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『東京プリズン』赤坂真理

2012-09-07 | books
「東京プリズン」赤坂真理 河出書房新社 2012年(初出文藝2010年春号~2012年夏号)

1980年アメリカメイン州の高校にホームステイしながら通っていた私。学校の授業で、日本について発表しなくてはならなくなった。2009年の私と1980年の私がふらふらと行き交いながら、母が東京裁判で通訳をしていたという事実を知り、ベトナム戦争はアメリカ人にとってどういうものであるのか知り、日本の近現代史について知る。その過程で私が得たものは…

過去と現在と行ったり来たりするときの落ち着かない様、文体や行替えのタイミング。あまり好みとは言えない。好みでないから食べないわけでもなく最後までいただいた。

純文学はあまり読まないのでよく分かららないのだが、こういうちょっとまだるっこしのが純文学「的」なのだろうか。

この小説の最大の売りは「日本の女子高生がアメリカでアメリカ人相手に、天皇の戦争責任についてディベートする」ことである。それについて「私」がリサーチして、本意ではないにも関わらず「天皇に戦争責任がある」という議論をさせられ、質疑応答(クロスエギザミネーション)を受け、最終弁論まで持っていく。その過程で、色々と日本の歴史について読者に考えさせてくれる。そこは面白い。

そこだけを凝縮すればもっとずっとコンパクトにまとめられる。だったらそれ以外のやや幻想的な部分は何のために存在するのだろうか。

無駄な部分は絶対必要。無駄のない文学は文学じゃなくてビジネス書とハウツー本。その無駄な部分のデリバリーの仕方で、文学としての価値が違うものになるのではないかと思うけれど。無駄をどう、小説全体の意味ある部分に変えていくのかは大事なような気がする。

天皇の戦争責任ディベート以外の細かいディテールについてはあまり高い評価はできず、「まだるっこしいな」としか思わなかった。正直、全体としてはどう評価してよいのか分からない、怪作だった。幻想的、もしくは独白的な部分については、10年後に読めば評価できるのかも知れない。

しかし、天皇の戦争責任について、たっぷりと明確な意見を書けば書くほど小林よしのり、あるいは他の「作家」の「作品」のようになってしまう。ので、それ以外のものを織り込んでいかないと文学作品とはならないだろう。じゃ、どうすればとても面白い作品になるのかは、私にはまだよく分からない。いつか分かる日が来るというわけでもないのだろうけど。

ではまた。


東京プリズン
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