Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

テレビドラマ「駅に佇む人」を観る

2017年12月13日 14時51分12秒 | Journal
 昼食にラーメンを作って食べながら再放送のテレビドラマをつい長々と観た。日本のテレビドラマ、今どきの「相棒」や「ドクターX」も結構熱心に視聴しているが、特に少し古いのを観るのもそう嫌いでない。まして好きな俳優が出ていれば、じっと見入ってしまう。賀来千香子(1961-)さんは、その小生が好きな女優の一人。今日、観た「駅に佇む人」(夏樹静子原作、2002)は、駅で出会った不倫カップルが相手を守るために殺人の濡れ衣を互いに進んで着るという、日本の2時間サスペンスドラマによくある一見どうでもいい展開なのだが、賀来さんが演じた女性に果敢で捨て身の潔白証明の行動をさせた夏樹さんの原作が巧みなのか、それを演じた賀来さんの必死で健気(けなげ)な演技が良かったのか、映画も含めて過去に観てきた恋愛犯罪ドラマでも一番に上げたくなるほどの心にしみる、つまり、ほんの一縷(いちる)でも男女の愛をもう一度信じてみたくなる秀作だった。その後、東日本大震災に見舞われることになる女川や石巻のかつての姿が映像に残っているのも貴重だし、感慨深い。

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映画「真夜中のカウボーイ」を観る

2017年12月13日 11時36分32秒 | Journal
 懐かしむべき映画なのだろうが、観たことがなかったので懐かしむ術(すべ)がなかったアメリカ映画「真夜中のカウボーイ(Midnight Cowboy)」(監督:John Schlesinger、1969)を数日前に観た。古典作と言うほどの古い映画でもないが、観るタイミングを逸してきて、タイトルだけ頭にしっかりと残っている映画である。もしかして観るチャンスはあったのかもしれないが、なんとなく避けてきた映画かもしれない。
 敬遠してきたのは、 「真夜中のカウボーイ」役の役者ジョン・ボイト("Jon" Voight、1938-)が余り好きでなかったこともあろう。ボイトの娘は今はときめくアンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie、1975-)さんであり、小生は、どこか父親似である彼女も容貌の点でそんなに好きではない。
 ハスラー(男娼)を自称する「真夜中のカウボーイ」ことボイトの相棒役は、あのダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman、1937-)だが、この作品では、演技派の名優ホフマンよりもなんといってもボイトの演技力が印象的で目をひいた。カウボーイ姿のテキサスの若者がニューヨークにやってきて、街中で次々に中年女性に声をかけてセックスをもちかけ料金をいただこうとするが、都会の女は強者(つわもの)で田舎者など相手にせず、なかなか夢見たようには行かない。そのおちんちん一本で大いに稼ごうとする単純さと結果の哀れが、ボイトの眼の表情に生き生きと映って、この青春映画を一層もの悲しいものにしていた。そして、口巧みに自分を騙(だま)し空咳(からせき)ばかりして健康を害していくホフマンを最期(さいご)まで見捨てない男の友情も、切なく泣かせる。アカデミー賞作品賞を受賞。



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家のモミジとマンションのリベラル

2017年12月07日 09時36分31秒 | Journal
 やっと家のモミジも紅葉に入った。このマンションに入居する前、好いなと思っていたモミジが、いざ引っ越してくると日当たりか何かの都合で大胆に幹を伐採されてしまっていたが、その負傷のショックを乗り越えて、3年目の今秋はやっと本来の紅葉を取り戻したようだ。秋日和(あきびより)に清々(すがすが)しく奇麗なことこの上なしだ。



 この一年は、マンション管理組合の理事になってしまったことで(去年の今頃、同じ棟の理事だった隣居の方が突然引っ越してしまい、小生にお鉢がまわってきた)、しかも、なり手が居ないので副理事長の三役職に就(つ)くことになり、前期に理事就任拒否して協力金の支払いを拒んで管理組合を訴える裁判が発生したりで、かなり悩まされた。悩まされたのは、裁判自体よりも、マンション管理組合という利益集団の管理的・保守的な体質である(これは私の見立てに過ぎない)。自分はリベラルな人間だとは思ってもみなかったが、ここではやは他に考えようやりようもあるのではないかと思ってしまうりリベラル派として、裁判以外にもペット問題や民泊問題などで規約をたてにことごとく現状維持を主張する多数派と対立しなければならない場面が出てきた。マンションでは理事会の「上位」に、長期修繕のために諮問委員会のような組織が形成されており、そこのメンバーとの対立が主だった。そのメンバーが毎月の理事会前日に運営局会議なる会合を持ち、理事会に何らかの「指摘」「示唆」を与えるのだが、副理事長として出席しなければならない小生も、このモミジのように心因性の痛手から戻るのに一週間とか、毎回しばらくの時間を要することになる。学校時代も会社時代もさまざまな葛藤要因があったが、そうしたものから離れられるはずの隠居の身になって、大小延々と繰り返される日本社会の不合理さにまたまた印象的に再会するというのは、かなり面妖(めんよう)な話ではある。今週末も土日にその運営局会議、理事会が待っている。
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