Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

3連休にやったこと、少々

2011年09月25日 19時43分18秒 | Journal


 3連休ということだったが、大してどこへも出かけなかった。昨日は、センター北の眼医者へ行き、眼やにの検査結果を聞いた。1週間前に採取した眼やにから特に菌は検出されず、やはりアレルギーだろうという。アレルギーと言われて2年以上も眼医者通いが続いている。その病んだ目で、駅前の阪急を見上げて1枚撮り、カメラの向きを変えて、富士の薄紫の影もうつる夕焼け空を撮った。それからブルーラインで横浜へでて、東口のそごうの前で美容室へいった妻と落ち合い、10階のレストラン街で美々卯のうどんを食べた。それから、通路に飾ってある山を撮る。「未知との遭遇」という昔の映画に、これに似た山を狂おしい熱意に作る人々がでてきた。UFOに魅入られた人々だ。この山を見る小さな娘さんもそのうちUFOに搭乗して、どこか見知らぬ宇宙の果てに旅立ってしまうかもしれない。
 今日は、午後から大和のヤマダ電機へ行き、少し液晶画面を傷をつけてしまったカメラをただで修理しないか相談した。無償では治せないと言われた。まあ、こうして立派に撮れるのだから、少しぐらいの外傷を気にすることはないのかもしれない。使い込めば、やがてたくさんの傷がつく。それから、母親が入居する施設へ行った。相撲が千秋楽で、老人方がテレビ観戦をしていた。母親の後ろ姿を撮る。母親は、昔は「相撲はどうも品がなくて好きになれないよ」と観たがらなかったものだが、今は大きな相撲取りが土俵にひっくり返ると、おかしそうに笑っていた。後ろから何枚かそんな彼女を撮っていると、隣のご老人から「撮るならば、撮っていいか、私の許可が必要だ」と注意された。
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我が家にルンバ(掃除ロボット)現る

2011年09月24日 14時10分05秒 | Journal


 我が家に掃除ロボットのルンバが現れた。妻の友人からのプレゼントだ。そもそもの正式名は「iRobot Roomba」(アイロボット社)。小生は、子供のころ、よくカレンダーの裏側の白紙に円盤を描いていたが、操縦席がないだけでその円盤に似ている。そのころ、空飛ぶ円盤がまさか掃除をしに現れるとは思ってもみなかった。かれこれ50年の歳月は恐ろしいものがある。こういうものを考えたのは、マサチューセッツ工科大学で人工知能を研究した人らしい。アイロボット社は火星の探査ロボットもNASAの依頼でデザインした。まあ、火星で探査するのも地球でゴミを掃除するのもそう変わらないという理屈であろう。その所為か、熱心だが若干、行き当たりばったりの大雑把で、ジグザグでムダな掃除ぶりである。まんべんなくちゃんと仕事をするか心配な小生は、物にぶつかってはジギザグと踊るルンバのあとをつけて、彼が散らかした小さなゴミをいちいち拾って歩いた。ルンバは埃のような微細なゴミは得意だが、粒状のゴミ、例えば、米粒のようなものは吸引するに苦手なようだ。また、広い居間に絨毯をしきつめたような洋風の家はいいだろうが、畳からフロアなどと意外に段差が多い日本式の家は背が低い彼には難度の高い障害物競走と見受けた。それにしても、このロボット騒動も我が家の一興としたい。
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ららぽーと横浜と内視鏡検査

