理屈やら哲学やらトリックから離れた、ハーレクイン的な小説が突然読みたくなった。積ん読山脈の中を漁っていたらたまたま掘り出したがこれ。そうそう。ちょうどこんなのが読みたかった。
町田茂樹が大阪から鳥取へよく父に連れられてきたのは10歳のとき。そこには女性とその娘がいた。彼女とは仲良くなった。実はその娘、美花は自分の妹であると後で聞かされた。それから時は流れ、茂樹は大阪でサラリーマン。妻に先立たれていた。美花は京都の呉服店で働いている。独身。茂樹と美花は交友があった。美花の祖母が亡くなり、久しぶりに戻った。鳥取の家。祖母が残した謎の預金通帳。茂樹の両親と美花の両親ともう一人の人物の顔がくり抜かれた謎の写真。二人の血は実はつながっていないのではないかという思い…
うーむ。面白すぎて一気に読んでしまった。
お互いを好きになった男女が実は兄妹だった、というネタは、山口百恵の赤いシリーズで有名らしいけれど観てないので分からない。それでもマンガやドラマで何度か見かけたような気がする(具体的には思い出せないけれど)その逆で、兄妹が実は血がつながっていないかも知れないと期待するというのはあまりないような気が。
この兄妹の「一緒に泊まるけれど、一度も越えたことのない一線」を越えるのか越えないのかそのギリギリのもどかしさが巧い。あまり大きな声では言えないけれど、エロい言葉がもっと使われた本よりもずっと興奮してしまう。
小説にグタグダした理屈を求めずに心情の流れをハーレクイン的(と言ってもハーレクイン・ロマンスシリーズを一度も読んだことがないのであくまでも想像)に楽しみたい気分のときにオススメ。
と言ってもそのような「近親相姦的」なストーリー展開ばかりじゃない。その辺は全体の半分ぐらい、残りは二人がが自分の人生をどう切り開いていくか、宮本輝らしい展開。
では、また。
「焚火の終わり」宮本輝 集英社文庫 2000年(単行本 1997年)

町田茂樹が大阪から鳥取へよく父に連れられてきたのは10歳のとき。そこには女性とその娘がいた。彼女とは仲良くなった。実はその娘、美花は自分の妹であると後で聞かされた。それから時は流れ、茂樹は大阪でサラリーマン。妻に先立たれていた。美花は京都の呉服店で働いている。独身。茂樹と美花は交友があった。美花の祖母が亡くなり、久しぶりに戻った。鳥取の家。祖母が残した謎の預金通帳。茂樹の両親と美花の両親ともう一人の人物の顔がくり抜かれた謎の写真。二人の血は実はつながっていないのではないかという思い…
うーむ。面白すぎて一気に読んでしまった。
お互いを好きになった男女が実は兄妹だった、というネタは、山口百恵の赤いシリーズで有名らしいけれど観てないので分からない。それでもマンガやドラマで何度か見かけたような気がする(具体的には思い出せないけれど)その逆で、兄妹が実は血がつながっていないかも知れないと期待するというのはあまりないような気が。
この兄妹の「一緒に泊まるけれど、一度も越えたことのない一線」を越えるのか越えないのかそのギリギリのもどかしさが巧い。あまり大きな声では言えないけれど、エロい言葉がもっと使われた本よりもずっと興奮してしまう。
小説にグタグダした理屈を求めずに心情の流れをハーレクイン的(と言ってもハーレクイン・ロマンスシリーズを一度も読んだことがないのであくまでも想像)に楽しみたい気分のときにオススメ。
と言ってもそのような「近親相姦的」なストーリー展開ばかりじゃない。その辺は全体の半分ぐらい、残りは二人がが自分の人生をどう切り開いていくか、宮本輝らしい展開。
では、また。
「焚火の終わり」宮本輝 集英社文庫 2000年(単行本 1997年)


私がふるさんの記事で気になったのは、ハーレクイン。
ハーレクイン出版の作品は、読んだことがありません。
ジェーン・オースティンはハーレクイン小説の元祖でしょうか?
ジェーン・エア、レベッカ、あしながおじさんも、ハーレクイン系作品?
「ハーレクイン的な小説」とは、ヒロインが白馬に乗った王子様に幸せにしてもらうような小説だと思っていましたが、Wikiには、「女性向け大衆恋愛小説」「キャリアウーマンの恋と成功を描いた娯楽小説に特化」とあります。
ジャンルも色々あるようですし、国ごとに好みも違うのかもしれませんが、“女性の理想とする恋愛小説” はなんとなくイメージできるような…
「男性版ハーレクイン」というか“男性の理想とする恋愛小説”ってどんな小説でしょうか。
すみません。またまた、作品とは関係のない方向に…
ハーレクイン「的」な小説とは、恋愛至上主義で、理屈やら哲学やら思想やらとは無縁のエンターテイメント、ぐらいの意味で使っていました。読んだことがないので、私が思う「的」なものと他の人が思うのとは大きな違いがあるのだろうと想像致します。
一度も読んだことがない二人がこれだけイマジネーションを広げられるとは、面白いです。
男性向けのハーレクインとは、狭義では、いわゆるエロ小説、あるいは本宮ひろ志の「俺の空」のようなマンガかと思うのですが、広く見れば、「巨人の星」や「七帝柔道記」のようなスポ根、「がきデカ」のようなナンセンスものも、男のアホごころをくすぐるハーレクインと言える「かも」知れません。
男性向けハーレクインというのは、酒池肉林の中で地位も名誉も手に入れる物語なのかとちょっと思いました(笑)。
心の中に愛を封印しながら、友情や名誉(愛よりも高尚?と思われるもの)のために生きて、でも最後には愛も手にする物語(面倒くさいけど)が 男性向けハーレクインであってほしいのですが・・・途中までハードボイルド・・・ダメでしょうか?
女性のための「ハーレクイン」=運命の愛がテーマとなる物語。
うーむ。確かにおっしゃる通りですね。
男性の「ハーレクイン」≒ハードボイルド。慧眼です。
ハードボイルドは、自分ではなかなか出来ないけれど、こうありたいなという男性の理想を具現化してると思うのですよね。
その理想が、酒池肉林であれば、違うジャンルになりますし、権力に負けないなど精神的なタフさが理想になればハードボイルドというジャンルになるように思います。
理想が酒池肉林になってしまうと、その理想は男性という性に寄りかかってしまうので、女性の鑑賞には耐えないものになりますが、精神的なタフさとか理想と現実の狭間に揺れるココロがテーマであれば、男性という性に依らないので、充分に女性読者にも堪能してもらえるものになる。なんてことが言えるのではないでしょうか。
>心の中に愛を封印しながら、友情や名誉(愛よりも高尚?と思われるもの)のために生きて、でも最後には愛も手にする物語(面倒くさいけど)
確かにそのような物語は、女性向けの反対側にあるので男性向けのハーレクインとなるかと思います。
しかしながら、最終的に愛を手にする物語を過去に読んだ記憶がありません。「カディスの赤い星」やチャンドラー、ハメット、ペレケーノス、ライアル、生島次郎・・記憶に自信が全くないのですが、ハードボイルド作品では主人公の男性は、愛は最終的にはゲット出来なかったような気がします。
(いや、ゲット出来たのかも知れませんが、私の記憶の中では「ねつ造」が行われたのかも知れません。 愛よりも名誉や友情の方が高尚であるという私のバイアスと、ハードボイルド=男の理想の物語であるという私のバイアスがそのねつ造を作ったのかも知れません。)
女性版ハーレクインを裏返しにした男性版は理論的にはあるけれど、実際にはあまりない。
とすれば、女性と男性は直線を中心とする線対称の存在ではない、あるいは反対側の存在ではない。と言えるような気がしてきました。
長文にて失礼。
理想の男性は 映画「カリオストロの城」のルパン三世、映画「スティング」のポー・ルニューマンの私。
女性向ハーレクインではなく、男性向けハーレクインなら読みたい気がしましたが・・・
>ハードボイルド作品では主人公の男性は、愛は最終的にはゲット出来なかった
愛を手にした例が思い付かず、ふるさんなら・・・と思いましたが(他力本願)、そもそも、愛に背を向けるからハードボイルドなのかもしれません。
(エリア88、藤沢周平さんの隠し剣シリーズ、ジョン・ダニングの古書店シリーズなどは、愛を手にしたと言えるでしょうか?・・・記憶があいまい・・・)
ハーバード大学の2000万ドルをかけた75年の研究から、「幸福とは愛だ」との調査結果が出ているという記事を見かけました。
最期まで、愛よりも友情や名誉の方が高尚だと思っている男の人は、ハーレクイン(女性版)には向かないし、幸福から遠いかしれないけれど、最初っから、運命の愛ばっかり求めてる男の人は、幸福になれる?
