先週は東京ビッグサイトで会社が主催する展示会があって、時間をつくってお台場のガンダムを見学へ行った。別に大して見たくもなかったが、ほかに見物するものがなかったのだ。こうした巨人を見ると、今にも動き出して、逃げ惑う人々を踏み潰してのっしのっし歩く光景が目に浮かぶ。そうした恐怖や戦慄(せんりつ)をまったく予期しないで、ガンダムに群がって見上げる人々は、やはり想像力を欠いているのではないか。
会社の若手が定期的に押上の現場で建設中の東京スカイツリーを写真に撮ってくる。決まって「俺にも寄越せ」と良さそうなのを何枚かデータで貰う。貰うとき「君のこの会社での仕事でもし後世に残るものがあるとすれば、この写真ぐらいだろうな」と憎まれ口をたたく。若手は「ひどいな」と笑っている。
同じくちょうど1カ月前、平泉近辺の鉄を切ったり成形するシャーリング業者の工場へ出かけた。平泉は世界遺産に不合格で、その会社の人に送迎してもらう車中でも、その話が出た。「家の裏の祠(ほこら)が世界遺産にならないのと道理は同じことさ」と割り切った言い方が印象に残った。藤原三代の仏教遺跡が家の裏の祠と同じという理屈が、小生は大いに気に入ったな。同じ道理で、写真のシャーリング業者の工場に置かれていた鉄くずでさえ、「芸術だ」と言えなくもないでしょ。
考えてみると、小生は卒業した北海道大学はもちろん、同じ北大でも北京大学、留学したユタ州立大学とユタ大学、バークレー、UCLA、パリ大学、ハーヴァードなどなど世界各国の大学を見てきたが、こんなチャペルの中のような素敵な学食を見たことがない。学生は勉強しなくても大学の雰囲気に暮らせばその大学の色に染まる。立教の色がこの古風でシックなチャペルの食堂にあるとすれば、悪くはない気もした。
小生の兄は、一浪して立教に入った。昔、彼はこの近所に家族と住んでいたから何かの縁であろう。小生も池袋というと立教を思い出すが、いつも池袋はサンシャインの方角へ出て、こちらへ来るのは今回が初めてだった。江戸川乱歩の家の隣がもう立教キャンパスである。東大の赤門を入るときは、もうその前から緊張しているが、立教はその点、大いに気楽である。正門を「思ったより奇麗だな」と一枚撮って、遊園地へ入るような失礼な気分で入場した。
小生が生まれる前だから半世紀も前、家族は池袋に住んでいて、すぐ裏に江戸川乱歩の家があったという話は母親から聞いていた。仕事で、多分、自分の家族がかつて近所に住んでいたらしい通りに面したビルの非破壊検査メーカーの事務所へ行った。まさか小生の家族が住んでいたころからここに建っているとも思えぬが、ひどく古臭いビルだった。裏手にまわって乱歩の家を眺めた。母親が言っていたとおり、「四角いモダンな形の緑ぽい家」である。今も乱歩の本名・平井太郎の標札が門にかかっている。
1カ月ほど前、システム建築会社の総会取材で品川駅を下りた。ぎりぎりだったので急いで交差点を渡るとき、写真の京品ホテル前での従業員解雇の不当を訴える人々が目に映った。今どき中高年が職を失えば、すぐ路頭に迷う。ハローワークなんて何の役にも立たない。小生もいま失職すれば、ビルの管理人になれたら御(おん)の字だ。ところが、小生が勤めるビルの管理人は数年ごとに人が代わってしまうが、大体において仲間の記者や編集者よりもインテリである。インテリが職を失ってビルの管理人になるしかない時代は、要は、インテリを必要としない時代ということだ。
この時期、毎年のように来ているホテルの総会の会場へ行くと、もぬけの殻(から)である。ホテルに尋ねると、今日はそうした予定は入っていないという。会社に帰って、システム建築の会社に問い合わせると、今年は新型インフルエンザのために中止になった、知らせが行っていませんかと驚いたように話す。そんなこと聞いていないよ、まったく。こうした間が抜けたことが続くと、そろそろ小生のサラリーマン人生も終焉(しゅうえん)期かと考えてしまう。
この時期、毎年のように来ているホテルの総会の会場へ行くと、もぬけの殻(から)である。ホテルに尋ねると、今日はそうした予定は入っていないという。会社に帰って、システム建築の会社に問い合わせると、今年は新型インフルエンザのために中止になった、知らせが行っていませんかと驚いたように話す。そんなこと聞いていないよ、まったく。こうした間が抜けたことが続くと、そろそろ小生のサラリーマン人生も終焉(しゅうえん)期かと考えてしまう。
小生、長年独身課程をやってきたが、そろそろそれも修了になる。写真は僕の彼女だ。彼女の誕生日の翌日、横浜の大桟橋(おおさんばし)で撮った。小生と同い年だが、素敵に別嬪(べっぴん)であろう。北京から来て、今は大学の先生だ。中国の女性だから大いに理屈があり、一口で言えば芯が強い。しかし、本人は中国の女性としては気が弱い方だと話す。かなり理詰めでこられて、小生はしばしば窮地に追いこめられている。今後、小生は、僕の彼女に攻め立てられながら、わが道を開拓するつもりだ。きっと彼女もそれが正しい方向であれば捨て身で助けてくれるであろう。そうした同調性と勇敢さにおいて、小生は彼女の資質を高くかっている。