2011年09月17日 16時55分08秒 | Journal


 北京滞在中も苦しんだ下痢の原因究明のために大腸と胃の内視鏡検査をららぽーと横浜クリニックで受けた。2週間ぐらい前に検査は実施して問題はないだろうと聞いていたが、今日はそのとき採取した肉片の組織検査の結果を聞きに行った。これも幸い別段問題はなかろうということで、結局、下痢は神経による過敏性のものだと納得した。内視鏡検査は口から管を入れる胃のものを以前に一度経験したが、苦しいのなんの、災難にも胃壁を傷つけられて出血したので、それから25年以上やっていない。尻からの大腸は初めてだった。液体の下剤を大量に飲んで、半日で30回はトイレに駆け込んだ。それは大変苦痛だったが、検査自体は鼻孔からも肛門からも管が入る痛みはなく、あっという間に終わっていた。先生は大西達也という東大医学部出身の内視鏡の名人。その内視鏡検査と手術に特化して効率性を最大化した医院のシステムは、患者がベルトコンベヤーのパレットに載せられていると感じるほど徹底したものだった。これも一興である。
 ららぽーと横浜は自宅マンションから車で10分とかからないが、訪れたのは今回の内視鏡検査が初めてだった。いつもセンター南や北へ行っていて、こんな近くにこんな洒落たショッピングモールがあるとは知らなかった。なんでも近隣では有名な買い物スポットらしい。診察が早く終わったので、そこの映画館で邦画の「アンフェア」を観た。朝から観るような映画ではなかったが、それなりに面白い。勘も頭脳も鋭い敏腕でアウトサイドな女性刑事(篠原涼子主演)という設定は、最近のハリウッド映画でも多いのではないか。夜、テレビでこのアンフェアの前回の映画版を観た。こちらは母親として娘を救助する母性愛が前面にでていて、クールな敏腕刑事の格好よさが引っこんでいた。
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秋の恵み――秋田男鹿半島

2011年09月13日 20時47分51秒 | Journal


 先週、仕事で秋田の男鹿(おが)半島へ一泊二日で出かけた。東京駅6時56分発の新幹線で、寝足りないまま秋田に到着。駅ビルで札幌ラーメンを食べてから、レンタカー屋でレガシーを借りて、一路、男鹿半島へ向かった。心の秋である。実りの秋である。食の秋である。太鼓の秋である。海の秋である。男鹿の秋であった。
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北京雑感2011年8月――地下鉄に関する雑感「走る広告」他

2011年09月11日 19時44分43秒 | 北京雑感2011.8
 北京滞在中、写真など撮って、幾つかまだ紹介していないことがある。特に、今回はホテルが地下鉄駅の真上だったこともあり、地下鉄をよく使って移動したが、その地下鉄に関した雑感である。

              

 まずは地下鉄駅の地上昇降口付近には、多く雑誌を並べた売店がある。実に、多種多様な雑誌や新聞が並んでいる。中国はやはり活字の国なのだ。それから、階段をおりて改札口のそばには、北京地下鉄の安心・安全に関する案内が写真入りである。新幹線の脱線事故のあとにこういうものを見たので、やや複雑な気分になった。北京の地下鉄構内は今やなかなかの電脳空間である。そして、地下鉄に乗っていて、これは何だと驚かされたのは、暗い窓の外を走る広告。どうしても電車の外を広告が遅れまいと走っているように見えてしまう。この広告の仕掛けを乗るたびに考えたが、いまだによく分からない。さらに、地下鉄駅から外へでる通路のポスター群。セクシーな女性のかたわらで自慢げにポーズをとっている禿げ頭の男性は、北京庶民の本音を演じる実力派の大スターだそうだ。演劇の宣伝ポスターも、人情と政治が好きな北京市民の最新の文化的傾向を知る上で興味深い。
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北京雑感2011年8月――北京動物園のパンダと北京スターバックス

