明日、帰国するので、今回の北京滞在を総括しておきたい。と言っても、居たのは北京の王府井近辺に限られ、つまり、中国の一番リッチで見かけ上等な立地での感想である。日本で言えば、東京の銀座をうろうろしていて日本や東京を論じるようなものだ。
まず、旅では、とかく困ることがある食事だが、王府井のレストラン事情はかなり改善している。昨年までの、みるみる食事代が高騰する感じはなく、むしろ、以前よりも少し安く食べられるようになった。そして、競争で淘汰されたためか、王府井のような中心街では安く味の良い店が生き残っている。
社会経済の印象は、ちょうど全人代が開催されている期間中に滞在したわけで、習近平主席の体制が揺るぎないものであることを肌身に感じた。庶民の中には、不満もあるようだが、経済が順調なあいだは、そうした不満がまとまって政治を動かすようなことにはならないだろうと思わせる。昨夏、過剰なまでに繁華街に雑然と氾濫していたシェア自転車も、今は奇麗に整然と並べられている。今の中国は、社会主義と市場経済という政経を融合させて、用心深く落ち着いた大国になりつつある。
政治については、ここで余り書けない。王府井の繁華街近くで地下鉄工事の現場に出ていた以下の写真の力強いスローガン通りなのであろう。アメリカや日本の政界が奢(おご)った宰相のために混迷しているあいだに、人民を代表する習近平主席が切り拓く「新時代の中国」が、そこに着実に登場しつつある。その習主席の新時代がいかなるものなのか、ITテクノロジーを使った何かでありそうだが、そんな物知り顔的ご都合主義的な解釈を別にすれば、中国民衆も誰一人として何のことやらチンプンカンプン、イメージがわかないでいる。イメージがわかないからあえて「新時代」なのである。かつて中国が偉大だった時代から夢のような千年がたってしまった。当人たちも半信半疑で、実感がわかないのは至極(しごく)、当然だ。
とりとめなく感想を述べれば、小生が北京に定期的に来るようになって10年。日本だけでしか食べられないと信じていた饂飩(うどん)や豆腐の冷奴(ひやややっこ)を北京のレストランで旨いうまいと唸(うな)って食べるに及んで、あらためて世界遺産の和食も大抵は、中国にルーツ、本物があると知った。日本にあって中国にないのは、刺身と民主主義という欧米から取り入れたボリュームたっぷりな西洋料理である。これをナイフとフォークがなくても箸で器用につまんで食べることができる日本人は、議会制民主主義という西洋風の定食ランチを当たり前のように食べるようになった。そうした器用さを欠く大国人の中国人は、未(いま)だに中華ばかり食って西洋料理をほとんど食べない、口に馴染めないでいる。したがって、西洋料理を上手に調理するコックも育たない。中国伝統の賢人的統治政治を打ち出して、素人選抜料理人の生煮え料理で腹を壊す民主主義でなく、資本主義という腐った食材を反腐敗という笊(ざる)ですくい上げてみせる清潔な服を着たプロ料理人によって火力も強い鍋で一気に炒めてこしらえた民衆の腹を素早く満たす食べやすい人民主義でやると宣言すれば、大衆は、その目の前の皿に盛られた豪華な中華料理をやはり旨いうまいと唸って食べるしかないのである。
最後に、王府井のapmで大スクリーンに楽しく映し出された我が夫婦の姿。