一昨日の朝に撮った坂本町公園の桜。22日に載せた写真とほぼ定点観測的な位置関係を心がけて撮ったもの。朝、誰もいない公園の「新鮮な桜」というのは、また格別にすがすがしい。
なお、22日付けに書いたようには、この桜がソメイヨシノだという確証はない。昨日、東京の開花宣言の標準になる靖国神社の桜の樹を見たら、わざわざ吉野桜と書いてあった。どういう風に見分けるのであろうか? なんでも植物分類の科は「バラ科」 、属は「サクラ属」ということだが、恋と同じく、謎が多い花だ。芭蕉が、元禄元年(1688年)に詠んだ句を下にかかげた。日中は花見客でにぎわう吉野山も、夜明けのころはひっそりとしていて、普段のままに明けていく。
そわそわと恋のときめきに咲きそろう 頓休
花ざかり山は日ごろのあさぼらけ 芭蕉
COMMENT:(Wikipedia「ソメイヨシノ」から)
【命名の由来】
江戸末期から明治初期に、江戸/東京の染井村の植木屋(駒込の西福寺に墓の残る伊藤伊兵衛政武と伝えられる)が「吉野桜(ヤマザクラの意)」として売り出していたものだが、藤野寄命の調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることがわかり、1900年(明治33年)「日本園芸雑誌」において「染井吉野」と命名された。
【交雑種ソメイヨシノ】
ソメイヨシノ Prunus × yedoensis は、エドヒガン P. pendula Maxim. f. ascendens (Makino) Ohwiとオオシマザクラ P. lannesiana var. speciosa の雑種が起源であることが遺伝子調査から明らかになっている(学名の×は、種間交雑種の印)。しかし、どちらが父でどちらが母かはわかっていない。
花弁は5枚で、葉が出る前に花が開き、満開となる。開花期は関東地方で3月末から4月上旬ごろ。花色は、咲きはじめは淡紅色だが、満開になると白色に近づく。原種の一方であるエドヒガンと同じく、満開時には花だけが密生して樹体全体を覆うが、エドヒガンよりも花が大きく、派手である。
近縁種のミカドヨシノとは区別が付けにくく、混同されることが多い。
自然交雑を起こしやすいため、ミズタマザクラやウスゲオオシマなど、100種近い亜種が確認されている。
【特徴と欠点】
ソメイヨシノは、街中では他種より目にする機会が圧倒的に多いことから、以前からその起源についてとともに、可否好悪についても、愛桜家の間で論争の絶えなかった品種である。
江戸時代末期に園芸種として生まれ、接ぎ木や挿し木で増やすクローン植物なので木の成長が早いこと、一斉に咲き開花が華やかであることが好まれたことで、明治以来、さらには戦後にも、日本中に植えられ、戦後の荒廃した国土に爆発的な勢いで植樹され、戦争で荒れた国土を速やかに花で満たしてくれた。
現在、ほぼ日本全域に分布するもっともポピュラーな桜であり、サクラ前線も、本種の開花状況が基準となっている。
しかし、ソメイヨシノには大きな欠点がある。寿命が短く「60年寿命説」も唱えられているくらいで、30年過ぎたあたりから樹勢が目に見えて衰えてくる。すなわち、数十年ごとに木の植え替えが必要となる。 これは、前述のように株分けのクローン植物の性質上分裂を繰り返した遺伝子のため情報にエラーが生じやすく元来種としての寿命が短いことが原因と見られる。
また、街路や公園と言った荒らされやすい場所に植樹されていることが多く、寿命を縮める結果となっている。 今あるソメイヨシノの大半が、昭和天皇の即位の時や、戦後すぐ復興のシンボルとして植樹されたもので、樹齢が50年を超え、ひとつの時代の節目を迎えようとしている。 戦後60年近くが経過した現在、いわゆる花の名所として数百本・数千本のサクラを植えている場所では、植え替えの手間・費用も馬鹿にならず、ソメイヨシノ一色の時代から、ヤマザクラ等を混ぜて植える時代へと変わりつつある。
なお平均寿命が数十年のソメイヨシノであるが、献身的な手入れにて長命を実現した例もある。 青森県弘前市では、樹勢回復に熱心に取り組んだ結果、多くのソメイヨシノの樹勢回復に成功している。弘前城跡公園には、樹齢100年をこえるソメイヨシノがあり、これは本種の現存する最も古い株であろうと言われる。