2011年09月04日 09時04分45秒 | 北京雑感2011.8
 7日(日曜日)、午前中、下痢が執拗におさまらないので、ホテル裏側のオフィス棟にある診療所「北京港澳国際医務診所」へ行った。中国で医者に診てもらうのは、どうも気が進まなかったが、日本でもらってきた薬もなくなったし、第一、治らない。しかたなく妻にせかされて出向いた次第。行ってみると、日本よりも良い。若い女医さんは仰向けになった小生のお腹を医者のしっかりした手つきに押して、個所ごとに、圧すと痛いのか、手を離すと痛いのかを確認し、喉を覗きこんで「少し腫れていますね」と言った。問診も丁寧で、小生の便が日に何回か、どんな状態かを確かめた。そして、ウイルス性の下痢かを確認するために便の検査をすることになり、小生は「さっきしたばかりだからもう出ない」と渋るが、やはり検査してもらい、すぐにウイルス性でないことを知った。基本は3種の薬で治療することに。ただし、今日と明日、1時間ばかり点滴を行うことになり、午後3時過ぎに予約を入れた。点滴の効果は分からないが、薬はなかなか効く。少なくとも日本でもらった薬よりは格段に効能がある。どうも西洋薬と漢方を合体させた薬らしい。なかに内蒙古で培養した活菌を1錠に500万菌も閉じ込めた錠剤があった。ホテルの冷蔵庫で大切に保管する。保険をかけてこなかったので、治療費は診察費、点滴代、薬代と2000元(3万円近く)をクレジット払いにしたが、一種社会勉強になった気分。ここは、妻の見当では医療水準の高い香港系のクリニックと思われ、別にホテル棟の3階にカナダに留学や移民する人を検診する施設もあった。妻のお兄さんの話では、民間の病院で、診断に信用力があるので外国が公認する検診機関になっているという。逆に、中国の公的医療機関の検診結果はそれほど信用されていないということらしい。妻の友人、社会科学院の陳さんのコメントは「それは特に良い病院で、私たちが行く病院は餃子のように込み合っている」であった。中国の水餃子は、皿にぎゅうぎゅう一杯の山盛りで出てくる。


 昼は、妻の友人たちと会食するために、地下鉄2号線で妻のお母さんが居る西直門まで行き、そこから4号線に乗り換えて、北京動物園駅の次が国家図書館駅で、そこで降りた。妻の友人は北京大学の図書館学の教授なので、図書館脇のレストランを選んだのであろう。四川料理をご馳走になる。国家図書館は旧館と新館が並んでいる。どちらも大きいが、建物の風格は旧館にある。

 ホテルに戻って、点滴をうけた。日本語を話せる看護師さんが居て、面倒をみてくれる。なんでも2年半ほど日本で研修を受けたそうだ。それから、ホテルのロビー脇の喫茶店で、妻の兄弟と再会。晩飯に外へ出る。知らなかったが、近場に安くてうまい食堂があった。お粥その他をいただく。翌日の晩も、そこで食べた。一つ、広皿に盛ったマー坊豆腐のようなものがあり、ただし肉でなく川魚の揚げたのが入っていて、これがなかなかうまい。

 8日(月曜日)、朝、やはり地下鉄2号線で西直門に出て、そこからタクシーで西土城路の中国鋼結構協会(CSCS)と同じ敷地にある国家工業建築診断改造工程技術研究センター(NERC)を訪ねた。ここは中国政府の冶金部から発展した研究機関だ。どちらも教授クラスが取材に応じ、あれこれと話したが、日本で考えていたのとは大分違う話も聞けた。CSCSの取材先の人が昼飯に河南料理をおごってくれた。スチュワーデスの恰好をしたウエイトレスが居るレストランで、個室に入ると、このスチュワーデスが料理の口上を長々と述べる。「もういい」と制止されるまでいくらでもしゃべりつづける。コスチュームの趣向はちょっと変わっていたが、料理の方はまともで、特に羊の燻製をスライスしたのと、長芋を蒸したのをたれに砂糖をつけて皮つきのまま食べるのが素朴な味でおいしかった。



 9日(火曜日)、連日同じような夏の天気で、空の青はかすんで拝めないが、とにかく蒸し暑い。地下鉄2号線、4号線を乗り継いで北京動物園へ行った。夏休みで子供づれも多い。正門を入ってすぐに大熊猫(パンダ)館で室内外のパンダを見る。パンダも暑いようで、屋外のパンダは隅の日陰で寝っころがっているか、涼しい室内に入ろうとして閉じられた出入口の前で行ったり来たりしている。こう暑いと、ばてて、クーラーの効いた室内で岩の上に腹ばいになり脚を大の字に投げ出して眠るパンダの心境は、人間もまったく共感できる。パンダを銅像にするのは、外交や可愛いからだけではない。人間社会へのサービスに関する長年の自己犠牲的貢献からでもある。


 
 それから、同じく地下鉄4号線で北京大学東門駅を降り、炎天下の歩道をとぼとぼ歩いて、本屋「万聖書園」へ行く。北京大学そばの著名書店2店のうち1つだとか。以前、冬に北京へ来たときにもう一つの書店にも足を運んでいる。ジョージ・ブッシュの自伝が宣伝されているのはそれほど意外でもないが、日本の小説に徳川家康や宮本武蔵があるのには少し驚いた。中国人は貪欲に日本人(リーベンジェン)を研究している。


 陸橋をわたって、妻の大学の同僚教授が北京大学に長期滞在したとき毎日のように食べにきた「西北面庄」という陝西省のレストランに入る。上半身裸の肉体労務者が常連のような極めて庶民的な店だ。とても大学の先生が好んで入るような店ではない。なんでもそこで出される写真の麺料理の名称がただものではない(辞書にない)珍しほど複雑な字体で記されているとかで、妻がメニューの「代理撮影」を頼まれたのだ。学者の世界とは妙なこだわりに充ちているものだ。ちなみに、この難解な字の料理をオーダーすると、メニューのイメージとはかなり異なる麺料理が出てきた。さらに、唐辛子で真っ赤になった羊肉の串焼き3本を箸で唐辛子を落としながらほおばった。やはり、単純にこれはうまい。
 それから、地階の超市で、1コ2元の高いニュージーランド産のミカンを3コと、ホテルで食べて良いものだと分かっている伊利という銘柄のヨーグルトを1コ、カステラのようなものを買って、妻の母親の老人ホームへ寄った。お母さんは病気の小生にヨーグルトをすすめて自分は食べようとせず、小生に何度も繰り返し「短パンでなく長いズボンをはき、長そでを着るほうがいい」と助言した。その日は、動物園に行くということで、北京ではじめて持参した短パンをはいていた。ミカンは水気も甘さもなくまずかった。お母さんに日本のミカンを食べさせてやりたいものだ。妻のお兄さんが母親へ持ってきたヤクルトを小生のために飲まずに取っておいてくれ、帰りぎわに渡された。日本のヤクルトは健康に良いと中国で非常に人気がある。
 夜、妻が他人に貸しているマンションへ契約の関係で行くことになり、部屋から外を見下ろすと傘をかざした人々が駅にいそいでいる。ホテルのエントランスでタクシーを拾おうとするが、列もあり、なによりこのホテルにタクシーがたまにしか乗り入れないので、なかなか番がまわってこない。待っても埒があかないから先にホテルのレストランで食事をとることにした。そのうちにも雷鳴がとどろき高層ビルの上空に稲光の閃光が光ると、外の雨足も激しくなった。妻によれば、北京の夏は一雨で秋の気配になるそうだ。小生は「日本だって一雨ごとに…」と言いかけて、あれは「秋深まるか」と思い直した。日本では、にわか雨がざっと降ったぐらいでは一時の涼はあっても一気に季節が秋に変わることはない。やっと順番がまわってきてタクシーに乗り込んでから、小生は、なぜ中国と日本で夏の一雨の威力が違うかを海と陸の移動性高気圧の交互のはりだしをもとに説明しようと試みた。日本では両高気圧の勢力のせめぎ合いで暑くも涼しくもなるが、北京は大陸の涼しい高気圧が支配したらそのまま秋になると。妻は文革世代で、中卒の学歴から試験勉強でいきなり北京大学分校へ進学したから、理科的な常識が欠けたところがある。タクシーが妻のマンションに近づくと、2時間も降りつづけた雨水で暗い道路がかなり冠水していた。


 10日(水曜日)、朝、ホテルの部屋の窓を少しあけると涼しい秋の空気が流れ込んできた。8階から見る眼下の街の様子も、色合いが明らかに秋の気配にくっきりしていて、昨日までのかすんだ感じはきれいに払拭されている。上の写真は最初が数日前に撮ったもの。2番目が今朝撮ったもの。空に白い綿雲と青いものが日本の秋ほど鮮やかなコントラストではないが見られた。



 朝食後、妻がホテルに近い中国工商銀行に用事があって付き合うと、隣はスターバックス「星巴克珈琲」である。いかにも外で喫茶するのに気持ちの好い朝だから、これまた心持ちが好い木陰のベンチに座りながらも、ちょっと入ってみたくなる。北京の街では、東京のように喫茶店は多くないが、最近はよく「珈琲」の文字を見かけるようになった。特に、日本の「上島珈琲(UCC)」は著名だが、あとでホテルのそばの街角で「上島珈琲(UBC)」というのを見かけたから、おかしい。昨日、タクシーを待つあいだにホテルのいつも朝食を食べるレストランでスパゲティーを食べたが、これが高くてまずい。朝食のバイキングでは大抵のものが食べてもうまい気がするが、このスパゲティーのオリーブオイルはいつまでも胃袋に不快な印象を残した。妻によれば、中国の洋食事情は、日本に比較できないほど遅れているとか。スパゲテイーを食べて少し納得した。ちなみに、朝食で飲むコーヒーもとてもうまいとは言えないので、スターバックスに寄ろうとしたが、妻の銀行が長引いて、結局、このときは中国スターバックスの珈琲を飲み損ねた。なんでも、妻の通帳は古いパスポート番号で登録されており、それだと無効になるという。新しいパスポートを見せても納得しないそうだ。ところで、小生は日本でもスターバックスのコーヒーよりは安いドトールコーヒーのほうが好きだ。もう少しドトールの禁煙が徹底していれば、ドトールが北京にないことは日中にとって損失である。
 11時半にホテルで妻の友人、中国社会科学院の陳さんと会う。銀行に足止めされて妻は少し遅れた。3時近くまでホテルの中華レストランで陳さんと会食。陳さんの弟さんが埼玉に住んでいるそうで、震災時には車のトランクに水やガソリンを積み込み、いつでも逃げられるようにしていたとか。昔、唐山大地震も経験しており、この日本の地震で死ぬわけにはいかないと必死になったそうだ。



 4時ごろ、タクシーで王府井(ワンフージン)に出る。ここは冬に来たばかりなのに見たことがないビルが眼にとまった(外装を改修しただけなのかもしれない)。さらに、わき道を屋台を眺めながら歩いて、北京同仁堂に入り、主に小生用に風邪薬7ケースを買う。同仁堂は漢方の老舗だから自社で製造した漢方薬しか販売しない。それで別の薬を別の薬屋ということで目抜き通りの「永安堂」に入り、予備の下痢薬を買う。それから本屋「外文書店」でCASIOの電子辞書のコーナーを許可をとって撮影し、建築用語の辞書「英日漢 建築工程辞典」を購入、それから、お茶屋「天福茗茶」で日本への土産物に緑茶を購入。帽子屋「盛金錫福」も覗くが買わなかった。朝昼とご馳走だったので夜の食事は抜くことにする。



 地下鉄1号線で天安門西を降り、地下通路から江沢民が彼女のために建てたといわれる国家大劇院に入り、数日前、地下鉄車両のコマーシャル(写真)で見かけた老舎の「駱駝祥子(ロートシアンツ)」の初日を観ることに。日本にも見かけない立派な現代建築だ。一人580元也。台詞(せりふ)まわしを増やして劇化したことで、老舎原作の小説のイメージとは違った印象になっていた。妻によれば、主人公の祥子役の役者・于震はお父さんも北京人民芸術劇院の名優で、やはり老舎の名作「茶館」を演じたとか。7時半に開演、11時近くに終演。地下鉄1号線は動いていたが、2号線はもう終わっていたので1号線で3つ目の東単にでて、タクシーを拾おうとするが空車が見つからず、バスで王府井に戻って、なんとか長安街通りから入ってきたタクシーを拾う。12時すぎにホテル着。まあ、一時的でも都心に住んでいるから出来る観劇だ。

 11日(木曜日)、ホテルのレストランで妻の知人、大手出版社の中国代表の方の奥さんと朝食をともにする。駐在する夫は、このホテルに住んでいるそうだ。北京外国語大学大学院で日本語学を専攻したの奥さんは日本語を極めて普通に話し、日本の大学で中国語を教えている。一昨日の落雷で、北京の空港が閉鎖し、南京から飛んできて避難着陸した山東省の空港で6時間待たされたが、そのとき乗客に新幹線で北京に向かうか希望の打診があり、応じたのは2人だけだったという。やはり、新幹線事故の恐怖感が先立つのであろう。


 昼時、北京の新都心・朝陽区東三環中路のCBD高層ビジネス街に妻の兄を訪ね、会社用に建方中の鉄骨造の建物を撮る。例の花火で火事になったCCTVの脇の超高層ビルがあるエリアだ。CCTV本社(234メートル)は北京市民から「大ズボン」とあだ名された。なるほど、そういう形にも見える。設計も施工も難しく、2つの塔(ズボン足)を空中で結びつけるために、鉄骨が冷えて均一に収縮する一年で一番寒い日の夜間に接続工事を行ったとか。鉄骨量は12万トン。中国では当たり前ながら24時間3交代の突貫工事で、外装工事は2008年8月の北京オリンピックになんとか間に合った。隣のCCTV電視文化センタービル(159メートル)は2009年2月9日の夜に違法な花火で全焼、今は構造などそのまま再利用して改修中だ。このオフィス街は実際歩いてみると東京品川駅前の超高層ビル街と感じが似た風景なり。その高層ビルの1つに入り、日本食屋「日本橋」で銀鱈の定食を食べる。照焼き風になっていたので銀鱈の風味が出ていない。簡単なサラダバー付きで一人100元也。


 それからホテルに戻り、やはり仕事関連で、地下鉄2号線の車公荘を降り、タクシーで三里河路の中国建築金属結構協会(CCMSA)が入る建設省の敷地を訪ね、そこが発行する雑誌を買い求める。表通りに面して建設省の立派な石造りの建物があり、その後背に赤レンガの職員の住宅棟や専門棟がかなりの敷地に展開する。公園もあれば、病院もある。街路に木々が鬱蒼と茂り、木陰になって外界の暑さが嘘のように涼しい。その一角に金属結構協会の建物もあったが、なんだか天下り然として大して仕事をやっている気配もない。昼飯のとき、外資に勤めるお兄さんが、官僚と比べ外資のサラリーはかなり高いが、給与外にあらわれるもろもろの待遇面やリタイアした後の年金などトータルでは官僚の待遇は民間よりもずっと手厚いと話していたが、まさにはである。日本も同じことであろう。帰りに、タクシーですぐの妻のお母さんの老人ホームへ寄る。



 夕刻、ホテルロビーで妻の友人とその娘と待ち合わせて、什刹海へ晩飯にでかける。行も帰りもタクシーを拾うのに苦労する。蓮の花咲き、枝垂れ柳が微風に流れる什刹海の夜は、いつ来ても奇麗は奇麗だが、俗化の至りでもある。どの店もライブ演奏で歌手が感傷的に歌うのが売りになっており、少々やかましい。赤ちょうちんの下で静かに風雅を楽しむ雰囲気になりにくい。そのなかで、胡弓を奏でる老人と大扇子をゆったりと揺らす老人の姿が印象的。帰りの空港で、胡弓は買えなかったが、日本のものよりひとまわりふたまわり大ぶりな扇子は自分への土産に購入した。



 12日(木曜日)朝、起きぬけにホテルの窓から遠く見下ろすと、路面が少し濡れている。夜間に雨が降ったのであろう。ホテルから20分ぐらい並木の道を歩いて超市に行き、さまざまなものを買う。途中、日本の自宅マンションのベランダにも咲く木槿(むくげ)を見かけて、一枚撮る。



 ホテルに戻って、レストランで昼食をすませ、妻のお母さんの老人ホームへ出かける。超市で買った服を贈る。小生の母親が同じく老人ホームに入っていると知り、お母さんは「おやまあ」と驚いていた。ホテルに戻ると、ロビーに妻の兄弟が待っていた。ホテルの前にあるレストランで夕食を食べたあと、スターバックスに入った。外の席で、お兄さんが持ってきたNIKKONのカメラと小生のソニーのカメラで撮り比べをした。若干、NIKKONがまさる。小生は、隣に座る小奇麗なお姉さんと子犬を撮る。考えてみると、劇場で女優らしいご大層な美女を見かけた以外、美人らしい美人を見たのは、北京滞在中、このうつむいたお姉さんのみである。北京も東京も美人不足は深刻な事態だ。お母さんの件で話がつづきそうなので、小生は先にホテルの部屋に戻り、荷造りをする。1時間ぐらいして妻も戻ってくる。それから大手出版社夫妻の部屋を訪問し、紹興酒をいただく。夫は、文革後、10歳のときに最初の留学生派遣9人の1人として選抜され、アメリカ組と日本組に分かれたが、彼は日本に来た。その後、北京外国語大学の日本語学科を卒業、新華社通信に6年間勤務してから、日本に再度留学したが、「本を読んでいると眠たくなる」とかで、縁あって大手出版社系列の会社にアルバイトで入った。出版社本体に本採用となり、今は主に、版権の問題や中国市場での販促活動を行っている。その出版社のファッション誌は中国で計100万部発行されているとか。日本では購入者1人で平均2人が読む計算らしいが、中国では7人が読むので、700万人の読者が存在するという。雑誌はページ数が多く広告太りだ。縮小気味な日本の出版業界に比べ、広告出稿意欲を含めまだまだ有望だと話す。ただし、インターネットが紙媒体を駆逐する可能性は、日本以上に中国は否定できない。ちなみに、中国の新聞は夕刊紙なども記事が盛り沢山で読みでがある。日本の意味のない朝刊付属のサービス夕刊紙と薄っぺらな内容と比べようもない。中国は政治に関し言論を抑制されているが、書き手・読み手の言論エネルギーは日本よりも強靭かつ旺盛なようである。それは街角にある雑誌新聞の販売所を見ても分かる。日本の言論は穏当で、常識の範囲を非常に重視する。つまり、退屈だ。
 100元を崩す機会がなかなかなくて、帰国を前夜に雑誌と新聞を購入するために崩した。財布に1枚ずつかさなった100元、50元、20元、10元、5元、1元の各紙幣すべてに毛沢東の肖像が刷られている。天安門広場にはあるのに、なぜ革命の父、孫文の顔はないのか。妻に訊ねると、「中国共産党の国だから当たり前じゃないの」との返事。今回の旅でも、毛沢東の顔を何度も見た。どこかで覗き込んだ店のショーウインドウに毛沢東の顔を刷ったある年に発行された50元札が希少プレミアムで1000元近くに売られていた。今、中国の金持ちは、不動産や株に飽きて、金を金で売り買いすることが流行っているとか。実は、この国に孫文も毛沢東もないのである。パンダと金だけがあるのである。

 13日(土曜日)、6時半に朝食をとり、そのままチェックアウトしてタクシーで飛行場へ向かう。宿泊代は朝食と数回のホテル内のレストランでの会食を含めて約1万元也。タクシーのドライバーが左右にゆらゆらと車線を外れて意識朦朧の運転をするので怖い思いをした。中国のドライバーは24時間勤務とか夜間に休みなく運転するので、こうした危ない運転も生じる。彼らは田舎からでてきて無茶をするのだ。それでも祈るようにして飛行場に到着。無事に帰国できた。
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