Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

アイヌ新法に想う

2019年05月15日 11時10分07秒 | Journal
 5月14日付の朝日新聞朝刊の13面「私の視点」にオーストラリアの歴史学者テッサ・モリス=スズキ氏(Tessa Morris-Suzuki、1951 - )の「先住権の保障なお課題」とする見解が紹介されていた。先月、国会で成立した「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」について、氏は「今回の法律はアイヌ民族を先住民族と認定した点では評価できる」としながら、基本的な課題は「先住権の保障に、まったく触れていない」と指摘する。「世界中の多くの国で、先住民族の認定は先住権とセットになっている」ことから、この法律は根本的に不十分だというのだ。例えば、氏が暮らすオーストラリアでは、国土の4分の1が先住民族に返還されているそうだ。安倍首相は1月の施政方針演説で「アイヌの皆さんが先住民族として誇りを持って生活できるように取り組みます」と述べたが、その政策は「人権」や「民族共生」の項ではなく、北海道白老町に「民族共生象徴空間」を創設するとして「観光立国」の項に入れられていることも、スズキ氏はおかしいと指摘する。小生は北海道大学に在籍した40年前に、よく札幌の街でも見かけることがあったので強くアイヌの存在を意識したが、それは違和感を超えるものではなかった。日本人は同一民族という思いあがった先入観が強かったし、「区別」と「差別」は違っており、違って見えるものを区別するのは当然で、それは差別ではないと自身に向って言い張ることで、自分を慰めていた。しかし、今にして思えば、やはり自分の中に少なからず差別感情があったに違いない。同じゼミの同輩に民青の活動家がいて(彼は、後に大手メーカーから産経新聞に転身したと聞いたことがある)、なぜそんなにアイヌを意識するのに、アイヌの人々が居留する地域に自ら行かないのかと不思議そうに問われ、何とも答えられなくて困ったことがあった。意識はするが、特に関心があるわけではないという言い訳じみた本当のことを恥ずかしくて言えなかった。国政レベルでも道政レベルでも北海道の第一の政策課題は北方四島の返還である。北海道新聞社の入社試験を受けて、この四島をアイヌ語の当て字である「歯舞(はぼまい、ハ・アプ・オマ・イ)」「色丹(しこたん、シ・コタン)」「国後(くなしり、クンネ・シリ)」「択捉(えとろふ、エトゥ・ヲロ・プ)」と漢字で書けなくて落ちてしまった無様(ぶざま)な記憶がある。しかし、あの試験にアイヌ問題について何らか印象的な出題があったかはよく記憶していない。ロシアとの領土問題は国政上の重要課題になっても、道内の領土問題は、結局、解決を見なくてもいい、文化や観光資源以上には真剣に検討しなくていいテーマであり続けたのだと思う。そういうことをスズキ氏の忌憚(きたん)のない意見を読みながら、ふと思い、いつもながらわが身の不覚を反省した。氏は、慰安婦問題など日本の戦争犯罪について活発な指摘をしており、氏を紹介したウイキペディア中にも在日朝鮮人の帰還事業に関する見解で「全体像を見渡せていない」などと日本の専門家たちから批判を受けている。ただ、全体を平べったく見過ぎたら、部分の突起した矛盾が理解できなくなるということもあろう。アイヌ固有の問題は、侵略者の子孫たちにそう簡単にお手軽に理解できるものではあるまい。何よりいくら説明されても国民も理解に苦しむ、多分、前の天皇ご自身もどういうものかよく分からないで模索的に努力されてきた象徴天皇制の国で、具体的な他民族の認知において「象徴」という抽象的な表現を挿入するのは、慇懃丁寧(いんぎんていねい)に穿(うが)っているようでなんとも横柄至極(おうへいしごく)な話である。これは、日常において無理して共生しなくてもいいと暗に言っているようなものである。テッサ・モリス・スズキ氏の旦那さんが日本を脱出した森巣博(もりす・ひろし、1948 - )という日本人のギャンブラー作家だというのも、おもしろい。夫婦でお決まり調のナンセンスが我慢ならないようだ。

 テッサ・モリス=スズキ氏
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