昨日、『万引き家族』(是枝裕和監督、1962-)を観てきた。良かった。今朝、起き抜けにも「ああ、良い映画だったな」と思い返したぐらいだから、やはり心に来る映画に違いない。普段、目にしている日本の都会の風景が、別の次元でえぐられて、ぽっかりと開いた穴から真相を見せられたような不思議な感じがする。その穴から見た家族の風景は、自分がしゃくし定規に送っているテキスト通りの常識に縛られたものよりは遥かに愛情に充ちている。世間に対してのもっともらしさではない真実を手探りする偽装家族ゆえに引き出された家族愛なのだろうか。
「万引き家族」というタイトルは、これだけの映画のタイトルとしては良くないとする意見もあるようだが、見方によっては、このタイトルは適切ではないかと思う。正規の値段の価格を払って店で買い物をするのは、それが正しい行為だからそうしているのではない。そうしないと逮捕されるかもしれないという恐怖があるから、そうしているまでだ。この世の中から酷(ひど)く罰せられるかもしれないという潜在的な恐怖心が、われわれの日常を最大最小に支持している根拠なのだ。法治国家とは、つまり、そうしたものだ。万引きは、このわれわれの日常を成り立たせている社会心理構造からはみ出した行為であり、正規軍に対するゲリラのようなものだ。映画で、万引きはいけないことかと問うた少年に向って、母親役の女優(安藤サクラさん)が「店がつぶれないならば、別にいいんじゃないの」と答えたのは、妙にしっくりいく受け答えだった。店の浮き沈みなど一切心配せずに無頓着に買い物をしているのは、むしろ、万引きを絶対にしない立派な合法的消費者の方である。この映画の家族について思いを巡らすと、店での盗み、万引きを実際にやるやらないよりも、国や社会が作り出した制度や、その制度を順守することでみなされる正常さという保証の枠組みからはみ出してしまう人々の異常な生きざまそのものが、「万引き」なのだと小生は思ってしまう。だから、彼らは文字通り「万引き家族」なのである。少なくとも、「美しい国」を標榜しながらモリ・カケな安倍首相や「家族愛」をテーマの子供を評価しようとする道徳教育に力を入れる文科省から褒(ほ)められる筋合いはない映画なのである。タイトルも彼らが政治利用で褒めにくいものが最適なのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/e4/52d3aa81c201610af307109d1390533f.png)
「万引き家族」というタイトルは、これだけの映画のタイトルとしては良くないとする意見もあるようだが、見方によっては、このタイトルは適切ではないかと思う。正規の値段の価格を払って店で買い物をするのは、それが正しい行為だからそうしているのではない。そうしないと逮捕されるかもしれないという恐怖があるから、そうしているまでだ。この世の中から酷(ひど)く罰せられるかもしれないという潜在的な恐怖心が、われわれの日常を最大最小に支持している根拠なのだ。法治国家とは、つまり、そうしたものだ。万引きは、このわれわれの日常を成り立たせている社会心理構造からはみ出した行為であり、正規軍に対するゲリラのようなものだ。映画で、万引きはいけないことかと問うた少年に向って、母親役の女優(安藤サクラさん)が「店がつぶれないならば、別にいいんじゃないの」と答えたのは、妙にしっくりいく受け答えだった。店の浮き沈みなど一切心配せずに無頓着に買い物をしているのは、むしろ、万引きを絶対にしない立派な合法的消費者の方である。この映画の家族について思いを巡らすと、店での盗み、万引きを実際にやるやらないよりも、国や社会が作り出した制度や、その制度を順守することでみなされる正常さという保証の枠組みからはみ出してしまう人々の異常な生きざまそのものが、「万引き」なのだと小生は思ってしまう。だから、彼らは文字通り「万引き家族」なのである。少なくとも、「美しい国」を標榜しながらモリ・カケな安倍首相や「家族愛」をテーマの子供を評価しようとする道徳教育に力を入れる文科省から褒(ほ)められる筋合いはない映画なのである。タイトルも彼らが政治利用で褒めにくいものが最適なのである。
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