「日本語で書くということ」水村美苗 筑摩書房 2009年
「日本語で読むということ」 と兄弟、「日本語が亡びるとき」とは親子にあたる本作。
相変わらず刺激的な文章が炸裂している。
「今のことしか知らないのと、過去のことしか知らないのと、どちらが人間を保守的にするか分からない」というケインズの言葉を持ってきて、今のことしか知らない=本を読まない若者=保守的 「新しい」と思ってしていること自体が保守的であると、近代日本の文化を斬る。
また、架空の話としてある差別用語を使った表現がされていて「表現の自由」が確保されている国と、同じ差別用語に配慮をして使用しない国とでは前者の方が望ましいとして、表現の自由の本質は言いたいことを言えることにあるのではなく、1パーセントの少数意見の「表現の自由」の担保にあるとする。
なんだか自分の中で上手く言葉に出来なかったことを書かれてしまった感じである。
その他、漱石の「行人」「虞美人草」や谷崎の「春琴抄」について詳しい分析がなされていて、それらの本が未読だからつまらないのではなく、また未読だからネタバレされたわけでもなく、それら未読書、特に漱石を読みたくなった。
パスカルの「あまり速く読んだり、あまりゆっくり読んだりすると、何もわからない」をレトリックの文脈の中で解釈していく様も「現代思想」に書かれた文章だけあって深く面白い。私はレトリック以外の所でも、速過ぎるAも遅すぎるAもno goodであると実生活に置き換えて読むことも出来るなあなどと思った。
前回はこの水村という女性を塩野七生と比べてみたが、今回は、
上野千鶴子より私はこの水村美苗という人が書く文章が好きだ、と言っておこう。
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