Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

白いチューリップのはずが、黄色のがにょきにょき出てきた。

2018年03月30日 22時27分07秒 | Journal
 北京から戻って一週間余、ようやく普段の生活になってきたが、目下、家の諸般の事情で忙しい。ところで、昨年、白くて奇麗そうなチューリップの球根を買って、ベランダ外に植えておいたのがようやく出揃ってきた。どういうわけか花はどれも黄色い。せっかく地上に出てきて気持ちよさそうに燦燦たる日光を浴びて花弁を不用心に開いている黄色い花たちには悪いが、そんなはずがないのにと、小生は少しばかり鼻白んで嘆く。世の中、なかなか思うとおりにならない。



 実は、4月に入って、黄色いチューリップは春の嵐に桜花と一緒にあえなく散り、その後、白くて奇麗そうなチューリップが咲きだしました。世の中、捨てたものではない。以上、慎(つつし)んでご報告申し上げます。

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花の日本に戻ってきての北京の後味

2018年03月23日 17時10分19秒 | Journal
 昨夜、北京から日本へ戻ってきた。夜の気温だと、東京も北京もそう気温は変わらないようだ。日本は、桜が開花していると北京でもインターネットで知っていた。今日、昼飯を調達に近くのセブンイレブンまで歩いて(道々、あの北京で通ったファミリマートのことなど思い出しながら)、そのコンビニの裏の少し坂を下ったところにある自然公園に足を延(のば)すと、なるほど桜が七分咲きといったところだ。



 そういえば、昨日、北京空港で変なことに気が付いた。入国検査を終わって中へ入ると昨年まで慥かに数店舗あった中国の土産物屋が姿を消している。あるのは高級ブランド店ばかり。これまでの経験で土産(みやげ)を街で買うよりも良いものが見つかると当てにしていたので、散々探して、やっと1店舗だけ見つけ、とても店舗仕様とは思えない通用口のような狭いドアを入ると、中は薄暗い6帖ぐらいの単なる売店でしかない。店員は、中国の土産物店は全部閉鎖されたと言った。今の中国は、日本と違って、外国人観光客の買い物など頼りにしていない。別に、外国から人や金を招致しなくても自分たちで十分やっていけると考えているようだ。邪魔者に余計な口出し、介入をしてもたいたくないのだ。もしかしたら、「中国の新時代」とは、そんな意味なのかもしれない。改革開放を推進した鄧小平は国の鎖国状態を解いたが、それだけでは足りないと習近平は判断したのであろう。外国にプライドを傷(いた)めつけられ全国民的に自尊心を失いかけた過去を脱皮して、自分たちの時代を自分たちの力で自信満々に築いていこうという宣言のようなものだ。そういえば、ホテルから空港まで乗ったタクシーの若いドライバーが「北京はどんどん良くなるよ。来年来てごらん、もう違う北京になってるよ」と誇らしげに話していた。そんな過剰なまでに自信回復中の中国から日本に戻って、北京の乾いた喧騒(けんそう)が嘘のように静かな国と感じた。夜目にも、闇がしっとりと濡れた感じだ。これならば、花もたっぷり息を吸うために一斉に咲き出すだろう。中国から日本へやってくる観光客にも、余計な土産の心配などせずに、この国の花の春の空気を馳走(ちそう)してあげれば、それだけで十分なもてなしだ。
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2018年春、北京滞在の総括ーー中国の「新時代」とは?

2018年03月21日 10時21分36秒 | Journal
 明日、帰国するので、今回の北京滞在を総括しておきたい。と言っても、居たのは北京の王府井近辺に限られ、つまり、中国の一番リッチで見かけ上等な立地での感想である。日本で言えば、東京の銀座をうろうろしていて日本や東京を論じるようなものだ。
 まず、旅では、とかく困ることがある食事だが、王府井のレストラン事情はかなり改善している。昨年までの、みるみる食事代が高騰する感じはなく、むしろ、以前よりも少し安く食べられるようになった。そして、競争で淘汰されたためか、王府井のような中心街では安く味の良い店が生き残っている。



 社会経済の印象は、ちょうど全人代が開催されている期間中に滞在したわけで、習近平主席の体制が揺るぎないものであることを肌身に感じた。庶民の中には、不満もあるようだが、経済が順調なあいだは、そうした不満がまとまって政治を動かすようなことにはならないだろうと思わせる。昨夏、過剰なまでに繁華街に雑然と氾濫していたシェア自転車も、今は奇麗に整然と並べられている。今の中国は、社会主義と市場経済という政経を融合させて、用心深く落ち着いた大国になりつつある。