ふるさんには、つまらない妄想にきちんとお付き合い頂き、感謝しきれません。
>(エリア88、藤沢周平さんの隠し剣シリーズ、ジョン・ダニングの古書店シリーズなどは、愛を手にしたと言えるでしょうか?
エリア88と隠し剣は未読、ダニングは忘れてしまいました。
ルパンは常に不二子ちゃんの愛をゲット出来ないからルパンなのであって、ゲットした場合別の物語、例えば二人は結婚するのですが、子どもがグレるとか、不二子ちゃんが新興宗教にハマるというような「試練」がスタートしないと物語にならないですね。 主人公の男性が愛を獲得するというハードボイルドはあるのだろうと思いますが、そして現実の男はそうでないといけないのですが、愛をゲットできない方がより物語性が高いのではないでしょうか。
「試練」=男の物語
>ハーバード大学の2000万ドルをかけた75年の研究から、「幸福とは愛だ」との調査結果が出ているという記事を見かけました。
>最期まで、愛よりも友情や名誉の方が高尚だと思っている男の人は、ハーレクイン(女性版)には向かないし、幸福から遠いかしれないけれど、最初っから、運命の愛ばっかり求めてる男の人は、幸福になれる?
ハーバードの研究については知らないのですが、勝手に想像してみれば、
友情や名誉よりも愛を大切にすると、人は幸せになれる、ということではないと思います。愛は幸せの必要条件かも知れませんが、十分条件ではないでしょう。(女性「的」世界観では、愛は幸福の十分条件のように描かれているかとは思いますが・・・)愛→幸福 なのではなく、幸せな人生には、愛があるということなのではないでしょうか。愛がある方がないよりは幸福などということは、愛がある生活と愛がない生活を較べればすぐに分かることですから2000万ドルもかけて証明したことは「愛→幸福」ではないのだろうと思います。(幸せとは何かいう定義が必要な気がしますが割愛致します)
また、男性が友情を重視する様を見た女性がその男性を好きになり、結果愛が生まれるというのともありましょう。その場合、友情をとったら結局愛もゲットできたわけですよね。よく、仕事とあたしどっちが大切なののよー!などと言います。仕事とあたし、愛と友情、正義と悪。二つの相反する存在としてしまうと簡単なのですが、必ずしもそういうものではないですよね。
また、「愛よりも友情や名誉を高尚と思う」人も理論的にはいるのでしょうが、現実にどちらが高尚なのか選ばないといけない場面にはなかなか遭遇できないかと思います。ハードボイルドは、普段は相反しない二つのテーゼを、無理やり相反させて、その間に揺れるという、「究極の選択」をしなきゃいけないキャラを作り出しているわけですよね。その非現実感も面白さの一つなわけですが。
運命の愛ばかり求める男は幸せになれるのかというご質問ですが、
~しか求めないというのは、選択肢が狭まるわけですから、それがどんなものであっても、幸福になれる確率を下げているように思います。
また「運命の愛」と「運命じゃない愛」のどちらを求めれば幸せになれるかという質問だと解釈すると、
「運命の」愛なるものは、「この人じゃないといけないぜ」というような単なる誤解から生まれている事が多く、その場合「運命的な人だから」という言い訳のもとに、様々な事をガマンしてしまう可能性が高いです。運命的だから、脚が太くても、ワガママでも、浪費しても、深夜に生き血をすすっていても、ガマンしてしまうわけですが、それは後の「なんで俺は/あたしはこんなのを好きになったんだろうか?」という後悔の道へつながる。
がゆえに、運命の愛を求める男も女も幸せになれる可能性を自ら下げている。かも知れません。
時間が足りないため添削できず、ポイントは絞れず長文のまま失礼。