〈ブブからイチロウへ宛てた手紙――8月22日付けのつづき〉
●〈空間縮景〉と〈時間移転〉の融合
親愛なるイチロウ殿、製品説明的な話が長くなりましたが、もう少しお付き合いください。
架空的(fictitious)な可能性(possibility)ではありますが、真空(void)で、時間だって製造されてしまうということを、あなたはご存じでしょうか。前に送ったアメリカ日系人科学者テリー・ナカムラを主人公にした小説『裏山を盗んだ男の物語』。あの小説をすでに読んでいらしたら説明するまでもないでしょうが、あの中では、風景を凝縮し、併(あわ)せて、時間がつくられる空想的(fantastic)な真空-フラクタル技術が紹介されています。
アメリカ育ちだが、戦前のニッポンで高等教育も受けた「帰米」のナカムラ教授は、トウホク大学のオカベ・キンジロウ(岡部金次郎、後に阪大教授)博士が発明したマイクロ波発振管「マグネトロン」を研究したと物語ではなっていました。マグネトロンは、マイクロ波を発生させる真空管(vacuum tube)ですが、電界と磁界を組み合わせた構造となっており、電子を真空中で螺旋(らせん;spiral)運動させます。
1927年、実験演習を担当していたオカベ博士のもとに来た一人の学生が、真空管を使った実験で、本来ならばゼロになるはずの電流が途中でまた増える、とデータを見せました。この実験データについて、オカベ博士は、極超短波アンテナ(1926年)の研究開発者として知られる恩師のヤギ・シュウジ(八木秀二)教授と議論し、真空管から非常に短い波長の電波(radio wave)が発生しているのだ、と推測するに至ったのです。
日米の戦争が激しくなった1943年、出撃する飛行機が常に敵機の待ち伏せに遭(あ)うという事態に至り、ニッポンの連合艦隊は、南太平洋の制空権(command of the air)を完全にアメリカ側に奪われてしまいました。たまたまシンガポールで、イギリス製地上用対空電波警戒機(レーダー;radar)を捕獲したニッポン軍は、そこに「YAGI ARRAY」と書かれていることに気がつき、これは何だとなったのです。陸軍研究所、それに、民間電機メーカーの技師が動員され、いわゆる、「八木アンテナ」であることが判明しました。
イギリスでは、ヤギ教授らの研究を受けて、マルコーニ社が1920年代後半には早くも商品化していたのですが、ニッポンでは、1935年頃に、海軍研究所の技師が、レーダーの研究開発を上層部に進言したことはあったのですが、「闇夜に提灯をともす」研究よりは、兵の訓練が大事と却下(reject)されました。また、商工省が「重要な発明と認め難い」と特許期限延長を1941年に却下したといいます。
八木アンテナは、戦後ニッポンの高度経済成長期の街風景の典型ともなった、あの家々の屋根の上に立つVHF帯のクシ型テレビアンテナに適用されることになりました。そして、その家の中では、各家庭に1台あった電子レンジ・マグネトロンから周波数が2450メガヘルツの電磁波(electromagnetic wave)が発生していました。この電磁波によって、水分子(molecule)が共鳴(resound)し、激しく振動(oscillate)する。水は熱くなり、水を含んだ食品全体も温められました。冷蔵庫(refrigerator)から冷凍食品(frozen food)を出し、電子レンジで「チンする」は、ニッポンの家庭生活を象徴する利器(convenience)となったのであります。
小説には、ナカムラ教授が、昼夜を忘れて(around the clock)アリゾナの砂漠地帯(desert area)で見つかった1億年前の恐竜(dinosaur)の卵を甦(よみがえ;revive)らせるべく、巨大な実験装置を働かせていた折、落雷(thunderbolt)があって、昏倒(こんとう;fall down unconscious)してまう。その間に、時空を結びつける奇妙な現象が起きるくだりがあったでしょう。あれは、電界と磁界の間に変位電流が流れ、突起的にナカムラ教授を連れ去る「時間」が形成されたのです。
光やマイクロ波を含む「電磁波」は、電荷や電流が真空を隔てて力を及ぼし合うので、真空中を伝わる特性(property)があります。電気量である電荷はその周囲に電場をつくり、電荷が動いている状態の電流はその周囲に磁場をつくります。さらに、電場・磁場は別のメカニズムでも形成されることが分かっています。それは時間変化です。ある場所で磁場に時間的な変化が生じると、周りの空間にこの時間変化を打ち消そうと、ファラデーの「電磁誘導」が働き、新たに振動電場が発生しますが、この電場も時間変化を持っているので、そこに変位電流が起こり、これがまた周りの空間に振動磁場をつくり、この磁場がまた電場をつくり、……と繰り返されることによって、光など電磁波は、真空中を物凄い(tremendous)スピードで伝播していく仕組みです。
小説は、このメカニズムを逆手にとって、実験装置に中で雷による変位電流が時間変化をつくり出したと解釈していたのです。フィクションの域を出ない話だからそう真面目に考えないでもらいたいのですが、要は、真空状態では、普段の地球的環境では起こらないような科学的な神秘性(scientific mystic)が鋭角に広がる、と理解してください。
昏倒からさめたナカムラ教授は、実験データの解析(analysis)から、とうとう、この装置内で起きた突発的(sudden)な時間創出メカニズムをつきとめます。同時に、彼には、ある途轍(とてつ;abnormal)もない技術的計略がひらめいたのです。それは、<空間縮景>と<時間移転>の融合(fusion)技術でありました。
●真空調理法とフラクタル
その融合技術の一端は、具体的には、真空調理法を連想してもらえれば、分りやすいかもしれません。
あの小説の中でも、ナカムラ教授が、インスタントコーヒーを呑みながら、物思いに耽るシーンがありましたね。インスタントコーヒーは、やはり、メイジ時代に、アメリカのイリノイ州シカゴに在住した日系科学者のカトウ(加藤)サトリ(もしくは「サトル」とも)博士によって発明されました。カトウ博士は、緑茶の即席化を研究していた途上で、コーヒー抽出液を真空乾燥する技術を開発しました。1901年、ニューヨーク州のバファローで開催されたパンアメリカン博覧会で「ソリュブル・コーヒー(可溶性コーヒー)」と名づけて発表しました。
その後、真空凍結乾燥法によって香りの蒸発を防ぐ製法が確立された商品です。濃縮(concentrated)の液体コーヒーを摂氏マイナス40度に凍結し、凍って粒になったものを真空に排気(axhaust)して、香り成分の蒸発(evaporate)を防ぐのです。同じ手法でインスタント味噌汁、ラーメンのかやく、乾燥(dehydrated)梅干、血液の粉末までを製造しました。ちなみに、ニッポン俳諧において四季折々の水気(moisture)、匂い(smell)、香り(scent)ってものは、以下のマツオ・バショウ(松尾芭蕉=上掲写真)の句にあるように、最重要課題ですからね。
石枯(かれ)て水しぼめるや冬もなし
何の木の花とはしらず匂(におい)哉
菊の香やならには古き仏達(ほとけたち)
真空凍結乾燥法、ただ、これだけなら、水分を抜いた食材縮小の域を出ないのですが、小説らしい大胆な省略(omission)と飛躍(leap)というのか、ナカムラ教授は、先の昏倒以来開発にいそしんだ電磁波を留める四角い小さな穴あき箱を中心に据えた、電子レンジを改良したような奇妙な装置を考案して、大学裏の赤松がある渓谷(valley)の実際風景を、水気を保持したまま、盆栽サイズにまで縮める画期的(revolutionary)な技術の実用化に成功しました。
上述の四角い穴あき箱というのは、実は、ニッポンでも開発が進んでいた次の研究と関連があったようです。2004年1月7日、ニッポンのアサヒ新聞朝刊1面に「電磁波蓄える〝宝箱〟 信州大・阪大など開発 穴あき立方体1千万分の1秒とどまる」という見出し(headline)が躍(おど)ったことがありました。
信州大、大阪大、物質・材料研究機構の共同研究グループが、1箇所に留め置くことが困難だった光を含む電磁波を穴あきの立方体(cube)の中に閉じ込める技術を開発、アメリカの物理学誌「フィジカル・レビュー・レターズ」に論文(article)を掲載したのです。
立方体は、細部と全体の構造が相似(similar)のフラクタル(fractal)構造であり、穴も正方形(square)とすれば、構造は「フォトニックフラクタル」(グループ命名)になる。なんでも、阪大接合科学研究所のミヤモト・ヨシナリ(宮本欽成)教授が、使い慣れていた酸化チタン系の微粒子を混ぜたエポキシ樹脂だけで27㍉角、約9㌘の穴あきの立方体を作り、周波数8ギガヘルツの電磁波を照射しても、反射も透過もしなかったとか。そして、照射を止めても、1千万分の1秒間、中心部の空洞に留まり続けていたといいます。同じ素材、同じ大きさでも、穴のないものは反射も透過もした。また、立方体の1辺を10分の1の2・7㍉角に縮小すると、周波数は10倍の80ギガヘルツの電磁波を閉じ込める効果がありました。しかし、当時、ニッポンのグループは、こうした単純な素材と構造だけで、なぜ、こうした効果(effect)が出るのか、その理由は解明できていなかったのです。