 政治については、ここで余り書けない。王府井の繁華街近くで地下鉄工事の現場に出ていた以下の写真の力強いスローガン通りなのであろう。アメリカや日本の政界が奢(おご)った宰相のために混迷しているあいだに、人民を代表する習近平主席が切り拓く「新時代の中国」が、そこに着実に登場しつつある。その習主席の新時代がいかなるものなのか、ITテクノロジーを使った何かでありそうだが、そんな物知り顔的ご都合主義的な解釈を別にすれば、中国民衆も誰一人として何のことやらチンプンカンプン、イメージがわかないでいる。イメージがわかないからあえて「新時代」なのである。かつて中国が偉大だった時代から夢のような千年がたってしまった。当人たちも半信半疑で、実感がわかないのは至極(しごく)、当然だ。



 とりとめなく感想を述べれば、小生が北京に定期的に来るようになって10年。日本だけでしか食べられないと信じていた饂飩(うどん)や豆腐の冷奴(ひやややっこ)を北京のレストランで旨いうまいと唸(うな)って食べるに及んで、あらためて世界遺産の和食も大抵は、中国にルーツ、本物があると知った。日本にあって中国にないのは、刺身と民主主義という欧米から取り入れたボリュームたっぷりな西洋料理である。これをナイフとフォークがなくても箸で器用につまんで食べることができる日本人は、議会制民主主義という西洋風の定食ランチを当たり前のように食べるようになった。そうした器用さを欠く大国人の中国人は、未(いま)だに中華ばかり食って西洋料理をほとんど食べない、口に馴染めないでいる。したがって、西洋料理を上手に調理するコックも育たない。中国伝統の賢人的統治政治を打ち出して、素人選抜料理人の生煮え料理で腹を壊す民主主義でなく、資本主義という腐った食材を反腐敗という笊(ざる)ですくい上げてみせる清潔な服を着たプロ料理人によって火力も強い鍋で一気に炒めてこしらえた民衆の腹を素早く満たす食べやすい人民主義でやると宣言すれば、大衆は、その目の前の皿に盛られた豪華な中華料理をやはり旨いうまいと唸って食べるしかないのである。




最後に、王府井のapmで大スクリーンに楽しく映し出された我が夫婦の姿。





 
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今日で全人代も閉幕に。

2018年03月20日 18時26分34秒 | Journal
 朝、今回、北京に来てはじめてテレビでニュース番組を観た。CCTV1は、もちろん、全人代の閉幕に当たり、習近平国家主席のスピーチや李克強首相の記者会見の特別番組である。習主席は、音韻を踏んだような格調の高いゆったりした演説の中で、常に人民のことを考えていると強調し、3000人の代表に悠然と手を振って王の如く堂々と退場した。李首相は、中国経済は外国に対してオープンであることを強調。顔色も悪く病弱との印象もあった李首相だが、テレビに映し出された李首相は、顔艶(つや)もよく非常に力強い自信たっぷりの話っぷりで、中国の経済政策についての内外の記者の質問にかなり具体的に突っ込んで説明することで健在ぶりを示し、さすがに、北京大学の秀才中の秀才だった能力の高さを証明した。













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王府井のモール街で広告に蒼井優さんを見かけたのだが?

2018年03月19日 18時17分59秒 | Journal
 王府井のモール街で薬屋の脇にある広告画面に蒼井優さん(1985‐)がぱっと映りだされたので一瞬驚いた。二度目に映しだされるのを待って、やはり蒼井優さんと断定。特徴の右目下にホクロがちゃんとある。正規のルートで使われているのならばいいが、中国でも人気がある日本女優として海賊版的に肖像権を乱用されているとすれば気の毒だ。なお、以前、宮崎あおいさん(1985‐)もよく上海や北京の街の広告に見かけたが、それらはファッションモデルとして宮崎さんを使っていることが明らかな扱いで、こんな疑問を抱くことはなかった。




