Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

ジャック・ニコルソンの笑みと映画『ボーダー』から巡り巡って『ディア・ハンター』

2019年10月31日 10時00分26秒 | Journal
 昨日、テレビでジャック・ニコルソン(Jack Nicholson、1937‐)が主演の『ボーダー(The Border)』(1982)を観た。ジャック・ニコルソンといえば、学生時代に『カッコーの巣の上で( One Flew Over the Cuckoo's Nest)』(1975、監督Miloš Forman)を観て、間違いなく衝撃を受けたことが第一の思い出だ。『カッコーの巣の上で』のニコルソンの演技もそうだったが、大体、彼が演じる主人公はけっして表立(おもてだ)った正義の味方などではない。しかし、あり余る感情(芸術的な感性の表出といってもいい)を持て余すほど持っており、その感情をときに立場もわきまえず不都合な状況下(精神病棟や国境のボーダーライン)で弱者(患者や移民希望者)への思いやりに使ってみるような訳(わけ)の分からない男だ。格好(かっこう)いい役者が演じるヒーローや正義漢が全身から滲(にじ)ませる理路整然や首尾一貫性がないから、観ている者は、ニコルソンの演じるアクの強い捻(ひね)くれたアウトサイダー役を多少やきもきしながら半信半疑で見つめている。それでも見続けるのは、悪人相なニコルソンが時折、垣間見せる照れて恥ずかしそうな笑みである。あれは得(え)も言われぬ笑みだ。何かを思い出したように内面からひょいっと浮かび上がってくるシャイで無垢(むく)な笑みに、観客は惹(ひ)かれるし、もしかしてこの男は本気かしらと真心(まごころ)を信用したくなるのである。美男系の男優よりは醜(ぶ)男系に、そんな笑い方をする役者が居る。アメリカの俳優では、ほかに『タクシードライバー(Taxi Driver)』(1976、監督Martin Scorsese)のロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro、1943‐)もそんな笑みを持っている。日本の俳優では、含羞(がんしゅう)派の笑みを発現する役者は、演技力はいささか劣るかもしれないが、『男はつらいよ』(1969‐95、全49作)の渥美清(1928-96)、そして同じく寅さんに子役時代から出ていた吉岡秀隆(1970‐)ではないか。吉岡がやはり子役時代から出演したテレビドラマ『北の国から』(1981‐82、ドラマスペシャル83‐2002)は、放映が始まるその少し前まで学生時代を北海道で過ごした直近の記憶も相俟(あいま)って、小生にとって忘れがたい作品になっている。

 嫌々ながら国境警備隊員になった内気な主人公

 気はいいが浪費家の妻とはどこか合わない

 アメリカへ国境を越えたい娘を命がけで助ける

 『カッコーの巣の上で』のニコルソン

 『タクシードライバー』のデ・ニーロ

 『男はつらいよ』

 『北の国から』の吉岡

 今日の日経を読んでいたら、最終面にレンブラント「笑う自画像(ゼウクシスとしての自画像)」が紹介されていた。レンブラント63歳(小生と同い年)、最晩年の自画像だそうだ。ジャック・ニコルソンやロバート・デ・ニーロ、渥美清、吉岡秀隆の件(くだん)の笑みは、このレンブラント(Rembrandt、1606‐69)の「笑う自画像」を想起させる。生活にも困窮するオランダ人画家が、人生の最期(さいご)に鏡の中に見詰めた、内面からの光にぽっと照らし出されたような、リクエストに仕方なく応えてにそにそと力もなくじんわりと笑ってみせる、どうにでもとれる情(なさ)けないような自分の顔を描いたのである。

