Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

「四月の雪」とペ・ヨンジュン

2006年12月23日 11時08分35秒 | Journal
 死期の近い写真館主の男とそれを知らないで男を好きになる少女の恋を描いた「八月のクリスマス」の日本版リメイクを観て、以前、このブログでも感想を述べた。あの作品でも夜の雪降るシーンはモティーフだったが、「雪は降るときはキレイだけど、降ったあとはキタナイのね」の無邪気なせりふがあるこの「四月の雪」も同じ。どうも似ているなと思ったら、監督は同じホ・ジノ監督だそうだ。
 このホ監督が、映画の中でペ・ヨンジョンを照明監督にした理由について、「自分の身近な職業だったという理由と、最初にペ・ヨンジュンさんにお会いした時に、外見は柔らかく内面は強いというイメージを持ったので、職業を決める際に照明監督を思い浮かべました。照明監督は、機材等かなり重いものを持たなければいけないので、強靭な肉体が必要ですし、秩序をもって仕事をするという意味で精神的な強さも必要とする、また光を扱うということでとても繊細な部分も必要ですしね」と語っている。
 韓流ブームは、ペ・ヨンジョンの笑顔とともに運ばれてきたが、その受容の基底には、ああした笑顔で接してもらいたいと思うニッポン女性の隠された願望があるのだろう。男らしくて繊細な部分もある――この両面性への過剰な期待だ。大体、今のニッポンの男は、男らしくなくて繊細じゃない。そのことへの大不満がある。男の側にも、相手がソン・イェジンさんならば、大いに男らしく振る舞うだろうし繊細でもありたいが、現実はそうじゃないのだから、ムリはしたくないという本音と現実対処がありそうだ。
 さらに、こうした解釈も成り立つ。――大昔のニッポン貴族は、少なくとも知的で繊細な貴族は、多くは韓流、つまりコーリアからの渡来系だったのだから、野蛮で教養のない倭人系よりは、女性の扱いにも慣れた韓国の男に女性が惚れるのは、この国の高貴な恋愛シーンでもあった。そんなところで、過去の歴史において、恋に焦がれるニッポンの庶民派の男どもは、コーリアに戦争をしかけて空威張りでもして鬱憤を晴らすしかやり場がなかったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「四月の雪」のソン・イェジン

2006年12月23日 10時43分54秒 | Journal
 「四月の雪」を日比谷の宝塚歌劇団が入ったビルの地下にある映画館「みゆき座」で観た。
 ヨン様ことペ・ヨンジュンについては、大写しにすると、鼻の形が少し問題があるなと思った。彼の基本は、韓国の男らしい、野太い男っぽさで、それを鎧(よろい)のような分厚い肉体がおおっている。
 映画のストーリーは、不倫の最中に交通事故で意識不明になったカップルの、その夫と妻が病院で出会い、また不倫の仲になるという〝不道徳〟極まりない話だが、まあ、そこまで目くじらをたてないで引き込まれたように見ていられるのは、不倫をされたという事実において二人は〝同志〟になってしまう、そのことに観客も納得してしまう、役者の演技と丹念な映像作りがあるからだろう。満席になった客席は、ほとんどオバサンからオバアサンの層で、これが初めと終わりに拍手しているから、普通の映画鑑賞とは違った雰囲気である。
 ぺ・ヨンジュンの相方のソン・イェジンは、明らかに素質のある女優だ。顔は素人ぽい清楚系だが、自然とふくよかな感じのスタイルも良く、哀愁から快活へ、表情で演技のトーンを変えられる能力がある。ソウル芸術大学映画科を出ており、相当、演技の基礎ができている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日比谷公園の「思い出ベンチ」

2006年12月23日 10時09分51秒 | Journal
 日比谷公園のベンチは、思い出のベンチだ。
 それぞれに寄贈者がいるらしく、氏名入りで、思い出をつづったプレートが付けてある。
 ちなみに、写真の日比谷花壇前にあるベンチには、「日比谷幼稚園を1935年に卒園致しました。ここが私の出発点です」とあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩本町の和泉橋で、鳥に餌をやる女性を撮る