 今の中国で特に若い世代で日本ブームがあることは慥(たし)かなのだが、北京のモール街を歩いていて、ちょっとだけ「日本」や「日式」を部分使用する傾向が顕著である。無印良品を真似たような店で、ひらがなの「の」だけ中国語の中に使用されていて取扱い商品が日本製であることを仄(ほの)めかしているケースや、商品のメーカー本社表示に東京銀座の住所が本当らしく記してあるのを眺めていると、今の中国に必要な日本は、製品そのものでなく単なる「日本」というブランドイメージなのかなと思ってしまう。ただ、それらの店で雑貨商品を実際手に取って見てみると、存外、センスも良いし、工夫もあるし、価格相応という気がして、日本に土産に買って帰るかという気にもなる。そんななか、「MINISO(メイソウ 名創優品)」というのは老舗格の日本パクリ雑貨店らしいが、北京では、もうしっかり市民権を得た感じで各所に店舗を展開している。



 そう言えば、妻のお兄さんから「一緒に抹茶の店をやらないか?」と持ちかけられて、断るのに困った。どこそこの店は行列ができているとかで、やれば絶対に繁盛すると言う。そりゃ、一時的に繁盛するかもしれないが、流行が目まぐるしく変わる今の中国で半年、1年と繁盛を維持するのがどれだけ困難なことか、想像に難(かた)くないと思い、腰がすっかり引ける。
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朝、起きると小胡同の樹に風船が

2018年03月18日 18時03分20秒 | Journal
 今朝、起きると、ホテルの窓から見える小胡同の樹の枝に風船が引っかかっていた。この賑(にぎ)やかなアドヴァルーンに鳥たちも吃驚(びっくり)したのか一時退避して姿を隠し囀(さえず)りを忘れてしまった。(ちなみに、朝食は、着いてすぐはホテルで食べたが、それからは前夜に近くのファミリマートで水に加えてパンとヨーグルトを購入して、それで済ますことにした。中国に来ると必ず数日で胃腸の調子が崩れるが、それは三食中華の負担が小生の消化キャパを超えているからで、朝食だけでもパンで軽くしておくと大分楽になる。結果的に、滞在中に下痢で苦しむことには今回はならなかった。)
 今日は、百歳のお母さんを祝いに来た湖南の親戚と昼食をともにした。レストランは、「晋陽飯荘」という名店。かつて清朝乾隆年間の大学士で『四庫全書』(中国最大の漢籍叢書)の総編集者であった紀昀(1724‐1805、諡〔おくりな〕は文達)の住居だった場所。建物は、伝統的な中庭式の建造物を改造したもので、料理は酢を多く使った山西料理。どんなに旨いかと期待したが、左程でもなかった。妻は「国有企業が私営企業になると味も落ちる」と解釈を述べた。残念ながら、ことレストランに関しては、そう言えるのだろう。以前も別の幾つかのレストランで同じことを感じた。しかしながら、湖南の親戚は、小生と白酒の盃を重ね、大変喜んで帰っていった。その親戚夫婦の息子は30代で名門の北京人民大学の教授に出世したそうだが、わざわざ田舎から出てきた両親には、いたって冷たいそうで、書斎にこもって顔を合わそうとせず、父親は息子がトイレに出てきたところでようやく声をかけることができたと嘆く。160㎡の家に住みながら両親はホテル泊だ。なんだか小津映画にでも出てきそうな話である。湖南の父親が息子を「○○同志」と、改革開放前、共産主義が盛んだった頃の互いの呼び方で呼ぶのも、我が子への一つの抵抗と考えたい。









 レストランの近所に、老舎茶館があることと関係があるのか、小生らの席の上の壁に「老舎先生」と記された書が掛かっていた。老舎も来訪した店なのだ。


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今日の北京は、ときどき雪が舞う。

2018年03月17日 16時30分39秒 | Journal
 今日の北京は、昨日の晴天から打って変わって朝からときどき雪が舞う天気になった。それも気温がある程度低いのか、北京には珍しいパウダースノウである。ホテルの窓から見下ろす小胡同の瓦屋根にも薄っすらと雪化粧が施されている。



 昼飯にいつものように王府井apmのレストラン街に行くと、1階エントランスホールでパナソニックの女性用ヘアドライヤーのプレゼンをしていた。自動車もヨーロッパ勢に押され気味で、日本製品の神話もそろそろ色褪せてきているので、結構なことだと思った。これからの日本製品は品質ばかりでなく創意工夫を前面に押し出さなければ、中国のような好奇心旺盛な世界市場では生き残れない。

