内子の曹洞宗の禅寺、護国山高昌寺は、1441年の創建、現在の場所への移築は1533年というから、なかなかの古刹(こさつ)だ。山門も古いものらしい。形が今の建築の感覚と違う。素朴かつ剛毅である。いまどきの建築に「素朴で剛毅」はないであろう。
内子に大きな涅槃仏があるとは知らなかった。高昌寺という寺のものらしい。小生は、タイのバンコクはワット・ポー寺院で黄金に燦然と輝く大きな涅槃仏を見ているから、ニッポンの寺院の門前に大きな仏さまが寝そべっていても別段驚きはしない。ただ、静かな四国辺りの田舎で、その仏さまの足の裏をあどけない女の子が走り抜けていくと、眠っていた大仏さまがふと目を覚まして起き上がるのではないかと、夢想はできる。
愛媛といえばミカンでしょ。内子の町を歩いていると、かんきつ類の販売所を見かけた。この中で小生の一押しは200円の「はるみ」である。このはるみ、ここでは買わなかったが、四国からの帰路に立ち寄った小生の母親の郷里、愛知県の蒲郡(がまごおり)の三河三谷(みかわみや)の八百屋で妻がたくさん買って、小生もお相伴(しょうばん)にあずかった。とにかくジューシーで、こんなに旨いミカンを喰ったのは初めてだった。
内子の八日市護国の通りには、白漆喰の家々が立ち並ぶ。その通りの先には「内子座」なる大正5年に建てられた古風な木造の劇場もあったらしいが、見なかった。見ればよかった。みやげものを買って、ざっと流して観光しただけで、今回の内子見物は終わった。
内子町の古い街並みが残っている通りに入ると、最初に「内乃子屋」という屋号のみやげもの屋がある。観光地のみやげもの屋は同じような安物を並べてなんとなく辟易(へきえき)だが、ちょうど旅行のみやげを買いたいと考えていたので、妻と入った。入って、けっこうな買い物をした。伊予柑(いよかん)入りのバウムクーヘンだとか羊羹(ようかん)。これらがなかなか品よく旨い。宅配便で各所に送ってもらうことにした。
桜とは、元来、集合的な名称で、Wikipediaに、「サクラ」の名称の由来は、一説に「咲く」に複数を意味する「ら」を加えたものとされ、元来は花の密生する植物全体を指したと言われている、とある。しかし、小生は、群れた花の姿よりは個々の花々に可憐さを感じる。内子で目にとまった枝に蕾(つぼみ)から咲きかけて、ややひんやりとした風に吹かれながら身をすぼめていた桜は、そうした意味で、小生の好みであった。
宇和島から松山へ出る中間点にある内子へ寄った。3月中旬だったが、桜が大いに咲いていた。川岸の両側からかぶさるように咲き乱れて見事なものであった。今年の花の季節は寒い日が多く、結局、花見らしい花見はこのときだけだった気がする。
東武鉄道伊勢崎線の業平橋駅のホームへ出る階段を上ってくる途中で、この東京スカイツリーの写真を撮った。同行者は、押上駅を出て、スカイツリーをぐるっと回って、この業平橋駅から浅草へ出て、隅田川からスカイツリーの遠景を撮るのが通例という。この駅名のもとになった在原業平(ありわらの・なりひら)の和歌に「世の中に たえて櫻の なかりせば 春の心は のどけからまし」がある。隅田川では、その桜の季節も終わろうとしている。今は「スカイツリーなかりせば 春の心は のどけからまし」の世の中だ。
前に書いたとおり、この十和田観光電鉄の閑散とした座席が埋まるのは最寄りの学校へ通う学生諸君が乗り合わせる時間帯である。工業高校とか北里大学があるが、一番有名で印象的なのが「三農校前駅」の正面に門がある青森県立三本木農業高等学校。最近、ここの馬術部が映画の舞台になったという。その名も『三本木農業高校、馬術部 〜盲目の馬と少女の実話〜』。どうも写真の詰襟の男子学生を見ていると、女子高生と盲目の馬を主人公にした映画のような繊細な感じもしないが、それは本人たちの心のうちを覗いてみなければ分からないことだ。