2006年12月16日 17時49分52秒 | Journal
 秋葉原の地下道を外へ出て、神田川にかかる和泉橋を渡ろうとして、鳥に餌をやる女性を撮った。
 ここ岩本町界隈は、神田川の土手に柳並木があったことから「柳原土手」と呼ばれた。なんでも、太田道灌が鬼門除けに稲荷を祀り、土手に柳を植えたのだとか。江戸時代の後期には、土手の周辺に古着を扱う露天が集まった。明治に入ると400軒もの古着屋が軒をつらね、岩本町古着市場を形成したのだとも。そういえば、裏通りへ入れば、今でも繊維関係の店や問屋が多いような気がする。写真の女性も、そうした古着屋の末裔かもしれぬ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

殺人手配者・小池俊一

2006年12月16日 17時30分23秒 | Journal
 日比谷線の秋葉原を出て、地下道を歩いていると、普段はそうも注意がいかない指名手配のポスターに目が止った。この小池なる手配者とそっくりな人を知っているのだ。ただ、その人は、確実に犯人ではない、と思うから、「あ、似てる、110番」とはいかない。しかし、よく似ているな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八木アンテナ(NHK放送博物館)

2006年12月16日 15時03分15秒 | note 「風雅のブリキ缶」
 1925年(大正14年)、この愛宕山から日本で初めてラジオ放送が流れた。それを記念して昭和31年に開館したNHK放送博物館には、アンティークかつ歴史の場面場面に出てくるマイクロフォンやカメラなどなど、慥かに、放送に関する逸品が展示してある。
 小生が、館に入って最初に出合ったのは、以下のように、作品にも取り上げた「八木アンテナ」。

 ――アメリカ育ちだが、戦前のニッポンで高等教育も受けた「帰米」のナカムラ教授は、トウホク大学のオカベ・キンジロウ(岡部金次郎、後に阪大教授)博士が発明したマイクロ波発振管「マグネトロン」を研究したと物語ではなっていました。マグネトロンは、マイクロ波を発生させる真空管(vacuum tube)ですが、電界と磁界を組み合わせた構造となっており、電子を真空中で螺旋(らせん;spiral)運動させます。

 1927年、実験演習を担当していたオカベ博士のもとに来た一人の学生が、真空管を使った実験で、本来ならばゼロになるはずの電流が途中でまた増える、とデータを見せました。この実験データについて、オカベ博士は、極超短波アンテナ(1926年)の研究開発者として知られる恩師のヤギ・シュウジ(八木秀二)教授と議論し、真空管から非常に短い波長の電波(radio wave)が発生しているのだ、と推測するに至ったのです。

 日米の戦争が激しくなった1943年、出撃する飛行機が常に敵機の待ち伏せに遭(あ)うという事態に至り、ニッポンの連合艦隊は、南太平洋の制空権(command of the air)を完全にアメリカ側に奪われてしまいました。たまたまシンガポールで、イギリス製地上用対空電波警戒機(レーダー;radar)を捕獲したニッポン軍は、そこに「YAGI ARRAY」と書かれていることに気がつき、これは何だとなったのです。陸軍研究所、それに、民間電機メーカーの技師が動員され、いわゆる、「八木アンテナ」であることが判明しました。
 イギリスでは、ヤギ教授らの研究を受けて、マルコーニ社が1920年代後半には早くも商品化していたのですが、ニッポンでは、1935年頃に、海軍研究所の技師が、レーダーの研究開発を上層部に進言したことはあったのですが、「闇夜に提灯をともす」研究よりは、兵の訓練が大事と却下(reject)されました。また、商工省が「重要な発明と認め難い」と特許期限延長を1941年に却下したといいます。

 八木アンテナは、戦後ニッポンの高度経済成長期の街風景の典型ともなった、あの家々の屋根の上に立つVHF帯のクシ型テレビアンテナに適用されることになりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひょっこりひょうたん島