 Rembrandt

 Jack Nicholson

 Robert De Niro

 渥美清

 吉岡秀隆

 『ボーダー』という映画は、上に掲載したスチール写真からも想像がつくように低予算の「B級映画」ぽい感じがするが、内容は、ジャック・ニコルソンの演技力によってぐっと彫りが深いものになっている。監督はイギリス人のトニー・リチャードソン(Tony Richardson、1928‐91)。映画界には珍しいオックスフォード大学出身の奇才で、最期は彼が監督した『マドモアゼル(Mademoiselle)』(1966、ジャン・ジュネ原案)で主演したあのフランスの大女優ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau、1928-2017)に看取(みと)られて、レンブラントと同じ63歳という年齢でエイズで亡くなった。同監督の遺作となった『ブルースカイ(Blue Sky)』(1994)は、以前、このブログでも取り上げた。『トッツィー(Tootsie)』(1982)でアカデミー助演女優賞を受賞したジェシカ・ラング(Jessica Lange、1949‐)は、この『ブルースカイ』で同主演女優賞を受賞している。『ボーダー』と『ブルースカイ』のこの2作だけの印象からすると、同監督は、正義を律義に心の奥に秘めて行動力がある並外れて心優しい夫とその夫のことを理解しない性的で自由奔放(ほんぽう)な妻というパターンの夫婦(しかも別れない)を描いて優れている。そこには、バイセクシュアルという彼の性的傾向と両性への理想主義が色濃く出ていたのかもしれない。

 Tony Richardson

 Jeanne Moreau

 『Mademoiselle』

 『Blue Sky』

 『Tootsie』のラング

 リチャードソン監督は、ジョン・アーヴィング(John Irving、1942‐)原作の映画『ホテル・ニューハンプシャー(The Hotel New Hampshire)』(1984)を撮っているが、そこで主役に抜擢したのが、Yale大学卒の才媛ジョディ・フォスター(Jodie Foster、1962‐)であった。ジョディは13歳で『タクシー・ドライバー』の少女娼婦役を演じて高い評価を得たそうだが、あれがジョディー・フォスターだったとは今になって知った。つい最近、『告発の行方(The Accused)』(1988)という、ジョディがアカデミー主演女優賞を受賞したレイプを扱った映画(レイプを煽ったり黙って傍観していた者の罪をも問うている問題作)を観たばかりなので、何かの因縁、関連を感じている。ただし残念ながら、『マドモアゼル』も『ホテル・ニューハンプシャー』も観ていないので、大した根拠のある話にもならないのだが、ただ、リチャードソン氏は、ニコルソンや『ブルースカイ』で主演したトミー・リー・ジョーンズ(Tommy Lee Jones、1946‐)のような男優もそうだが、女優中の女優、モロー、ジョディやラングのような賢く演技も達者な女優が好きだったし、個性を存分に引き出すことに長(た)けていた思う。生半可(なまはんか)な役者では、とても彼の文芸的世界を十分に演じ切れないと感じていたのではないか。

 『The Hotel New Hampshire』

 『タクシードライバー』のジョディ

 『告発の行方』のレイプシーン

 若き日のジョディ・フォスター

 こうして映画の世界を巡っていると、あれもこれも次から次へ連想が止まらなくなってしまう。大学時代に淀川長治の「ラジオ名画劇場」を毎週楽しみに聴いていた影響があるのかもしれない。自分でもそれほどとは思っていなくても、小生、映画もしくはそこに出演している役者個人のことがかなり好きらしい。その流れで最後に、今回、調べていて知ったことだが、Yale大学の演劇大学院を卒業し、ニューヨークで舞台女優として活動を始めていたメリル・ストリープ(Meryl Streep、1949‐)は、『タクシードライバー』のデ・ニーロの演技に衝撃を受け、以後、映画のオーディションを受けるようになった。奇しくも、デ・ニーロがチェーホフの芝居『桜の園』に出演していたストリープの演技に目を止め、『ディア・ハンター(The Deer Hunter)』(1978、監督Michael Cimino)の出演者に推挙したという。ストリープは、特に好きな女優でもなかったが、最近、二度目の視聴になる『マーガレット・サッチャー 鉄の女(The Iron Lady)』(2011)を観て、成程(なるほど)コクのある演技だなと思った。ストリープは、この堂々たる演技でアカデミー主演女優賞を受賞。『Kramer vs. Kramer(クレイマー、クレイマー)』(1979)や『The Bridges of Madison County(マディソン郡の橋)』(1995)の例もあるが、こういうただ者ならぬ立派な風貌の女性を妻に持つと旦那と言うのは一体どういう心境になるのかな、とふと思う。そういえば、大分前になるが、『31年目の夫婦げんか(Hope Springs)』(2012)というストリープとトミー・リー・ジョーンズで倦怠期にさしかかった夫婦がカウンセリングを受けるコメディー映画も観たな。ああした円熟した柔らかい味も出せる女優である。イエールとハーバード出身の競演だからずいぶん高学歴なコンビだ。『ディア・ハンター』については、ベトナム戦争におけるあのロシアンルーレットの恐怖とともに、小生にとって学生時代に観たやはり忘れようとしても忘れられない衝撃の作品だった。あの忍び泣かせるギターの音色が特徴のテーマ曲「Cavatina」(作曲Stanley Myers)が聴こえてくると、寒々と寂しいアメリカの田舎町、ピッツバーグ郊外にある製鉄の町Clairton(Rust Belt地帯にあるこの町の名を使っただけで、実際の映画は、ここで撮られたわけではなかったようだが)の情景がまるで行ったことがあるかのように今でも彷彿(ほうふつ)と眼(まなこ)に浮かび来て居たたまれないほど切なく、胸キュンとなる。

 『タクシードライバー』のデ・ニーロの演技

 『The Deer Hunter』

 ロシアンルーレットで思い出すシーン

 『The Iron Lady』

 『Hope Springs』

 Clairton in 1973

◆追記:YouTubeの「Cavatina」にこんなコメントがあった。「My dad was an army doctor in Vietnam. I remember the night he came home from seeing this movie with my mother. He had an expression and look on his face that I had never seen before or since.Years later I asked him what he thought of the Dear Hunter. He said that it was the most accurate movie on Vietnam that he had ever seen. The depiction of the times and the entire recapturing of the experience in Vietnam American soldier was unbelievable and it brought him right back to Vietnam .」切ない気分になるのは、単なる感傷からだけではないのかもしれない。それだけ心象におけるリアルな映画だったのだ。
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台風一過の「家」と太宰治の『津軽』、ノーベル文学賞と春樹さん

2019年10月13日 10時55分31秒 | Journal
 昨晩は多分、台風19号の目玉が川崎の自宅の上空を通過した。1時間余の間、1階リビングのソファーに座って屋根のはるか上の闇空がゴーゴーと凄(すさ)まじく鳴る、というか轟(とどろ)き渡る、のをはじめて聞いた。地上の家々や木々に吹きつける風のヒューヒューと唸(うな)るのとはレベルが違う音域であった。宮沢賢治の作品にこんな風の音が書かれていたような気がした。昔、兵庫の尼崎に住んでいた頃、次兄が自転車で台風の目玉を追っかけていったことがある。小4だった小生も家から出て、次兄が自転車に乗って勢い込んで路次の先に消えるのを呆(あき)れ顔にやれやれと見送ってから、明るい秋晴れに薄い雲が動く目玉を見詰めた記憶がある。その目玉の、どこまでもブルーに澄み渡った瞳(ひとみ)は、えも言われぬほど麗(うるわ)しかった。しかし今回、小生は、風が急にピタッと治まっても家にじっと籠(こも)ったまま、台風の目玉を打ち仰(あお)ぐことはしなかった。不要不急の外出は控えるようにニュースでしきりに注意を喚起していたので、目玉を見学に出てうっかり怪我(けが)をしたなどと言えないと思い、大人しく従ったのだ。家の外に出ていれば、もしかして、きらきらと美しい星空の目玉が見れたかもしれない。代わって、家中で風の吹きすさぶ音に耳を澄ましながら、屋根が飛ばされなければいいなと現実的なことを願って優柔不断にもじもじとしていた。先の台風15号で千葉に屋根被害が多かったように、特に、シングルの屋根は、北米などではハリケーンに見事に飛ばされている映像を何度も見てきたからだ。荒れ狂った風がピタリとやんで今は目玉直下に違いないと分かっても疑心暗鬼を持て余して杳(よう)として動かなかった。朝になって、家の前の道からそのただでさえ見えにくい屋根を眺めた。大丈夫なのような気もするが、ところどころシングルの屋根が持ち上がっていやしないかと目を凝(こ)らした。





 しかし、風雅の精神と言うのは、世間的な用心深さを大人しく順守するばかりではなく、やはり扉を開けて台風の目を拝(おが)みに出ていくような無鉄砲さがないと、面白みがない。台風19号が接近しつつあった10日、ノーベル賞の文学賞の2年分の発表があって、例年のようにと言うか、村上春樹氏の受賞とはいかなかった。いつかは順番が巡(めぐ)ってきて受賞するのだろうが、ご本人はさぞかし疲れるだろう。そして、受賞者である2人の、うち1人はオルガ・トカルチュク(Olga Tokarczuk)というポーランドの女性作家だと知る。数年前、小説の書き方の勉強材料として大学時代の友人にすすめられて美しいヨーロッパの家々の画が表紙になった『昼の家、夜の家(Dom dezienny, dom nocny)』を購入、374ページ中の70ページまで読んで止まっている。「最近、読んだ中では比較的面白かった一冊」と友人は考え深げに言い、小生もなかなか良い小説だと思いながら何故(なぜ)か70ページで止まってしまった。今回、この作家がノーベル賞を受賞して、友人の慧眼(けいがん)を思うと同時に、所詮(しょせん)自分には小説というものが分からないのだなと再認識した。どうりでいくらあがいても小説らしいものは書けないわけだ。

Olga Tokarczuk

 『昼の家、夜の家』作中の読んだ範囲に、こんなもっともな一節がある。———毎朝、それぞれの夢のビーズみたいに糸でつないだら、それは一貫性のある物語になるだろう。世界にふたつとない、それだけで完成された、美しくて完璧なネックレスのようになるはずだ。(p.33、小椋彩訳)ところで台風が過ぎ去った朝、眩しいほどの満(み)ち足りた光が細く開いたカーテンから差し込む部屋に目覚めたら、小生はどんな夢を見たかも覚えていなかった。だからか、小生の物語は一貫性に欠けるし、なかなか美しいネックレスにはなってくれない。



 10日ほど前、太宰治の『津軽』を読み終えた。幼友達や旧知の人との再会を愉(たの)しみながら故郷の津軽をぐるっと一巡したことで、太宰の素朴さ、素直さが滲(にじ)み出た作品になっている。(Wikipediaをみると、作品のクライマックスでもある津軽での子供の頃に親しんだ女性との再会シーンでは、作品に描かれたような会話がまったくなかったと指摘されている。慥かに、その箇所の記述に多少の唐突感、ぎこちなさがあった。もしそうだとすれば、太宰は、どこまでも人を馬鹿にした嘘つきだったことになる。少なくとも、これは太宰の身に実際に起きたことだろうと思っている読者を裏切ることになる。そこまでして「小説」というものの完成度を高めることに意味があるのか、疑問になる。)東京での太宰は、自ら言うように生来の「道化」をますます佳境(かきょう)に入って演じ、相当、無理していたのではないかと思う。東京で太宰は、職業作家として成功を確立するために芥川賞をとろうと大分、見苦しい画策もしたようだが、とうとう受賞できなかった。
 一方、村上氏も芥川賞には縁がなかったが、本人も言っている通りそれはいいとして、やはりノーベル賞はとりたいのではないかと推察できる(ご本人はあくまで否定しているが)。なぜならば、彼の『職業としての小説家』中に、アメリカでエージェントと契約し、自作を売り込んでそれなりの成果に結びつけた話が書かれており(アメリカでは普通のやり方だが)、これまで積極的に自作の脱日本・世界化を図ってきたように感じられるからだ。しかし、画策は、どんなものであれ、最終的に良い結果をもたらすとは限らない。文体にも現われている彼の世界標準化戦略は、「日本の作家」としての特異性、希少価値が認められる可能性をむしろ減じているようにも思う。村上氏の作品には、明治以降の小説家のなかでも特筆すべきほどおふざけも入った浪花節(なにわぶし)調の唸(うな)りや、漫画的な戯画精神が根強くあるのに(これは、小説が分からない小生だけが感じていることなのか?)、そうした特色を世界を分母にして平均的に割ってしまうのは、日本酒を水で割るようなもので、実にもったいない。俳諧(はいかい)の世界で、芭蕉が乙(おつ)に風流を気取り戯(たわむ)れの駄洒落(だじゃれ)でしかなかった俳句を意気込んで誠(まこと)の芸術にコンデンスして昇華したように、村上氏も日本人の現代的心情を小説というかたちでコンデンスして昇華したうえで世界的評価を確立してもらいたいという気がする。そういえば、意外にも太宰が、『津軽』中に、あの芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」を「いい句だ。当時の檀林(だんりん)派のにやけたマンネリズムを見事に蹴飛ばしている。謂(い)わば破格の着想である。月も雪も花も無い。風流もない。ただ、まずしいものの、まずしい命だけだ。当時の風流宗匠たちが、この句に愕然としたわけも、それでよくわかる。」(新潮文庫、p.146-7)と論じているのを見つけて、可笑(おか)しく感じた。
 国家存亡(そんぼう)の戦争のさなかに「津軽風土記」たる『津軽』(1944)を書くにあたって大分資料にあたって勉強した太宰は、「このアイヌ(津軽にも住んでいたアイヌ)は、ばかに出来ない。所謂(いわゆる)日本の先住民族の一種であるが、いま北海道に残ってしょんぼりしているアイヌとは、根本的にたちが違っていたものらしい。」「奥羽のアイヌは、溌溂(はつらつ)と独自の文化を誇り、或いは内地諸国に移住し、また内地人も奥羽へ盛んに入り込んで来て、次第に他の地方と区別の無い大和民族になってしまった。」(新潮文庫、p.130)と感想を書いている。多分に北海道の「しょんぼりしているアイヌ」を意識して成立した今般の「アイヌ新法」についても、物珍しさ半分に歴史から取り残された「アイヌ文化」の観光的側面を強調して、ちょっと奥深いところの日本史の事実(古代の日本は渡来人と先住民族の混在によって人種の坩堝〔るつぼ〕であった)、特に東北・北海道の風土的な勉強が足りないという気がする。東に対する西からの官軍的な、中央集権的な、規則第一のお仕着せな歴史観なのだ。とにかく過去の清算は終わったことにして事務効率的に先に進みたがっている点で、ちょっと徴用工問題と似たものを感じる。
 台風一過の朝、燦燦(さんさん)と陽射しが充(み)ちる家の2階バルコニーから台風が来る前に刈った芝生の小さな庭を見下ろした。世界的な成果をこつこつと築き上げてあと一歩のところまできた作家を貶(けな)している自分には、今只今(いまただいま)は、この青々とした芝の庭ぐらいしか成果がないのかと思う。そして庭に降りて、台風の風雨によく耐えたコスモスをつくづくと眺めた。まあ、いずれ「ノーベル賞級」の春樹さんのことを小姑(こじゅうと)じみた注文をつけてあれこれ評していても始まらないと悟る。春樹さんの問題は、春樹さんが自分で考えて何とかするだろう。目下、小生が直面すべきは、狭くともこの侘(わび)しく貧しい庭の世界の現実なのだ。





 今回被災された方々には申し訳(わけ)ないのだが、大きな目玉を恐ろしくぎゃろつかせ、東南の海を鬼のように渡り来て、この美しい小国に荒々しく悪さをしていった台風が来る暫(しばらく)く前の、まだ芝を刈る前の、夕刻に撮った黄昏(たそがれ)時の小さな家の小さな庭の平和な写真が何枚かコンピュータにあることを思い出した。「秋は、夕暮」とは、忘れていたが、1000年前に書かれた清少納言の随筆『枕草子』にある表現。まさにその通り!