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北京のお母さん、只今、百歳なり

2018年03月16日 22時50分39秒 | Journal
 妻のお母さんが百歳となり、家族や湖南や内モンゴルからの親戚代表が集まって祝った。文革中は学者の夫を地方に連れていかれ大変な苦難にも遭遇したが、妻がいう「物事を一つ一つ解決して後に引かない、それでおしまいと簡単に済ます」主義で乗り切ってきた。


子供たちと


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マネーレス社会と化した北京のシェア自転車は一段落感

2018年03月15日 14時32分01秒 | Journal
 北京でレストランやコンビニに入り、勘定の時、「現金で支払う」のは非常に面倒くさくなっている。今や、ほとんどの買い物客は携帯をかざしてバーコードで決済する支払いシステムを使う。そう、コンビニと言えば、一昨日だったか、ホテルのそばのファミリーマートで水を買いに入ると、レジで店員が「会員カードを作りましょうか?」と言う。ちょっと考えているうちに、「どこから来たの? ファミリーマートがある街から?」と重ねてきた。妻が「日本から来た」と答えると、店員はただニヤニヤと笑っている。




 多分、このマネーレスの傾向を一気に加速させたのは、昨年まですごかったシェア自転車のブームではなかったかと思う。今回、北京で一番驚いたのは、あれほどたくさんのシェア自転車で埋め尽くされていた北京の街から、シェア自転車が嘘のように少なくなっていることだ。車体の色でいえば、青色がなくなって黄色と橙色が生き残った。シェア社会の正常な状態に戻ったと言えなくもないが、ある経済社会現象を過激にブーム化させ、一朝にして泡沫(うたかた)にはじけさせる中国社会の摩訶不思議さを感じないわけにはいかない。



 ホテル近くのインターネットで口コミ評価が4.7というレストランに昼飯に行く途中、かつての革命運動「五四運動」(1919)のデモ行進で名がついた五四大街を横断し、振り返りざまに泊っているホテルを撮った。今日は、昨日までと違って、北京は少々冷たい空気が肌に触れる天気だが、視界はPM2.5がなくなって至ってクリアである。





五四運動でデモ行進する北京大学の学生

 口コミ4.7の高評価だった北京料理のレストランは、かなり期待外れであった。やけに量はあるが味がいまいちな上に価格が高い。おまけに妻によれば、材料の品質に問題あり、とのことだった。客層は、通りを渡ると古くからの有名な本屋もあり美術館裏の胡同小路を入った突き当りの隠れ家風の立地だけに、文化人が多い。こうした空気を吸い、こうした料理を食べ、いくら憧れの文化的な仕事をしても、早死にしては、寅さんの口上ではないが、やけのやんぱち日焼けのなすびで、ほんとうに詰まらない。





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北京人民芸術劇院

2018年03月14日 21時47分43秒 | Journal
 いま泊っている王府井大街の北の端にあるホテルから王府井の繁華街に出る途中に北京人民芸術劇院がある。この中には、3つの劇場(首都劇場・北京人芸小劇場・北京人芸実験劇場)がある。1950年に創立。過去に劇場から歩いてほんの数分とすぐ近所に住んでいた老舎の「茶館」などが上演された。位置づけは日本でいう新劇に当たるが、昔、ここで小生が観劇したのは文革中の人情話だった記憶がある。現在も、夕刻になると昼間とは打って変わって照明に美しく映(は)える劇場に客が次々に入っていく。演劇のレベルからすれば、東京にこのレベルの芝居小屋はない。東京は興行する方も観る方もエンターテインメントに狂っている。



 過去には、アーサー・ミラー『セールスマンの死』(1983年)など翻訳劇で高い評価を受けたらしいが、今はちょっと古典で、チェーホフの『カモメ(海鴎)』やモリエールの『女学者』が外人さんの役者でかかっている。今回、機会があったら観たいものだ。ただ、チケットの値段はけっこう高い。ちなみに、妻は、『セールスマンの死』を大学生時代に観たが、そう、大した感激もしなかった由(よし)。むしろ、井上靖作の『天平の甍(いらか)』を観て、芸術的だと感じたそうだ。なお、『天平の甍』が本当に首都劇場で行われたか確かめようとしたが、少なくとも日本の劇団が行った訪中公演記録には残っておらず、分からない。



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