記念館の外へ出るとき、門のわきに隠れたこのオブジェを見つけ、気に入った。連れて帰りたいぐらいだ。ああして目を瞠(みは)って大げさな身振りをしてはいても、太郎は小心で気の優しい男だったに違いない。この世界が怖くて神経衰弱になる代わりに、ああして大胆不敵な芸術活動をしていたのだろう。
岡本太郎は、慶應幼稚舎、東京芸大中退、ソルボンヌ大学と面白い学歴コースを歩んだが、要は、作家と漫画家の間に生まれたお坊ちゃんである。甘やかされて育ったわけではないが、放ったらかしに大都会に育ったお坊ちゃんである。それだけに「今日の芸術は、うまくあってはならない。 きれいであってはならない。 ここちよくあってはならない」は、お洒落な彼自身の自戒であったのだろう。階段に掛かる肖像写真は、そのことをポーズとして如実に語っている。
吹き抜けを渡ると、赤い部屋がある。太郎の油絵が展示してある。シュールレアリズムかは知らぬが、太郎も日本人。日本間にこんな画を飾ったら案外いいかもしれないと思った。赤い部屋を取り止め、青畳でも敷いて茶道具でも置いてみてはどうか。提案なり。
エントランスの左手に階段がある。先客の男が下りてきたので見上げれば、鉄腕アトムが女装したような人形。本当に、太郎が住んだ昔からこんなのが置いてあったのかなと思う。「芸術は爆発だ!」と言った割には、可愛らしい。上に展示スペースがあるようだ。
生前はギラギラとエネルギーの塊のような面妖な人でも、死んでしまうと、そのエネルギーがほどよく萎んで、懐かしさの対象たり得る。小生は、小学校のころから岡本太郎に憧れた。よくテレビに出て、普通の大人じゃない、子供ながらに言っていることは分かるがついてはいけない感じの、芸術家の面白いオジサンだった。中学生くらいだったか、国語の教科書で、縄文人の芸術性を語った文章も読んだ。文章は比較的平易だった。それからは縄文土器を畏敬の念を持って眺めるようになった。玄関で靴を脱ぎ、入場料(一般)600円を払って、置いてあった縄文的エネルギーを眺め入った。
門を入れば、左手は喫茶コーナー、右手は庭に面してご覧の通りの悪趣味を超越したギンギンのTAROワールド。別にコメントすべきもない。侘びさびを敢えて放棄した縄文的エネルギーの大発揮と言いたいところだが、どこかアニメ的表出世界。
長谷寺を出て、表参道へ帰る道すがら、来るとき地下鉄駅の出口で見かけた近辺に「岡本太郎記念館」があるという案内を思い出す。前々から見てみたかった。しかし、どこだか分からない。なんとなく住宅街風な路地を幾つか曲がり曲がり進むと、岡本太郎が長らく住んでアトリエとして使っていたその記念館の前にひょっこり出ていた。