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『覇王の番人』真保裕一

2008-10-27 | books



「覇王の番人」(上下)真保裕一 講談社 2008(週刊現代に連載したものに改稿)

明智光秀について従来とは違う人物像を。朝倉家に仕官した時代から話は始まる。光秀と、信長に親兄弟を殺されその後忍びの者となる小平太をパラレルに描く。

「連鎖」「取引」など2字の熟語からなる小役人シリーズで初めて世間に登場した真保裕一。その後「ホワイトアウト」や「奪取」などテイストの全く違う作品で読者を楽しませてくれた。彼が初めて書いた歴史小説なのだから期待するなと言われても、期待してしまう。


いやいや。読むのがつらかった。久しぶりに苦痛の伴う読書をした。なぜかというと

・ 誰が書いているのか分からなくなる個性のない文体であるのが一つ。歴史小説なら司馬遼太郎、安部龍太郎、隆慶一郎、時代小説なら池波正太郎などなど、みな個性のある文体で書いている。それが独特のリズムを生み出すのでいわば「現実味の薄い古い話」にリアリティや迫力を与えるのだ。しかし真保裕一らしくない文体が実にリズムわろしなので読むのがつらい。

・ ストーリーがあまり血沸き肉踊らない。もっと興奮するように書けるんだろうと想像するが、なぜか退屈だ。

・ 作者が想像して埋める登場人物の行動にシンパシーを感じない。文献に光秀やその他の人物の言動全てが書かれているわけがない。従って、歴史小説ではそこを作者が創造しないといけない。この創造部分が歴史小説の良し悪しに大きく関わってくる。そして本作では創造に失敗したのか読みながら光秀に感情移入することが非常に困難だった。(司馬遼太郎はその「創造」が過剰なので、しばしば真の歴史から逸脱するという批判がある。これについては、私の中でまだ良いとも悪いとも判断できない。しかし創造部分が面白いので感情移入し易いとは言える)

まあ面白くなかったということを声を大にして長らく語っても仕方あるまい。お口直しになぜか、本能寺の変は信永の自殺であったとか、ブッダは実は悟りを開いていなかったなどと言い張る歴史ミステリーの怪作「邪馬台国はどこですか?」を読んだら、こっちの方が面白かった。






今日の教訓




分厚くて高い本が
必ずしも

面白いとは限らず、
分厚くて高い肉は
必ずしも
産地が偽装されていない
とも限らない。
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