【てんぐ巣病】
サトザクラ全般に共通の欠点として、ソメイヨシノも排気ガスによる大気汚染などの環境悪化に弱いこと、病気や虫の害を受けやすいことが指摘される。特に、ほかのサクラよりてんぐ巣病 (てんぐすびょう) にかかりやすい。サクラてんぐ巣病はTaphrina wiesneriという菌により起こる病気で、その上部では小枝が密生して、いわゆる「天狗の巣」を作る。さらに、開花時には小さい葉が開くので目障りとなったり、罹病部位は数年で枯死したりといった被害を与える。罹病した病枝は、切り取って焼却しなければならない。
【起源の諸説】
江戸時代末期に品種改良して作出された園芸品種が定説である。 なお、園芸家による作出説と、自然交雑したものを、偶然、挿し木によって増やしたという説とがある。
過去、伊豆大島原産とされていたが、現地調査で否定された。
また、小泉源一が1939年に大韓民国の済州島の王桜との類似を指摘して、済州島が自生地であり起源とする説を唱えたが、ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの交配によるものであるのに、オオシマザクラは伊豆諸島で進化したカスミザクラの島嶼型であって朝鮮半島には存在しておらず、学術的に本説は否定された。また遺伝子調査によっても本説は否定された。
1916年にアメリカのウィルソンによりオオシマザクラとエドヒガンの雑種説が唱えられ、国立遺伝学研究所の竹中要の交配実験により、オオシマザクラとエドヒガンの交雑種の中からソメイヨシノおよびソメイヨシノに近似の亜種が得られることがわかり、1965年に発表された。これを受けて、伊豆半島発生説が唱えられた。
これに対し、明治初年に樹齢百年に達するソメイヨシノが小石川植物園に植えられていたという記録や、染井村(現在の東京都豊島区駒込)の職人がソメイヨシノを作出したという記録が発見されたことから、岩崎文雄らは染井村起源説を唱えている。
別説として、アメリカの植物学者にはソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの雑種ではなく独立した種であるとの説を唱えるものもいる。
なお、22日付けに書いたようには、この桜がソメイヨシノだという確証はない。昨日、東京の開花宣言の標準になる靖国神社の桜の樹を見たら、わざわざ吉野桜と書いてあった。どういう風に見分けるのであろうか? なんでも植物分類の科は「バラ科」 、属は「サクラ属」ということだが、恋と同じく、謎が多い花だ。芭蕉が、元禄元年(1688年)に詠んだ句を下にかかげた。日中は花見客でにぎわう吉野山も、夜明けのころはひっそりとしていて、普段のままに明けていく。
そわそわと恋のときめきに咲きそろう 頓休
花ざかり山は日ごろのあさぼらけ 芭蕉
COMMENT:(Wikipedia「ソメイヨシノ」から)
【命名の由来】
江戸末期から明治初期に、江戸/東京の染井村の植木屋(駒込の西福寺に墓の残る伊藤伊兵衛政武と伝えられる)が「吉野桜(ヤマザクラの意)」として売り出していたものだが、藤野寄命の調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることがわかり、1900年(明治33年)「日本園芸雑誌」において「染井吉野」と命名された。
【交雑種ソメイヨシノ】
ソメイヨシノ Prunus × yedoensis は、エドヒガン P. pendula Maxim. f. ascendens (Makino) Ohwiとオオシマザクラ P. lannesiana var. speciosa の雑種が起源であることが遺伝子調査から明らかになっている(学名の×は、種間交雑種の印)。しかし、どちらが父でどちらが母かはわかっていない。
花弁は5枚で、葉が出る前に花が開き、満開となる。開花期は関東地方で3月末から4月上旬ごろ。花色は、咲きはじめは淡紅色だが、満開になると白色に近づく。原種の一方であるエドヒガンと同じく、満開時には花だけが密生して樹体全体を覆うが、エドヒガンよりも花が大きく、派手である。
近縁種のミカドヨシノとは区別が付けにくく、混同されることが多い。
