのに外に出るから不幸になると言う。パスカルの解決策は神への信仰である。
バートランド・ラッセルは、熱意があれば幸福だとするが、熱意が傾けられる趣味は大半の場合、根本的な幸福の源泉ではなく、現実からの逃避となっている。場合にっては人間は不幸を求めてしまう。しかし不幸に憧れてはいけない。
スヴェンソンは、退屈が悩みごとになったのはロマン主義のせいだと言う。近代以前、生の意味は一方的に外部から与えられた。しかし18世紀の啓蒙主義以降、個人それぞれが生の意味を自分で探求すべきだということになった(=ロマン主義)。しかし個人個人違う生の意味など存在しないのだから、諦める方がいいとスヴェンソンは言う。(多様性を叫ぶ人がたくさんいる一方で、ネトウヨやヘイトスピーチが向かう方角がかなり狭い一つの所であるという現代の我々の社会について考えてしまう)
西田正規の「人類史の定住革命」をヒントに暇と退屈について考える。1万年前に氷河期が終わってしまった。氷河期のときの方が、中緯度の地域では草原が広がっていたのでマンモスなど大型の動物をヤリで仕留めることができた。しかし森林が広がってしまうと小型の動物が多くなり、またヤリが使えない。そして定住生活をせざるを得なくなる。遊動生活の時には食料は平等に配布し、道具は貸し借りしていた。定住生活では食料を貯蔵するようになる。すると持つ者持たぬ者の格差が生じることになり、それが権力を生むことになる。持たぬ者は盗むので、法律が必要になって来る。この話が面白いのは、遊動生活は大変で、定住生活の方が楽だから「定住できるようになった」という従来の考え方は間違っていて「定住せざるを得なくなった」が正しいということ。そして、遊動時代には退屈しなかったのが、定住こそが暇と退屈を生み出したということ。
以上簡単にまとめさせてもらったけれど、全体の三分の一にも満たない。
暇と退屈について考えてそれが何になるのかと思うけれど、それが何になるかではなく、考えることそのものが、暇と退屈をなくす、のかも知れない。
今日の一曲
退屈と言えばbored Deftonesで"Bored"
では、また。
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