 今さらだが、自分の資質は、散文でいえば、もともと小説ではなくて随筆にあったのかもしれない、と最近、感じている。三人称でなく一人称「私」の思いや考えを綴(つづ)る世界だ。ただ、随筆では書ききれない部分、構造上の嘘というかフィクションを入れなければ、完結できない内容の場合、どうするか。『津軽』における太宰のように、嘘を挿入しても事実らしく書くいかさま師的作家になる度胸(どきょう)が自分にあるか。大体、今の随筆というのは、有名人か物書きの子供が作品を発表できる贅沢なエスタブリッシュメントの領域になっている。そうでなければ、恥も外聞もなく究極的なぶっちゃけ話をするか、太宰のように演出的に嘘っぱちをちょこちょこ交えて小説もどきに拵(こしら)えるのが、久しく先細りな出版業界における唯一の出品方法となっている。ただ、そんな現状認識があっても、それでも何とか打って出るのが、物書きの真の実力だ。家の扉を開けて、台風の目玉と遭遇せんとする理窟(りくつ)に合わない気概(きがい)である。
 それに考えてみれば、このブログは、そもそも随筆ではないか! その証拠に1円にもならないし、発表の苦労もない。思ったことを勝手に書いて気まぐれに載せられるのは、いかにも既存の出版市場と関係がない点で随筆である。しかしながら自由度が高く相性は合ってはいても小生が書くものとして、随筆は最終的な目標にならない気がする。このブログよりも一段上級の何か創作的・作品的なもの、そして何より自己完結したものを書きたいという願望が鬱勃(うつぼつ)とある。そうしていざ「作品」を書く段になると、変に力みが入る。人目を気にした恰好(かっこう)つけが始まる。立派な著者の引用が多くなる。随筆でも小説でもない、さりとて論文でもない、何か得体(えたい)のしれない、グロテスクなまでに自家撞着(じかどうちゃく)した文章が目に前に出来上がってきて、自分で自分が嫌になる。同じ自家撞着でも本音オンリーでも、もっとさらりと一筆がきに書けないものかと思う。「人間の生は痴愚女神のたわぶれごとにすぎない」と喝破(かっぱ)し、500年も前に人文主義者のエラスムスによって書かれた『痴愚神礼讃』のような、圧倒的に自信たっぷりな自画自賛調、嘲弄(ちょうろう)的なまでに本音オンリーの世界が羨(うらや)ましくなる。装(よそお)った謙虚よりは大いなる上から目線の方がまだまし。人間は、どこかで自信、確信に満ちていなければ本当のことは言えない、書けないでしょう?
 小生、このままでいいのかという自信のない自己否定的な自問自答を抱えて居たたまれず、それ庭仕事をしようかとひょいっと季節はずれの麦わら帽子をかぶり、台風の去った庭に出た。この麗しい日の天然の日差しを一杯(いっぱい)に浴びながら、道からは舞台の上のように丸見えでご近所や通行人のこの暇(ひま)なオジサン(或いはもう立派なオジイサンと映っているかもしれない)地面にしゃがみ込んで何やっているのという不審、好奇の目をやり過ごしながら、虚(むな)しい反響音ばかりでなかなか答えの見つからない湿気(しけ)って暗く鬱陶(うっとう)しい頭の中の空洞を裏返して風通し良くからからの空(から)っぽになるまで天日に干(ほ)す必要を感じている。

「人生に執着する理由がない者ほど、人生にしがみつく。」(エラスムス『痴愚神礼讃』)
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