自然交雑を起こしやすいため、ミズタマザクラやウスゲオオシマなど、100種近い亜種が確認されている。
【特徴と欠点】
ソメイヨシノは、街中では他種より目にする機会が圧倒的に多いことから、以前からその起源についてとともに、可否好悪についても、愛桜家の間で論争の絶えなかった品種である。
江戸時代末期に園芸種として生まれ、接ぎ木や挿し木で増やすクローン植物なので木の成長が早いこと、一斉に咲き開花が華やかであることが好まれたことで、明治以来、さらには戦後にも、日本中に植えられ、戦後の荒廃した国土に爆発的な勢いで植樹され、戦争で荒れた国土を速やかに花で満たしてくれた。
現在、ほぼ日本全域に分布するもっともポピュラーな桜であり、サクラ前線も、本種の開花状況が基準となっている。
しかし、ソメイヨシノには大きな欠点がある。寿命が短く「60年寿命説」も唱えられているくらいで、30年過ぎたあたりから樹勢が目に見えて衰えてくる。すなわち、数十年ごとに木の植え替えが必要となる。 これは、前述のように株分けのクローン植物の性質上分裂を繰り返した遺伝子のため情報にエラーが生じやすく元来種としての寿命が短いことが原因と見られる。
また、街路や公園と言った荒らされやすい場所に植樹されていることが多く、寿命を縮める結果となっている。 今あるソメイヨシノの大半が、昭和天皇の即位の時や、戦後すぐ復興のシンボルとして植樹されたもので、樹齢が50年を超え、ひとつの時代の節目を迎えようとしている。 戦後60年近くが経過した現在、いわゆる花の名所として数百本・数千本のサクラを植えている場所では、植え替えの手間・費用も馬鹿にならず、ソメイヨシノ一色の時代から、ヤマザクラ等を混ぜて植える時代へと変わりつつある。
なお平均寿命が数十年のソメイヨシノであるが、献身的な手入れにて長命を実現した例もある。 青森県弘前市では、樹勢回復に熱心に取り組んだ結果、多くのソメイヨシノの樹勢回復に成功している。弘前城跡公園には、樹齢100年をこえるソメイヨシノがあり、これは本種の現存する最も古い株であろうと言われる。
【てんぐ巣病】
サトザクラ全般に共通の欠点として、ソメイヨシノも排気ガスによる大気汚染などの環境悪化に弱いこと、病気や虫の害を受けやすいことが指摘される。特に、ほかのサクラよりてんぐ巣病 (てんぐすびょう) にかかりやすい。サクラてんぐ巣病はTaphrina wiesneriという菌により起こる病気で、その上部では小枝が密生して、いわゆる「天狗の巣」を作る。さらに、開花時には小さい葉が開くので目障りとなったり、罹病部位は数年で枯死したりといった被害を与える。罹病した病枝は、切り取って焼却しなければならない。
【起源の諸説】
江戸時代末期に品種改良して作出された園芸品種が定説である。 なお、園芸家による作出説と、自然交雑したものを、偶然、挿し木によって増やしたという説とがある。
過去、伊豆大島原産とされていたが、現地調査で否定された。
また、小泉源一が1939年に大韓民国の済州島の王桜との類似を指摘して、済州島が自生地であり起源とする説を唱えたが、ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの交配によるものであるのに、オオシマザクラは伊豆諸島で進化したカスミザクラの島嶼型であって朝鮮半島には存在しておらず、学術的に本説は否定された。また遺伝子調査によっても本説は否定された。
1916年にアメリカのウィルソンによりオオシマザクラとエドヒガンの雑種説が唱えられ、国立遺伝学研究所の竹中要の交配実験により、オオシマザクラとエドヒガンの交雑種の中からソメイヨシノおよびソメイヨシノに近似の亜種が得られることがわかり、1965年に発表された。これを受けて、伊豆半島発生説が唱えられた。
これに対し、明治初年に樹齢百年に達するソメイヨシノが小石川植物園に植えられていたという記録や、染井村(現在の東京都豊島区駒込)の職人がソメイヨシノを作出したという記録が発見されたことから、岩崎文雄らは染井村起源説を唱えている。
別説として、アメリカの植物学者にはソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの雑種ではなく独立した種であるとの説を唱えるものもいる。