中央のサンバの踊り子、これはある心的境地に入っている状況に違いない。カーニバルとは一種の乱痴気騒ぎを意味するものらしいが、この浅草サンバカーニバルはまさにサンバのリズムにのった乱痴気騒ぎで、その熱情をはたで眺めるのもまた面白いわけである。このあと、銀座線で表参道へ出たが、まったく浅草の喧騒が夢のように思われたものだ。
「なんだか分からない」のは、踊り子がのぞかせる魅力的なオッパイのことではない。その向こうに写る沿道の4人のことだ。ビニール傘をもつ着物の男、やはり着物姿で間からデジカメを差し出す白人女性、一眼レフを構えるニッポン人女性、そして撮るのも忘れてあっけにとられるインド人の男。この意味不明な観客が立っているところが、浅草サンバらしい。
一緒に行った色白の女性が「黒く塗っているのでしょうね」と言った。小生、「そりゃ、そうでしょうよ」と答えたが、確証はない。写真を見た感じ、海か日焼けサロンでこんがり焦(こ)げてきたとも受け取れる。しかし、こういう風に良い表情で野獣のごとく踊れたら幸福でしょうね。
目の前を浅草サンバの踊り子たちが気前よく裸同然の肢体を揺らして行進していく。男たるものただ見逃すわけにはいかない。携帯でもなんでも写真に撮って一生の思い出にしたいものである。浅草は日本のストリップダンスの聖地。ちょっと、そのことを考えてしまった。
傘に邪魔されてよく分からないかもしれないが、イエロー・サブマリンから顔を出して海軍帽をふって挨拶する外人さん。なかなかユーモアがあった。『イエロー・サブマリン』 ("Yellow Submarine") は、1969年1月にリリースされたビートルズの11作目のオリジナル・アルバムであり、アニメ映画『イエロー・サブマリン』のサウンドトラック・アルバムである。そこを意図したのかは、定かでない。
昨年の干支(えと)は猪(イノシシ)=豚であったな。それで浅草サンバカーニバルにも越年の赤い豚が登場となったのであろうか。しかし、この硝煙につつまれた髑髏ブタよりも前の踊り子のド迫力がすさまじい。『西遊記』の猪八戒(ちょ・はっかい、Zhu Bajie)もびっくりだ。
2007年8月26日付のこのブログで、浅草サンバカーニバルを載せた。昨日は8月30日にパレードが開催された。かんかんに暑かった昨年と打って変わって今年は雨の中のサンバ。沿道の群集がさす傘の垣根にほとんど何も見えなかったが、それでも面白い写真が何枚か撮れた。
まずは交通整理の警察官とサンバの踊り子。小生のような誘惑に弱い人間は警察官などやってられませんな。
まずは交通整理の警察官とサンバの踊り子。小生のような誘惑に弱い人間は警察官などやってられませんな。
青で橋の華を見たのだから、次は黄色い橋で橋の力を見る。
Wikipedia「蔵前橋」によれば、――橋名は「蔵前通り」にちなみ、また橋全体が稲の籾殻を連想させる黄色に塗装されている。昭和29年9月~昭和59年12月まで東詰に蔵前国技館があり、高欄には力士などのレリーフが施されている――という。やはり関東大震災の復興計画の中で架橋されたもの。しかし、黄色とは大胆な。最初から黄色だったのかな?ちなみに、この色はわが愛車シビックと同色である。わがシビックをこれから「蔵前丸」とでも呼ぼうかな。
Wikipedia「蔵前橋」によれば、――橋名は「蔵前通り」にちなみ、また橋全体が稲の籾殻を連想させる黄色に塗装されている。昭和29年9月~昭和59年12月まで東詰に蔵前国技館があり、高欄には力士などのレリーフが施されている――という。やはり関東大震災の復興計画の中で架橋されたもの。しかし、黄色とは大胆な。最初から黄色だったのかな?ちなみに、この色はわが愛車シビックと同色である。わがシビックをこれから「蔵前丸」とでも呼ぼうかな。
Wikipedia「清洲橋」によれば、――関東大震災の震災復興事業として、永代橋と共に計画された橋。「帝都東京の門」と呼称された永代橋と対になるような設計で、「震災復興の華」とも呼ばれた優美なデザインである。当時世界最美の橋と呼ばれたドイツケルン市にあった大吊り橋をモデルにしている(この橋は第二次世界大戦で破壊され、現在は吊り橋ではない)。海軍で研究中であった低マンガン鋼を使用して、鋼材の断面を小さくする努力がなされた――という。
当時、日本最先端の軍事技術、おそらく軍艦をつくる技術を駆使して橋の華をこしらえたわけである。
当時、日本最先端の軍事技術、おそらく軍艦をつくる技術を駆使して橋の華をこしらえたわけである。
サスペンスドラマなどでご存知の隅田川の中央大橋わきの高層マンション群。いつ見てもグロテスクである。数棟ならばいいのだろうが、こう建て込んでくるとグロテスクとしか言いようがない。マンションごときが風景の中で自己主張してどうなる。わが大川端の景色も、こうした景観破壊によって風化していくのであろう。