「フラクタル」とは、その輪郭が古典的なユークリッド幾何学(geometry)で扱うように線や曲面のようになめらかではなく、不規則で鋭角的にジグザグとなっている幾何学的対象を呼びます。ソウセキの弟子テラダ・トラヒコ(寺田寅彦)も、フラクタルに興味を抱いて、ガラスを何百枚も壊して砕片の数分布を数えたとそうです。
この図形は、「分数(フラクション;fraction)の次元を持っていると、当初、考えられました。古典幾何学では、直線は一次元(one dimension)、面は二次元、立体は三次元と、整数(whole number)の次元なりますが、フラクタルでは、砕けたガラスの破片の縁の形が持つ次元は、1.54とか2.37と、不思議な次元になるから、その半端(はんぱ;odd)なところに魅了される科学者もいるのです。
ところで、1978年に、フランスの数学者マンデルブロが非整数次元の幾何学というものを発表するまで、不思議次元のフラクタルの解析方法はまったく見つからなかったのです。フラクタル次元の分析には、虚数の入った複素数関数(z2 + c)が重要な武器となります。マンデルブロは、IBMの研究員時代に、複素数関数を嫌というほど反復的に演算(arithmetric calculation)させる作業をコンピューターに任せ、人工の海岸線を描くことに成功しました。「はじめてその海岸線が現われたときは、みな唖然としたよ。何しろまるでニュージーランドそっくりだったんだからね!」(『アインシュタインの部屋』から)。
後世、特に、フラクタルと言うとき、地形の起伏や雲、樹木や血管(blood vessel)の構造で、任意の一部分が常に全体の形と相似になるような自己相似的図形のことを指すようになります。拡大しても縮小しても同じように見え、対称性(symmetry)を持った複雑な構造を指しました。
小説のナカムラ教授は、その真空-フラクタル技術を、一般的なアメリカ人教授がしたように特許にして、ベンチャービジネスの会社を興し、巨万の富(wealth)を築くでもなく、田舎の貧乏学者の境遇(circumstance)に甘んじて長らく秘匿、一人で技術の完成に努めたとあります。
結果的に、コンピューターの処理能力が量子(quantum)技術を使って格段に増す数十年後まで、ナカムラ教授は、これを応用技術として確立できなかった。そうして、最初の実験から思わぬ歳月をへた二十一世紀の初頭、齢(よわい)八十才に達して、死期を悟ったナカムラ教授は、長年住み暮らしてきたユタ州ローガン(Logan)の風景とも似たところがある祖国ニッポンの山奥(deep in the mountains)に分け入って、あの前代未聞(unprecedented)な【風景剥奪(scene plunder)】という盗み(larceny)を働くに至った、と小説は描いています。
こうした小説に出てくるような空想的な真空-フラクタル技術をうまく利用して、われわれも「風雅のブリキ缶」のプロジェクトを推進してみてはどうかというのが、提案(proposal)の趣旨であります。実際、ナカムラ教授が創出したような〈空間縮景〉と〈時間移転〉技術のうち、後者はともかく、前者は連邦時代に入ってかなり実用化が進んでいることは、あなたもご承知置きでしょう。いわば、死の床にあったマサオカ・シキ(正岡子規)が、『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』(1901年)の一節(9月26日)に記した、「小草(おぐさ)の盆栽に蟷螂(かまきり;mantis)の居るをそのまま枕元に持て来ておく」といった無造作な移転趣味であります。
このような技術的な背景(background)を持つ真空ハイク缶によって、あなたが芝居で表現したかったようなバショウやキョクスイの俳諧への思いが、超鮮度(super-freshness)で保たれる風にならないかと、小生は考えたのであります。
アッハッハ、奇想天外(fantastic)でしょう。でもまったく素晴らしいアイデアでありませんか。そうは思いませんか。最後に、われわれのプロジェクトが、そうはならないように、反面教師として、バショウの一句を献じて終わりとしましょう。 ブブ
物好(ものずき)や匂はぬ草にとまる蝶(ちょう) 芭蕉
追記――「真空科学」という用語自体、耳慣れないと思うので、少々長くなりますが、真空科学について年譜的(biographical)に触れた小生の論文
「真空科学の年譜的考察」をここに同封しておきましょう。