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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

宇佐八幡と靖国神社、道鏡と麻原、そして戌年と狛犬、女系天皇

2005年12月11日 12時32分38秒 | note 「風雅のブリキ缶」
 宇佐八幡(宇佐神宮、大分県宇佐市)は、平安時代の初期に「護国霊験威力神通大自在王菩薩」と呼ばれたそうだが、5世紀前後に新羅(シラギ)征討をしたとされる神功皇后・応神天皇の母子を祀り、白村江の大敗と新羅の半島統一などを受けた国防意識の高揚期に建立されたものと推測されている。後に、サムライの源氏の崇拝を受けることでも有名。つまり、古くからの軍人の守り神、今の靖国神社のようなものだ。ただ、靖国と大きく違うのは、宇佐八幡は、三重塔もある神宮寺を有する神仏習合のもっとも早い例だったとされる点。(これより古いのは、越前気比神ぐらいだとか)。難工事だった東大寺の大仏造立では、宇佐八幡が援助をしている。
 ところで、この宇佐八幡で有名なのが、道鏡の破天荒な一件。道鏡は、巨大ペニスを武器に(もちろん俗説)、女性天皇(COMMENT参照)であった称徳天皇に取り入り、「太政大臣禅師」からさらに上の「法王」(唯一、あの聖徳太子が後世そう称された例があるだけ)にまでのぼりつめ、ついには宇佐八幡の託宣(769年)で自ら「天皇」に、あわや成りかけた。忠臣・和気清麻呂や姉の広虫の活躍で、宇佐八幡の神託を確認し、事を未然に防いだが、あるいは本当に、ニッポンの歴史には、その「万世一系」が巨大ペニス一本で絶たれそうになった瞬間があったのかもしれない。もっとも、道鏡は、梵語(サンスクリット語)にも通じた僧で、ただの生臭坊主でもなかったようだ。
 称徳天皇は、彼女の意にそわない返事が和気清麻呂からもたらされたのでヒステリーを起こし、宣命(せんみょう)で清麻呂を「穢麻呂(きたなまろ)」、道鏡と並んで寵臣だった姉(彼女の本名は法均だったが)を「広虫売(ひろむしめ)」と、各々に蔑称をつけた(『続日本紀』、769年)。この女心、ちょっと憎めなくて、おもしろい。ある意味、こうしたハチャメチャナ、躍動する逸話が、今の皇室を取り巻く真面目くさって硬直した雰囲気にないことが、味気なくもある。嫁に来た人が、気がふさぐのも当たり前だ。
 なお、称徳天皇の父は聖武天皇、母は藤原氏出身の光明皇后。天武系最後の天皇。天平10年(738年)に立太子し、史上初の女性皇太子となった。その前の在位期間は孝謙天皇と呼ばれた。Wikipediaにあった一説に、称徳天皇は蝦夷の出身で、大野東人の率いる朝廷の軍隊が蝦夷に大敗した際に、講和の条件として、蝦夷の王女であった彼女が次期天皇となる旨の一条があり、その結果、彼女が聖武天皇の後を継ぐことになったという。また、彼女が奈良に入った際に持参金として持ち込んだ金が東大寺の大仏建立に用いられたともあるが、真偽のほどは定かではない。彼女は生涯独身だった。
 11月21日、小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(吉川弘之座長)は、皇位継承は男女を問わず第一子優先を正式決定した。吉川座長は「出世時に皇位継承の順位が決まる。わかりやすく安定した制度だ」と述べた。しかし、本当に「わかりやすく安定した制度」が、そもそも天皇制なのかという設問は、小泉首相が選んだ有識者には浮かばなかったのだろうか。小生からすると、天皇制は、ニッポンの風土において分かりにくいから安定的なのだが…。
 祖先は物部守屋だったと伝わり、修行によって呪験力にも精通した道鏡のような怪僧が、現代に現われる可能性は少ないと、誰もが考えるであろう。現われても、せいぜいオウム真理教の麻原ぐらいだ。というか、世に狂人として滑稽視されることが多い拘置所の麻原は、そうした点では、実に真面目に興味深い「史的人物」なのである。彼は、今の天皇の廃位と、真理国の初代主権者「神聖法皇」は自分「麻原尊師」であると主張していた。
 こう考えてくると、宇佐八幡が政治に出てきた時代も、靖国神社が出てくる今の時代も、表裏一皮のところで大した変わりがないという、進化したシステム社会に生きていると思い込んでいる現代人には、ちょっと信じがたい結論になる。
 話は変わるが、来年の干支(えと)は、戌(いぬ)。写真のように、犬連れの参拝者は靖国神社に入っていけないそうだから、ご注意下さい。しかし、干支なんてものも、チャイナの殷の時代から発展してきた古い知恵。文明開化、明治以降のピュアな神道が、外来の古臭いまじないごとで賽銭を稼いではいけない。特に、犬好きは行かないように。しかし、慥か、靖国神社にも大きな狛犬(こまいぬ)があったような。
 昔は、魔除けをかねて、宮中の門扉、几帳(きちょう)、屏風が揺れるのを止める置物としても狛犬が使われたらしい。Wikipediaによれば、狛犬の名称は、高麗(こま、つまり異国)の犬という意味とされている。一般的には、向かって右側の像は「阿形(あぎょう)」で、角はなく口は開いている。そして、向かって左側の像は「吽形(うんぎょう)」で、1本の角があり口を閉じている。両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多い。中国や韓国にも同様の物があるが、阿吽(あ・うん)の形があるのは日本で多く見られる特徴。これは仁王の影響を受けたと考えられ、平安時代には既に定着していたとか。いろいろな物事のルーツをたどっていると、意外な事実につきあたる。阿吽とは、梵語a-humで、万物の初めと終わりを象徴する。
 それにしても、「阿吽(あうん)の呼吸」(微妙な調子の取り合い)で、この世の中、特に、靖国問題が解決に向かわないのは、やたら糞や小便をされては困ると犬を排除してかかるけち臭い潔癖症への、風雅な置物からのツケかもしれない。

COMMENT:女性天皇は、過去に10代8人いた。一番最近では、江戸時代の後桜町天皇がそうだったとか。女性天皇の場合、男親をたどれば系譜的に男系天皇につながる。過去の女性天皇は、称徳天皇のように、いずれも生涯独身だったり、夫が天皇だったりして、男系は途絶えなかった。今、愛子さんの件で「皇室典範」改正に踏み出そうとしている「女系天皇」の場合は、結婚して、子供ができても、夫が男系天皇につながる皇族でもない限り、天皇の血筋は女系となる。そこで、戦後、一般国民に格下げとなった旧皇族(11宮家)を復帰させて、手ごろなのを女性天皇の夫にするなどという提案が出てくる。つまり、頭がおかしいのである。そもそもの系譜をたどれば、われわれホモ・サピエンスの母は、約20万年前に生きていたたった一人のアフリカ女性「ミトコンドリア・イブ」に絞り込まれる。それなのに、「125代維持してきた男系の伝統」などと、訳のわからない議論をしている。いまだに、ニッポンの歴史(神話)が、世界の歴史に連結されていないのである。まだ、古事記の世界観の方が、ずっとコスモポリタンだ。

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