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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

丹下健三氏設計、鋼構造「スーパーストラクチャー」の都庁庁舎

2005年09月17日 16時06分17秒 | note 「風雅のブリキ缶」
 昨日、都庁へ取材に出かけた。写真は中央公園から見上げて撮ったもの。
 この新庁舎「第一本庁舎」(1991年竣工、48階、延床面積19万5000㎡)は243メートル、奥行き44メートルで、高さに対して奥行きが短いので、普通の超高層ビルが採用する柔構造のラーメン構造では、地震時に変形しすぎて危ないから、「スーパーストラクチャー」なる剛構造を採用したという。80ミリの厚板でできた1メートル角のボックス柱4本を1組として四隅に立て、このコア柱相互をK型ブレースで結んで1辺6.4メートルのスーパー柱を構成、剛性を高めたもの。設計は、今年3月に91才で亡くなった丹下健三氏。
 Wikipediaによれば、指名コンペが行われたが、鈴木俊一都知事との強いつながりを持つ丹下案が大方の予想通り当選、「出来レース」と評された(鈴木俊一とのつながりは大阪万博以来。丹下は鈴木の都知事選後援会長であった)。建築関係者からは「ポストモダニズムに媚を売ってまでコンペに勝ちたかったのか」「すでにある新宿の超高層ビル群に最も高いビルを加えただけ(新しいアイデアがない)」などの厳しい批判を受けた。一方、重鎮となって、なお、コンペを勝ち抜く図太さ・老獪さ、成功した過去の自分のスタイルに拘泥しない柔軟さ、デザインを含めた象徴性などの狙いの的確さといった点を評価する者も多い。東京都庁舎は、ゴシック建築のパリ・ノートルダム寺院の形態を引用するとともに、格子戸を思わせる和風に通じるデザイン(一見、窓のように見えるがフェイク)などがポストモダン的とされる、とか。
 後で上まで昇った小生の印象としては、柔剛論争の柔に馴れてしまったせいか、剛構造と知って、かえって不安になるのは不思議なもの。
 故丹下氏については、東大の建築を出た知り合いに、「人を使うに長けていた」といったことを聞いた記憶があるが、Wikipediaには、東大の教授だったこと、またプロダクション制を導入し、分業によって設計する手法を導入したが、その反面、独創性が犠牲にされた(特に1980年以降の作品)との批判もある、とのこと。
 小生にとって丹下氏とは、子供の頃に開催された東京オリンピックの代々木体育館(1964年)の印象が強い。子供ながらに、あの壮大な曲線的構造物がどうやって創造されたのか、ひどく打たれたものである。タンゲ・ケンゾウという名前は、私の小さな建築世界に巨大な天才として長く君臨していたのだ。

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