釧路から知床に抜ける途中、摩周湖に寄った。前回来たときよりも天気に恵まれ、名物の霧もなく、眺望が良かった。写真の前半は、摩周湖に向かう路で湿原の湖を撮ったもの。湖面を低空で飛ぶ鳥と欄干に止まる赤トンボ。
摩周湖から下って、斜里の手前にある清里というところで昼飯を食べるために観光施設に寄ったが、レストランはやっていなかった。そこの土産物店で、ここは「田舎暮らし」の移住を促進していると知る。町の名のとおり、清々としたところで、悪くないと思った。斜里の沿道のレストランで昼食。安くてボリュームがある。食後、隣の生協(COOP)でちょっとした買い物をするが、なんでもある。生活に不自由はなさそうだ。それから一路、知床のウトロへ。
摩周湖から下って、斜里の手前にある清里というところで昼飯を食べるために観光施設に寄ったが、レストランはやっていなかった。そこの土産物店で、ここは「田舎暮らし」の移住を促進していると知る。町の名のとおり、清々としたところで、悪くないと思った。斜里の沿道のレストランで昼食。安くてボリュームがある。食後、隣の生協(COOP)でちょっとした買い物をするが、なんでもある。生活に不自由はなさそうだ。それから一路、知床のウトロへ。
翌日は、富良野から釧路湿原を経由して釧路市内のホテルに一泊の予定で走った。けっこう距離があるが、さすがにレヴォーグの走行性能、ぐにゃぐにゃした山道でも時速80㌔内外で快調に走って、意外と早く釧路近辺の海浜の町に来て、昼飯となった。駐車させたレストランが、閉鎖していると気が付いて、裏にまわると、屋台が出て、賑(にぎ)やかである。せっかくだから、そこで済ますことに。
そこからまた走ってやや内陸に入っていくと、そこはもう釧路湿原である。ナビに導かれて山の上の展望台へ行った。クマが出るという山道をしばらく歩いて、湿原を見渡しながら「アフリカの平原のようだ」と妙に場違いな実感を持った。
下界に降りて、丹頂のいるところを探すが、まだ丹頂が渡ってきているはずもない。緑の芝生のような野原に、白い雪を積もらせて、丹頂のつがいがダンスする光景を思い描くしかなかった。
それから、車を市内の方へ走らせていると、奇麗な花畑のわきを通った。これは見過ごすわけにいかず、車を停めて、ひと時をコスモスと空の撮影に興ずる。
釧路のプリンスホテルに泊まったが、あんまり。ちょっと過去のホテルなり。夕食に漁港の炉辺へ行くが、観光客に混ざって「観光客」を大満喫するのも気が引け、結局、近くのANAホテルの日本レストランで食べた。
そこからまた走ってやや内陸に入っていくと、そこはもう釧路湿原である。ナビに導かれて山の上の展望台へ行った。クマが出るという山道をしばらく歩いて、湿原を見渡しながら「アフリカの平原のようだ」と妙に場違いな実感を持った。
下界に降りて、丹頂のいるところを探すが、まだ丹頂が渡ってきているはずもない。緑の芝生のような野原に、白い雪を積もらせて、丹頂のつがいがダンスする光景を思い描くしかなかった。
それから、車を市内の方へ走らせていると、奇麗な花畑のわきを通った。これは見過ごすわけにいかず、車を停めて、ひと時をコスモスと空の撮影に興ずる。
釧路のプリンスホテルに泊まったが、あんまり。ちょっと過去のホテルなり。夕食に漁港の炉辺へ行くが、観光客に混ざって「観光客」を大満喫するのも気が引け、結局、近くのANAホテルの日本レストランで食べた。
富良野と言えば、熱心に視聴したテレビドラマの「北の国から」を思い出すが、学生時代は「フラノ」なんて眼中になかった。今は、けっこうに観光客が集まるらしい。札幌から高速で旭川近辺まで一気に北上して、それから富良野方面へ南下した。旭川動物園をやりすごして、途中、妻が探してきた「上野ファーム」なるスポットに寄って、昼食をとる。やはり、倉本聡作の「風のガーデン」のロケ地にもなったそうだ。そういえば、こんな自然的庭園をドラマに見たような気がする。
それからまた車で走って、カメラが趣味の客人のためにも北海道らしい風景を探して、寥寥(りょうりょう)としたすすき原だとか極彩色の花壇畑に途中下車しながら、今夜泊まるホテルへ向かった。
泊まったのは民宿風のホテルである。宿泊先をインターネットで探した妻によれば、富良野にはこうしたホテルしかないそうである。畳敷きの部屋はぱっとしなかったが、夕食と朝食はなかなかいけており、おいしかった。蒲団を自分で敷くことになっていたが、中国人の女客二人は敷き方が分からず、妻が代わりに敷いてやった。こちらは小生が敷いた。
それからまた車で走って、カメラが趣味の客人のためにも北海道らしい風景を探して、寥寥(りょうりょう)としたすすき原だとか極彩色の花壇畑に途中下車しながら、今夜泊まるホテルへ向かった。
泊まったのは民宿風のホテルである。宿泊先をインターネットで探した妻によれば、富良野にはこうしたホテルしかないそうである。畳敷きの部屋はぱっとしなかったが、夕食と朝食はなかなかいけており、おいしかった。蒲団を自分で敷くことになっていたが、中国人の女客二人は敷き方が分からず、妻が代わりに敷いてやった。こちらは小生が敷いた。
4泊5日で北海道へ行ってきた。6年前の2008年、やはり9月に、函館・札幌・サロベツ・礼文・サロマ湖と5泊6日でまわったので、今回は札幌・富良野・釧路・知床の順にまわった。前回は妻と二人、今回は、妻の中国の知人が二人加わって総勢4名のレンタカーの旅だった。前回はトヨタのマークX、今回はスバルのレヴォーグ(レガシーの後継車)をレンタルした。
新千歳空港から車で札幌に入って、夕食を食べた狸小路で土産物屋に入って(厳密には、土産物屋の前で待っていて)、驚いたのは中国人観光客の多いことである。ほとんど中国人。小生が学生をしていた頃には、中国人を見かけることはまずなかった。ちょうど文化大革命が終わって改革開放が始まった時期だから、中国人観光客がいるわけもない。意外な感に打たれながら、北京からやってきた妻の知人の中国人観光客二人を辛抱強く待っていた。店から出てくる観光客の中には、「白い恋人」を段ボール箱に幾つとカートに載せて立ち去るのもいる。中国では、「白い恋人」がそんなに人気なのか。
それから、手に土産物をぶらさげて大通りを時計台まで歩いた。ホテルへ戻るとき、寒いので地下街を歩いて、これまた驚いた。札幌駅から大通りまでの地下道が大変広く立派になっている。必要以上に立派になっている。大通りからすすき野までは昔と同じ幅なので何故か少し安心した。
翌朝、チェックアウトしてから車で道庁の赤レンガ庁舎を見に行った。学生時代の後半に、ここに毎日のように来て、ぼんやりしていた(当時はなぜか絶望的に焦燥感を持て余していた)池の端(はた)をめぐる。ここもすっかり観光客に占拠されている。昔はそう見かけた覚えもないカラスが枝の上から観光客を睥睨(へいげい)している。小生もそうした観光客の一人となって、はじめて庁舎内に入る。
新千歳空港から車で札幌に入って、夕食を食べた狸小路で土産物屋に入って(厳密には、土産物屋の前で待っていて)、驚いたのは中国人観光客の多いことである。ほとんど中国人。小生が学生をしていた頃には、中国人を見かけることはまずなかった。ちょうど文化大革命が終わって改革開放が始まった時期だから、中国人観光客がいるわけもない。意外な感に打たれながら、北京からやってきた妻の知人の中国人観光客二人を辛抱強く待っていた。店から出てくる観光客の中には、「白い恋人」を段ボール箱に幾つとカートに載せて立ち去るのもいる。中国では、「白い恋人」がそんなに人気なのか。
それから、手に土産物をぶらさげて大通りを時計台まで歩いた。ホテルへ戻るとき、寒いので地下街を歩いて、これまた驚いた。札幌駅から大通りまでの地下道が大変広く立派になっている。必要以上に立派になっている。大通りからすすき野までは昔と同じ幅なので何故か少し安心した。
翌朝、チェックアウトしてから車で道庁の赤レンガ庁舎を見に行った。学生時代の後半に、ここに毎日のように来て、ぼんやりしていた(当時はなぜか絶望的に焦燥感を持て余していた)池の端(はた)をめぐる。ここもすっかり観光客に占拠されている。昔はそう見かけた覚えもないカラスが枝の上から観光客を睥睨(へいげい)している。小生もそうした観光客の一人となって、はじめて庁舎内に入る。