2006年12月16日 11時53分25秒 | Journal
 NHK放送博物館にあった、この「ひょっこりひょうたん島」も懐かしい。これが放送されたのは、小生が中学生にさしかかったころだ。特に思い出深いのは、命がロウソクの火になって見える話。自分の寿命をロウソクの長さに見てしまい、風前の灯にもうじき死ぬと主人公が慌てたり、こっそり命の長さを継ぎ足そうとするところは、切なくてリアリティーがあった。自殺する中学生が最近多いが、それだけ命というものに切実な思い入れがあるのが、あの年齢なのだろう。それも数十年もたてば、なんとなく惰性で生きることを余儀なくされる。
 なお、写真に、ダンディの姿がないのが、ちと淋しい。
 *参考:原作:井上ひさし、山元護久
     アニメーション:久里洋二
     人形劇:ひとみ座
     人形デザイン:片岡昌
     演出:雪正一
     音楽:宇野誠一郎
 *ストーリー:ひょうたん島に子供たちとサンデー先生が遠足に行ったところ、ひょうたん火山の噴火活動の結果、島が流れ出してしまう。子供たちとサンデー先生はこの島で暮らし始めるが、島には次々とへんてこな人が訪れ、またひょうたん島も奇妙奇天烈な所に流れ着いて事件が起きるというもの。
 小生の作品に、「瓢箪ビル」というのが登場することになっているが、あるいは、ひょうっこりひょうたん島の島影が頭の片隅にあるのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三びきのこぶた

2006年12月16日 11時29分24秒 | Journal
 小生が幼稚園のころだから古いが、「三びきのこぶた」という子供番組(白黒)がNHKで流れていた。家でも見たのだろうが、幼稚園でも皆と見た記憶が残る。こぶた三匹とこぶたを食べてやろうという狼のやりとりが劇になっていたのだが、委細はいっさい忘れてしまった。いま調べると、原作はイギリスの昔話のようだ。その昔話はかなり怖い話である。
 ――お母さんから、一人で食べていくようにいわれた3匹のこぶたたちでしたが、2匹は、わらの家と木の枝の家をオオカミに吹き飛ばされて食べられてしまいます。3匹目のこぶたのレンガの家を吹き飛ばせなかったオオカミは、このこぶたも食べてやろうと、カブ畑やリンゴとりやおまつりに誘い出しますが、どうしても捕まえることができません。反対にこぶたはオオカミをやっつけて、晩御飯に食べてしまいました。

 昔、小生の母親が、やはりこの番組を見ていて、人間が入ったぬいぐるみだとは知らず、ずいぶん精巧な「人間のように動く人形」だといつも感心して眺めていたそうである。
 写真の三びきのこぶたは、愛宕山のNHK放送博物館に展示されていたもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おみくじに爪を研ぐ白猫(愛宕神社)

2006年12月16日 11時20分40秒 | Journal
 愛宕神社の境内には、白猫がおわす。
 猫だから、もったいぶった仕草が多い。
 この猫は、500円で買った小達磨に入った「小吉」のおみくじをくくりつけた小生を見ていて、わざわざ爪を立てに来た。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛宕神社境内から撮った愛宕グリーンヒルズ

2006年12月16日 11時08分52秒 | Journal
 愛宕神社の境内は、こじんまりしているが、なぜか岸辺に小船を横たえた、鯉がたくさん泳ぐ池もあり、今の季節はその池を囲む紅葉もなかなか奇麗である。その紅葉ごしに愛宕グリーンヒルズが見えた。

 Wikipediaによれば、愛宕グリーンヒルズとは、森ビル株式会社が管理し、愛宕山の自然、伝統、文化と融合をコンセプトとするオフィスと住宅を備えた愛宕MORIタワー(オフィス棟)と愛宕フォレストタワー(住居棟)からなる。2001年竣工。青松寺を挟み立つツイン高層ビルである。東京都港区愛宕二丁目にある。通称愛宕ヒルズ。かつてボーダフォン日本法人の本社があった。
 曹洞宗青松寺と隣接していることに因み、仏教的な蓮の花を模したシンボリックな外観は、世界的な建築家シーザー・ペリ率いるCesarpelli&Associatesがデザイン監修した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする