Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

フタタマのお月さんと大山街道

2005年09月15日 06時40分44秒 | note 「風雅のブリキ缶」
 二日前の火曜日、時刻は夕方の6時ころだったろうか。池尻大橋に用件があり、そこから田園都市線の普通列車に乗って、二子玉川で急行に乗り換えるためにホームへ出た。ホームの先端は、多摩川の中ほどである。お月さんが出ていた。昔風に言えば、「二子の渡しにお月さんがかかっている」のである。近くには、国道246号が田園都市線に寄り添うように走っている。以下、「風雅のブリキ缶」第3巻にある説明から抜粋してみた。

 今、通勤電車に乗っていて、ここ国道246号沿いが、古くは、巡礼ロードであったことを意識する人は少ないであろう。もとは「大山街道(オオヤマ・カイドウ)」もしくは「矢倉沢往還(ヤグラザワ・オウカン)」(他に部分的に青山往還、相州道、厚木街道、富士道、江戸道、都道一号線、二級国道東京沼津線などと)と呼ばれた。「矢倉沢」の名は、アシガラ(足柄)峠からヤクラザワ峠の麓を経て関東平野に入るため付いた。江戸時代には、ニッポンの江戸と大阪をつなぐ幹線道・東海道の脇往還として重要な交通路であった。

 大山は、相模平野の西端、丹沢山地の雄峰で、海抜は1252㍍。最寄駅は小田急線の伊勢原駅と秦野駅。伊勢原駅からバスで麓まで行くと、途中でケーブルカーを利用できる。大山は、古くから山岳信仰の山として知られた。最盛期の江戸時代の半ばには、「大山詣(もうで)」として年間20万人が参詣したそうである。

 大山は、江戸から十八里、藤沢・江ノ島込みで5泊6日で行って帰れる手頃な観光コースであった。江戸からの巡礼者が歩いたコースは、現在の地名で、日本橋(早朝出発)→赤坂見付→青山→道玄坂→三軒茶屋→瀬田を経て多摩川を二子の渡しで渡り、溝の口→荏田→長津田(1泊目)→下鶴間(中央林間・南林間の附近)→国分→海老名→(厚木の渡しを渡って)厚木→愛甲→伊勢原(2泊目)→松田惣領を経て矢倉沢の関所に至る。春と夏の大山の山開きには、道々に「石尊灯篭」が置かれた。渋谷宮益坂の上、三軒茶屋の三叉路、用賀の坂下、瀬田の坂上、二子神社の前、荏田の小黒谷戸、長津田など各所で、道案内のために点灯された。
 さて、大山の阿夫利(あふり)神社を無事参詣して、折り返しは、藤沢の宿で3泊目、江ノ島の岩屋、鎌倉の鶴岡八幡宮、裏の切り通しを抜けて、六浦(むつら)の景観を楽しみ、金沢八景の称名(しょうみょう)寺を拝み、金沢(かねさわ)の宿で4泊目あるいは付属の遊郭で遊び、川崎大師を参詣し、品川宿(5泊目)の遊郭でさらに精進落し、というのがスタンダードなコースだったとか。

 こうした江戸時代の大山詣の流行には、「講」という同業者組合の親睦旅行といった側面もあった。「明暦の大火」(1657年)以後、大火事の復興需要を見込んで江戸市中に定住するようになった大工・左官・畳職人・瓦職人・鳶(とび)などの職人たちが、地域的に近い者同士で互いの権益を侵さないとの協定を結び、講として仲間をつくっていった。彼らが木太刀(短いものは24㌢、長いものは3㍍もあった。長いほど御利益があるとされた)を大山に奉納しに出かけた。

 一行、出かける前に、墨田川の両国で水ごりをとる習わしがあった。口々に「さんげさんげ六根罪障…大山大聖不動明王、石尊大権現、大天狗(てんぐ)、小天狗」などと唱えながら、水を一日千回、七日間続けて浴びた。その回数を間違えないために藁の銭さしを持ち、水浴びごとに銭を動かしてカウントする。一日千回が終ると、その銭さしを川に流して、どんどん流れていけば願いがかなうと占った。

 『大山不動霊験記』(1792年)という、いわば、「講」向けのPR誌には、木太刀に火難除けの祈願を一心にしたところ、自分の家の前まで来ていた大火災の被災を免れたという記事が載った。そうしたこともあって、大山の木太刀は「火伏せの木太刀」として職人に歓迎されることになった。特に、鳶は町火消しを兼ねたので、大きな木太刀を担いでの大山詣は一種の風俗として定着したようである。なお、大山詣は女人禁制であった。赤坂や新橋の花柳界では、木太刀を男性器に見立てて、商売繁盛の祈願に、鳶の者に特大な木太刀を持たせて、代参奉納させたという。

 満員電車の憂鬱な眼を窓の外にやり、頭の中で、すっかり舗装され、自動車がひっきりなしに疾走する国道246号のアスファルトを剥ぎ取り、田園都市線のレールを外して、出てきた古い歴史の木箱の紐を解くと、そうした徒歩で刻まれた粋な街道史の音が聞こえてくるのだ。
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