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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

Kazuo Ishiguro "When We Were Orphans"を読む

2019年06月28日 10時48分49秒 | Journal
 Kazuo Ishiguroの『When We Were Orphans(私たちが孤児だったころ)』を読み終えた。Ishiguro氏の作品では、有名な『Never Let Me Go(わたしを離さないで)』を何度か読みかけたが、途中からストーリーが分からなくなって止めてしまっていた。上海が舞台になるOrphansの方は、小生なりに上海に馴染みがある分、読みやすいだろうと踏んで読んでみた。Ishiguro氏の英語は、例えば、Graham Greeneの英語と比べても、かなり難解な表現を使っている。ネイティブっぽくないのだ。まるで日英辞書を引っぱって普段使われていない英語の言いまわしをわざとしているような印象を受ける。その率直さに欠ける、しかも執事が使うような持ってまわった慇懃丁寧(いんぎんていねい)な英語表現で、彼は自分の小説世界をうまく作り上げている。分からないのは、高名な探偵を主人公にしているが、上海で生き別れた父母やかつて子供時代に住んでいた上海の家を探す主人公の姿は、とても高名な探偵には思えない。主人公の設定は、普通の平凡なサラリーマンでもよかったのではないか、とさえ思う。Ishiguro氏のテーマは、『第三の男』で三文文士の視点を使ったGreeneなどと違い、回想の中の自分自身の思いにあるのだから、現実世界における余計な設定は余計というものだ。
 いずれにしても、少々読みづらくても読了できたのだから、疑りっぽい小生を惹(ひ)きつける学ぶべき何かがIshiguro氏の小説にはあることになる。作中の登場人物たちは、どれも中途半端にしか描かれていない。記憶の靄(もや)の中に浮き出てきて、また半端なまま靄の向こうにぽつんぽつん消えてしまう。Akiraという租界少年時代の友人などは、その典型だ。日中戦争の最中、上海で自分の家を探す主人公は、負傷した逃亡兵?のようなAkiraと劇的に再会するわけだが、この泣かせるシーンも、Akiraがどうしても日本人の小生には日本人に見えない点も災(わざわ)いして、やはり中途半端であった。アヘンで儲ける主人公の叔父さんに騙(だま)されて軍閥のスケベ男に略取され、過去の記憶を失った母親と再会する感動のシーンも(多分、慎み深い作者はそんなに過剰表現を使って感動的にしたくなかったのだろうが)、普通に認知症になった母親と息子が面会する場面と左程変わらない点で、やや物足りなく、中途半端であった。つまり、ノーベル文学賞を受賞したぐらいだから、Ishiguro氏は、この半端な人物やシーンをうまくコーディネートして丁寧に文芸作品を作り上げており、そのことに実に長(た)けているのだと、小生は考える。そこでは記憶の彼方(かなた)という設定が効いているし、小説にはそもそも、全てを克明鮮明に書かないで、ぼやかしや半端表現も必要なのかもしれないと思わせる。小説は実録ではないという前提を、覚えていないということを、Ishiguro氏は巧(たく)みに利用している。





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