――もう忘れてしまった人も多いかと思いますが、鴉はけっして忘れません。
世の中には鴉にとってやっかいな政治家がいるもので、21世紀の初頭、平成時代に東京都知事を務めた石原慎太郎氏(1932‐)は、増える鴉を撲滅せんと鴉の肉をミートパイにして東京名物にしようではないかと提唱し、ご自身もテレビ番組でパイに調理した鴉を「美味い!」と食べてしまったと言うことであります。愛国者であり文人でもある石原氏は、日本の神話に登場する三本足の八咫烏(やたがらす)が、この国の初代天皇の神武(紀元前711‐585)を大和に導いた大功績を知らぬわけはないでしょうが、路上に愚連隊風に映る今どきの鴉によほど腹を据えかねたのでありましょう。
大正から昭和時代にかけて童謡作詞家として活躍した野口雨情(1882‐1945)の「烏(からす)なぜ啼くの 烏は山に 可愛い七つの子があるからよ」ではありませんが、かつては鴉に対して子の心配までしてくれるほど優しくなれた日本人が、なぜ、ここまで獰猛で容赦なくなってしまったのか、疑問に思うのであります。また、野口を師と仰いだ中村雨紅(1897‐1972)の「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる おててつないで みなかえろう からすといっしょに かえりましょ」などまことに、鴉と人が仲睦まじく共生する名曲中の名曲でありまして、残念ながら鴉の音痴の身では歌うわけにもまいりませんが、人間界の鴉に世知辛い仕打ちの数々を見るにつけ、余はカーカーと啼きながらも、実は心の琴線にいつもこの懐かしい唄を歌っておるのであります。
これは、小生が鴉(カラス)を主人公に考えている作品の冒頭にでてくる鴉の口上(予定稿)である。人間に悪さをするのですっかり嫌われ者の鴉だが、それは鴉が頭が良く、頭上から見下ろしていて人間のやっている愚行をからかってやりたいとつい思うからではないか。上掲の写真は、昨年の秋口、近所の公園か何かでiphoneで撮ったものらしいが、忘れていたのを今になってパソコンに添付送信してアップしたもの。小生が作品に登場させる人間に、いつも帽子をかぶっている男がいるが、このポスターを見ると、子育てに警戒心の高い鴉も帽子を頭にのせた人間には遠慮か安心かはたまた尊敬が働くようだ。